第156話 退院
「面会謝絶?」
診察を終え、ヒロトを待っていたエリスは医務室の前で驚いた声を上げる。
彼女の前にいるのは、そろそろ隊内で“白衣の小隊長”の異名で呼ばれる事に慣れて来た沢村健吾だ。エリスの所属する第1小隊の小隊長で、白衣の下には支給されている戦闘服である、マルチカム迷彩のCRYE PRECISION G3コンバットシャツとG3コンバットパンツを身に着けている。
「……そんなに悪いのか?ヒロトは……」
「あぁ、悪い、順序立てて説明しようか」
絶句したようなエリスに首と手を振ってケンゴは否定した。
「奴は今日まで衛生環境最悪の収容所に居たんだ、よく分からない感染症や寄生虫病に罹っている可能性は捨てきれない。治してしまうのは手っ取り早いが、今後こう言ったことが起きて治癒魔術で治療出来ない状況下に置かれた場合、魔術無しでどう対応すればいいかのサンプルが欲しい。えーっと……君たちはもう検査を受けて結果も出たのだろう、どうだった?」
「降下部隊は全員全ての項目をパスした、病気寄生虫失調も含めてオールクリアだった」
「そりゃよかった、だがアイツの場合、こちらとしてはもう少し精密な検査をしたい。結果が変わってしまったり、感染症だと空気感染の場合もあり得る。だから念の為の検査入院って措置だよ……恋人奪ってすまないけど、頼む」
エリスは内心、早く検査を受けて悪いところは治療して欲しかったが、データを取る精密な検査の為なら仕方ないと納得させた。治療が戦闘行動なら、検査は偵察や索敵だ。
だが、2つだけケンゴに聞いておきたいことがあった。
「ケンゴ」
「何だ?」
「その検査入院は、どれくらいで終わる?」
「結構血を抜いたからなぁ……2日入院の1日安静だな」
つまり2日後には退院出来るという事だ、それを聞いてまず1つ安堵したエリスは、ケンゴに次の質問を投げる。
「ヒロトは、無事か?」
「あぁ、無事だ。酷い匂いだったけどピンピンしてた」
聞きたかった事を全て聞くと、エリスはようやく緊張した面持ちから表情を緩めた。
「……ありがとう、良かった」
「退院したらアイツを丸洗いしてやれよ」
「ああ、望むところだ」
エリスは笑いながら医務室の前から自分の宿舎の方に立ち去り、ケンゴはその医務室の扉を開けた。
「……で、調子はどうだクソリア充が」
「え、退院したら俺丸洗いされんの?」
医務室の中は、ビニールカーテンで仕切られた簡易の無菌室になっており、噂のヒロトがその中のベッドの1つで笑っていた。
精密検査結果待ちの為面会謝絶の検査入院と思えないほど見た目は元気だった。
しかしそれは見た目だけかもしれない、医師になる為寝る間を惜しんで勉強してきたケンゴは、容態が急変したり、一見すると健康に見えてもその内は病魔に酷く蝕まれているなどという症例を山ほど知っている。
「洗濯機にでもかけられてろよ、そっちの方がお似合いだ」
「そんなに回るのはヘリのローターだけにしてくれ」
転生前からの友人であるケンゴとヒロトはビニール越しに軽口を叩きあう、隣の別の無菌室で身体を起こしているスティールとユーレクが苦笑する程だ。
ケンゴはヒロトのベッドに椅子を置き、無菌室と病室を仕切るビニール越しに3人の結果を伝える。
「血液検査の結果だけど3人とも血中のコレステロール値が低い、あとアルブミンも。栄養失調気味だな、CRP高めで体内が炎症起こしてるし白血球の数もちょっと多い。けど敗血症の心配は無いし、一般的な血液検査で分かる範囲としては風邪気味ってことだ」
3人が安堵し顔を見合わせる、だが油断はできない。
通常の病院で検査できる範囲で、という枕詞が示す様に、異世界の疾病に現代世界の検査が通用するとは限らない。
「今は異世界の病気に詳しい衛生兵や軍医達が詳しい検査をしている、明日結果が出るし、風邪も明日辺りには治ると思う。明日にはこのカーテンも外せるけど、外れたらレントゲンとCTとMRIだからな」
「FOBにそんな設備あったっけ?」
「召喚しろよ、ここが無理ってなら本部にいったん帰るか?輸送機呼んで」
そう、本部基地の医務室地下にはMRIやCTなどの大掛かりな検査施設があるが、このバイエライドFOBには存在しない。
今このFOBで賄える電力で大型の医療器具を動かす電力が賄えるのかという不安もある。
「……そうだな、検査ならいったん本部に戻った方がいいだろ、装備の都合もあるしな」
「まあそれでいいならいいや、脱走したら次の作戦参加は無し、ここに監禁するからな」
「うへ、それは勘弁願いたいな」
「じゃあおとなしくしてろ」
「はいはい……あ」
ケンゴが立ち上がろうとしたとき、ヒロトは何かを思い出した。
「まだ何かあるか?」
「俺のスマホは?」
診察の折にケンゴに預けておいたスマホの事を思い出す、何か通知が来ているかもしれない。
「あぁ……これか」
ケンゴは白衣のポケットから俺の見慣れたスマホを取り出して、無菌室と外をつなぐチャックを開けて放り、ヒロトがキャッチするとすぐにまたチャックを閉じた。
「それで思い出したけど……」
ケンゴが去り際に何かを言いかける、ヒロトは視線を上げた。
「お前に用があるって面白い客が来てるぞ」
ヒロトは心当たりを探して首を傾げる、心当たりが無い訳ではないが、嫌な心当たりを思い浮かべて露骨に顔を顰めた。
「おいまさかとは思うけどブンヤじゃねえだろうな?」
「あのブンヤだったら俺がとっくに追い返してるよ、狙撃部隊が帰って来てから何日か後だ、今はバイエライドの宿にご宿泊いただいてる」
更に首を傾げるが、心当たりはない。
謎が深まっただけで大したヒントではなく、しばらく頭を悩ませた。
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エリス視点
「エリス様、仕方ありませんわ、ヒロト様はずっと収容所におられたのですから」
金髪ショートのエイミーが従者らしく私に語り掛ける、今日は流石にメイド服ではない。
分かってはいたが、ヒロトと会えない日がここまで伸びるとは……
「いや、分かってはいる。いるんだけどなぁ……」
「ええ、エリス様のお気持ちの片鱗くらいは、理解しているつもりでございます」
エイミーは私の後ろに着いて歩く、この距離はずっと、家にいるときからもあいつの屋敷にいるときからも変わらない。
「ありがとう、エイミーがいてくれて助かってるよ」
「いえ、エリス様とその想いを通じ合わせるヒロト様に仕え、役に立つのが私の役目ですから」
エイミーの従者としての立ち振る舞い、ロート大陸にいた時こそ見習いだったが、その頭角を現した途端にめきめきと伸び始めた。あの屋敷に派遣された時の派遣従者組のメイド長にまで選ばれた。
騎士団設立後の戦闘成績は剣術では2位、魔術では3位と大変優秀で、それは今でも……ガーディアンとなった現在でも変わらない。
「エイミーは休んでくれ、私も部屋に戻るから」
「……かしこまりました、必要になったらいつでもお呼びくださいませ」
「ああ、ありがとう」
エイミーはそう言うと一礼し、自分の部屋の方へ下がっていく。私もいつの間にか自分にあてがわれた部屋の前まで来ていた様だ。
今思ったのだが、メイド服では無く戦闘服……コンバットシャツとコンバットパンツでこの礼を見ると違和感というか、あの一礼はメイド服と合わせるから似合うという面もあるのだろうか、ただ単に見慣れていないだけか。
部屋に入るとそのままベッドに横たわる、あぁ……ヒロト、久しぶりに会ったのになぁ……仕方ないけど、これは耐えるしかない。
それより、やることがあったかを思い出す。何か何か……ああそうだ、装備の手入れだ。
シャワーは浴びたし、その時に汚れた戦闘服は新しいものに着替えていたし、チェストリグも必要なものを抜いて綺麗にしているところだ。
弾薬は返納したし後は……私の銃の手入れか。
ヒロトがやっているのを何度も見ているし、私自身も何度もやったのでもう身体が覚えている。
マガジンの抜けた私のM4を手に取る。EOTech EXPS3ホロサイトとLA-5レーザー照準器、Insight M3Xフラッシュライトをハンドガードに載せ、タンカラーのMAGPULのRVGフォアグリップが取り付けられて、フォアグリップと同色のMOEストック、MOE-Kグリップに替えられていて、かなりカスタマイズされている。
ピンを抜いてアッパーをスイングアウトしてチャージングハンドルとボルトを抜き、ウエスで綺麗にしてからガンオイルを注して磨く。ボルトにオイルを馴染ませる感じだ。
トリガーユニットの可動部分には特に入念にオイルを注し、余分な油分は砂や埃を引き寄せて摩耗の原因になるので特に注意が必要だ
。
ガスチューブ回り、ガス直噴方式、DI方式とも言われる作動方式はボルト内部にガスチューブからガスを引き入れる為汚れが溜まりやすく、このメンテナンスを怠ると戦場で突然相棒となる銃が使えなくなってしまう。剣の手入れを怠ると戦場で剣があっという間に鈍らになり戦えなくなってしまうのと似ている。
ガスチューブの中も洗浄、あまり酷い場合はガスチューブを交換する。ガスチューブは消耗品扱いでも良い。
薬室の中、ボルトのロック部分の綺麗にしてから油を注す。弾薬が通るフィーディングランプも磨き上げる。
次はバレルだ、バレルの中が汚れていれば命中精度に悪影響を及ぼしかねないので、クリーニングロットでバレルの中を綺麗にし、ガスチューブにガスを取り込むガスポートの近くも綺麗にする。
工具を使って緩みかけていたネジやボルトを締めなおし、アッパーレシーバーにボルトとチャージングハンドルを差し込んでロアーレシーバーに組み合わせる。
チャージングハンドルを数回引く、滞りなくスムーズにボルトが動く。チャンバークリアを確認してセレクターをセミオートにしてから撃鉄を落とす。
ハンマーを落とすとセレクターは安全位置に入らなくなるが、これは仕様だ。
M4は一通り大丈夫だ、次はセカンダリのP226に手を付ける。
スライドを分解してスプリングガイドとリコイルスプリングを外す。M4と同じようにトリガーユニットにはガンオイルを注し、バレルの中を綺麗にしてフィーディングランプを磨き、他の可動部分にもオイルを注して摩耗の原因になる余計な油分を取り除く。
バレルとリコイルスプリング、スプリングガイドをスライドの中に組み込んでフレームとスライドを組み戻せば完了だ。
チャンバークリアを改めて確認して撃鉄を落としておき、銃の整備は完了。
「ふぅ……」
一息ついて手を見ると、ガンオイルやら何やらで結構汚れていた。
今までは剣を握っていた手、それが今では異世界の銃という武器を手に戦っている。
あの武器をヒロトが異世界に持ち込んでしまった為、戦い方が根本から覆されてしまった。戦列を磨いた歩兵も、戦場の華と呼ばれた騎兵突撃も、強力な魔術師が大きな魔力を以ってかける攻撃も、ガーディアンにとってはただの障害とばかりに銃砲火に切り刻まれ、磨り潰されていくであろう。
嫌悪は全くない、諸行無常、盛者必衰とも言われるように、戦い方は時代と共に変化していく。ヒロトたちが来たからそれが突然起こってしまっただけだ。
爆発系魔術の遠距離火力投射が戦場を変えたが、魔術師しか扱えない為数も質も限られる。しかしヒロトたちはより以上の力を、武器として1人1人に与えている。
更に射程50kmに迫る砲、更に遠距離から打撃を与えられる航空機。
それを見た私は、この世界の戦いが変わっていくのを肌で感じていた。
これだけの力、皆や民を守るのが容易になったと言えばなったのだろう、だが慢心してはいけないし、しているつもりも無い。
勝って兜の緒を締めよ、勝ったからと言って油断することなかれというヒロトの国の諺だ。
ぐっと拳を握りしめ、自分に喝を入れる様に立ち上がる。廊下に出て手を洗おう、そう思って扉を開けると、扉の前には金髪ショートの私のメイド、エイミーが立ってた。
「ぅおっ!……驚いた、エイミーか……すまない」
つい声を上げて驚いてしまった……エイミーも驚いて声を上げる、どうやら驚かせてしまったのはこちらの様だ。
「あの、差し出がましいかもしれませんが、良かったらこれを」
エイミーが差し出してきたのは、1つのぬいぐるみだ。
肘から指先くらいの大きさで、よく見れば……というか、よく見ずともヒロトに似ていた。完全に2頭身になったヒロトが、よくタカミチが読んでいる漫画に似たキャラクターのようなタッチで作りこまれている。
「私に?……これ、どうしたんだ?」
「補給物資の端材で作りました、ありあわせですが……」
凄い、エイミーは1人でここまで出来てしまうのか……そういえば、銃の整備を入念にしていたらもう1時間半近く経っている。そろそろ夕食の呼集がかかる頃か。
受け取ろうと手を伸ばすが、私とエイミーは同時に気付いた。
「……エリス様、銃のお手入れを?」
「ああ。……すまないが手を洗ってくる、待っててくれ」
小走りで水道に手を洗いに行き、石鹸で綺麗な手にしてからハンカチで手を拭き、エイミーの元へ戻る。
改めてヒロトのぬいぐるみを受け取ると、有り合わせで作った割にしっかり出来ており、型崩れの心配もなさそうだ。
思わず頬が緩み、笑みを浮かべてしまうが隠さない。
「……ヒロト、こんなにも可愛くなるものなんだな……」
「お気に召されたでしょうか?」
嬉しい、そう思いが溢れてぬいぐるみをぎゅっと抱きしめる。
「ああ、とても嬉しい。ありがとう、エイミー」
遠慮のない笑顔でエイミーにお礼を言った、思わず子供の頃の様に、エイミーの頭を撫でてしまう。サラサラの指通りの良い、短い金髪を撫でると、エイミーも嬉しそうにほほ笑んだ。
「喜んで頂けて何よりです。それでは私は、夕食の準備を手伝って参りますので」
「ああ、ありがとう。頼む」
従者らしくエイミーが礼をして、食堂の方に向かっていく。私は自分の部屋のベッドにうつ伏せになる、先程までの陰鬱な気分はどこかへ霧散した。
ヒロトのぬいぐるみ……眺めながら、彼に話しかけるつもりでぬいぐるみに声をかける。
「寂しいから早く帰ってこい、大馬鹿者め」
私はそう言って、ヒロトのぬいぐるみに軽くチョップを落とした。
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ヒロト視点 翌日
ビニールのカーテンを取り外し、精密検査のために一旦ベルム街の本部基地へC-130輸送機で戻る。CTスキャンとMRI、レントゲン検査を行い、必要な装備を持って再びバイエライドFOBに空輸された。
そこから更に1日、精密検査の結果が出た。
「レベル上がったなぁ」
「お、上がりました?」
呟きながらスマホを弄ると、スティールがこちらを振り向き声を掛けてくる。
俺はスマホを操作し、召喚アプリを起動する。
【レベルが上がりました:Lv.52】
【捕虜脱走サービス】
【固定翼機:MQ-9リーパー】
「お、良いのが来たな」
「何が来ました?」
「MQ-9リーパー、プレデターの後継機で高性能になってる」
「お、じゃあ今のプレデターは置き換え出来ますね」
ユーレクも検査待ちで暇を持て余している為、3人でこうしておしゃべりに興じている。
プレデターをリーパーに置き換えれば航続距離も滞空時間も伸び、速度もリーパーの方が速い為翼竜や竜騎兵から逃げやすくなる。
まぁ、仮に撃墜されたとしてもこちらの損害は機材だけで、パイロットの損耗が無いことを目的とする為の“無人航空機”なのだが。
と、ちょうどその時、病室がノックされる。
返事をする間も無く見知った顔が入ってきた、このFOBで“白衣の小隊長”と呼ばれ始めた健吾だ。
「いいニュースと悪いニュースどっちが聞きたい?」
ベッドの前に椅子を持ってきて座った健吾が、なにやら真剣な面持ちで話し始める。
「えぇ……何かあったのか、っつーかやめろよそういうのホント怖いな……」
抗議する様に言った俺の言葉に健吾は答えない、まさか本当に何かあったのか。
「……悪いニュースで」
クリップボードに止められた診断結果らしきものを見ながら、健吾が再び口を開く。
「お前らからは役に立つ医学的データは取れなかった、悪いニュースは以上」
……という事は……?
「いいニュースは?」
「お前ら3人、全くの健康体だってことだ。俺にとってはそっちの方が残念だけどな、貴重な異世界の疾病データを取る貴重な機会だったのに……」
何だ……良かった……俺達は健康体という事だ。何かあるんかと思ったぞビビらすんじゃねぇよ、泣くぞ。
「ってそこは建前を優先してくれよ……」
「ああすまんすまん、良いニュースが医学データが取れなかった事で悪いニュースがお前らが健康体ってことだな」
「そうじゃねぇよ」
逆だ逆、4人でゲラゲラ笑い合うこの空気感も久しぶりだ。
そして健吾は3人に治癒魔術をかけ始める、彼の能力の1つ、“完全治癒”だ。どんなケガも病気も一瞬で治してしまう、衛生兵のセレナやスニッド達が使う治癒魔術の上位互換のような能力だ。
緑色の光に包まれると、身体の節々の痛みが無くなっていき、風邪気味と聞いてから重く感じていた身体も軽くなっていくのを感じる。
「よし、そんじゃ退院でいいよ、シーツは洗うからそのままで。ここに3人分の着替え置いておくから、解散で」
「へい」
「うーっし!終わったぁ!」
「自分は風呂に入りたいですね」
スティールとユーレクがそう言いながらベッドから起き上がり、置かれた着替えに着替え始める。砂漠のど真ん中のFOBという事を考慮してか、通気性の良いグレーの短パンと同じ素材の半袖Tシャツだ。
「俺は先に部屋に戻るよ、待たせている人がいるんでね」
「了解です、ヒロトさん。お疲れさまでした」
「お疲れさん、次の作戦までゆっくり休んでくれ」
そう言って2人と別れ、あてがわれている自分の部屋___は、まだないので、真っ先に向かったのはエリスの部屋だ。
しかし、そこへ向かう途中のベンチに、その姿はあった。
「……いつまで待たせるつもりだ、待ちくたびれたぞ、この大馬鹿者」
こちらを振り向き俺に向けて発せられる声、背中まで伸びた綺麗な金髪、白い肌の下はしなやかな筋肉が隠されており、碧い瞳に薄い唇、そしてどういう訳か肘から指先くらいの大きさのぬいぐるみを弄んでいた。
「ごめんな、ただいまエリス」
「おかえり、ヒロト」
「……待たせたな」
「あぁ、もうすごく待ったぞ……けどこうしてちゃんと来てくれたからいい、全部いい」
そう言ってエリスはぬいぐるみに顔を埋める。しかしそれは……
「ありがとう……ところでそれは?」
ぬいぐるみを指差すと、あぁ、と言ってエリスがぬいぐるみの顔をこちらに向ける。
「エイミーが作ってくれたんだ、ヒロトのぬいぐるみ、なかなかいい出来だろう?」
よく見ると確かに……かなりデフォルメされているが、ちゃんと特徴を掴んでキャラクターみたいな仕上がりになっている。
「帰ってくるまで、ヒロトの代わりだった」
「帰ってこなかったら代わりになってる期間伸びてたな?」
「あぁ、けどちゃんと帰ってきた。……けど、愛しの彼がせっかく帰ってきたのに異臭を放ってるってのは、全然ロマンチックじゃないな」
エリスはそう言って苦笑する、仕方なかったとはいえもう累計1週間は確実にシャワーを浴びていない。ひげは伸びたし汗は悪臭になりかけ、髪も汚れて重くなっているのが分かるくらいだ。
「風呂に入ってこい」
「ウィッス」
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着替えのコンバットパンツとコンバットシャツ、そして下着やその他を自分の持ち物の中から引っ張り出して風呂場へ向かう途中、スティールとユーレクとすれ違う。
お疲れ様です、と敬礼してきた彼らに敬礼で返す。
「さっぱりしたか?」
「ええ、そりゃもちろん!」
「お先にいただきましたよー」
すれ違いざまに2人とそう言葉を交わす。
男湯の方に入り脱衣所で服を全部脱ぎ、髭剃りとシェービングクリームを持って公共浴場に入り、シャワーを浴びる。身体を流れていく水の感覚や、頭をしっとりと濡らしていくと共に汚れが軽く洗い流されていくのが分かる。
ガラリ、とドアが開き誰かが入ってきた。頭を洗っているので顔を上げられないが、その足音はこちらに近づき。
「ヒーロト」
聞きなれた声だが状況が状況だ、男湯でエリスの声なんて……
まさかと思いながら振り向く、そのまさかだった。エリスはタオル1枚巻いた姿で俺の後ろに立っていて、驚きのあまり肩が震えた。
「背中、流そうか?」
「何でここにいるんだ……?ここ男湯だぞ……!」
「掃除中の看板立てて来た、誰も入っては来ないと思う」
「思うって、お前……!」
本部基地じゃないんだし、ここは公共浴場だ、バレたら大変な事に……そこで俺は思い出した。
『退院したら丸洗いしてやる』って確か言ってたな……けどこんな所で……
そんな俺の心配を余所に、エリスはウインクしながら悪戯っぽい笑みを浮かべてシーっと人差し指を唇に当てる。
「ほら、背中向けろ」
「いや待てって……!」
「いいから……」
エリスはそう言うと構わずボディーソープを手に取り、泡立てて俺の背中に手を伸ばす。
予想外のところに来た感触に身体が寝るが、もうここまで来たからにはエリスに身を任さることにした。
「ヒロト、背中凄い汚れてる……」
「シャワー、全然浴びられなかったからな」
「収容所だし、そりゃそうだよな……」
「エリス達も、森の中で結構長いこと潜伏してたじゃないか」
「まぁな、昨日と一昨日は風呂の時間をいつもより長くしてた」
「……お疲れ様」
「互いにな」
エリスの細い指が俺の背中を伝う、こんな細い指で、毎日銃を握って厳しい訓練をしているのだ。
自分でボディーソープを手に取り、前の方を洗う。流石にコッチは洗わせられない、それから脇の下や足裏、指の又など匂いの発生源になるところは自分でやった。
全部洗ってからまたシャワーで泡を流し切り、エリスが俺の色んな所に鼻を近づけスンスンと匂いを嗅ぐ。
「ん、合格だ」
「どうもね」
「次はこっちだな」
と言いながらエリスは手を伸ばし、俺の顎髭に触れる、もう2週間以上剃っていない、伸びるのは当然か。
シェービングクリームを手に出し、髭の生えているところに塗っていく。
「あ、待って。髭剃るところ見たい」
「ん」
エリスがそう言うので前から見せることにした。
……俺は隠すもの無いし、エリスのタオルは透けている。……いろいろと状況はやばい。
しかし中断すると剃り残したり下手に刃が入ったりして危険なので、中断せずに剃り続ける。
顎髭と口髭を剃り終えると、剃った顎をエリスは撫でてニコリと微笑んだ。
「……ふふ、いつものヒロトだ」
「これでようやくただいま、かな?」
「あぁ、改めておかえり、ヒロト」
エリスが身を寄せてくる、俺はエリスを遠慮なく抱き締めたが、失敗だったかと思った。
何せ、ソッチも2週間以上ぶりだ。感じ取ったエリスが気付き、見上げてくる。
「ここでするか?」
「勘弁してくれ……部屋でな、声は押さえろよ」
「ふふ、了解」
小さく笑ったエリスと軽くキスをする、その後一緒に湯船に浸かり見つからない内に風呂から出た。
ヒヤリとしたのは、俺達が出て行ったすぐ後ろで、偽装で立てておき仕舞った掃除中の立て看板が再び出された音を背中で聞いた時。エリスも流石に冷や汗をかいていた。
因みに155話、156話は完全にパソコンで書きました。快適……!