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三人称形式を考える。

例:『ロボと少女』(二次創作の規約に配慮し、禁止作ではないが削除。現状再掲載の予定なし)

 これまで、一人称形式、二人称形式と、語り手の視点について考えてきた。

 というわけで、今回は三人称形式について。


 三人称形式の小説は、一人称形式の小説とどちらが多いのかというと、ぼくは知らない。しかしながら、一人称形式も三人称形式も、どちらもかなりの数であることだけはわかる。少なくとも、二人称形式よりも少ないということはまずあり得ない。



【読者が得られる情報】

 三人称形式の小説は、読者に対して最も多くの情報を与えることが可能な人称形式であろうと思う。なぜなら、一人称形式ならば、基本的に語り手は一人なので、その一人の語り手が見たものしか与えられない。

 二人称形式は……ちょっと頭が爆発しそうなので、割愛してもよろしいか?


 そして、三人称形式。

 三人称形式は、一人称形式よりも自由にスポットを変更することができる。一人称形式では難しい「一方その頃、云々」という文章を利用することができる。

 そうしなくても、文章の塊で変更することも容易だろう。

 一人称形式でももちろん可能ではあるが、一人称では語り手の変更は読者に混乱を招く可能性が否めない。その点、三人称形式であるならば、一人称形式ほどの心配はない。


 つまり。

 三人称形式で読者が得られる情報は、物語の世界全体に及ぶ。物語そのものを俯瞰する形になって、主人公(一人称形式の語り手)が知りえない情報を得ることができる。

 もっとも、これは一人称形式の項で挙げた「疑似三人称」を用いれば、一人称でも可能で、「疑似三人称形式」と「三人称形式」はにた性質を持つ。



【心理描写】

 三人称形式の場合、心理描写をする場合には二つのパターンがある。


・「()」や「―」など、記号を用いてその人物に語らせる。

・××××と、彼は思った。 と、地の文で書く。


 どちらだけ、ということはない。併用することがふつうだろう。また、これ以外にも表現する方法はあるのかもしれない。人鳥はこれくらいしかわからない。


 

『他愛のない話すらできない。だから、話しかけることにすらきっかけが必要になる。

 ロボは黙ってうなずいた。自らに発声の機能が搭載されていないことが恨めしい。声さえだせれば優しい言葉も、励ましの言葉も、なんだってかけられるのに――と。

 そんなことを考え、ロボは頭を振った。今はそんなことを考えている場合ではない。』

                     『ロボと少女』より


 ここでは地の文の中に「ロボ」の心情を混ぜ、最後に「――」を用いて締めている。そして次の行にそう考えた人物の名を加える。もちろん、心情を書いている段階で、読者がどの人物の気持ちなのかを知っている必要があるだろう。明記していなくても、文脈上で理解してもらっている方が良い。


 また、上記の例を探している最中に気付いたのだが、この『ロボと少女』で心理描写をする時、どうも発言によって描写するのを多用しているようである。

 これが良いかどうかはわからないが、前述の分類では前者である。


【情景描写】

 一人称形式よりも、自然に情景描写をすることが可能だろう。

 

『芝を敷き詰めた広い庭。芝は四つのブロックに分かれ、その間には石畳の道。その中心には噴水がある。ヒューイック家の中庭である。アインはその中庭の噴水の縁に腰かけてロボの仕事を眺めている。ロボは草刈り機を手に、庭の手入れをしている。アインと目が合うと軽い会釈を返す。表情がないロボには精一杯の愛嬌だ。それを理解しているアインはそれに笑顔で手を振る。』

                     『ロボと少女』より


 前半は中庭の様子、後半は「ロボ」と「アイン」の行動の描写である。

 三人称形式は、風景と行動を織り交ぜながら文章を構築していくのが基本であろう。いや、それは小説全般に言えることか。

 風景の描写は、単に、書かないとわからないから書く、ということではない。

 書くことによって、


・読者を作中に引き込む。

・場面に臨場感を与える。


 という効果を与えるのである。

 であるから、前にも上げたが『スクランブルワールド』は描写が甘い、と書かれているあたり、作中に引き込む力に不足していると言える。

 この小説に関しては、そういう感想は頂いていないので、何とも言えない。



 作中に読者を引き込むというのは、とても重要なことだ。それに背景は重要である。漠然としたイメージだけで済ませる場面もあってよい。が、物語の大切なシーンや、場所そのものが大切な場面では、惜しまずに描写をすべきである。

 真っ白な紙の上で人が躍るより、彩られた紙の上で踊った方が楽しいだろう。……例えが良くないか。



 場面に臨場感を与えるというのも、同様だ。サスペンスドラマの最後、犯人を追いつめるのはなぜか断崖絶壁の崖の上(……言葉が重複している?)であることが多いのだが、これはまさしくこれである。

 映像と文字の差はあるが、インパクトのある背景があると、臨場感が増す。映像はそこが映っていればいいが、文字は書かなければならない。

 また、背景だけではなく、天気も臨場感には大切な要素である。



 上記の二つの性質。知ってしまえば、少々描写が苦手でも、ほんのちょっと背伸びして使いたくなるのではなかろうか。



【スポットの変更】

 いわゆる視点変更である。ただ、一人称形式は語り手視点で語るのに対し、三人称は人物にスポットを当てて描写することから、【スポットの変更】とした。


 一人称形式でもそうだが、このスポット(視点)の変更というものは、伏線や謎を物語中に敷くのに大いに役立つ。もちろん、スポット(視点)の変更は必ずしも行う必要はない。行わないほうが魅力的なものも存在するだろう。

 そういうものは変更を行わず、一人に、あるいは周辺の人物のみに絞ると良い。


 スポットの変更を行う場合に注意しなければならないのは、メインの視点を書くのにつまっているからスポットを変更する、というようなことをしないことだ。自分の中で明確な理由を持ってスポットの変更を行おう。どうしてこんなことを言うのかというと、自身に経験があるからである。

 仮に、つまったからとスポット変更をするとどうなるのだろうか。

 個人の経験から言うと、結局、同じなのだ。スポットが変わって新鮮味が感じられるのは確かにそうなのだが、最終的にはメインに戻さなければならない。

 ここでうまく変更した先で伏線を配置できているのならば、それはそれで問題はないだろう。が、それができていないとやはりつまる。また、中だるみのような、()()()()な展開になってしまってよろしくない。


 キャラクタでもそうなのだが、思いつきというものは怖いもので、やってみれば魅力が出たりする。しかしながら、せっかく書いているのだから、あまりそういうのには頼りたくはないものだ。特に文章に関しては。



 この記事は分量的には満足いく量ではないかもしれない。しかしながら、一人称形式・二人称形式と既存の記事を読み、それぞれの特徴や性質を考えながら読んでみると、三人称形式の姿がそれぞれに浮かぶだろう。

 人称の記事に関しては「考える」というよりも「比べる」と言うべきものだ。

 三つの記事を読んで、それぞれの性質を把握しよう。その上で魅力を引き出し、ときには織り交ぜ、新たな表現を開拓してみよう。新たな表現の開拓は、失敗したとしても成功の布石となる。

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