Ⅱ.悲恋って何ですかっ!?
聖女が去ってから、半年―――。
聖女への深い畏敬の念を忘れずに祈りを捧げつつも、アルロイド国は再び訪れた平和を享受していた。
失ったものを取り戻すかのように働く国民で、国中賑やかに華やいでいる。
此処、王城もその例に漏れず。華やいだ雰囲気に満ち溢れていた。
昼時の大食堂など人でごった返していて、五月蝿い程に賑わっている。
人込みを掻き分けて、席に着いたのは仕事内容は違えど、同い年で仲の良い三人の若い女性達。
仕事仲間と代わり番こで昼食を摂るのであまり時間を掛けられないのだが、少しくらいなら許されるはず、と食べながらのお喋りに興じる。
その中でとっておきの情報を提供したのは尊き御方の侍女であった。
「ねぇ。聞いて、聞いてちょうだい!私、教えてもらったの!」
やや興奮気味に彼女は頬を上気させている。
「ほら、黒衣の重騎士様って知ってるでしょ?」
勿論、と友人達は揃って頷く。
黒衣の重騎士。それは老若男女すべてに聖女の名と共に知れ渡っている聖女の護衛だった騎士の通り名。
存在自体は広く知られているのだが、何故かその素性は名前に至るまで全て秘されているのだ。
まあそれが、謎が謎を呼ぶみたいな感じで良いのだが―――あ、脱線。
「それで、その黒衣の騎士様の最新情報でも入手したか?」
ちょっとばかしミーハーな傾向がある侍女である。
兵士である友人が当たりを付けて問えば、返ってきたのは肯定。
「そう!あのね、あのね。黒衣の騎士様ってね、御名前をクリス様って仰るんですって!」
「…」
無言。そして、友人からの呆れ返ったような苦笑。
予想外の反応に侍女は頬を膨らませる。
食事中のリスの様な可愛らしい仕草であるが、年を考えろと言いたい。
貴女はもう、とっくの昔に成人しているだろうが。
「何よ。興奮しない?」
確かに真実なら―――ね。
皆の内心を代表して口にするのはもう一人の友人の司書で。
「だって流言じゃん」
秘されていた事実が此処に、とか大それた事を言っておいてから、全てが出鱈目だったという落ちが常習化しているではないか。
そう言う意味合いで言えば、侍女はふふん、と偉そうに鼻先で笑った。
「今度はそーじゃないの。だって、聖女様の侍女してた子から直接聞いたんだもん!聖女様がそう呼んでたって!」
確かに本当だわ、それ。
態度が一変し、友人達は俄に真剣味が帯びる。
「クリスっだけ?名前よりも通称って感じもする」
「ああ、確かに。しかし、それなら名前はなんだろうな?」
兵士の疑問に彼女達は思い付く名を次々と挙げ出した。
「クリストファーとか」
「クリスチャン」
「クリスタルだって」
「クリスフォードもありよ」
「クリスティンも」
「で、そのままクリス、とか?」
想像力が乏しくてこれだけしか挙がらない、と友人同士は笑い合って盛り上がる―――その後ろで。
必死に気配を押し殺し、見付かるまいと身を小さくする、若い女性。
そりゃ、狭い通路を挟んだ後方のテーブルであるし、年が近そうな同僚達ではあるが顔も知らなければ、名前も知らない。そんな相手から話し掛けられるなんて無さそうだが。
それも皆無ではない。万に一つだってあるかもしれないと、こうまで必死になっている。
声の聞こえる範囲の話題がいつの間にか、聖女と黒衣の重騎士の話題にすり替わっているのも一因だろう。
今をときめく話題だからこんなにも盛り上がる気持ちも分からないでもない。
しかし、なんと言うか。
―――居たたまれない。
気配を消す努力をする彼女はクリス(・・・)タ・メレ。第二王子付きの文官で、恐らくこの食堂内の誰よりも秘密をちょっぴりとだけ知っている人間。
秘密と云う名の真実をふとした拍子に口に出してしまわないかと冷や冷やして食事が喉を一向に通らない。
不審がられるから、と手の中のフォークだけは動かして、グサグサと突き刺している。
おかげで変わり映えしないが味は折り紙付きのお昼ご飯が悲惨な状況に。たっぷりバターが自慢の卵焼きがぐちゃぐちゃ、付け合わせの野菜が穴だらけ。
皆の夢を壊す様で悪いが、聖女と黒衣の重騎士は恋人同士では無い。そんな恐れ多い事有り得ない。有り得る筈もない。
確かに黒衣の重騎士は個人的に聖女に対して思い入れが強い。
それはもう、ロロス渓谷(国内のみならず周辺国の中でも一番深い谷)よりも深く敬「愛」している。
それはもう、ラフィン山(三つ隣の国に聳える世界一高い山)よりも高い聖女の志に「惚れ」込んでいる。
だからと言ってそれが恋心に繋がるなんて事はこれっぽっちも無い。
そもそも黒衣の重騎士が聖女の護衛になったのは、慣れない生活環境で暮らしていかなけばならない聖女の話し相手を兼ねた、腕に覚えがある同性だからであって。
奇跡の御業により家族を救われた黒衣の重騎士が聖女の役に立ちたいと請うたから候補に名を連ねたのだけど。
詰まるところ、黒衣の重騎士は女性なのである。
そもそも厳めしい上におどろおどろしい鎧は武芸で名を馳せるメレ家に代々伝わる家宝である。
ご先祖様が陛下より下賜された由緒正しき鎧で当主たるお祖父様が未熟な修行中の身で聖女の護衛という重大な任を負った孫娘を心配して貸し与えたであって。
鬼神の称号を持つお祖父様からすれば、武を嗜む大概の人が殻の付いたヒヨッコのようなものだろうけど。
詰まるところ、黒衣の重騎士はクレスタなのである――。
「あんた、どうしたんだい?全然食べてないじゃないの」
突然、横合いから声を掛けられたクリスタはびくっと肩を縮こませる。
考えに耽って、人の近付く気配に気付かなかったなんて、実家だったら即そのまま説教行きである。
どうでもいい事に胸を撫で下ろしつつ横を向けば、この城の全ての人間の胃袋を一手に引き受ける料理長である女性の姿。
「クリスタ。具合悪いのかい?もしかして、クリスタ、あんた仕事が辛いのかい?それとも、クリスタ――」
わーわーと声を上げてでもクリスタは料理長の言葉を遮りたかった。
料理長の娘と同じ年だから、と何くれと気に掛けてくれるのは有り難い。有り難いが、如何せん彼女の声が大きい。
料理長の大きい上によく通るその声で名前を連呼されれば、黒衣の重騎士の事を連想してバレる可能性だって出てくる。
まあ、今この場面においては杞憂であったが。
良いのか悪いのか、周囲は自分達の話――内容は聖女と黒衣の重騎士――に夢中でクリスタと料理長に注意を払っている者は居なかった。
周囲に目を走らせて、それを確認したクリスタは安心して料理長に応える。
「おばさん、心配しないで。単に考え事をしてただけ」
「そうなの?なら、いいけど」
「折角の昼食をぐちゃぐちゃにしてごめんね。でも全部食べるから」
納得はしていない様子の料理長であったが、クリスタがフォークを持ち直して料理を口に入れたので引き下がった。
「何か困った事があったら言うんだよ。おばさんが何とかしてやるから」
明らかに渋々自身の城である調理場に戻る料理長の姿は笑みを誘った。
苦笑を浮かべたクリスタはさっさっと食事を済ませてしまう事にする。
食堂で小さくなっているより、早々に立ち去ってしまった方が精神的に楽になると思い至ったからだ。
思い至るのが遅いって?そんなのは知らない。