間を考える。
例:西尾維新『クビキリサイクル』
綿矢りさ『蹴りたい背中』
蝉川タカマル『青春ラリアット』
以下人鳥
『ロボと少女』(二次創作に関する規約に配慮し、禁止作ではないが削除。再掲載の予定は現状なし)
『世界最弱の希望』
『よし!空を見よう。』
間。
間である。
今回はライトノベルにおける「間」について、考えてみることにする。テンポの記事でも良かったのだろうが、あえて分類することにする。応用編! みたいな演出になったら俺得である。
【そもそも間とは】
タメ――という表現で言いかえることはできるだろうか。
「犯人はこの中にいる! 犯人は――――あなただ!」
この文章における、「――」の部分。
緊迫した空気や、周囲の時間が止まったかのような雰囲気、焦らそうとする意図、キメ台詞を言う前の雰囲気、そういう物が生みだす空白の時間である。
この間があるのとないのとでは、読んでいる時の印象が大きく異なってくる。言葉では説明しづらいので(言葉で表現する者にとって、この言い訳はどうなんだろう?)、ドラマなどでのそういう場面を想像して、間の持つ雰囲気のイメージを補完しておいてほしい。
【間の取り方:人鳥編】
次の項で版権物での間の取り方をいくつか取り上げるつもりであるが、それと比較するために人鳥の間の取り方を見てみることにする。比較することに意味があるかと問われれば、たぶん、あるはず。
『「なー、アイン」
(前略)ヤックの呼びかけにすぐには答えず、口の中の食べ物を全て飲みこみ、一口お茶を飲んでから返事をする。それはヤックのことなど気にとめていない、ゆっくりとしたペースだ。
「何? わたしは食事中にしゃべるなと教わったの」』
『ロボと少女』より抜粋
食事中の会話ということで、間を取らせるには「食事の動作を挟む」ことが最も自然な方法であろう。文章としては人鳥の技量の問題でそれほど間を感じないが、状況を想像してみると、やや長い間が生じていることになる。
ここでは呼ばれたアインが、ヤックのことを好ましく思っておらず、会話もしたくない――そんな感情を表す手法として、間を利用している。
『「貴方はいわば人類……いえ、世界最弱。でも――」
レミアさんはそこで言葉を切り、優しい、慈愛に満ちた笑みを見せた。
その笑みにぼくは救われたような気になった。きっと、ぼくに何らかの力添えをしてくれる。そう確信できる笑みだったからだ。
「――勇者さまなら、我々の希望の星である貴方なら、その程度の苦境なんてはねのけてしまいますよね?」』
『世界最弱の希望』より抜粋
ここでは「――」と、レミアのほほ笑みで間を表現した。間というにはささやかな時間だけれど、ここではそれほど長い間は必要ない。語り部が「救われた」と確信できる程度の間があれば十分である。
会話文の最後に「――」をつけ、次の発言の冒頭で「――」を用いて発言をつなげることで、「――」による間が生じる。動作と記号による間の取り方の、ほんの一例である。
『「忘れたなら忘れたままでいいですよ」
そう言って、志岐くんは視線を空に戻した。
西が少し赤みがかってきた空に、白い雲がひとつふたつ。上空に流れる風が、白い塊を流していく。視界の中をいくつかの雲が流れて行って、同じ姿を見せない。
「ゆく川の流れは絶えずして(以下略)」』
『よし!空を見よう。』より抜粋
今回は動作ではなく、風景による間。どれくらいの間が生じているのかは不明瞭だが、そのかわり、弛緩した雰囲気の間を作ることができる。間の雰囲気は描写する風景によって変わってくるため、状況に適した風景を描きたい。慣れてくれば、状況と風景のギャップを描くのも面白いだろう。
人鳥は間を表現する時はこれらのような方法で、間を演出する。ここまで紹介したのは会話の中に生じる間であるが、動作と動作の間に生じる間もあるだろう(自作で探したが見つからなかった)。
ぼくとしては、映画「TRICK」のような間を小説で出せればいいな、と考えているが、文章の傾向的に難しいだろうと思っている。小説版を読んでみれば良いのだろうか?
【間の取り方:プロ編】
『「動機? 動機だって? 実にくだらないな。(略)ちょっとした、ほんの《ずれ》のようなものだというのに――」
「…………」
××××さんはせせら笑いながら、続けた。
「――きみ達全員(略)」
西尾維新『クビキリサイクル』より抜粋
略した部分は、長過ぎたのとネタバレ回避。自作小説ならまだいいが、版権ミステリのネタバレとかできるわけがない。状況は、犯人と指名されそれを認め、動機を問われた時。犯人指名の場面の間を選ぼうと思ったら、間を作っていなかった。淡々とトリックを明かしていった。
ここでは沈黙を示す「…………」と、犯人の××××の動作で間を取っている。ここでは単に間をとるだけではなく、聞いている人物たちの絶句するしかない感情を表している。××××がせせら笑う場面で、犯人が全く悪びれていないことを表し、直接的な言葉を用いない心理描写がなされている点は、人鳥のそれにはないものである。
ただし、「…………」と動作で――と書いているが、実質、沈黙の「…………」のみしか間を作っている要素はない。せせら笑いは「ながら動作」であるから、次の告白と同時進 行である。
究極的には「…………」だけでも間を作ってしまえる、ということだ。
『「陸上部もいい雰囲気になったよ。去年の顧問はやたらスパルタで(略)――今年は先生ともみんな仲良しで、部活楽しー。」
「先生は飼いならされてるだけじゃないですか。」
吐き捨てるように言ってから、しまった、と思った。空気が不穏に震え、肌寒くなる。先輩は前を向いたまま、低い声で吐き捨てた。
「あんたの目、いつも鋭そうに光ってるのに、本当は何も見えてないんだね。(略)」』
綿矢りさ『蹴りたい背中』より抜粋。
空気が不穏に震え、肌寒くなる――という部分で、語り手の失言によって場の雰囲気が凍ったことがわかる。それは一瞬のことかもしれないし、あるいは、もっと長い時間かもしれないが、確実に空白の時間は存在しているだろう。「雰囲気が凍った」などというような直截的な表現を用いず、語り手の感覚で間を表現している。
『「俺と結婚を前提にしてつき合って下さいコノヤローッ!」
言って、マイクを舞台に叩きつけた!
(中略)
「ご……ごみんなさい!」
絞り出されたのは若干噛みながらの『ごめんなさい』。
――再度降りる沈黙。
それから――』
蝉川タカマル『青春ラリアット』より抜粋
朝礼をジャックして、全校生徒の前で告白をするというライトノベルならではの状況。先に紹介した『蹴りたい背中』とは対照的に、「再び降りる沈黙」という直接的な表現で間を作っている。まあ、こういう状況ならたいてい断られるだろうけれど。
さておき。
略してしまっているからわからないだろうが、マイクを叩きつけてから「ごみんなさい」までの間には、文章に疾走感がある。朝礼ジャックという馬鹿な状況と、マイクパフォーマンス、それから告白――それらによって生徒たちのテンションが上がり、冷静に状況を見ている語り手の語りすら、そのテンションに引っ張られてしまっている。そんな疾走感の中で、沈黙という間が生じることで、間の持つインパクトが大きいものとなる。
こうして見てみると、間の取り方には書き手の性格が出てくるのかもしれないな、と思う。性格、というよりも癖か。まさか全ての小説で同じ間の取り方をしてるわけではないだろうが、西尾維新なんかは例のような間の取り方を多用している。綿矢リサは正直、あんまり覚えていない。蝉川タカマルはこれがデビュー作で、おおむね、例に上げたような間の取り方をしている。人鳥の場合は、風景を挟むことは少数派で、ほとんど沈黙の「……」とか人物の動作で間を表現する。
「犯人は――あなただ!」
のような間の紹介はできなかったが(ミステリ小説は持っていたが、そういう台詞とか場面はなかった。『名探偵コナン』のノベライズでも読めばいいのだろうか)、いくつかのパターンが紹介できたので、今回はそれで良しとしようと思う。紹介したパターンを真似るのも良し、組み合わせるのも良し、アレンジして組み立てるのも良し、である。
間を強調したいのなら『青春ラリアット』のような間の取り方は効果的だろうし、雰囲気を出したいなら『蹴りたい背中』、次の言葉を待っているのなら『クビキリサイクル』のような間の取り方を参考にすれば良いのではないか。
間はかなり読者の感覚に訴えてくるものだから、なかなかどうして難しいですよね。