第187話 1周年記念イベント
水害から2日、行方不明者は減り、死者は増えた。
排水作業も進み、街の大部分の排水は終了したが、まだ街の中の低い土地は踝くらいまでの水位があり、工兵隊の半分はこの排水作業に当てられている、残りの半分は機甲科と砲兵科と協力して瓦礫の撤去作業を担当し、少しでも早く復興出来るようにと各員が奮闘している。
ただ、俺は今その現場には居ない。
「……」
「命中せず、どうしたヒロト、さっきまではあんなに正確だったのに」
「ちょっと、心が乱れた」
地下射撃場、俺が持っているのは14.5インチのM4、セットアップは光学機器にEOTech553、レーザーのLA5、ライトのSurefire M600CをSurefire SR07-D-ITデュアルリモートスイッチで制御している。そのスイッチは両端が切り取られ、レールの隙間に埋められるように設置されていた。
エリスがレーザー測距計付きの単眼鏡を覗きながら言う、見ている標的は100m先だった。
アサルトライフルの射程距離は平均で500mと言われているが、その1/5の距離とは言え倍率も無い照準器で、更に肉眼で照準して射撃、となると、この位の距離が限界だと思う。
再びストックを肩に当て、フォアグリップの根元ごとハンドガードを握るCクランプで構える。姿勢は立射、呼吸を整えて照準を人型標的の頭と胸を結ぶラインに合わせ、引き金をゆっくりと絞る。
拳銃とは違う重くて鋭い銃声、放たれた5.56mmNATO弾は狙い通り、胸の上あたりを射貫いていた。
「命中」
別にライフルの調整と言う訳でも、パーツの様子を見る訳でも無い。ただ最近、殆ど銃を撃つ機会が無く、なまっていないか心配になったからだ。
「1発だけだな、外したの」
単眼鏡から目を離しながらエリスが言う、3マガジン程撃ったが、外したのはそれだけだ。
ふぅ、と軽く息を吐き、マガジンを外してチャージングハンドルを引き、薬室に残っている5.56×45㎜NATO弾を抜弾する。
ボルトストップをかけて薬室内を目視確認、ボルトを閉じるとストックを肩に当て、標的に銃口を向けたままゆっくりと引金を引いて撃鉄を落とす。
ライフルの安全確認を終えるとスリングで肩から下げる、いつもはこんなリラックスした射撃は出来ない、戦闘になればもっと高ストレス環境下での射撃になるが、この射撃練習もミリタリーオタクの俺には娯楽になる、人殺しの道具が娯楽など不謹慎かもしれないが。
「今日はこんなところだな、あんまりに会議と書類仕事続きだから、色々溜まっちまってな。付き合わせて済まなかった」
「いや、良い。久しぶりだったんだろう、楽しめたか?」
「ああ、十分にね」
このライフルをロッカーに戻した時、俺はまた仕事に戻るのだ。
最近は水害からの復興支援と住民の生活支援が主な仕事になり、後方支援部隊から業務が圧迫していると悲鳴が出ている。その為後方支援部隊と工兵隊を2個中隊へと拡張した。
「しかしまぁ、このタイミングでやる事になるとはね……」
「確かにな……だが私達ガーディアンの1周年記念だ、張り切らないとな」
エリスの言葉に自然と力が入る、急遽と言われても仕方がないが、身内で済ませようと思っていたガーディアン設立1周年イベントを開催する事になった。
元々この水害が無ければ隊内でパーティーでも、と思っていたのだが、きっかけはレムラス伯爵の相談だった。
「街の住人の表情は未だ暗いままなのが心苦しい」
水も引き始め、瓦礫の撤去も浸水が少なかった地域への復帰も始まっているし、ワーギュランス公爵からの復興予算も下りた。住む所を失った人々への住居支援も、仮設住宅への入居が進んでいる状況だが、いろいろな物を失った街の住人の笑顔だけがまだ戻っていない。
そんな人々の笑顔の為に、急遽開催する事になったのが今回のガーディアン設立1周年イベントだ。
「間に合わせの割に計画は良くまとまってると思うぞ、私も今から楽しみだ」
イベントの内容としては学園祭に部隊の観閲行進と小規模な訓練展示を加えた様な物だ、街の人々を招いて飲食や体験でもてなすと共にガーディアンの頼もしさを知ってもらい、同時に敵対する組織、国へガーディアンをアピールして牽制する。
「大きなイベントにするなら、もっと計画を練っておきかったんだけどな……」
「仕方ない、予算も人員も時間も限られてる、災害の復興もまだ完全に終わった訳じゃないからな」
こちらから出せるアイデアはもう出した、既に部隊は準備に動いており、出店等の出し物も隊員からのアイデア出しを頼んでいる状態だ。
この初めての対外イベントに、隊員がどんな気持ちで望むのか。それも俺は楽しみでいる。
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「ね、グライムズ、あんたのコーヒー出したら人気出そうじゃない?」
本部基地の管理棟、PX前の廊下を歩きながらアイリーンの提案に頷くグライムズ、実際彼のコーヒーの腕はかなりの物であり、彼のコーヒーを求めて彼を訪ねる者も多い。
「そうだな、ヒロトさんに相談してみるか、コーヒーショップみたいなの出店できるかどうか……」
しかし、そこで懸念事項として浮上するのが紅茶派だった。
ガーディアンの水面下で繰り広げられる紅茶/コーヒー人気対決の、どちらが人気かに終止符が打たれるかもしれないそう思ったグライムズだったが。
「あら、エイミー?」
目の前に現れたのは戦闘時には頼れるチームメイト、普段は有能なメイド、そしてコーヒー派である彼の天敵とも呼べる存在、エイミー・ハング曹長だった。
腕を組んだ彼女はいつもの様に真面目そうな表情を浮かべている。
「こんにちはアイリーン、またお茶会しましょう?と言いたいのだけれど、今日の用事は彼君にあるの」
「グライムズに?」
「……コーヒーの方が美味いぞ」
開幕宣戦布告と思い、グライムズも対紅茶派の臨戦態勢を取り、紅茶にコーヒーが優っているところを脳内で列挙する。
「紅茶の方が……いえ、今日は私はそんな事をしに来たのではありません」
エイミーは首を横に振ると、グライムズをビシッと指差しながら宣言する。
「ガーディアン紅茶派を代表して、街の人々の笑顔とヒロト様の為に、休戦を申し入れます」
「……は?」
思わず素っ頓狂な声を上げる程、それは唐突だった。
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ヒロト視点
食堂の方でも何か考えているらしい、と聞いたので覗きに来た。
「ファル、居るか?」
「はい?あぁ、団長ですか」
食動員、ファル。彼はドラゴンに破壊された町から逃げ出した住民の1人で、第2分隊と共にガーディアンに入隊したが、正規の戦闘員ではない“非正規後方支援業務群”の1人だ。
「食堂でも何かやるって聞いたんだが」
「えぇ、地元に還元出来ればと、例の契約農家と漁師とかから色々と仕入れる予定です」
冷蔵庫の中には試作料理の為か、色々と食材が入っている。どれもこれも街の農業ギルドや水運ギルド、畜産ギルドから購入したものだった。
「この間日本人の召喚者に教えてもらった料理もありましてね、それをする為の魚が安かったのでそれも仕入れてみましたが……いやあ、こんな魚があんなに美味しくなるとは」
そう言って冷蔵庫から取り出したのは、俺も見たことがある魚だった。
「これは……」
「カワヘビって魚です、団長たちは“ウナギ”って呼ぶんでしたっけ」
ラスカ河の下流の方ではこれが良く取れるらしく、調理してもあまり美味しくない上に調理法も少ないので雑魚扱いされているらしい。
まぁ、異世界で鰻食うとか聞いたことないしな……ゼリー寄せとかはありそうだが、出来れば食べたくない。
「厨房に日本人を配置して頂けて助かりましたよ、皆さんにもっと美味い食事を出せるのが嬉しいです」
「こっちも戦ったり作業した後は美味い飯が食いたいからな。……で。これはどうするんだ?」
「蒲焼きにしてみようかと……いろんな料理を試してみたんですけど、白焼きや他のウナギ料理より、街の人達の味覚に合いそうなのは蒲焼きかなと思いまして」
確かに白焼きなどのあっさりした味より、蒲焼きの様な濃厚な味の方が異世界人の味覚には合いそうだ。実際ファルも蒲焼きの方が好みだそう。
「他にも出すのか?」
「串焼きなんかは提供も撤収も早くて、回転率がいいかもしれませんから、それも考えています」
焼き鳥、牛串などの串焼き系は確かに屋台の名物だ、だんだん祭りらしくなってきたかもしれない。
後日アイデアを募集した時は、意外な程反響を呼ぶとは、この時は俺も想像していなかった。
いや、誰も想像などしていなかっただろう、当日の賑わいは。
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会場警備の手筈や招待客への招待状の発送、動員の動線などを決め、開催日当日。天候は晴れ。
前日の文化祭準備の様な空気とはまた変わり、仄かな緊張感に包まれて開催されたガーディアン1周年記念イベントは、開始直後から大いに賑わっていた。
「す、すごい人の数だな……!」
基地の中は解放せず、基地の外、東門から出たあたりから基地の外壁に沿って露店を並べたが、開始時間から20分しか経過していないにも関わらず、露店には行列が出来ていた。
ファルの料理を提供する露店はそれぞれ料理ごとに分けられ、焼きそば、唐揚げ、ポテトフライ、串焼き、豚汁、そしてファルの今回の目玉であるウナギの蒲焼きと、露店から美味しそうな匂いが漂って来ていた。
「いやしかし、こんなに盛況になるとはな」
「皆避難所生活で娯楽が無いんだな、街の人も楽しめるし、農業ギルドの再生も出来る」
今回ここで振舞っている料理の食材、肉や野菜、魚、殆ど全て街の農業、畜産、水運の各ギルドから八百屋や肉屋、魚屋などを通じて適正価格で購入した物だ。
基地がある地元へのせめてもの恩返しである、普段はこういった料理を提供する側の街の食堂や喫茶店の店員も、ガーディアンの露店料理に舌鼓を打っている。
「しかし、露店をやるのはファルだけだと思っていたが……」
「エイミーからの提案でな、私も少し手伝ったんだ」
人通りの多い露店通りから少し奥まったところに、テントを連ねた休憩スペースの様な所がある。
____いや、休憩スペースではない。中にはカウンターや簡易キッチン、冷蔵庫まである。
この提案を持って来た時、俺は心底驚いた。
エイミーが考案した、喫茶店だ。
「いらっしゃいませ、ご注文はお決まりですか?」
「あ、じゃあコーヒーを」
「俺は紅茶で」
「かしこまりました」
メイド服に着替えたアイリーンの赤毛が揺れている、共同発案者はあのグライムズだ。
エイミーとグライムズが、街の人々の為にコーヒー派/紅茶派の垣根を越えて協力する、何と言うかこれは、胸が熱い。
「何か食べるか?朝食まだだったもんな」
「そうだな、えーっと……まずは豚汁、かな、メインは昼に頂こうか」
まだ出番もある事だしな、と言うエリス。そう、俺達はまだ出番がある。
豚汁の出店に並ぶと、誰が並んだか気になったのか。前に並んでいた人が
振り返る。
「……!ど、どうぞ」
俺達を知っているのか、主催であるガーディアンの団長が後ろに並んだ事に驚きの表情で順番を変わろうとしてくるが、俺は片手で制した。
「いえ、お構いなく。楽しんで頂けている様で何よりです」
俺達はこの場では平等だ、同じ豚汁の出店に並ぶ客なのだ。
キチンと順番待ちをして豚汁を貰う。
「いらっしゃいませー、団長、豚汁2つですか?」
「あぁ、頼む」
非正規後方支援業務群の隊員が湯気を上げる鍋から、発泡スチロールの椀に大盛の豚汁を盛って手渡してくる。
金は払わない、ガーディアンの団員だからでは無く、今回のイベントの飲食物は全て無償で提供されている。このイベントが、水害によって失われた住民の生活基盤を支援する活動の1つを兼ねているからだ。
レムラス伯爵にその件を話したら、復興予算の一部を回してくれると言ったが断った、
「温かい……冷え込む朝にはありがたいな」
「外で食べるとまた何でか美味いよな、こう言うの」
豚汁は食堂でも時折出るので、エリスを始めガーディアンの異世界人には馴染のある料理だ、具沢山で身体が温まる上に、美味い。
「流石は私達の胃袋を支える給食員だな」
「ファルが入ってくれてよかった、奴は料理の腕前をドンドン上げてるからな」
新しいメニューの開拓にも余念がない、召喚している日本人スタッフからも料理を学んでいる様だ。ファルだけでなく、ガーディアンの現在の給食員全体のレベルは非常に高い。
「唐揚げも食うか」
「露店の選択肢は豊かだな……良い、食べようか」
唐揚げの露店は人気だ、食堂でも人気のメニューで、出番前の隊員も並んで食べている。
出番までには間に合えよ、と思いながら、俺達も列に並び1つ貰う、大きめの紙のカップに入った6個入りの唐揚げだ。
竹串で刺し口に放り込む、エリスももう1本の竹串で同じように口に入れた。
外はサクサク、中はふんわりとした熱々の唐揚げ、噛むと肉汁が溢れてくる。
「これは……また美味いな」
「あふ、あふ……」
唐揚げを頬張るエリス、朝で気温が低い事もあり、口元から湯気が出ている、可愛らしい。
「……うん、美味い!」
お気に召したようで何よりだ。
「何かあれだな、私が勝手に思っているだけかもしれないが、食堂で食べる唐揚げとはまた違った美味さがあるな、下拵えを何か変えてあるのか」
「いや、変えてないはずだぞ」
非常に分かる、こう言うのは外で食うとまた改めて美味いのだ。言葉に表し難いが、この雰囲気が飯を美味くすると言ってもいい。
暫くエリスと共に唐揚げを食べながら露店を見て回る、店舗や商品が無事だった街の小物屋や雑貨屋、道具屋にも出店を許可しているので、そう言った露店もある。
「そろそろ時間か?」
エリスにそう言われて腕時計に目を落とす、そろそろ9時になる所だ。
「おっと、いけね。準備しないとな」
「こんな事初めてなんだから、入念にな」
そう言うと俺は設置してあるゴミ箱に食べ終えた露店メニューのゴミを放り、基地の中へと戻った。
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「大丈夫か?俺」
鏡の前で身嗜みを整える、今はマルチカムの迷彩服では無く、紺色に黒いラインの入ったガーディアンの制服を着ている。
エリスが軽くネクタイや襟の皺を整え、俺の胸元をポンと軽く叩く。
「大丈夫だ、大勢の前に出るの、緊張するか?」
「あ、うん、まぁ、そうだな……」
深呼吸する、一般人だけでなく、今日はレムラス伯爵を始め、ワーギュランス公爵や他の貴族も来るのだ、緊張するなと言う方が無理である。
「原稿を読んで車の上で敬礼していればいいだけだ、頑張ってこい」
「……緊張してさっき食ったのが出そう」
「馬鹿、しっかりしろ、行ってこい」
しっかりしますか、歯も磨いたし顔も洗った、寝癖も直した、人前に出られる、よし。
俺は準備を終えると、向かったのは基地の大通りだ。管理棟を出ると既に1台のランドローバーSOVが待機していた、ルーフターレットやフロント、リアの重機関銃は取り外され、運転席にはストルッカ、助手席にはヒューバートが覆面を被って座っている。
「じゃ、行ってくる」
「ん、待ってる」
俺はエリスと軽くキスを交わし、SOVに乗り込んで銃座に立つ。
「はーーーったくこの人は見せつけてくれちゃって」
悪態混じりに揶揄うのはヒューバートだ、ストルッカも覆面の下で苦笑している。
「式典なんて初めてですね」
「そうだな……緊張する」
ゆっくり行きましょう、そう言ってストルッカはSOVを走らせる、ストルッカは第3分隊、車輌戦闘を得意とする分隊らしい乗っていて安心する走りだ。向かうのは基地の南側、式典会場だ。
『まもなく、ヒロト・タカオカ団長が入場してきます』
「リハーサル通りやりましょう」
「あぁ」
緊張する一瞬、会場の全ての視線が俺に集まる。
右側にある雛壇には、レムラス伯爵、ワーギュランス公爵、定例会議の時に散々噛みついてきたノイマン伯爵や街のギルドの方々もいるのが見える。
ガーディアンの戦力を、色々な意味を込めて、ここで彼らに見せつけるのだ。