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第196話 雪の恐慌

「熊、ねぇ……」


その翌朝、空軍特殊作戦チームに撮影した現地の写真を送って貰い、それを全員に共有した。

FV105サルタンの後方のテント内に設けた臨時本部には、簡易テーブルと椅子が並べられている。その椅子の座りながら頬杖を突くシュバルツが、個人用端末(モバイルガジェット)で眺めているのもそれだ。


画面にはライトに照らされた大きな足跡がくっきりと残されていた、その大きさは約20㎝。

推測される体長は2.5mを超え、体重は350㎏になると言う。

標準的なヒグマの体長は2m程度、体重は150から400㎏と言われ、その中でもかなり大型な方だ。


「怪物クラスだな、そりゃ」


同じく写真を見ながらトラビスは腕を組む、現在、山岳民兵のアレクトと民兵の纏め役のハイド、猟友会のムロイと、砦に展開している空軍特殊戦チームも臨時本部に集まって情報共有を行っているところだ。


「ただの熊か?魔物か何かじゃないか?」


「いや、この辺りに熊が棲息しているのは確認されてる」


シュバルツの問いに答えたのはエルフの猟師、ムロイだった。


「だがデカい熊だ、恐らく冬眠の為の巣穴を見つけられなかった個体だろう。穴持たずって奴だな」


猟師である以上、この辺りで獲れる動物や魔物は把握しているのだろう。ムロイは猟師としての経験と知識を頭から引っ張り、言葉を続ける。


「山の主って言われる熊の可能性がある、ここいらで一番デカい熊だ。山の神の仮の姿だとかな」


山岳信仰……というほど熱心さを感じないものの、常日頃から山の動物から命を頂いている事から来る、命に対する敬意だろう。


「ま……山の神云々は置いておくとしてだ」


仕切り直す様に言ったのはアレクトだ、彼はもっと現実的な視点で見ている様だった。


「この熊が“穴持たず”だったとしたら、凶暴化している可能性がある、大きさと言い狡猾さと言い、かなり手ごわいぞ」


熊は恒温動物でありながら冬眠する動物だ、冬眠中は代謝はもとより、脈拍や呼吸も落ちる。それによって消費するエネルギーも少なくなるのだが、冬眠出来なかった“穴持たず”は自らの基礎代謝や活動エネルギーを補う為に獲物を積極的に狩らなければならず、凶暴化する傾向がある。


「それにこの地域の村が山賊化するのは、熊に食糧を持っていかれるからと来た……」


シュバルツは眉間を押さえながら考える。

いくら村を守り、襲ってきた山賊を撃退したところで、山賊は居なくならない。脅威となっているのは熊であり、熊が集落の食糧を漁ると村人たちの食糧が無くなる。


食料が足りなくなれば狩りに行くしかないのだが、獲物が獲れる所というのは熊にとっても同じなのだ。そしてこの深く雪が積もる冬に農作物を育て、収穫する事は出来ない。結局食料が不足し、周辺の村落を襲って食料を奪うしかなくなる。


そして食料が払底したら、今度は村人たちが熊の食糧になる番だ。


今はまだ良いのだが、この状況が続けば現状健全な集落も食料不足に陥り、丸ごと山賊化しかねない。


「熊をどうにかしないと、山賊対処って言っても根本的な解決にならないな」


トラビスも腕を組みながら悩ましい声を上げる。山賊が発生する原因が熊であるなら、脅威は山賊よりも熊の方になる。


「……そうだな、山賊が発生させない必要がある。これより目標を熊とし、熊の駆除を目的とした作戦行動を山岳民兵と共同で行う。本部にもそう伝えよう」


「了解した」


依頼されたのは山賊からの防衛だ、熊の駆除は本来であれば依頼に含まれないが、熊の所為で山賊が発生するのであれば、その根源を断ち切ると言う意味では十分に依頼の範囲内と解釈出来る。現地でしか判断できない事に柔軟に対応する事が求められ、シュバルツは派遣隊の隊長としてそれを判断する権限を持っているのだ。


「シュバルツ、そろそろ時間だ」


「了解」


空軍特殊戦チームのCCT、メルヴィンがシュバルツを呼ぶ。前日に要請しておいた補給物資が届く時間だ。回収に向かう為に、シュバルツは小隊本部から半数を連れてFV103スパルタンに乗り込み、第2分隊も同行する為に89式装甲戦闘車に乗り込む。


「民兵は他の集落に声かけを、熊に注意して身を守るように連絡を回してくれ」


「分かった」


目的が明快になれば、部隊の動きも加速する。


熊を駆除するという目的の為に、集落全体が動き始めた。



========================================



『ジュピター、こちらリーチ81、聞こえるか?現在リーチ81、82の2機で飛行中』


「リーチ81、聞こえる、こちらジュピター。現地の現在の天候は雪、視界2000m、雲量10、方位015より3ノットの風、突風無し。雲の高さ2000m、留意されたし」


最初に降下した雪原には、小隊本部の半数と第2分隊、そして空中投下を誘導する空軍特殊戦チームが集まっていた。

空軍特殊戦チーム、SOWTの作成した予報と現在の天候情報を元に、貨物の投下に適した場所、タイミングを輸送機に連絡する。


それが決まればCCTがその着陸地点へ誘導、輸送機が誘導通り貨物を投下して完了だ。


「リーチ81、そちらに投下ポイントの座標情報を送信した。方位170より進入、雪の為視界には十分注意せよ。投下ポイントはレッドスモークにて合図する」


『リーチ81、了解した。投下コースへの進入を開始する』


雪と風の音で輸送機の姿はまだ見えないし、エンジン音も聞こえない。だがCCTはそんな中でも的確に航空機を誘導する能力を有する部隊だ。


メルヴィンがB&T GL-06にスモークグレネードを装填、ストックを肩に当てて仰角を付け、目の前の雪原に向けて引き金を引く。


ポン、と少し軽く聞こえる銃声と共に40㎜発煙弾が発射され、放物線を描いた後、雪原に突き刺さって赤い煙を吹き出し始めた。


スモークが十分に視認できる程度まで広がったタイミングで、灰色の雪雲の向こうにC-17

の巨躯を表す機外灯が見えて来た。ナイスタイミング、とメルヴィンは呟いた。


『降下地点、スモーク視認、速度高度、維持』


雲の向こうから滲み出る様にC-17が現れる、その後部ハッチは開け放たれており、後は号令を待つだけになっていた。


『リーチ81、グリーンライト!投下!投下!』


後部ハッチから滑り落とされた2つのパレットは、第2小隊の89式装甲戦闘車が投下された時と同じ要領で大量のパラシュートによって減速する。


『リーチ82、グリーンライト、投下!』


後続のC-17からも2つ、パレットが投下される。パレットが空中に漂っている間に、2機のC-17は雪雲の上へと消えて行った。


『リーチ81、82、空域を離脱する』


「リーチ81、離脱、了解」


メルヴィンは通信終了の符号を送ってPTTスイッチから指を離すと、降下してくる貨物パレットに目を向けた。


第2小隊のIFVが降下した時と同じくらい大量のパラシュートで降りてくるが、パラシュートの根元にロケットモーターが付いている様子は無い。しかし地表が近づくと、パレットの下面が爆発した様にエアクッションが展開し、雪原に着地した衝撃を和らげる。


C-17が投下した4つの貨物パレットが全て着地したのを確認すると、安全確認の上で第2分隊と小隊本部が荷解きに掛かる。


「注文した物は全部届いてるか?」


「あぁ、追加の燃料、弾薬、発電機とスノーモービル、後はこれか」


メルヴィンに問いかけられたシュバルツがそう言って指したのは、パレットに乗せられた2輌の10式雪上車だった。


「こいつが居れば、雪上でもっと機動的な戦術がとれる」


既にFV103スパルタンが2輌配備されているが、装甲兵員輸送車(APC)タイプとは言え、5人しか乗れない。増援としてもっと要請しても良かったのだが、小型なスパルタンより雪上での運用に適しており、大容量の雪上車の方が良いと言う判断に基づいたものだった。


10式雪上車の荷解きが完了すると、パレットから自走させて他のパレットに積まれていた弾薬や燃料、発電機、予備部品等を乗せる。補給物資の中でも特に暖房や照明、車両用に用いられる為、燃料はかなり多めだ。

ポリタンクや燃料缶に入れられた大量の燃料を、10式雪上車に手分けして搭載していく。


空軍特殊作戦チームのみが使っていたスノーモービルも追加で補充され、第2小隊でも偵察に使用可能になった。


搭載が終わった第2分隊の隊員がスノーモービルや10式雪上車に分乗し、ミシベツ村のキャンプへと帰投する。


第1分隊は空投された物資の回収の間に偵察に出ていたようで、既に89式装甲戦闘車ごと居なかったが、残りの分隊が村の出入り口で防御陣地を構築、まだ来るかもしれない山賊と熊の襲撃に備えていた。


「燃料と弾薬は集積所に!スノーモービルと雪上車は本部に集めて停めておけ!」


村の広場に構築した小隊の陣地は東に本部と野営陣地、西に簡易的な屋根を付けた物資集積所となっており、即席の野戦陣地になっていた。許可を得ているとは言え、村を間借りしている身で大きなスペースを取ってしまって申し訳ないな、とシュバルツは思う。


「物資の配給がこれで楽になりそうだ」


「あぁ、IFVとスパルタンだけじゃ足りないだろうしな」


計画には周辺の村落への食糧や物資の配給が含まれている、食料不足への対処として、まずは山賊化する前に村の住民達の腹を満たしてしまおうと言う事だ。


根本的な対処にならないのは承知だが、熊討伐までの臨時かつ応急的な措置だ。


補給物資の集積が完了し、小隊が休息モードに入ろうとしていた時、FV105サルタンの通信から呼び出しがあった。


「こちらカタフラクト1-1、テスラ01、聞こえるか、どうぞ」


通信を取ったのは小隊長のシュバルツだ。


「テスラ01、ラインハルト大尉だ、どうぞ」


『こちらラッツェル少尉、カタフラクト1-1。トミナ地区で偵察中、熊出没の情報あり、民間人3名死亡、1名行方不明』


「何だと……?」


熊による被害が、ここへ来て初めて報告された。



========================================



遡る事1時間前 トミナ地区


集落は雪の深い森の中で、住居のその多くは木造だ。

権力者の家であれば大きな家を建てる事が出来るが、このトミナ地区にそんな豪華な住居は無く、木を組んで立てただけの粗末な家が10軒程度建っているだけだった。


子供の泣き声がすれば全戸に聞こえる様な集落、時間は昼前。各々の家では食事の準備が進められていた時、とある1軒で事件は起こる。


その家は幼い兄妹2人とその父母、祖母が暮らしていた。父は猟師として仕事に出ており家を留守にしていた時、突然バキバキと木をなぎ倒すような音と共に兄の短い悲鳴が居間の方から聞こえた。


その時、母親は祖母と共に台所に立っていた為、居間の様子は見えなかった。


「誰が何したぁ!?」


祖母と母が慌てて居間の様子を見に行くと、居間の壁は大きく引き裂かれており、雪景色と共に家の中に冷たい風が吹きこんで来るのを、まだ5歳になったばかりの兄が呆然と外を眺める後ろ姿しか見えなかった。


当然だが現代の様な(あかり)は無く、この世界では室内の照明は蝋燭か魔術ランプによる光なのだが、燭台(しょくだい)の蝋燭は消えて部屋は暗くなっていた。


「カニィ、大丈夫!?何があったの?」


母親が子供に声を掛けるが、その子は微動だにしない。ただ外を呆然と見つめるだけだ。


「アウリはどうしたの?」


男の子は答えない、様子がおかしいと思った母親が肩を叩くと、男の子は床に力無く倒れる。

外の光の差し込むところに倒れた男の子の側頭部には大穴が空いており、外に光を流れ出る血がてらてらと反射する。顔面は爪痕でぐちゃぐちゃになり、もはやその表情は原型を留めていない。


「ひっ……!」


母親は喉が干上がり、小さな悲鳴を上げる。我が子が何者かによってこんな無残な姿にさせられた恐怖と同時に、妹の方は何としても守らなければと正常な思考が働こうとした瞬間だった。



ぶち



ぶちぶち



ぼり



ごり



石を擦り合わせる様な音と、水っぽい何かが潰れる音。


その音の発生源は、母親と祖母の後ろ、部屋の隅だった。


部屋の隅は光が入らず、燭台の灯が消えた事によって暗い。




ぼり



ぼりっ



暗い中で、何かが蠢いているのが分かってきた。


分かるのは、強烈な血生臭さと、時折聞こえる、ブフー……と言う息遣い。


そして、床にぼとりと落ちた、変わり果てた姿の我が子の姿。__見覚えのある柄の外套を纏った、小さな小さな、肘から先。


「_________!!!」


黒い影の中から出て来たのは、この集落を恐怖に叩き落した元凶。


3m以上はあろうかという、巨大な熊だった。



========================================


シュバルツは小隊本部の半分を率いて、トミナ地区へと駆け付けた。


「状況は?」


「現場は掌握済み、警備を配置しました。家主は猟師で仕事に出ていて留守だったそうです。子供2人と祖母が死亡、母親が行方不明です」


クロウは分隊の内2人を情報収集に、残りを警備に回し、熊の再来に備えて迎撃配置を取っていた。

襲われた家を留守にしていた父親が帰ってきた様で、家主らしき男性が事件現場となった家の前で顔を覆っている。


「……現場は」


「こちらです」


クロウに案内されて現場に入る、粗末な一軒家だが、入ったところから既に惨状が広がっていた。


居間となっていた部屋は一面の血痕、血の海という表現が相応しく、血だまりの隙間の茣蓙(ゴザ)を探す方が難しいくらいだ。


そしてその部屋に転がっている1つの遺体と、散らばるように落ちている人間のパーツ。

遺体の1つは家主の息子だろう、側頭部に大きな穴が空けられ、顔をひと掻きされただけで表情が分からないくらい損壊していた。

血だまりに沈む小さな1つずつの手足は娘だろうか、まだ幼い子供の物の様にも見える。


そしてもう1つ、肩から上と片腕しか残っていない老婆の亡骸。


噎せ返る様な血の匂いの中、部屋の裂け目から雪混じりの冷たい風が吹き込んできた。


「……酷いな」


無機質に食い荒らされた“食べ残し”達を前にシュバルツはその言葉が出たが、その言葉も適切ではない気がした。

熊にとってみれば、この地で暮らす人もエルフも餌でしか無く、村人達を憎んでこの現場を作り出した訳では無い。こちらを害するとは言え、熊も生きる為に食っているだけなのだ。


「足跡は追ったか?」


「その出口から北へ続いています。集落の外へは追っていません」


家を出て裏へ回ると昨日見たばかりの足跡と同じ大きさの足跡が北へと続いていた。

足跡の傍らには、引きずった跡の様な血の跡も残っている。


「追いますか?」


「……いや、今はまだこちらから仕掛けられない。準備不足だ」


熊はただ餌を漁っているだけとは言え、食われる側もこちらからしてみれば溜まったものではない。


村人を避難させるとはいっても、ドラゴンの時の様に村全体を破壊される訳では無いので、そう簡単にここの住人に生活を捨てさせる訳にもいかない。


だが現実的に、小隊規模の部隊で全ての集落を守り切る事は不可能だ。


「……クロウ」


「はい」


「情報収集が終わり次第、分隊は迎撃配置に。熊の再来に備えろ。本部はミシベツへの避難かここに残るか、住人に決めて貰った後に対策を協議する」


「……了解」


クロウはヘルメットを被り直し、分隊の所へ戻った。

シュバルツもやるべき仕事がある、小隊本部をまとめ、動き始めた。



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