物語の奥行きを考える。
例:『薄桃色の空』
物語を書くために必要なのは、舞台・人物・筋道の三つである。物語の舞台と、そこにいる人達、そして展開の道筋。この三つがあれば、物語は成り立つ。この三つを整え、立てた筋道を最後まで展開させれば、物語としては成り立つ。しかし、それだけだと味気なさが残る。
象徴的な舞台。
魅力的な人物。
革新的な筋道。
という要素があっても、何か物足りない。
何が足りないのか。
それは、物語の『奥行き』である。
【謎の効果】
仮に先にあげた三つの柱だけで作られた物語があるとすれば、それはただ物語を追うだけのものになっていると言えるだろう。
物語を追っていくのが物語でもあるのだけれど、そこに『奥行き』与える要素である『謎』を投入する。すると、『謎』について読者が推理を始め、ただただ物語を追うという形から、読者が参加するという形に変化するわけだ。
謎という言葉に違和感があるなら、『伏線』と言い換えても良い。
だから、謎と言っても、(新)本格ミステリなどで言うような謎とは異なる。
「寒いけど、平気」
そう言うこの子の頬は白く、手は少しだけ震えていた。
近くに自販機があったはずだ。
「少しだけ待ってて。すぐに戻るから」
「えっ?」
女の子は驚きの声を上げ、勢いよくぼくに向き直った。
「いや、そんなに驚かなくてもさ……」
(中略)
「お待た……せ」
『お待た』と言ったところで、ぼくは女の子の顔を見て、『せ』というのに時間がかかってしまった。
女の子は――何かに耐えるように両手を握り締め、今にも泣きそうな顔をしていた。
何に耐えているのだろう。
会ったばかりのぼくにはわからない。
(『薄桃色の空』第二話:始まりの日 より)
以前にも例に挙げた恋愛ものである。
雪が降っている日にたまたま出会った二人、「ぼく」が女の子にコーヒーを買ってくるという場面である。
前半の「えっ?」では、女の子は、『何をするんだろう?』という感想で驚いたように見えるが、後半を読むとどうやらそうではないらしいことが想像できる。
前半と後半のギャップにより、また、後半での女の子の予想外な挙動によって、読者は「どういうこと?」と思うわけである。また、この小説が一人称小説であることもあり、
語り部がわからない→読者もわからない
という図式を容易に作ることができる。
このような人物に対する謎(=伏線)でなくても、動作の理由に対する謎を登場させることで、語り手にわからない心の動きを表現することが可能になる。もっとも、ラブコメ調に、理由は明らかで読者にとっては謎になり得ないが、主人公(=語り手)にとっては謎であるとすることもできる。
このようにした場合は、読者は主人公(=語り部)として物語を見るのではなく(それが一人称小説であっても)、物語を外側から見る、いわゆる神様視点で物語を見ることになる。なぜなら、物語の裏側(つまり謎)を見てしまっているからである。
読者に謎を謎のままにするか、解答を簡単に見破れるようにするか、その選択次第で読者の視点を操ることも可能である。感情移入の度合いもそれで異なってくる。バランス良く能動的に利用ができれば、それは大きな武器になる。
【強調する謎と強調しない謎】
謎を物語に施した時、重要なのはその謎を明らかにするかどうかというよりも、その謎をどれほど強調するかということである。
たとえば、先ほど『薄桃色の空』を用いた例に出てきた、女の子の挙動に関する謎。あれは後に強調されることはないが、そのほかの行動や言葉などを総合して、「ぼく」は女の子を「わからない」と言う。
『薄桃色の空』では、その「わからない」が強調され、物語の中心にある。つまり、主人公にとってはその女の子自体が謎なのだ。主人公は女の子が気になっているから(好意とはまた別に)、女の子のことを考える。考えてもわからない。そんな思考を繰り返す。結果として、「女の子」という謎が強調され、読者にも投げかけられる。
強調される謎は、物語の中枢を担う謎であることが多い。が、あえて意表をついて、謎を解き明かしても対して物語に影響を与えなかった。否、むしろ無意味だった。というものありではないかと、書きながら思っている。ただ、それをするなら対になるような謎が、強調されない形で登場している必要があるだろうが。
強調しない謎は、解き明かしても解き明かさなくても、大した影響を与えない謎であることが多い。書き手としては読者に開示したくないものもあるかもしれない。ぼくなんかもそのような謎を施している部分もある。それがどこか、というのは興ざめするので、ここでは例をあげない。
ただ、謎と伏線を別のものとして扱う場合、謎は解明するもので、伏線は回収するものになる。
ただ言葉を変えただけだが、印象は変わる。だからと言って、人鳥がこれについて何か語ると言うわけではない。
ちょっと言ってみただけだ。
【謎の扱い】
謎は一人称小説で活きるものだとぼくは考えている。なぜなら、神視点ならばスポットが当たるキャラクタに変更が生じ、それによって謎が明かされることもあるからだ(明らかにならないと不自然な場合に陥るかもしれない)。謎を謎のままにしたいなら、スポットは変わらないほうが望ましい。おそらく、強調する謎であればある程、それは顕著になろうだろう。
人鳥は三人称をあまり書かないので、この項はほとんど参考にならない。ただまあ、三人称をたまに書いた時の印象ではそうである。
謎や伏線は物語に奥行きを与える。今回は謎という側面から書いたが、このような考え方はほとんどそのままの形で伏線にも流用できると思う。
回収する伏線、しない伏線、強調するかしないか。
ただ、伏線は冗談の中に隠せ、という言葉もあるくらいだから、やはり別物として考える必要もあるかもしれない。今後、伏線の項が書かれる……という可能性も全くないわけではなさそうだ。