キャラクタの設定を考える。
キャラクタ設定について。
例『スクランブルワールド』
今回は『キャラクタを立てる』という項があり、拙作では十分な説明ができないため、
西尾維新著『戯言シリーズ』(一作目:クビキリサイクル)を引用させていただきました。
さて。ライトノベルを書く時、もっとも楽しいのがキャラクタ設定である(少なくとも人鳥はそうだ)。
いかに魅力的にするか、いかに面倒くさいキャラにするか、いかに憎たらしいキャラにするか。
面倒くさいキャラでも、憎たらしいキャラでも、それぞれのキャラがたっていて物語と世界に調和していればそれは魅力的なキャラであると言えるだろう。それだけに、キャラクタの設定は奥が深い。
キャラクタ設定でよく見かける(=キャラだてしやすい)というのは、良くも悪くも事実で、今回例にあげる二作は、その権化といってもいい。
【口癖でキャラを立てる】
「戯言だけどね」(ぼく)
「《バックスクリーン直撃の大ホームラン、ただし始球式》みたいなっ!(A、ただしBみたいなっ!の超比喩)」(葵井巫女子)
「○○することはあらかじめ予測していました」(木賀峰約)
「そんなことはどちらでも同じことだ」(狐面の男)
(西尾維新著『戯言シリーズ』一作目『クビキリサイクル』より)
あと、ここで並べるのも恥ずかしいが、拙作より一つ。
「ぼくは〈旋風に生きる者〉。(以下セリフ)」(『スクランブルワールド2』リンクス)
さて。
五つの口癖を挙げてみた。原作でどんなキャラクタかわからない人でも、なんとなく、その人物の雰囲気を感じられると思う。(少なくとも、最初の四つ)
口癖があるキャラクタは、口癖のないキャラクタよりも存在感が出る。
たとえば、
口癖があるけど、地味な格好をしたA
口癖はないが、めちゃくちゃ派手な格好をしたB
ならば、小説の中ではAが目立つ。書き手の書き方にもよるが、キャラクタの外見を毎度毎度書きこむことは少ないだろう。一人称の小説ならなおさらだ(後述)。
口癖はそのキャラクタが登場し会話をしたなら、必ずとは言わなくても、一度は出てくるだろう。そうなると、そのキャラクタの印象を読者に焼き付けやすい。
ではどうして外見が派手だと目立ちにくいか。
前述のとおり、そのキャラが登場するたびにそのキャラの外見の派手さを書くということはあまりしないと思う。せいぜい、何か特別なイベントが物語中で発生した時、普段よりも派手な格好をBがしたら、だと思う。
とはいえ、細かく書かず、「派手だ」ということを何度か繰り返して書けば、口癖があるキャラクタと同様に、外見でキャラクタを目立たせることができる。
一人称で効果が薄くなるのは、語り手がその外見の派手さに『慣れ』てしまうからだ。慣れてしまうと、目新しくないのでわざわざ語りだしたりはしない。読み手は語り手のフィルターを通してでしか、その世界を知ることはできない。
【名前でキャラクタを立てる】
人鳥の小説群のほとんどは、名前でキャラクタを立てるようなことはしていない。それは、名前でキャラクタを立てるのが悪いからというわけではなく、単に、ネーミングのセンスがないからである。
せっかく引用したので、このまま『戯言シリーズ』のあの四人に登場してもらう。
『ぼく』:主人公であり、語り手。お気づきだとは思うが、本名は読者に明かされていない。ほかの人からは『いーちゃん』『いっくん』などと呼ばれている。
『葵井巫女子』:『ぼく』の大学のクラスメイト。「葵井」は「青井」のもじり。「あおい・い」でも苗字として使えるな、と。「巫女子」も同じ作り方で「みこ・こ」と分解できる。姓名とも、最後の一文字を足している。
『木賀峰約』:女性である。『木賀』は『飢餓』。ほかの意味のある漢字からの連想。
『狐面の男』:本名はあえてここには記さない。実際、原作でも終盤までこの名前で呼んでいる。普段から狐の面をかぶっている。他の人からは「狐さん」と呼ばれている。
上記四つで、名前だけで完全にキャラが立っているのは『ぼく』と『葵井巫女子』だと思う。
『ぼく』は名前が明らかにされていない時点でかなり謎めいていて、しかもそれが語り手をしている。読者が最も感情移入するはずのキャラクタが、読者にとって最も「わからない」キャラクタとなっている。
『葵井巫女子』は、まず実際にはあり得ない、もしくはいても不自然な名前だろう。小説ならではである。しかし、こうして登場させるとあまり違和感を感じない。むしろ、名前のない主人公『ぼく』という前例があり、逆に調和していると言える。
拙作『スクランブルワールド』には
『人影宗次』『人影京香』の二名が登場する。
この二人はおわかりだろうが、兄妹である。一見、『人影』という苗字が不自然に見えるだけで、それほどキャラクタ立てはできていないように見える。
どうしてこの二人を挙げたのかというと、このキャラクタの名前はお互いに『対応』しているからだ。さらに苗字も対応している。
作り方のパターンとして、前述の『木賀峰約』と近い。
キャラクタの名前の付け方として、
『実在している』
『ないだろうが、実在して不自然でない』
『姓名で意味の通じる』
『別のキャラクタと対応している』
『存在しない、しても不自然』
『キャラ立てが目的』
がある。人鳥は『実在している』と『別のキャラクタと対応している』そして『キャラ立てが目的』という三つのパターンでつけることがほとんどで、特に、『実在している』というのが圧倒的だ。ネーミングのセンスがあまりないのである。ただ『別のキャラクタと対応している』名前を付けるのは、とても面白い。
【キャラクタを設定する】
やっと本題のような気がする。
そろそろ拙作のキャラクタで説明するようにしよう。ここから説明に用いるキャラクタはすべて『スクランブルワールド』のキャラクタであるから、引用元は書かない。
『平野拓』(主人公)
人間。細かい設定は考えていない。あまり良くないことではあるが、あえてそうしている。一般的な、平々凡々な高校生に見えるように書いている。ただし、『事件に巻き込まれる』タイプの物語であるから、唐突な使命感の目覚めがお約束のように、このキャラクタには付随している。
できれば、このタイプのキャラ付けは控えていたほうがいい。読者の共感を得にくいからだ。また、そのキャラクタの考え方すら『超展開』じみてしまい、読者を置いてけぼりにする危険性がある。
このような性格付けをする場合は、その都度、明確な目的を主人公に与えるようにすると良い。また、日常の生活の中でその片鱗を見せているとなお良い。
『リーゼ・ブリュスタン』
ヒロイン・吸血鬼。ライトノベルだろうが、漫画だろうが、ゲームだろうが、とにかく重要なポジション。少年が主人公の場合、ヒロインは必要だ(不可欠とまでは言わない)。
登場当初、リーゼは「声が出ない」という制約を与えていた。むろん、それはキャラクタの性格付けではないわけだが(出会った翌日にはしゃべっている)。そして『吸血鬼』にはお約束である『吸血鬼殺し(ヴァンパイアハンター)』にも登場してもらっている。また、吸血鬼でありながら吸血経験がほとんどない、という設定も付加した。
とはいえ、前者はお約束だし、後者には前例がある。
『灰谷琴音』
竜(擬人化)。外見的特徴の違いは瞳の色のみ。竜であるという連想から、とても男前なキャラクタになっている。口調も男性的で、雰囲気も男性的。
そして、この手の『男性的な女性』という設定はよく用いられるもので、人によってはすでに『満腹感』を覚えているかもしれない。しかし、キャラクタ小説といってもいいような『ライトノベル』なので、あまり気にしていない。
使い古されたような設定であっても、必要ならば使用しよう。ただし、そのまま使用するのではなく、どこかで自分なりのアレンジを加えると、同じ設定でも新鮮さを読者に与えられるだろう。
ただし、灰谷さんにはあまり期待しないこと。
キャラクタ設定をするとき、注意すべきは設定を『詰め込み過ぎないこと』だ。もちろん、例にあげた『平野拓』のように、ほとんど決めていないものダメである。ほとんど決めていないのは、物語が進行していく中で、都合がいいようにできるな、という書き手のズルい考え方からなっている。
真似しないように。
設定を詰め込み過ぎると、設定を活かしきれなかったり、設定に振り回されてしまうことがある。そうなってしまってはもったいない。設定を詰め込み過ぎた時には、
・余分な設定を省く
・設定をまとめる
という二択がある。
前者は読んで字の通り。たとえば異能バトルものなら、複数の能力が使えるという設定なら、一個か二個にし、削った能力を他のキャラクタに回すなど。
後者は、詰め込んだ設定の本当に必要なところを前面に押し出していく形だ。あまりいらないな、とは思うが使いたい。そんな設定は、物語の些細なところで出していくと良い。
キャラクタは物語を彩る重要な部品である。前例とオリジナルを組み合わせて、いこう。
なぜ前例を混ぜるといいのか。端的に言えば、完全なオリジナルは非常に難しいこと。それと何度も書いているからウンザリしているかもれないが、個人的にとても重要だと考えている。
『ライトノベル』は予備知識があって楽しみが増すものである。