魅力を考える。
例:人鳥
小説には魅力が必要不可欠です。しかし、魅力と一口で言っても、意識的にそれを導入するのは難しい。どのような物語、キャラクタにするにしても、その魅力を引き出すことは容易なことではないし、魅力を魅力として見てもらうにも苦労する。
というのは、誰でもわかっていることだろう。だから、ここでいう魅力とは、そういう意味ではないのだ。今回のここに書かれている魅力とは、書き手自身についてである。
【書き手】
今までは小説を中心に語ってきた。しかしながら今回は、書き手自身のことである。作品の魅力を引き出すのも壊すのも、全ては書き手のさじ加減一つ。であるのにも関わらず、ぼくが今までネットをうろうろして見てきた小説を書くことに関する記事の中で、それについて触れているものはなかったように思う。
・文章作法(句読点、段落など)
・ウケるキャラクタ像、物語
・控えるべき表現(難読漢字の利用や、ルビ・比喩の濫用など)
という項目は、大抵どのようなサイトにも記されている。
たしかに大切なのだ。けれども、書き手が自分自身の個性を完全に殺して全ての小説を書くことができるならいざ知らず、明確な「個」がある自身について考えないのはいかがだろう。
今回は少し、そこについて考える機会を。
【魅力に気付く】
知るよりも考えるよりも、まずは気付くことが肝要だ。気付かなければ知ることはできないし、知らなければ考えることができない。
自分の書き手としての魅力を知るのは、なかなか難しいものだ。
気付く手段として、
・自分で気付く
・そこが魅力となるように意識して書く
・読者に指摘される
の三種がある。二番目の項目は、気付くというよりも自分で故意に魅力を作っているわけだから、もしかしたらここに書くべきではないのかもしれないが……。
上記の三つのうち、もっともきっかけとなりやすいのは、「読者に指摘されること」である。
『一人称を書きなれていらっしゃるだけあって、読みやすさがハンパないですね! 表現、テンポ、描写などのバランスや安定感が素晴らしいです。』
『世界最弱の希望』より
『それぞれの人物の、心の傷による“異質さ”が一人称主観ながら上手く描かれていると思いました。××××の“異質さ”を××××が勘違いしていた(見抜けなかった)ことも含めて、です。』
『視野2メートルの想い』より(××××は人物名)
などという感想をいただけば、「ああ、自分は一人称形式での文章に魅力があるのだ」と気づくことができる。ぼくへの感想としては、一人称形式の書き方に関して好評を得ることが多い。それはつまり、読者の視点として、人鳥の魅力はそこにあるということだ。
とまあ、こういう好評ばかり並べても仕方ないので、批評も載せておこう。
『全体的に、情景描写が薄い感じです。』
『君が見せた笑顔(略)』より
『描写が欲しかったです。』
『スクランブルワールド』より
などという感想をいただけば、「ちゃんと背景を書かなければ」と気づくことができるわけです。ぼくは再三にわたってこのような指摘を受けているので、活かしきれていないのでしょうが。今連載してるやつは頑張っているので……少しずつ……。
閑話休題。
このような形で、読者の感想は非常に豊富で重要な情報を提供してくれる。
自分では気づきにくい魅力は、感想に書き込まれた言葉から読みとるようにしよう。
【魅力を知る】
いかなる方法であれ、自らの魅力に気付くことができたなら、それについて自覚する(知る)必要があるだろう。
とりあえず、今回は人鳥に寄せられた感想、つまり人鳥の魅力で考えていこう。
人鳥に寄せられた感想から読み取れる魅力は、「一人称形式の描写」である。特に、主人公の一人語りということで、心理描写に良い評価をいただいている。
むしろ、人鳥の小説群から心理描写を抜くと、それはそれは大変なことになる。
さて、その一人称形式、人鳥はかなり多用している。処女作『ロボと少女』は三人称であるが、二作目の『星降る森』を皮切りに『スクランブルワールド』や『境界散歩』『薄桃色の空』など、一人称形式を連発している。三人称で書かれたものなんて、二作だけだ(お題小説集除く)。
どうしてそんなに一人称形式を書くのかというと、まず第一に「慣れている」からだ。小説を書き始めると、自然と一人称形式になるのである。
第二に「書きやすい」からだ。ぼくという人間は、地の文に人の考えを書かないとなんとなくムズムズする性質なので、この型が自身にあっている。
最初からその心理描写に対して好評が得られればいいな、とは思っていたのだが、それはたらればの話で、それを自分の魅力だとは思っていなかった。
とはいえ、やはりまだまだなので精進しなければなるまい。
【魅力を考える】
自身の魅力なんて、それは人それぞれだ。
・心理描写
・情景描写
・比喩表現
・キャラクタ
・人間関係
・ストーリー性
などなど、挙げればきりがない。それに一見魅力のように思わなくても、それが魅力になりえることだってある。比喩などをあまり使わず、単調な文章だけで書かれたものであったとしても、そこに相応のスキルさえあれば魅力となりうる。
これはそれぞれの小説一つについてではなく、全ての小説にそれが現れる。というのも、魅力というのは書き手が持っている良い癖だからだ。
前述の人鳥のように、どれか一つの小説だけにおいて一人称形式の心理描写を褒められるのではなく、他の一人称形式の小説で、同様の評価を得る。これが書き手自身の魅力だ。
プロ小説家の小説を読んだ時、文章の書き方・物語の運び方などで、「ああ、やっぱりこの人はこうだよな」とか「見たことある文章だと思ったら、この人だったか」などと思った経験があると思う。そう思うということは、その作家の癖を知っているということだ。さらに、それで納得できるということは、それを魅力と感じているということである。
これ嫌だなぁ、と思っている場合、それでその書き手だと納得することは少ない……とも言い切れないか。
ともあれ、書き手にも癖がある、ということだ。
癖、というものは体に染みついた習性のようなもので、そうなってしまえば、あとは無意識の行動となる。
人鳥が無意識のうちに一人称小説を書いているように。
前述の文章で思い当った作家がそうであるように。
要は、魅力的だと言ってくれたこと、気付いたことを繰り返し、体に染みつけてしまえということだ。
問題なのは「飽きられないか」ということだが、本当に魅力だと思ってくれているなら、まず心配はないだろう。短期間に大量に読むというのなら、少し心配にもなるが。毎日三食、同じものを食べるのとは違うのである。毎日長時間、終わりのないゲームをするのとも違うのである。
小説には、流れがあって、起伏もあり、終わりだって存在するのだから。
今まで、この最後のまとめのような部分に「武器になる」というような記述を何度かしたと思う。今までの武器は、一般に市販されている武器だとしたら、この武器はオーダーメイドの武器である。量産されない武器だ。
書き手を明かしていない状態で「あ、○○さんでしょ」と気づいてもらうことのできる、自己証明のような武器である。その武器を入手しているか否かでは、雲泥の差がある。