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ランキング見ました。「ビャッ!!」ってなった。ビャッ!
読んで下さった皆様のおかげです。本当に有難うございます。
皆様に喜んで頂ける陛下が書けていると良いのですが。
ニストラスの王宮に戻ってからは、ひたすら己を鍛え続けた。
サーガスで少しずつ始めた剣技も、こちらに帰ってきてからは本格的な訓練となり、1年経つ頃には下級騎士達と打ち合える様になった。まだ子供の体では筋肉はさほど付かないため、軽さと素早さを組み合わせた闘い方を覚えた。勉学についても既に一般教養科目は修め、経済学や国際交渉学など、専門分野に進んだ。
父王には帰還後すぐに留学の許可を頂けたが、但し外交官レベルの教養を修め、また己の身くらいは守れるようになってから、との条件を付けられたのだ。父上、ボソッと『鉄はエサのあるうちに打て』と呟いたの聞こえてましたから。
まあ自分自身、サーガスに行くまでは散々甘やかされた覚えがあるし、父王にも甘やかした自覚があったのだろう。ヤル気のあるうちにと考えるのは当然だ。なによりひ弱で青白かった息子が、別人に思える程元気になって帰ってきたのだ。療養中の様子は報告を受けてはいても、己の目で見るまで半信半疑だっただろう。だからこそ、手元で息子の成長ぶりを確認したかったのだとも思う。
後年、母から当時の事を聞いた。可愛い末っ子が元気になった喜びと、自分たちの目の届かぬ所で一気に成長してしまった寂しさと、幼いながら伴侶を見つけ小さな姫君のために努力する微笑ましさと、赤子に懸想している心配とで、一家揃ってフィーバーだかパニックだかわからない騒ぎになっていたらしい。そう言えば女官や騎士達から、生暖かく微笑まれていたような気がする。
リリーに会えぬ日々は長く辛いものではあったが、勉学や訓練の合間に擦切れるほど成長日誌を読み、穴が空くほど姿絵を眺めながら、なんとか2年をやり過ごした。しかし留学準備を始めようとしていた矢先、私は病に倒れた。王宮内で爆発的に広がった流行病にかかってしまったのだ。
その病を持ち込んだのは、外国へ赴いていた王の側近。彼に近いものから感染し始めた。外交の報告を受けるため、執務室で長く話を聞いていた父王と兄も当然感染した。二人が高熱を出すと同時に、その他の側近や侍従、騎士達も次々と寝込みだした。流行病の疑い有りと直ちに王宮を封鎖し、倒れた二人に代わって王妃である母と私が混乱を抑えるべく動き始めたが、既に私も感染していたのだ。少し寒気を感じたため、念のためと自室に籠り、リリーがここに居なくて良かったなどと考えながら、細々した申請書類などの処理をしていた所で記憶が途切れた。
気付けば私は夢の中にいた。
夢の中で私は、ある男の人生を送っていた。少しばかり裕福な家庭に生まれ、健やかに育ち、ある日恋をして結婚。見たことも無いような景色、道具、食べ物。現実では有り得ないものばかりであったが、何故だかそれは事実であると理解出来た。そして、その男が私自身であったことも。
何度も場面が変わり、私は愛しい妻の墓前で泣いていた。妻をたった一人で逝かせてしまった後悔の涙だ。何度も何度も告白し、ようやく我が物とした女。逃げられぬよう、彼女が大学を卒業すると同時に結婚した。側に居たくて結婚したはずが、仕事の都合で結婚生活の半分も一緒に暮らせなかった。息子の出産も育児も彼女一人にさせてしまった。私が外国で仕事をしている最中に、彼女が事故で病院に運ばれたと連絡が入った。即座に帰国したが間に合わず、私は妻の亡骸を前に茫然と立ち尽くすだけだった。こんな筈ではなかった、この手で大事に大事に守って、誰よりも幸せにしてやりたかった。なのに。
再び場面が変わり、真っ白な世界の中で彼女の後姿を見つける。
『百合子』
その名を呼ぶと、クルクルの癖っ毛を揺らしながら彼女が振り向く。
ああそうだ、彼女の元に行かなくては。もう二度と一人にさせない。
彼女がいる限り、生きなくては。
『リリー』
倒れてから4日後、私は目を覚ました。
私が目覚めた時には、既に父も兄も儚くなっていた。
戴冠は未だ起き上がれぬ身のまま、寝台の上で行われた。王位の空白を避けるためだ。しばらくは王妃が代理として立つ案もあったようだが、母が拒否した。私に王としてこの未曾有の事態を乗り切らせる事で、まだ未成年な上、なんの実績も持たぬ私の足場を盤石なものにしようとの考えだ。お陰で、寝台から出るやいなや、王になった事どころか、家族を失った事さえ考えていられぬ程、事後処理に忙殺された。
何せ王宮に勤める者の半分が病にかかり、四分の一が重症化、六分の一が無くなったのだ。しかも重症者の殆どが、王宮の奥に勤める者や高等官であった。圧倒的に人手が足りない。更に見舞金や治療費、退職金で国庫は火の車。ただ、幸いにも民への感染は最小限で済んだ。かなり早い段階で王宮を封鎖したこと、王都に病が広がる頃には治療薬が見つかっていたこと、丁度、治療薬の材料が収穫できるシーズンだったこと等、幸運に幸運が重なった結果だ。これが私の立場を一層強くしてくれた。末の王子が病弱だったのは有名な話だ。だからこそ、病に対して適切な対応が取れたのだろうと。
顔を忘れられた単身赴任中の夫でした。