第109話 K9 Unit
"K9 Unit"、このK9は警察犬や軍用犬を表す記号である。
K9部隊は人間には無い犬の特技や長所を用いて、様々な作戦にも用いられる事がある。
不審人物が来たら吠えると言う夜間の哨戒や警戒任務、場合によってはそのまま戦闘に投入される軍犬も居るという。
良く自衛隊や在日米軍の軍用犬訓練で、犯人役に飛びついているシェパードなどを見た人も少なくないだろう、アレも立派な軍用犬の仕事だ。
加えて、IEDや要救助者を嗅覚で探す探知任務や、その嗅覚で敵の追跡などを行ったりもする。
他にも伝令や輸送などもあるが、これらが最も一般的な軍用犬の使われ方だろう。
余談だが、"ネプチューン・スピアー"作戦と名付けられたウサーマ・ビン=ラーディンの暗殺作戦の際にも、ビン=ラーディンの邸宅の外を警戒していたのはK9部隊だったと言う。
だが考えて見ても、現在ガーディアンには犬は1頭も居ない。なのに何故K9部隊設立に注力しているか。
俺は犬に変わって、ラプトルを主力とした"異世界の"K9部隊を設立したいと思っているからだ。
先の戦いで「ラプトルは犬よりも数多くの匂いを嗅ぎ分ける事が出来る」と竜人族の青年達が証言しており、その嗅覚でカノーネン・レックスの匂いを追い、転生者のアジトを突き止めていた事からもその嗅覚による索敵能力の高さが伺える。
それに単純にスピードや反射能力、そして戦闘能力でも、犬には優っている事は間違いない。
ゴードン達が連れて来たラプトルは背の高さ1mで頭から尻尾までの長さが1.5m程の小さなラプトルだ。
生後1年程度らしいが、立派な成体だと言う。
もともとゲオラプトルは小型種だが、かなり大きくなる個体も中には居るらしい。
そんなラプトルを警察犬や軍用犬の如く使役出来たら、戦力としてかなり大きくなるのでは、と思ったのだ。
幸いにしてラプトルの能力はK9のそれを凌駕し、尚且つ竜人族のおかげで操る……と言うと聞こえが悪いが、共に戦える事が確認された。
問題はそれを操る人間だ。
全ての人員を竜人族で賄う、と言う訳にもいかない、ガーディアンの兵士に最も適して居る年代の男女は村の貴重な稼ぎ手であり、村の邪魔をしてまで戦力強化を図ろうとは流石に思わない。
なのでオブザーバーとして雇ったゴードンとアレクに、ラプトルの操り方、信頼関係の築き方を隊員に教えて貰い、K9部隊を設立する。
その概要が書かれているレジュメが、執務室の机の中で眠って居る。
今日はもう遅い、部隊拡張の認可は下りたが、後は明日にしようと自分の部屋に帰る。
宿舎2階の階段に近い所にある"A2 210"号室が、俺の部屋だ。
俺の部屋であるのだが……
「おかえり」
鍵とドアを開けると、部屋の中から聞き慣れたと声が帰って来た。
「ただいま」
返事をして靴を脱ぐ、この異世界では各部屋ごとに靴を脱ぐ場所があり、自分の部屋では裸足で過ごすというのが一般的な為、この世界の靴の文化については慣れるのは早かった。
玄関の戸を開けると、エリスがソファに座って本を読んでいた。
テーブルの上には俺が現代兵器の勉強の為に召喚している"タクティカルギアマニュアル"や"特殊部隊の戦術"などの教本が積まれている。
勿論本屋で売っているようなものでは無く、米国陸軍と特殊作戦軍とマニュアルである。
俺は作業服から、夏場の部屋着にしているTシャツとストレッチの入ったジーンズというラフな格好に着替える。
空調が効いているのと夜は気温が下がる為、部屋の中は暑いとは感じない。
そんな部屋の中でエリスは頭を悩ませていた。
「どうかしたか?」
「いや……無線機でちょっと……」
エリスは第1分隊の副官で、8人1個分隊として動く時は航空支援を呼んだり、本部への通信を行う無線手として活動する事が多い。
そんな彼女が使っている無線機はAN/PRC-117Gバックパック式無線機なのだが、ほぼ同じ性能を持ってかなり軽量なAN/PRC-152という無線機がある事が分かった。
エリスは一兵士とは言え女性で、生物学的に男性よりも筋力量が比較的少ない。
そんな彼女に、重い無線機を常に持たせておくのも負担になる。
衛星を介した司令部との通信、航空機との通信、隊員間の通信、小隊・中隊本部への通信と、考えられるシチュエーションの通信の殆どをカバーする事が出来る。
「あぁ、117Gは重いもんな……ちょっと次の訓練でPRC-152使ってみるか?」
「ん、あぁ、そうする」
俺が着替えてエリスの隣に座ると、エリスはまた難しい表情を浮かべていた。
ふと見ると、頭が左右にグワングワン揺れて何だかそわそわしている。
「どうした?」
「いや……耳が……さ」
眉間に皺を寄せながら耳の穴に小指を入れてもぞもぞさせるが、引き出した指には何も付いていない。
「どれ、見せてみろ」
「ん……すまん……」
エリスは恥ずかしそうに耳を俺に向けて差し出す、俺は軽く耳を引っ張って中を見た。
「……なるほど、エリス、耳掃除の頻度は?」
「思い付いた時に……かなぁ……汚れてるか?少し恥ずかしい」
エリスは顔を赤くして視線を伏せる、耳の穴が汚れていたら女の子として恥ずかしいんだろう。
「まぁ、綺麗にしてる人の汚れ方だ、届く所は綺麗だけど、届かない所に押し込んでる」
「ん……そっか……見苦しい所を見せて済まない……」
そう言ってエリスは頭を引くが、俺はその時閃いた。
「そうだエリス、耳掃除してやるよ」
「え?」
エリスは驚いたように俺と顔を見合わせる、俺は微笑んで続けた。
「自分で見えない所は人にやってもらった方が良いんだ、俺のいた世界では耳掃除専用のサロンがあるくらいだ」
へぇ……と感心したような声を上げ、エリスは顎に手を当てて悩み出す。
「うーん……やって貰っても……構わないか……?」
「よし、良いぞ。じゃあベッド行こうか」
「ベッド?」
俺は引き出しから耳かき棒を数本、太さや匙の大きさはそれぞれ違う物だ。
エリスはベッドに腰掛ける、俺もエリスの隣に腰掛け、ポンポンと自分の膝を叩く。
「?」
「ほい、膝枕。男の膝枕なんてあんまり良いもんじゃ無いと思うけど……」
「あ、いや、そんな事は……じゃあ、えっと……お邪魔、します……」
エリスは恥ずかしそうに戸惑いながら、ゆっくり身体を倒して俺の太腿に頭を乗せる。
普通は立場が逆なのだろうが、この際仕方ない。
「重く無いか?」
「重くない、丁度いいくらい」
「そ、そうか……」
まぁ人間の頭部の重量は基本そこそこあるらしいが、少なくともこの程度で重いと感じる様なヤワな訓練は積んでない。
エリスの艶のある鮮やかな金髪を柔らかく撫でる、撫で心地がいいのは手入れを怠らないからだろう。
さて、本題の耳かきだ、耳をマッサージするついでに光が奥まで入る様に軽く引っ張る。
耳に触れられた瞬間にエリスがぴくっと震えた、可愛い。
取り敢えず、ウェットティッシュで耳の周りを拭いていく。耳の後ろなどは普段気付かない分汚れが溜まりやすいのだ。
「スースーする……」
「アルコールで拭いてるからな、ちょっと我慢してくれ……」
エリスの耳の後ろは割と綺麗だった、ウェットティッシュに汚れは付かない。
耳をマッサージしながら耳の後ろを拭く、耳を少し柔らかくなって来た。
頃合だろう、そう思って1番匙の大きい耳掻きを手に取る。匙が大きいとは言っても、普通の耳掻き棒より少し大きいくらいのものだ。
まずは耳の溝、いきなり耳の穴はいかない。
最初に外側を取ると、耳の穴の掃除に集中出来るからだ。
耳の溝は見落としがちで、汚れは溜まりやすいところだ。俺もだが。
俺ならここに溜まるかも、と思った所に匙を入れ、掻き出す。
パラパラと細かい耳垢が少量、やはり外から見える所の掃除はやってあるのが身嗜みに気を使うエリスらしい。
耳の穴にも耳かきの匙を入れてみる、少し耳の穴の奥を覗くが、見える所には殆ど無い。しかし影になっている所で自分の届きにくい所には残っている。
「エリス、俺も他人の耳の具合は分からない、なので痛いとか痒いとか、異常があれば直ちに報告する事」
「わ、分かった……」
エリスが力を抜き、膝にかかる彼女の頭の重さが増す。
普通の大きさの耳掻き棒に持ち替え、耳掻き棒をゆっくりと耳へ入れる。耳の壁に匙が当たる度にエリスはピクッとまた震えた。
耳の壁を軽く匙で掻く、パリパリと乾いた薄い耳垢が匙で壁から剥がれ、引き上げてティッシュに耳垢を落とす。
さっきと同じ場所を軽く掻き、取り残しを掻き出す。
耳垢を耳掻き棒で掻き取り、引き上げてティッシュに耳垢を落とすという単純作業を繰り返すのだが、耳は簡単に到達出来る割には人体の中でも敏感だ。
痛く無い様に気をつけながら、耳垢を掻き出す。耳の壁は平坦では無く死角が多い。
死角を軽くカリカリして引き出すと、やはり大きな耳垢が付いていた。
耳掻き棒だと、こう言った乾性の耳垢はやりやすい。湿性だと綿棒を使わなければ取れないからだ。
乾性でも余りにしつこく耳壁にへばりついている場合はローションなどを使って剥がすが、今回それはしない。
理由は単純、手元にローションがないからだ。
さて、耳の中に光が入る様に耳を軽く引っ張り、手元にあるSurefireのウェポンライトでエリスの耳を照らす。
見える所には無い様だが、ここからが勝負だ。
「エリス」
「……んー?」
あれ?と思った、返事が鈍い。
エリスの目を見てみると、薄眼というか、今にも寝落ちしそうな目をしていた。
まぁ寝ていてもいいのだけど、聞いていなくてエリスの耳を傷つけたく無い。
「今からやる所は俺も見えない所で、一歩間違えると耳から血が出たり聞こえなくなっちゃったりするから、特に絶対動かない様に」
「……ぁーい」
やはりエリスの声が鈍い、眠そうだ。
でもこの調子なら下手に動かせるものでは無いと思う、ここから先は______かなり深く、視界が届かず、人の痛覚も敏感になる所だからだ。
慎重に耳掻き棒を入れていく、丁度耳の壁に触れるか触れないかくらいのところを探る様にだ。
おそらくこの辺りが限界だろう、耳の壁に触れそうになる度にエリスがピクッと反応して目をきゅっと強く瞑る。
この辺りを軽くすいすいと匙の先で撫でる様に耳垢を探る。
何度かそれを繰り返しているウチに反応アリ、耳掻きの先に引っ掛かりがあった。明らかに耳の壁の皮膚の柔らかさのそれとは違う硬い感触だ。
位置と深さを覚えてから細い耳掻きに持ち替え、耳垢の大きさを探る。
……これは結構な大物だ、おそらく今までの耳垢を押し込んで固まった結果出来たものと適当に推測する。
エリスが無精なのでは無く、おそらくこの異世界で耳掻きと言う技術や療法が未発達なのだろう。
誰しもこのくらいの耳垢は眠ってたりするものだ、俺もそうだったからな。
そんなことを思いながら1番小さく細い耳掻きを入れて耳垢の端から端までを探る、引っ掛かりを探すのだ。
運の良いことに数回で耳垢に匙が引っ掛かった、ここで焦ってはいけない。焦って耳垢を剥がそうとすると大きなカスが残ってしまうからだ。
焦らずゆっくりと耳垢を剥がしていき、途中で引っ掛かりを確認しながら取って行く。
辛抱強く耳垢と格闘する事を5分。
「ぉ……おっ!」
引っ掛かっていた抵抗が軽くなり、スルッと無くなる。耳の中でペリって音もしたかもしれない、その証拠にエリスが「んっ……」と声を上げた。
それをまた落とさないように匙に引っ掛けてゆっくりと掻き出し。
「……取れた!」
エリスの耳から"摘出"した耳垢はおおよそ小指の爪の半分程の大きさで鈍く光を反射する飴色、厚さもそこそこあるものだ。
これが中に入っていたんだから、そりゃ痒くて難しい顔もするだろう。
「……凄いな、これが入ってたのか……なんか恥ずかしい……」
エリスはティッシュに落とした耳垢をまじまじと眺めて顔を赤くして俯く。
まだ終わってないぞ、と言いながらこの耳垢の取り残しや残骸などを耳掻きで攫っていく。どんどん綺麗になる耳にエリスはびっくりしていた。
「よく聞こえるし耳が涼しい……」
「それは良かった、俺もなんかスッキリしてきた」
何だか塗り絵が綺麗に塗れた時に似た満足感を感じながら、エリスの耳を掃除。
十分綺麗になったと満足げに頷くと、エリスの肩を軽く叩く。
「反対やるか?」
訊くとエリスは無言のまま反対側、つまり俺の腹側に顔を向けて膝枕。何だかこそばゆい。
と言うかエリスも既に寝そうな顔で耳掻きを受けている、そんなに気持ちいいのだろうか。
まぁ確かに分かる、他人にやって貰うと自分でやるのとまた違った気持ち良さがある。
反対の耳も同じ要領で綺麗にしていく、耳の後ろをウェットティッシュで拭き、耳の外の溝を耳掻きで綺麗した後に穴に耳掻きを入れて中の耳垢を攫っていく。
こちらは硬い耳垢があるのか皮膚に触れるさりさりと言う感触より、カリカリと言う感触の方が多かった。
なので根気よく耳掻きを続行、こちらの方が耳垢の量は多かった様だ。
塊の様なものから薄い膜の様な耳掻きまで、大きさや形も様々だった。
また動かない様にして貰い、奥の方を掻く。やはり大物がいた。
ゆっくり焦らず、同じ様に奥の耳垢も攫い終えた。
「終わったぞエリス。……エリス?」
髪に少し隠れた表情を覗こうと髪を除けると、完全に目を瞑って寝落ちの如く寝てしまっていた。
俺の膝の上で寝息を立てるエリスの髪を撫でながら耳掻き棒を置いてティッシュを包み、ゴミ箱に放り込む。
俺は自分が寝落ちしてしまいそうになるまで、同じ姿勢でエリスを撫で続けた。
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2日後
部屋でくつろいでいると、エリスがぽすっと膝に頭を乗せてきた。
耳掻きの催促だ。
「ダメ」
「えぇーっ!」
そう、ああ言う耳かきは余り高い頻度でやると血が滲んできたり鼓膜を傷める恐れがある。
なので何日かに一回の頻度でやる様にしているのだが、今日は一昨日やったばかりだ。
「凄い気持ち良かったのに……」
エリスが半ば本気で落胆して残念そうな表情を浮かべる、俺の膝の上で。
俺はそんな彼女を撫でていた。
「……膝くらいなら貸してやるよ」
「……じゃあお言葉に甘えて」
エリスは少し体勢を変えて、俺の膝枕で昼寝に入る姿勢になる。
「後で俺にもやってくれよ」
「もちろんだ……」
既に声が眠くなって来ている、俺は凛々デレ属性を持つ彼女が眠るまで、髪を撫で続けていた。