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行動描写を考える。

 例:『視野2メートルの想い』

   『ロボと少女』(二次創作の規約に配慮し、禁止作ではないが削除。現状再掲載の予定なし)

 登場人物たちの行動を表現し、場面に動きを与える大切な描写である。

 物語の伏線となる行動、日常の些細な行動、その場面に華を与える行動、無駄な行動――行動と一言で言っても、その幅は広い。

 

【描写の違い】

 一人称形式と三人称形式、形式による行動描写の違いはあるのだろうか。まずそこから考えて見ることにしよう。


 一人称形式


『「おっかっえっりー!」

 我が妹、夏鈴がご近所の迷惑も考えず、大きな声を張り上げて、階段を上り終えたばかりのぼくに横から飛び掛った。少し後ろにも傾いた。非常にでんじゃらす。

「あっぶねーだろ! 階段付近で飛びつくな!」

 脇腹に頬ずりをしている夏鈴を引き剥がし、自室に向かう。ベッドにダイブすると、まだ時雨の匂いが残っていた。甘い匂いだ。

「お兄ちゃんひどい!」

 当然のように夏鈴もついてくる。

                           『視野2メートルの想い』より


 三人称


『「ロボー」

 アインが体の後ろに何かを隠して近づいてくる。ロボはしゃがんでアインと同じ目線に立つ。

「これ、あげる」

 笑みを浮かべながらアインが差し出したのは、一輪の小さな薄紅色の花だった。何処かから摘んできたのだろう。ロボは黙ってそれを受け取って、アインの頭を撫でた。それが声を出すことの出来ないロボの愛情表現だった。』

                           『ロボと少女』より



 このような形になる。

 例に挙げたもので言うと、前者、一人称形式の方は、語り手の行動を描写した後、そこにいる人物のリアクションを書いている。また、その逆。

 三人称形式のも同様。ただしこちらは語り手は観測者なので、行動に関する推測も含まれている。


 ぼくの感じ方としては、一人称形式も三人称形式も描写に関する違いは少ない。もっとも大きな差異は、心理描写をどのように加えるか、ということだろう。

 一人称形式の場合、上記の例ならば『非常にでんじゃらす』の部分がそれに当たる。行動に対する語り手の感情を、そのまま描写することが可能である。

 三人称形式の場合、上記の例では、アインの行動に対しての語り手の推測がある。これは当然、一人称形式でも可能だ。ただ、最後の『それが声を出すことのできないロボの愛情表現だった』という文章は、一人称形式でやってしまうと、他人事のような印象を受ける。一人称形式で用いる場合には注意が必要だろう。 

 三人称形式で感情を描写したい場合、不可能ではない。難しいというわけでもない。が、一人称形式のような方法をとるよりも、語り手の観測という形をとったほうがよいだろう。

 三人称の中に一人称を加え、一時的な視点変更で感情を描写するのも当然、アリだ。アリなのだけれど、まずは三人称形式での描写に慣れてしまう方が先である。


 少し論点がずれてしまっているが、要するに、地の文での心理描写の際、一人称形式で描写をするか、三人称形式で描写をするか、視点を一時的に変更するか、ということである。



【描写する行動、しない行動】

 行動を描写するにしても、何でもかんでも描写するわけにはいかない。歩く描写なんて、基本的にはいらないし(それも状況によるが)、食事中、料理を口に運ぶ描写を逐一書いていたらそれだけで終わってしまう。これは極端な例ではあるが、描写する動作も取捨選択する必要があるということである。


 さて、歩く描写は状況次第で書く、と書いているが、どういう状況であろうか。

 読者にとってその状況(登場人物が歩いている状況)が明らかな場合、それは必要ないだろう。だから書くとしたら、何らかの理由で立ち止まり、再び歩き出した時・何らかの理由で歩調を速めた時(遅めた時)、などの場合だろう。もしくは延々と歩いているということを強調する場合か。

 食事に関しても同様。人鳥の場合、食事の場面では以下のようなことをしている。


・料理を口に運ぶ描写を入れ、その場面に「間」を持たせる


 この「間」というのは、想像すること自体は難しいことではないだろう。つまり会話が止まっている状態、もしくは話し手に対し、聞き手が何かを食べている状態である。このような「間」を作ることで、場面にリアリティが生じる。と考えている。

 「間」以外でも、食べ方によって人柄を表現できたり、その時の気分を表現することもできたりと、使い方さえ間違わなければ有益である。



 さらに行動描写では「伏線」を張ることも可能である。誰かからもらった道具を胸のポケットにしまい、それのおかげで命が助かった、なんていう演出を良く見かけるだろう。その演出の「道具を胸のポケットにしまう」という部分が、行動描写によって作り出された伏線である。

 行動描写による伏線は、あからさますぎない限り――つまり、自然に書いている限り――読者には気付かれづらい。というのも、この例の場合、胸のポケットに道具をしまうこと自体に不自然さは全く生じない(しまった道具にもよるが)から、そこに意識がいかないのである。


 日常の些細なところに伏線を張ることを推奨する言葉として、「伏線は冗談の中に隠せ」というものがある。誰の言葉でどこで知った言葉なのか、もはや忘れてしまったのだが、つまりそういうことである。

 読者に気付かれたくない伏線は、些細なところに仕込ませておくのが常套であるということだ。「木を隠すなら森の中」というやつである。




 少しばかり物足りないというか、説明不足と言うか、そういう感は否めない。書いていてそう思う。むしろ行動描写についてあまり考えていないような記事なっている気さえする。

 そう思ってしまった方、『一人称形式について考える。』『三人称形式について考える。』でも、扱っているので……扱ってなかったか。

 ここのところ詳しく、ということがありましたら一報を。

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