Class room
駐機場に戻り機体を手順通りシャットアウトして、地上作業員が掛けてくれた梯子を降りて来たカナリスは疲労困憊だった。
「どうだ?これが戦闘機だ」
90分の飛行を終えて帰投したカナリスは疲労で足取りがやや不安定なのに対し、後から降りて来たルーラーは全く息が上がっていない、訓練生とは当然だが格が違う。
翼竜に乗っていた時も、こんなに疲れた事は無い。だが空を飛び、機動飛行をするだけでこれだ。
本当についていけるのだろうか、そう不安が過る。
「大丈夫か?」
「はい……何とか」
カナリスはヘルメットを持ち直し、息を整えて背筋を伸ばす。
「この後は座学か?」
「はい」
戦闘機コースはここから武器やレーダーの操作、実際の戦闘が加わる。飛行実技だけでなく、武器を使用する為の座学も含まれる。
「では戻ってよし」
「了解」
ルーラーに敬礼し、踵を返して司令部の方へ歩き出す。
「カナリス」
教官に呼び止められて振り返る。
「期待してるぞ」
カナリスは教官の言葉に頷き、司令部へと向かった。
========================================
耐Gスーツとヘルメットをロッカーに返したカナリスは、テキスト一式を持って教室に入った。
「団長」
ライルが立ち上がろうとするのを片手で制する、入隊当初は教官に噛みついていた彼も、無事戦闘機コースへと進級できていた。
「もう俺は団長じゃない、俺はお前達と同期でパイロット候補生、礼は不要」
「すみません、どうも癖が抜けなくて」
「出来れば敬語も無くしてほしいものだな」
カナリスもライルも、TACネームも階級もまだ無いパイロット候補生だ。
教室の席は指定されていない、空いている所に座り、他のパイロット候補生が集まるのを待つ。最終的に教室に入って来たパイロット候補生は21人、内16人が元ドラゴンナイツだ。
「全員揃っているな?」
教室に入って来た教官はルーラーではない別の教官、その手にはクリップボードとフライトマニュアルがある。
候補生が立ち上がり教官に敬礼する、教官は教壇に立ち、直れの号令をかけて候補生の敬礼を解かせ、座らせる。
「君達の教官を務めるアスラ・クレイトンだ、階級は中佐、TACネームは“チョーク”だ」
教官は召喚者だ、TACネームは通常、そのパイロットの不名誉なやらかしや特徴で付けられる事が多々あるが、召喚者のTACネームは共通性がある。教官達は皆、学校で使う道具のTACネームを持っていた。
「ここに居る候補生は、初等、中等操縦教育課程を終え、既に戦闘機に乗りどういう物かを体験しただろう。この段階では、戦闘機の戦い方を学んでもらう」
教官が掲げたのは、FLIGHT MANUAL F-16C/Dと書かれた分厚いマニュアルだ。
「既に配布されたこのマニュアルで、これから君達が乗る事になる戦闘機を知り尽くし、実戦に出られるレベルまで戦技を磨く。座学とシミュレーター、飛行は1日に2回、期間は4か月。その間で君達を“戦闘機パイロット”にする」
今までやってきた“ジェット機で飛ぶこと”だけではない、レーダーや武装、戦闘機のあらゆる機能を使いこなし、空中戦を制してこその戦闘機だ。
「君達は団長のスキルと実地での飛行で、既に操縦技術を獲得している。ここから先はそれらを使って“戦う”事を意識しろ」
「ここから先は、今までの訓練とはレベルが違う」という宣告にカナリスだけでなく、ここに居る航空学生の全員気を引き締める。
教官の宣言通り、翌日から航空学生自身で操縦桿を握る事になった。
最初こそ離着陸の際にフラフラと不安定になり教官の指導を受けたが、すぐに矯正された。
F-16は編隊飛行が難しい、広い視界を得る為に、風防に枠が無いからだ。
斜め45度のエシュロン陣形で飛行する時、警告灯が並んでいる枠の端、斜めから垂直になっている部分を目印に、垂直部分より外側に目標となる編隊長機が収まる様に位置を調整する。
だがデジタルFBWによる特殊な操作性が、その調整の難易度を上げている。
『フラフラ飛ぶな、編隊長機を目印に機体を真っ直ぐ保て』
後席から教官がそう言うが、編隊長機を視界に収めながら真っ直ぐに飛行するというのは、経験の浅いパイロット候補生達には難しい。いつの間にか編隊が離れたり、近づきすぎたりする度に教官からの指導が飛ぶ。下手したら空中接触になりかねない、当然の指導だ。
編隊長も編隊長で単に飛べばいい訳では無い、僚機が編隊を組みやすいよう、高度速度を一定に保ち、編隊内の僚機に気を配らなければならない。進路や高度の変更、増減速の時は勿論事前通告しないと編隊が崩れてしまう。
フォーメーション・テイクオフ、そしてオーバーヘッド・パターンでの着陸。着陸は最初のブレイク・ポイントで旋回のタイミングをずらしダウンウィンド・レグに入るが、その際にタイミングを間違えなければ綺麗な間隔を保てるというほど単純な物ではない。
旋回率や速度を絶妙にコントロールしなければならず、僚機が増える程その難易度は上がっていく。
『旋回は一定だ、バタつくな』
“伝授”によって得られるのは操作に関する知識と技術だが、それを使った経験までは得られない。実機の操縦によってその経験を積み、実戦部隊で通用するレベルに昇華しなければならない。
3日目からは教官が操縦桿を握る事は無くなり、後席から訓練生にアドバイスするだけになっていた。
武器の使用は既に練習機で行っているものの、戦闘状況下で、倍以上の速度差のある機体を操りながらレーダーの操作をしつつ射撃、となると話が変わって来る。
今日の訓練は中距離空対空ミサイルの実弾射撃訓練、目標はQF-4無人標的機で、標的は真っ直ぐ飛行したり機動したりとランダムだ。
カナリスのここまでの射撃成績は5発撃って3発命中とまずまずで、これから撃つのが最後の1発になる。
『目標をロックしろ、BULLS170/35 4500 HOT』
カナリスの後席に座る“ルーラー”がレーダーに映し出された目標情報を読み上げる、カナリスは操縦に集中しつつ、左のMFDにちらりと視線を落とす。
RWSモードが選択されているレーダー画面上では味気ないボックス型の表示になっているが、F-16に搭載されているAN/APG-68(V)9の視線の先には、標的機に改造された無人のF-4が飛行しているのが視えていた。
マスターアームスイッチは既にARM、UFCのA-Aマスターモードのボタンを押すと、HUDにASEサークルと呼ばれる円表示と、ミサイルのシーカー方向を表示するダイヤモンドのシンボルが表示される。
右側のMFDで“A-120C”と表示されたAMRAAMを選択、操縦桿のミサイルステップボタンでAMRAAMが搭載されているステーションを切り替える、今回は
ステーション2を選択した。
スロットルのカーソルスイッチを動かし、左MFDのカーソルを操作、写し出された“敵機”のシンボルに合わせて、操縦桿のWPN RELボタンの下にあるTMSスイッチを上に押し上げ、目標を選択、その目標に対してもう一度TMSスイッチを押し上げてSTTモードでロックオンに切り替える。
HUDに表示されているASEサークルが急に小さくなり、右側にDLZと呼ばれる距離のインジケータが表示される。矢印がインジケータのから降りていくと共にASEサークルも大きくなっていき、インジケータの表示の“Rpi”を通過。
現在速度550kt、高度15000ft、敵機と自機の距離20マイル。
親指で操縦桿のWPN RELボタンを押した。
主翼の下、ステーション2からAIM-120C“AMRAAM”中距離空対空ミサイルが飛び出し、凄まじい勢いで加速していく。
『Leaf1-4,FOX3,Singleship,BULLS170/35/4500』
ミサイル発射をコール、僚機や管制機にミサイル発射を伝える為だ。
『Shot Copy. ……おい、そのまま飛んでるのか?』
『Negative、クランクします。CRANK Left』
操縦桿を左に倒して90度ロールを打ち、引いて旋回。
実際の空戦の場合、こちらがミサイルを射撃しているなら当然相手の中距離空対空ミサイルの射程にも入っている事が想定される。その為、射撃したミサイルを誘導しつつ回避の準備の為に旋回するのがセオリーだ。
ただし、こちらがミサイルを誘導中の場合、アクティブレーダーでミサイル自身のレーダーが作動しするまでは、発射母機側で目標を捉え続けなければならない。
ミサイルのシーカーがアクティブに切り替わる前に目標がレーダー視野角を越えるとロックも外れてしまい、ミサイルは目標を見失い命中しない。
”HUDを見てレーダー視野角ギリギリを維持しミサイルを誘導しつつ、すぐに離脱出来る角度”への旋回という動きが空戦には必要になる。F-16のレーダー視野角は60度、丁度その端で敵機を捉える様にミサイルの誘導を維持しつつ旋回する。
DLZインジケータの下、アクティブレーダーに切り替わるまでの時間が表示される、“A”の隣のカウントダウンだ。
A00の後、その表示が“T08”に切り替わった、ミサイルのアクティブレーダーが作動し、ミサイル自身での誘導が始まった合図だ。
『Leaf1-4, PITBULL, Out』
旋回しつつ高度を落とし、敵から遠ざかる様に進路を取る。ミサイルが発射されたら大きく旋回し、高度を下げつつ背中を向けて逃げるのが最も効果的。
HUDのT表示が0になる、命中時間だ。
『Classroom, Single ship VANISHED』
VANISHED、レーダ上で敵機の撃墜を確認したコールを、この演習を監視している本部の戦術統制管が伝達してくる。
『Good kill Good kill. WINCHESTER AMRAAMs, Mission is complete, RTB.』
『Roger RTB』
カナリスはそう返答し、火器管制レーダーとマスターアームを忘れずにオフ。基地へと進路を取る為に操縦桿を倒した。
ここまでAIM-9X、AIM-120、機関砲、無誘導爆弾、GPS誘導兵装、レーザー誘導爆弾、クラスター爆弾、ロケット弾、AGM-65やAGM-88等の対地ミサイル系の兵装等、F-16に統合されている兵装の殆どの発射訓練を終えている。
使い方を習熟した彼らが進む次のステップは、実戦形式で兵装を使用した訓練だ。
教官から作戦目的“だけ”を告げられ、訓練生達が使用する兵装の選定と作戦を立案。対抗部隊と戦う訓練だ。
その上、次段階の訓練からは後部座席に教官が乗る事が無くなり、使用機材が複座から単座に変更になる。
「え、教官乗らないんですか?」
「お前達に後席はもう必要ない、必要な操縦技術をもう持ってるからな」
操縦、機動、航法、武器使用。戦闘機を操縦する上で一通りの技術は既に獲得していた彼らにとって、実戦で通用する程度の練度への引き上げが最重要課題だった。
単座機に乗り換えても未だに垂直尾翼の初心者マークと翼端の目立つオレンジ色は健在、彼らが訓練生でいる間は変わらない。
F-16CMで空に上がったカナリス達は、編隊を組んで指定されたコースを目標ポイントへ飛行する。今回の目標ポイントは“敵野砲陣地”だ。
ベルム南演習場の野砲陣地に、榴弾砲を模した標的が並べられている。。そこへ爆弾を落とし、目標の破壊を確認出来ればミッション成功だ。
チームは4機1組が2組、戦闘空中哨戒チームが前衛を務め、カナリス率いる後衛の4機が野砲陣地に爆弾を落とす。
敵陣地に地対空ミサイルは無い為、低空進入で無誘導爆弾の投下が可能であると判断された。しかし敵戦闘機の有無は不明であり、もし敵迎撃機が出てきたら戦闘空中哨戒チームが排除する算段だ。
訓練生達には敵機が出現するポイント、数、敵機の種類等は伝えていない。その上で訓練生が立てた作戦通りに飛行、任務を遂行する想定訓練だ。
『Classroom,Leaf1 flight,CHECKING IN, Training MISSION No.0026, 4ship F-16CMs with 2×9X and 4×AMRAAMs, Current fuel state;5.5. Request ALPHA CHECK BULLSEYE.』
先行する戦闘空中哨戒チームを率いるのは、合同訓練でカナリスと共に飛んでいたエーリヒだ。マスターアームを火器管制をSIMに入れた。
彼らが搭載しているのは4発のAIM-120Cと1発のAIM-9Xの模擬弾、シーカーが生きており、ミサイルの機動がレーダー上で再現できるものだ。
そして主翼下のもう1つのパイロンには、ACMIと呼ばれる空戦機動計測装置が搭載されている。これは訓練を行う上で戦闘機がどのような速度、機動を取ったかをリアルタイムで計測し、帰投後のデブリーフィングで再現する為の物になる。
戦術統制官の管制空域に無線の周波数を切り替えてチェックイン。
統制管は上空を飛行する空中警戒機に搭乗し、訓練空域全体を管制する。統制管のコールサインはClassroomだ。
『Leaf1 flight, Classroom Training MN0026 Copy, Your POSIT BULLSEYE 020/40 7000 Climb-up.』
戦術統制官からの返答、エーリヒは左MFDの左下の表示を確認する。円の中の表示が方位を示す20、その下の数字が距離を示す40と、事前に設定したブルズアイ方位からの自機位置と、戦術統制官の認識しているブルズアイが正しいかを確認した。
“ブルズアイ”とは、作戦上で基点となるポイントである。
空間内の基点であり実際にその場に何かある訳では無いが、その基点を基準にした方位、距離、高度は「ブルズアイを共有している以上、誰から見てもその基点からの方位、距離、高度」という事になり、間違いや混乱を防ぐことが出来る。
『Leaf1-1, Good BULLSEYE』
『2』
『3』
『4』
編隊を組んでいる僚機の4機とも、ブルズアイ確認は問題ない様だ。
『Leaf1 Flight, UNIFORM PUSH4』
戦術統制官から、迎撃管制のチャンネルに無線を切り替える様に指示。Rogerと返答し、僚機にも伝えて無線の周波数を切り替えた。
『Classroom PICTUR;2GROUPs Range25』
レーダーには2つの輝点、それぞれの点は縦方向に25マイルの間隔を開けている。
『Lead Group;2ships BULLSEYE 170/10 7000 Climb-up TRACK North East.』
集団の先頭グループの情報がTAC-C2から来た、リーフ1のグループに相対するように向かって来ている2機編隊を、エーリヒもレーダーで捉えている。
『Trail Group;2ships BULLSEYE180/35 51000 TRACK North. Both Groups Hostile.』
『……随分高い所を飛んでるな』
51000ft、メートルに直すと15000m以上、現在上昇中とは言え、7000ftを飛んでいるリーフ1グループの7倍近い高度を飛んでいる。
中・長距離ミサイルの撃ち合いが主流となった現代の空戦は、「高い所から速い速度でミサイルを撃てる方が有利」という原則の様な物がある。ミサイルに乗せる運動エネルギーが大きい方が勝つ。
その為には空気抵抗の小さい高高度を、より速い速度で飛ぶ方が有利である。ボールを投げる時、ただ棒立ちで投げるより、助走を付けて投げた方が球速も速く、遠くまで飛ぶだろう。それと同じ事だ。
今回は後続グループの敵の接近率も速く、高度もかなり高い。後方集団から射程の長いミサイルを撃ち、その間に前衛が距離を詰めて来るとエーリヒは予想した。
F-16は小型の機体で小回りが利き、加速も良いのが利点だ。しかし機体の小ささというのは同時に、兵装と燃料の搭載量の少なさという欠点にもなる。早くカタを付けないと、こちらの爆撃チームが危険に晒される。
レーダー警報受信機は航空機からのレーダー照射を受けている警報音を流してくるが、相手がこちらと同じ武装なら、まだ発射する距離ではないのも同じはず。
『上昇を続けて高度と速度を稼ぐ、その間に1-1と1-2が前衛に___』
エーリヒの言葉を遮るように、レーダー警報受信機が甲高い音で警報を鳴らす。ミサイルが発射されたと告げるトーンだ。
『おいマジかよ!?』
『この距離から!?』
いくら訓練であっても、この音は心臓に悪い。編隊を組む僚機の悲鳴に近い声が聞こえて来る。まだミサイルの射程じゃない筈、なのに撃って来るという事は……
『Break!Break!』
こうなったらフォーメーションもあったものじゃない、動揺のあまりSPIKEコールを忘れるが、とにかく旋回して高度を下げて相手のミサイルを回避しなければならない。
『Leaf1-1, Defending North!』
空中衝突に注意しつつ味方との距離を取り、急降下して敵機に対して後ろを向けて加速する。
15秒後、まだミサイルが追って来ているぞとF-16が警報を鳴らす。操縦桿の根元のスイッチでチャフとフレアを撒きつつ敵に背中を向けて逃げ続ける。
『Leaf1 flight, Classroom, Leaf1-2,1-4, VANISHED.』
『クソッ』
『あぁ、マジか!』
射程の長いミサイルで撃墜判定を喰らった2機の悪態が聞こえて来るが、死人に口なし、2機には帰投命令が出た。
『おい、逃げるのに夢中で後ろ見てないだろ、リーフ1-1』
その声に驚き、どこからだとキャノピーの向こうの空を探す。視界を横切った小さな影に目を凝らすと、すぐ後ろには2色の青とグレー、まるでロシア戦闘機の様な塗装のF-16CMが迫っていた。
『ルーラー教官!?』
『そうだ、俺は今回仮想敵だ。高度3500まで落ちてるぞ』
『あぁ、クソッ!』
エーリヒは操縦桿を引いて機体を上昇させるが、速度が失われる。空戦では致命的な隙が生まれるが、Gに身体を押し潰されながら機体を振り回す今のエーリヒに、それを考えている余裕は無かった。
スロットルを開き失われた速度を取り戻しつつ、“敵機”の背後に着く為に一旦上昇、教官と交差し、2サークル・ファイトに持ち込もうとするが、相手の方が高度も速度も上だ。運動エネルギーで劣っており、エーリヒは今無理に旋回したら失速してしまう。HUDに捉えようとしても、するりするりと抜けて行く。
『くッ……1-1、フゥッ……!ANCHORED HOSTILE!』
切り替えし、相手をオーバーシュートさせたいが、教官が操る“敵機”はエーリヒのコントロールゾーンに入り込む。相手は運動エネルギーの管理も完璧で、まるでこちらの動きを先読みしているかのようだ。
『クソッ……!同じ機体使ってんのに……!』
こちらに狙いを定める教官の動きには、明らかに鋭さがあった。
『どういう事だあぁぁ!!』
Leaf1 Group VANISHED. TAC-C2は、「これが訓練でよかったな」と言いたげに冷たく宣言した。