第179話 魔力増幅回路
なぜ卒研もこれくらい真面目にやらなかったのかと小一時間問い詰めたい
ガーディアン本部基地の南東には、基地の外部施設群が存在する。
そもそも本部基地はベルム街の南1㎞の丘の上にあり、基地を囲む壁に開いている門は2つ。
東にずっと行く最終的に王都へと繋がる“ワッドサンズ街道”に面した北向きの正門と、空軍基地への車両及び資材の搬入搬出の為に広くなっている東門だ。
その中の東門を出てすぐ南へ向かうと外部施設群だ、具体的には馬車の足回りを組み立てる工房と、正式に技術研究開発局となった研究所だ。
来年の春には新たに研究員を迎え入れる事が確定している研究所では、テックス・マクダエル教授主導の下、現在30人程の研究員と共に魔力と現代技術の研究が進んでいた。
主な研究題目としては、魔石から取り出す魔力を利用した魔力装置の研究だ。
一般に変圧器と呼ばれるのは、1次コイルと2次コイルの2つのコイルを使い、1次コイル側に交流電流を流して変動磁場を発生させ、電流の変化が誘導起電力となって表れる相互インダクタンスによって結合させた2次コイルに伝達、再び電流に変換して出力するという物だ。便宜上これを“コイル型”と呼ぶことにする。
しかし、コイル型は直流を交流に変換しなくてはならず、そのまま魔力に応用するには研究に時間がかかる。
その為、魔力研究の基礎としてまずは便宜上“コンバータ型”と呼ぶスイッチ増幅回路を魔力文字と掛け合わせ、その応用で魔力回路を生み出すことにしたのだ。
「昇圧回路か……」
「魔力も同じ性質があると思いますか?」
「恐らくはな……しかし、こんな仕組みで昇圧できるのか……」
助手の研究員の言葉に頷きながら、基礎的な素子の勉強をしていたノートを閉じるテックス教授。
彼の思い描く魔術文字の中に、抵抗、コイル、コンデンサ等、おおよその電子回路を構築するに必要な素子の役割を果たす魔術文字記号は存在した。
ただ“知らなかった”のだ、誰もかもが“魔力の流れを遅くするだけ”と嘲笑した記号が組み合わせ次第でそんな事が可能だなんて。
恐らくこの世界の高位な魔術師ですら、ただ魔力の流れる方向を変えるだけの魔術文字や魔術記号にそんな意味があり、組み合わせると小さな魔石でも大きなエネルギーへと変換が可能な事を知らないだろう。
「……まずは小さく簡単な魔術回路からだな、組んでみよう」
「お手伝いします、教授」
教授は教授なだけあって優秀だった。
こちらの世界にとっては異世界の技術である電子回路や電磁気学等を理解し、それを魔術に応用可能かを見極めている。今ある知識と新たな知識の融合で、新たな学問を作り出す最先端にいる。
4時間程で大枠の基礎的な回路は完成したが、問題はスイッチ回路であった。
電子回路であれば、昇圧用スイッチレギュレータICという物を使うのだが、当然だが異世界にそんな便利な物はない。
なのでデータシートと睨めっこして、ブロック図と呼ばれるICに入っている回路の詳細を魔術文字に書き換えて、魔力回路にする。
「こんな小さい箱の中に、これだけの文字が……」
「本当に、言われて見れば不思議ですし、便利な物だと改めて思いますね……」
助手が手にしているのは、1㎝にも満たない8ピンの集積回路。これを魔術文字で再現するとなると、小さな魔術記号をA3の紙にびっしり書いても全く足りない。
「うむぅ……これだと回路がどうしても大型化してしまう……」
「平面でやるとどうしても広くなってしまいますね……せめて立体に出来れば……」
助手のその言葉を聞き、テックス教授の脳に電流が走る。
紙に書くという思考に囚われすぎていた、回路は完成させれば平面で会う必要は無いのは電子回路も魔術文字も同じで、ダンジョンでは壁や天井一面に魔術文字が刻まれている等と言うのもあるくらいだ。
「……そうか、立体にすればよいのか」
「可能なのですか?」
「あぁ、何か立体になるものは無いか?」
テックス教授の言葉で助手が探して来たのは厚紙だった、教授はそれにまずは分解すれば大きな回路を必要とする昇圧用のスイッチングレギュレータICを魔術記号に変換して書き出していく。
「論理回路は難しいな……」
「魔術文字で似た物は?」
「無い、な……しかし……」
彼はそう言って余っている紙に複数の魔術文字を書いて、それを線で結びつける。
「この5つの記号を組み合わせると同じ事になる、ここに同じだけの魔力が流れればここから先の回路に魔力が流れてスイッチの役割をするから、同じ役割をするのは実験で確認済みだ」
既に地球の技術と魔術文字の組み合わせの実験は複数回行われており、電子回路では存在するが魔術文字では存在しない回路記号等の再現実験なども行い、いくつかの記号は再現可能な事をテックス教授や助手は確認している。論理回路等もその1つだ。
頭を悩ませながら回路のテキストと、自らが残した魔術文字のノートを照らし合わせ、回路図を構築していく。
結果、地球では1つ300円程度で購入できるスイッチ回路の立体構築に、丸1週間かかった。
「理論的にはこれで完成だと思う、形にしたのは初めてだから、間違いを見つける所からだな」
「これは何属性の回路なんですか教授?」
「これは魔石に直接接続して魔力を増幅するから、どの属性の魔力の魔石でも増幅できるはずだ」
そう言いながら実験を始めようと、魔石を探すテックス教授。魔石の研究者としては自分の研究分野に新たな“回路”と言う技術が融合したものが目の前にあるのは、期待に胸が高まる瞬間だろう。
魔石を石板の様な物にはめ込み、そこから伸びた魔術文字が厚紙をテープで立体にした回路に繋がってプロペラを回す仕組みの実験装置だ。
A3に書ききれなかった魔術文字で出来た回路は、B6の厚紙が縦に7枚重ねになり、暑さ6~7㎝にもなってしまったが、中身を見れば魔術文字学を齧ったことがある者なら驚愕する様な緻密で高度な“魔力回路”が完成していた。中にはこの世界に存在しない魔術文字すらあるが、それはテックス教授が地球の電子回路を元に“発明”した魔術文字だった。
「さあどうなるだろう……」
回路を接続、プロペラに注目が集まる。
しかし、プロペラが回る事は無かった。
「……」
何故、考えた教授が真っ先に考えたのは、魔力がどこかで停止してしまっている事だ。
回路から魔石を外し、回路の見直しにかかる。
「……仕方ない、回路が成立していなかったんだろう」
テックス教授はそうは言うが、声は落胆していた。それもそうだろう、1週間もかけた成果物が作動しなかったのだ、見直しにかかるが、ミスを突き付けられるというのはかなり精神的にクるものがある。
「魔術回路なんて、この世界では初めての試みなんでしょう?」
助手はテックス教授にそう声を掛けた。
「少なくとも私が確認した魔術文字の論文の中には、その様な記述は無かったな……」
「でしたら、この研究と言うのは世界で初めて、教授だけが研究している技術です。先行研究も何もない、手探りの状態なんですから。一緒に頑張りましょう、出来る限りの事は、ガーディアンがサポートします」
テックス教授はその言葉に頷くと、再び回路に視線を戻して修正が必要な個所を探し始めた。
前回の回路を見直す事で、回路の中で不成立になる原因を特定できた。更に回路内の魔力損失を避ける為に回路をよりシンプルな物に変更、厚紙は1枚減って6枚分の魔力スイッチ回路が完成した。
電子回路で言うところの電池に当たる魔石を、石板より量産性に優れて高効率で魔力を取り出すことが可能な粘土板にしたもの。スイッチ回路を繋ぐその他の昇圧回路は厚紙で出来ているのが、第8次実験装置だ。
「前回の第1次実験から2週間……今の時点で成功した回路は無し……」
「今度こそ……」
助手の声にも思いが籠る、この2週間、教授や仲間の研究員がどれだけの努力を重ねて来たか知っているからだろう。
「……頼む!」
願いを込め、教授が魔石を粘土板に繋いだ。
プロペラは、回らない。
「……はぁ……」
これで、9度目の実験失敗となる。
「……今回は何が原因だ……?」
「以前までの失敗から、回路の不安要素は全て潰してあるはずですが……」
それでも、プロペラは回らない。
仕方ない、失敗は失敗だ、諦めて石板から魔石を外そうとした教授だった。
魔石を外す瞬間、プロペラが僅かに回った事に気付かなければ、その実験は失敗として片付けられていただろう。
「……今」
「回りましたね、魔力が回路に流れるまでのタイムラグかもしれません」
もう1度回路に魔石をセットする、回路が成立していたのならば、回路の中には先程この風車を回しかけた魔力が僅かに残っている筈だ。
そのタイムラグは、30秒、教授と助手、研究員たちが待ち焦がれた30秒だった。
プロペラがゆっくりと、無風無振動の部屋で回り始めたのだ。
「教授!これは……!?」
「あぁ、成功だ!実験は成功だ!やったぞ!」
教授と助手は思わず抱擁を交わす、普段実験の為の言葉と愚痴しか出なかったこの研究室は、その瞬間歓声に包まれていた。
魔力回路は完成したが、それと同時に多数の課題が見つかった事も確かである。
魔力回路の作動まで時間がかかるという事は、回路全体が長すぎて魔力の伝達までに時間がかかる事と、回路作動までに魔力損失があると言う事だ。
この研究成果をまとめ上げた後、今後の研究は魔力回路の簡略化と、駆動部に辿り着くまでの魔力損失を減らす研究。交流型変圧器の機構が応用出来ないかの基礎研究辺りだが、もう1つ重要な研究がある。
「測定器だ」
「……言われて見れば確かに、電流や電圧の様な測定器が魔力にはありませんね」
研究や産業の重要なのは測定だ。
しかし魔力は個人の才能に左右される事が多く、今まで魔力の測定と言う概念が存在しなかった。しかしこうして回路に出来たなら測定をする必要が出て来る。
測定が出来れば比較が出来る、比較をすれば成果物が数値で出て来る。
そして測定と同時に重要なのが“基準を決める事”だ。
測定の結果、その基準に対してどれくらいの数値が出るか、それによって魔術回路がどの程度まで昇圧出来るのか、回路の性能の確認も出来る。
「回路としているなら回路に接続しているがいいが……」
「それに魔力の単位と基準も決めなければなりませんね、何に比較してどうなる、と言うのも」
「うーむ……」
単位は良いとして、確実に基準は決めなければならない。魔力の基準など今まで考えもしなかったが、こうして産業に直結すると必須になるとは思っていなかった。
「……魔石なら大きさは決められるが、魔石に込められる魔力の量は……」
「時間で区切ってはいかがでしょう」
「なるほど」
考えた結果、まずは基準となる魔石の大きさを5㎝程度とする事とし、魔石をその大きさにカットする事とした。
技術研究開発局の中には、魔石を加工する装置もあるが、魔石自体はただの透明な石そのものである為、切断には主にウォーターカッターが使われる。
「あぁ、魔石が……」
魔石をウォーターカッターで切断している様子を見ながらテックス教授が呟く様に言う。
「魔石は高価な物なんですか?」
「今切断して貰っている拳大の魔石だが、あの大きさの魔石で金貨1枚程だ」
「え゛」
金貨1枚が休養地で少し良い部屋に泊まれる金額だ、それが目の前で切断されていく。
しかし、金貨1枚の魔石から生まれる研究成果は、それが何倍にもなって返って来る事になる。何倍になって返って来るのかは、今は誰にも分からないが。
魔石は切断行程から研磨に掛けられて、100分の1㎜単位で調整されていく。測定の結果、きっちり全辺50.00㎜の正立方体となった。
「……こんな精度が出る加工が出来るのか、凄いな」
「団長に入れて貰えた機械のお陰です、経験を積めばもっと精度の高い加工も可能です」
テックス教授は手にしたキューブを眺めながら感心したように呟く、1000分の1㎜単位の加工は流石に経験に依るところが大きく困難なところが多いが、ゆくゆくは可能になると聞いてテックス教授はさらに驚いていた。
「さて……これにどの程度魔力を注ぎ込むか……」
「研究員の中に魔術師は居ませんよ」
「こればかりは本部の部隊から人員を借りてくるしかないか……」
魔力を魔石に注ぐには魔術を使えなければならない。レベルも関係してくる。
実用に耐える魔術師の最低レベルは2であり、3が便利に感じる程度で戦闘では基本的にモブ魔術師、そこから上は戦闘に出れば戦局を変えられる存在になると言う。
「どのレベルの魔術師の人口が最も多いんですか」
「2だ」
テックス教授は即答する、意外にも、この異世界において最も人口が多いレベルの魔術師はレベル2らしい。
レベル1はレベル2の70%程の人口らしく、自分で発生させる魔力は弱いものの、魔石の起動などは出来る様だが、自分で発生させる魔力を扱う魔術が重宝されるこの異世界ではレベル0と同じような扱いを受けているという。
「私もレベル1でね、勉強くらいしか出来なかったんだよ。勉強していく上で魔術文字と出会って、魔術の才能の無い者も魔術が使えるかもしれないとこの道に進んだのだが……」
自重する彼だが、助手は首を横に振った。
「今我々に必要なのは、教授の魔術文字に対する熱意と知識です。我々が力を合わせれば、必ず魔術の才能の無い者も使える魔術装置が出来ます。頑張りましょう」
「……ああ、そうだな」
研究と検討の結果、魔術回路を起動は普遍的に行える方が魔術装置の発展には望ましいとして、レベル2の魔術師からサンプルを取ることにした。
そこで無作為に抽出した本部部隊のレベル2の魔術師から魔術のサンプルをとり、1つの単位が決定する。
“1辺が50.00㎜の正立方体の魔石に、レベル2の魔術師が600.00秒魔力を流し込んだ際に貯蔵された魔力が、基本魔力回路に0.50秒流れ出した時の魔力量”
世界に「1テックス:1tx」の単位が生まれた瞬間だった。
意外な事に、測定器は意外と簡単に製作出来た。
「電流計の応用ですよ」
「助かるよ、さて……」
魔力測定器を受け取ったテックス教授は早速その測定器を自身の魔力回路に繋げる。魔石からの魔力は3.5txの魔力を回路に流している事が確認出来た。
「3.5tx、このサイズの魔石でも、流し込む魔力の時間によってはこれだけ貯蔵出来るな」
「電池の様な物ですね、魔石」
まさしくその通りだった、魔石は魔力を溜めこめる電池だが、魔石に溜めこめる魔力と言うのは実用可能なほど大きくは無く、無視されていた。一部の物好きが剣の柄に仕込み、剣に属性を付与させた斬撃を可能にしていたくらいだろう。
「さて、こちらは……」
次に教授は昇圧回路を通った外側に測定器を接続した。測定器の魔力数値は、教授の期待を大きく上回っていた。
「17.8tx……!?5倍以上に昇圧出来るのか……!」
素晴らしい……とため息の様な声がテックス教授から溢れた。これこそが、彼が長年追い求めて来た“魔力装置”の第1歩だったからだ。
ガーディアン本部基地 執務室
「入れ」
「失礼します」
執務室の扉を開けて来たのは、教授の助手だった。
「そっちはどうなった?」
ヒロトの呼び掛けに、助手は頷いて話し始める。
「第8次実験は成功しました、魔石からの魔力を5倍に増幅させる回路です」
魔力増幅回路の基礎は固まった、と言うレポートを助手はヒロトに手渡す。団長である彼は受け取るとページを捲って読み始めた。
「教授は魔力増幅回路の高効率化、小型化の研究に入る様です」
「……俺は魔力の事は素人だから分からないが、増幅回路は出来たか。素晴らしいな……分かった、そちらに一任する、教授の好きなようにやらせてくれ。教授のゴーサインが出たら、工房にも話を通し始める」
「了解、お願いします」
失礼します、と一礼して部屋を出て行った助手、その彼がヒロトに手渡したレポートのタイトルは“魔力増幅回路に関する基礎的研究”と纏められていた。
「異世界の魔力論文がひっくり返るなぁ」
そう言ったヒロトは、レポートをファイルに閉じて棚に入れ、再び席に着いた。
彼の手元には“新兵器実験と訓練について”と言うレジュメが置かれていた。