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Ⅳ.悲恋って何ですかっ!?

 大好きな人の事を思い出していたクリスタは要らぬ記憶まで引っ張り出していまい、途端に苦虫を噛み潰したような不機嫌そのものの顔になった。


 思い出したのは、こうも広まるきっかけとなった、聖女と黒衣の重騎士の恋人設定で、聖女の偉業を物語仕立てに纏めて出版された本。

 誰とまで定かではないが、作者は聖女の帰還の場に居たお偉いさんのどなたか。聖女と黒衣の重騎士の別れの遣り取りは彼の方の創作意欲をメラメラと燃やすものだったのだとか何とか。


「お偉いさんなんだから、あれやこれやバラさないで下さいよ、全く」


 そりゃ秘密でも何でも無かったが、だからといって民の上に立つ方が流言飛語を広めるのはどうかと思う。模範となるべき立場であろうに。

 他者の言葉を借りるなら、プライバシーとやらの侵害である。


「しかも印税がっぽがっぽだなんて。全部、聖女を崇める神殿に寄付しろー」


 お陰で肩身が狭いし、何より偽りで聖女の人物像を汚されたような気がしてならないクリスタは口の中だけでぶつくさとぼやく。

 相手は不明だが、上流階級の人物で間違いないので誰かに聞かれれば、不敬罪になりそうなもの。

 まあ、既に食堂ではなく、近道と称して進む廊下にも声が届く範囲に人は居ないから平気だけど。


「――そもそも、もっと相応しい御方がいるでしょうに」


 クリスタから言わせれば、(聞かれなかったから黙っていたんだけど)素性も知れない黒衣の重騎士よりも聖女にはお似合いの人物がいる。

 聖女とその人物が並び立つ姿こそ絵になる。それに気付かないなんて皆の目は節穴なのか。


 うっとりと夢見がちな詮無い想像をしている内にクリスタは目的地に到着した。

 他人の事を言えない考えに耽り、うっかり通り過ぎそうになった自身を諫め、意識を仕事へと切り替える。

 仕事内容を覚えてきたとはいえ、別の考えをしながら出来るものではない。論外もいい所だ。


 深呼吸を一つしたクリスタは第二王子付き文官執務室の扉を静かに叩く。

 本来ならこの仕事場に入るのにノックは要らないと言われているが、機密を扱うからとどうしても律儀にしてしまう。中から返事は待たずして扉を開けるけど。


「只今戻りました。お昼ありがとうございました」


 ぴょこんと顔を覗かせるようにして部屋に入ったクリスタは上司でもない先輩でもない別の人物と目が合った。


「やあ。こんにちは」


 片手を上げて挨拶をしてきたのは、巻き毛の赤銅色の髪に、瞳は溌剌と輝く翡翠カワセミの色、そして、甘いマスクに人懐っこい笑みを浮かべた、すらりと長身の二十歳を越えるか越えないかの若い男性。

 何を隠そう、この男性こそ第二王子のエルエスト・ノデ・エディロール。クリスタの一番上の上司でもある。


「こ、れは、エルエスト殿下っ」


 思わずクリスタは上擦った声を上げた。

 不自然だが仕方があるまい。何しろ、たった今まで想像していた御方が待ち受けていたのだから。


 エルエスト殿下の事を聖女と特別な関係だったのではとクリスタは考えている。

 無論、証拠というか根拠もある。唯、相応しい立場だからとか、お似合いだからとかだけではない。

 第一に聖女とエルエスト殿下の間柄。

 王家と神殿の両方の後見を受けていた聖女の下にエルエスト殿下は日参していた。王族の務めの一つといってしまえばそれまでだが、聖女の遠出にも必ず彼の方の姿があった。

 聖女とエルエスト殿下の会話を同じテーブルに座ってよく茶会に参加していたクリスタは知っている(本来なら有り得ない事だが、頼まれたり、命じられて末席で小さくなっていた)。敬語を取っ払い、何でも言い合える聖女とエルエスト殿下はとても信頼し合っている様に見えた。

 第二にエルエスト殿下の変わりっぷり。

 気さくな人柄で誰に対しても平等に接し、国民からも人気のエルエスト殿下には周囲が頭を抱える欠点があった。

 人柄故の欠点というか、女性と見たら、それこそ老若すべて口説かずにはいられない性格でもあったのだ。

 貴族令嬢から花屋の看板娘、未亡人、娼婦まで浮き名を流した女性の数は両手両足の指を使ってもまだ足りないとの事。

 とはいえ、クリスタが聖女の護衛役に就いた時にはエルエスト殿下の傍に女性の影は無かった。

 日にちは定かではないが、聖女と出逢った後にはすっかり鳴りを潜めたらしい。聖女が居なくなって半年経った今も。女性と親しげに会話をする様子は多々見受けられるものの、エルエスト殿下について浮き名は止んだまま。

 エルエスト殿下は未だに聖女を大切にしていて、忘れられずにいるのだろう。クリスタはそう思っている。


 何だかエルエスト殿下の顔をまともに見れなくなって立ち尽くしたままのクリスタはそっと俯いた。自身の仕事場だが、エルエスト殿下の横を通り抜けて席に就くなんて出来ないので立ちっ放しなのだ。

 エルエスト殿下には脈絡ない奇妙な行動として目に映ったはず。訳を問われるかもしれないと気付いたが、後の祭り。


「ゴホンッ」


 絶妙なタイミングでの上司の咳にエルエスト殿下の注意が逸れる。

 半端に中断した会話を戻す為だろうが、心の中で感謝を述べて、今の内に音を殺して自分の席に座った。仕事の話だろうからと二人の会話に耳を傾ける。


「で、エルエスト殿下。何用ですか?」


 実は第二王子付き文官という職務に就いているが、殆どの文官がエルエスト殿下と顔を合わせる事は無いと聞いていた。エルエスト殿下の執務室は別に在り、非常に忙しい身なので。

 なのに、どういう訳かクリスタは三日に一度はエルエスト殿下を職場で見掛けている気がする。

 突如として始まったらしいが、きっかけは考えるまでも無い。流行り病も荒廃した大地も聖女のお陰で収束したが、良く見れば未だにあちらこちらに爪痕が残っている。復興の後仕事にして大仕事できっと忙しく動き回っているのだろう。

 ほら、今だって。


「この間の書類、南の街道の整備、ほら十日前くらいの何だけどさ。もう少し詰めたいから関する資料を貰いたくて」


 高が十日、然れど十日。次々から次々へと舞い込む案件に片付けを少しでも怠ると足の踏み場が無くなる中、十日前に提出した案件なら確実に隣の倉庫に資料は移した後。

 上司からの目配せを受けたクリスタは座ったばかりの席からそっと立ち上がった。

 ちょうど手の空いているクリスタに倉庫行きのお鉢が回ってくるのは通りだ。


「用意が出来次第お持ちしますので執務室でよろしいですか?」

「あー、直ぐに見たいんだ。鍵、貸してくれば、勝手に出して勝手に持って行くよ」

「そういう訳にはいきません。直ぐにお持ちしますから、そんな事なさらずに」

「いいのいいの。気にしない」


 昼休憩の時間である事を気にしたらしいエルエスト殿下によって上司との会話は思わぬ方向に転がり出した気が。


 結局、エルエスト殿下と倉庫に行くという大仕事を請け負ってしまった。

 クリスタは緊張しつつも目当ての資料の掘り出しに成功した。


「殿下、此方になります」

「ん、ありがとー」


 先程言われていた通りに本当に急ぎだったのだろう。

 埃を払って手渡した資料をエルエスト殿下は棚に背を預けた姿勢で捲り始めた。

 集中しているのを良い事に失礼してクリスタは資料を引っこ抜いた箱の整理をする。

 並べておかないとこの様な突発事態に対処出来ないから。


「そういえば、さ」


 資料の頁を捲ろうと手に掛けた状態でのエルエスト殿下の唐突な呼び掛けにクリスタの背中がビクリと跳ねる。


「…はい」


 何を言われるのかおっかなびっくりそんなクリスタにエルエスト殿下は緊張を解すように数多の女性を虜にした笑みを浮かべる。


「今日、軽食にって用意されたのが聖女のお菓子だったんだ」


 聖女のお菓子。それは小麦粉を練って揚げたものに砂糖を塗した素朴な甘さが特徴の庶民の菓子であり、聖女が好んで食した菓子。

 聖女の好物として知られてからは、元々の名より聖女のお菓子の呼び名で親しまれている。

 度々聖女が注文したので豪華にアレンジした菓子が宮廷料理の一つとして卓に上がっていた。今でも聖女を偲んで時々作られていると聞く。

 どうやら本日はその日でもあったらしい。


「それで懐かしく想えてしまって。彼女がパクパクと口に運ぶ様を思い出したよ」

「はあ」


 聖女の好物を目にして、誰かと思い出を懐かしみたかったようだ。それならば、クリスタを見ているようで通り越し何処か遠くに想いを馳せているかのようなエルエスト殿下の目にも納得する。

 急ぎの調べ物はいいのかな、と内心首を傾げながらも話に乗っかる。


「ええ。あの方は本当にお好きでございましたね。大変美味しそうに召し上がってました」

「うん。だから、お裾分け」


 どうぞ、と渡される紙に包んだ聖女のお菓子。


「え?あ、あの?」

「君も好きだったでしょ、これ?」


 何故だからで、どうしてどうぞになるのか分からない。

 弱り切ってしまったクリスタの合わせた両手で反射的に受け取った包みが伸びてきたエルエスト殿下の手によって開けられる。

 包みの中には生地にココアを練り込んで甘酸っぱい苺の果実ソースを掛けたものと、胡桃を生地に混ぜて檸檬風味のミルクチョコをかけたもの。

 確かに、どちらも宮廷風の聖女のお菓子である。独りじゃ味気ないと聖女と相伴にする内にクリスタが好きなった二種類。


「この間、君を褒めていたよ。丁寧なのは元からだったけど、慣れてきたらから処理速度も早くなって安心して仕事を任せられるって」


 話題の転換にきょとんとしていたクリスタだったが、内容を理解すると破顔した。


「本当ですか!」


 まだまだ半人前でお世辞だろうけど、上司が褒めていたと聞けば、それはそれでやはり嬉しい。


「菓子はお裾分けでもあり、ご褒美。出来立てじゃないのが悪いけど」

「…分かりました。有り難く戴きます」


 ウインク付きでエルエスト殿下に言われ、クリスタはやっと聖女のお菓子を頂戴して感謝を込めて頭を下げた。

 一度、受け取ったものを返すなんて出来ないし、等と言い訳っぽい事を考えつつも、内心の浮き立つ気持ちが隠せていない。

 よし、おやつに食べよう、といそいそと仕舞う姿がエルエスト殿下の笑みを誘う。


「紹介した身としても鼻が高かったよ。この調子でこれからも頼むね。君を期待してるから」


 エルエスト殿下が聖女の護衛の任を返上したクリスタに席が余っているからと文官の仕事を紹介してくれたのだ。

 それだけでなく、有り難い事にエルエスト殿下から何くれと気に掛けてもらっている。


 クリスタはしっかりと理解していた。

 クリスタが聖女の護衛役であったから、エルエスト殿下はこうも面倒を見てくれるのだと。そうでなければ、下から数えた方が早い位の貴族の娘なぞ、目もくれない筈だ。

 エルエスト殿下が聖女を大切に想うが故に護衛だったクリスタを気に掛けてくれる。

 全ては聖女のお陰。聖女様々なのである。


「頑張るのはいいけど、あまり根は詰めすぎないように。じゃあ、資料貰ってくよ」


 用が済んだエルエスト殿下は資料を持った手をひらひら振って、倉庫から出て行った。

 頭を下げて、それを見送ったクリスタは気合いを入れ直す。


 聖女の名に恥じぬ――無論、直接お世話になっているエルエスト殿下の名にも恥じぬように仕事に励まなくては、と。



 四話目にして、やっと男性が登場しました。


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