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Ⅵ.悲恋って何ですかっ!?

 我が国の主宗教ラージ教の総本山エスメラルダ神殿。

 王都郊外の森を抜けて、切れ目みたいな谷に架かった小さな橋を渡ったのその先。此処だけ緑豊かな周囲から取り残された荒野にでんと存在している。


 神殿の名にも因んだ翠の石で作られた二柱の背丈よりも大きい門の前でクリスタは馬車から降り立った。

 見上げた二つの尖塔が並び立つ形の白亜のエスメラルダ神殿は壮大で荘厳。見ているだけで自然と背筋が伸びる。

 日暮れの時間はさぞや赤く染まり綺麗なのだろう。

 王都から然程離れていないものの夜に近い今は周囲に誰も居ない。運んでくれた箱馬車も他に客が居ないと見るや去っていてしまった。

 もう毎度なので気にする事なく、クリスタは扉から中に入っていく。

 因みにこの扉は何時如何なる時も誰に対しても門徒開いているという意味合いで開けっ放しが多い。夜中等の閉じている場合でも鍵は掛かっていないと聞く。


 扉の向こうは広い礼拝堂だった。

 円形のその場は蔦模様を上部にあしらった白い壁、緑の混じった白い大理石の床。

 前方の壁には抽象的に創世の物語を描いたステンドグラスが四枚。祭壇を挟んで創世神二柱を模したそれはそれは大きな見上げる程の像。

 神殿の主たる場所に相応しい優美な礼拝堂だ。


 此処にも神官すら誰も居ない祭壇前に行き、クリスタは腰を低くして祈りを捧げ始める。


「神様。皆さんが心安らかに過ごしていけますように見守り下さい。後、家族が元気に暮らせますように」


 頭を垂れていたのは時間にして僅か。分針が一つ動くくらいの短さで祈りの捧げ終えてしまった。

 祈りを口実に神殿に来たとは思えない。

 そんな有り得ないなんて考えもしないクリスタは鼻歌が出そうな上機嫌で足取り軽く礼拝堂の横の扉から出て行ってしまった。

 まあ、本来の目的を言えないがための表向きの建て前だったので一向に構わないのかもしれない。

 クリスタからしたら、祈っているのだから嘘は言っていないと言い張るかもしれない。挨拶程度だろうと何だろうと。


 中庭に面した渡り廊下を歩くクリスタにとある動物の鳴き声が聞こえてきた。


「バウバウッ、バウバウッ」


 遠くから近付いて来るようなのは犬の鳴き声だろうか。

 犬嫌いでないはずのクリスタがぎくりと肩を竦め、辺りへの警戒を怠らずに余念なく首を巡らしている。

 鳴き声が途轍なく怖ろしく聞こえるのは正体を知っているからだ。あれは断じて犬なのではない。

 綺麗に手入れされているのも構わず、近くの茂みが揺れて、ぴょこりと白い大型犬が顔を出す。

 へへへっと舌を出した人懐っこい大型犬はクリスタの姿を認めるやいなや飛び付いてきた。


 確かに飛び出したその姿は犬などではなかった。犬からかけ離れたそら恐ろしい生き物。

 頭部は犬(否、頸部というか顔の周りに鬣があるから犬ですらないかも)でも、胴体は山羊、尾は毒蛇。

 人を喰い、人に害なす魔物、魔獣と呼ばれる類のもので種族としてはキマイラに属される。

 そんな凶暴極まりないキマイラがクリスタに戯れついている。


「ジョン、お元気でしたか?」


 腰が引けそうになる自身を諫め、クリスタはジョンと呼んだキマイラの頭を撫でる。

 甘えた声を出すジョンは犬の仕草で濡れた鼻を擦り寄せてくるが、一緒に揺れる毒蛇が魔物なのを思い知らされる。

 魔物を怖ろしく感じる気持ちを押し殺して毅然と接するのは、怖いという感情を読み取られれば、ジョンに舐められて何をされるか分からないと忠告を受けているのだ。


 しかし、何故また神を奉る神殿に魔物が居るのか。

 これにも聖女が関係している。ジョンは聖女の愛玩動物なのだ。魔物だけど。

 あれはクリスタが護衛になって直ぐ。

 巡礼と称して病の治癒を行い歩くその途中で襲って来たキマイラを聖女自ら相手にし、杖一本でぼこっぼこにしたのだ。そして、有ろう事かジョンと名付けてペットとして傍に置いてしまった。

 強い者に従う魔物の性のお陰で何の問題もなかったが、クリスタには護衛としての意義を危ぶむ出来事だったのであまり思い出したくない。

 ジョンは聖女が居ない今は聖女の護衛として神が下した聖獣という名目で長過ぎる余生を神殿の中庭でゆったりと過ごしている。

 クリスタが来た時くらいしか出て来ないので存在はあまり知られてはいないが。

 そんなジョンに匂いを覚えられたクリスタは非常に懐かれている。

 聖女の恩恵の一つに数えられるが、これは要らない。


「そろそろ止めて欲しいんだけど…」


 何時まで経っても腰辺りに前足を掛けて立ったままのジョンに足がブルブル震えてきた。大きさが大きさなだけに体重が支えきれずに辛い。

 倒れると今度は顔中を舐められまくると過去の経験からよく知っている。

 誰か助けて。もう倒れ、る――。


「おや。遅いと思えば、足留めをされてましたか。いらっしゃい、クリスタ嬢」


 流石にどうかと思う程誰の姿もない中庭に居るのはクリスタとジョンだけだった。

 そこに降ってきた第三者の声にクリスタは首だけを巡らし、後ろを振り返った。

 神官達が生活する私的な棟へと続く渡り廊下の向かい側に一人の神官が立っていた。


 肩口で切り揃えた青紫の髪が縁取る理知的な顔立ちは何もなければ、やや冷淡そうだ。それを銀色の瞳に掛けた眼鏡がその印象を和らげている。

 白と緑を基調とした裾の長い神官服に身を包んだこの男性をクリスタは知っていた。

 彼は神官のラフィン。

 聖女の後見としての立場を目に見えて示す為に聖女にとっては異世界の文化を教える教師という名目で聖女と行動を共にしていた。


「ラフィン様、少々お待ちを」


 ラフィンの姿を認めたクリスタは何とかジョンを引き剥がしにかかる。


 何しろラフィンには最上の礼節を重んじなければならない方だ。

 上司である第二王子と同い年でその優秀さと勤勉さで最年少で上級神官の位に就いている。その上、元の身分はとある侯爵様の長男なのだ。

 神童と謳われ、エルエストの学友も勤めたラフィンだったが信心深さも人一倍あったらしい。弟妹が産まれると分かるや否や全ての地位を捨てて、夢にまで見た神官になってしまった。

 神官になった時点で徒人になったのからといって、はいそうですかとはならないのが真面目な彼女で。

 挨拶をしようと慌てふためくクリスタだが、ジョンは離れない。クリスマスの服の袖を銜えて、ぐるると低く唸る。

 まだ構えと不満を訴えられても。


「挨拶は割愛して下さい」


 眉をハの字にするクリスタにラフィンが声を掛ける。

 弱り切ったクリスタを見兼ねたというよりも挨拶はどうでもいいと考えてるように柔らかく笑っていた。


「すいません」

「ですから構いませんよ。ですが、ジョンそろそろ解放しておあげなさい。クリスタ嬢には時間が迫っているんですよ」


 クリスタのお願いは聞き入れてくれなかったくせにラフィンに言われた途端、銜えていた裾を離し、ちょこんとお座り。

 何なんだこの落差は。所詮、クリスタは遊び相手でしかないのか。


「良い仔ですね。今は駄目ですが、クリスタ嬢とはまた後で遊んでもらいなさい」


 恨めしがましくジョンを見たら頭を擡げる蛇の瞳孔と目が合ってしまって固まっていた所でラフィンがそんな事を言っていた。

 言われてしまえば、(言葉を理解してるのか謎だが)期待に満ちたつぶらな瞳で見上げられれば、相手をしない訳にはいかない。

 関わりを持ちたくないが、仕方ない。要件が終わったら、中庭に降りてこよう。


「誰か、誰か居ますか?」


 ラフィンの声が渡り廊下と言わずに神殿に響いた。

 直ぐに反応があり、十を幾つか超えた子供がパタパタと足音を響かせ、渡り廊下に姿を現した。


「はーい。ラフィン上級神官様、何ですか?」

「聖獣様におやつを上げてあげてください」

「え…」


 神官見習いなのだろう。ラフィンからの言葉に固まってしまった。可哀想に。顔が凍り付いている。

 表向きは聖獣でも、例え正体を知らなくとも見た目が見た目だ。キマイラなのだから無理もない。

 しかも、おやつと名が付くが、新鮮な生肉で。時には生きた鳥の与える事もある。また、そのがっつき方がこれでもかと残酷だった。


「では、こちらは行きましょう」


 地面に根を生やした見習い神官を余所にラフィンはクリスタに近付き、その手を取る。

 貴族であった事を彷彿とさせる自然で綺麗な所作であった。


「聖獣の件は頼みましたよ。――それからいつものように」


 返答が聞こえる前にラフィンはクリスタと共に建物の中に入って行ってしまった。

 同情を禁じ得ないクリスタだが、手を引かれるまま振り向きもしない。これから起こる事柄で頭の中が埋め尽くされている。

 それにきっと平気だろう。戯れで飛び掛かってはきても傷付ける事はしない。そう躾られている、聖女に。

 中庭から悲鳴が聞こえたが、クリスタもラフィンも気にはしなかった。

 だって噛まれても甘噛みくらいだ。心配ないし。


  ◇◆◇◆◇◆



 くるくる、ぐるぐる。

 登れど登れど続く、螺旋階段。上にも下にも螺旋が見えるだけ。

 クリスタはその螺旋階段をラフィンの後に続いて登る。

 鍛えているクリスタも慣れているラフィンも息が上がる事はない。

 それよりも階段前の廊下を歩いていた方がクリスタは肩を丸め、身を小さくしていた。

 神官達の生活空間を通り抜けたのだが、出入りの制限こそないものの一般の人間が遠慮して立ち入らない場所だったので、どうにも肩身が狭かったのだ。

 それに比べ、螺旋階段なんて苦じゃない。足取りだって軽いくらい。


 くるくる、ぐるぐる。

 長い長い螺旋階段の末。

 尖塔の天辺近く、目指した星鏡ほしかがみの間に到着した。

 幾重にも重なった布が垂れ下がった薄暗い其処は、一人では抱えられない大きな水盤が中央の土台に捧げられただけしかない特別な場。

 常に空に瞬く星を映し出す神具とも呼べる創世神から授けられた宝具が祀られている。

 極一部の一握りの上級神官しか立ち入りを許されていない、神殿内に置いても殊更、その神聖さをビリビリするほど肌で感じてしまう。


 本来ならクリスタも息凝らし、足が竦むところだったが、彼女は何とも締まりのない表情で笑っていた。

 緊張感の欠片もなく、スキップをし始めそうな楽しげな足取りで星鏡の間に布を軽く持ち上げて足を踏み入れる。 神妙な面持ちのラフィンは部屋の中ほどまで進んで最敬礼をし、後ろを振り返り、クリスタを促す。


「さあ。クリスタ、どうぞ」


 神の御前とも取れる水盤の前に脂下がった顔で立つのはいかがなものなのか。

 拙いと、クリスタは顔を手で揉みほぐして、無理やり表情を引き締める。

 楽しみで逸る気持ちを抑えて、水盤の前に立った。


「クリスタ・メレにございます」


 ちょこんとスカートを摘み、深々とお辞儀をする。

 なるべく真面目にした挨拶に星鏡が応じ、曇り空だろうと星が移るはずの水面が揺らめいた。

 クリスタはごくりと固唾を飲んで、ラフィンは薄ら微笑み、動きを見詰める。


「…」


 真っ暗になった水面は間も無く、別の像を結び出そうとしていた。

 覗き込むクリスタでもない、同じく星鏡の間に居るラフィンでもない、誰か。この場には居ない、第三者の姿だ。


 烏の濡れ羽色の艶やか黒髪、黒曜石よりも煌めく黒眼。

 我々の誰とも違う象牙色の肌が神秘的な雰囲気を醸し出している彼の方。


「お久しゅうございます」


 クリスタは蕩けるような笑みを浮かべ、殊更丁寧に頭を下げる。

 そして、彼の方に向かって、名を呼び掛けた。


「聖女様」


 そう、水盤が映し出した人物は聖女その人の姿であった―――。



キマイラのジョンは完全に私の趣味によるものです。

因みにジョンの動作、仕草は犬を模しました。ライオンは事細かに分からないのと同じネコ科の猫も馴染みがなかったので。


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