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 白い吐息が、夜空へ消えていく。

 電車の暖房によって少し汗ばんだ体も、冬の夜風で冷え切っていた。

 今日一日蓄積された疲労は、弱く小さな僕の背中に圧し掛かる。ノミのような心臓が、ようやく通常の大きさを取り戻した。

 今夜は聖なる夜だというのに、心は少しも踊らなかった。労働からの帰り、深夜の町に繰り出す体力と気力は残されているはずが無かった。携帯を開き、千華さんに深夜の散歩を行かない旨を知らせる。

 僕らの町も、電飾が煌々と照らし、僕に見せる表情も変わっていた。

 冬空の下、我が家にたどり着くまでの道のりは長く、足取りは重たいものだった。


 師走もあっという間に過ぎ去り、新年を迎えた。さらに、年が明けて三日が経った。

 家族との初詣は、正月に済ませ、二回目の初詣にいつもの三人でやってきた。 

 参拝するための列に並ぶ。三日も経っていると、参拝客も少なく、すぐに僕たちの番になった。

 小銭を賽銭箱に投げ入れ、手を合わせ目を瞑る。神のお告げは、聞こえるはずもなく、頭の中では僕の心の声しか響かなかった。しかし、両隣で両手を合わせている二人の存在だけで、僕は満たされた。

「千華さんは、何の願い事したんですか?」

「ん~、ひみつ」

 千華さんは、生粋の秘密主義者だった。それが、また彼女の魅力を引き立たせていた。

「みんなでお御籤引こうよ」 

 僕は、木の箱に入っている数多くある紙の中で一枚を引く。

「和樹君は何吉だった?」

「大吉でした」 

 神の御心に感謝する。

「良かったね!私は中吉」

 笑顔な彼女は、お御籤を開いて僕に見せて来た。その無邪気さに、また心を奪われてしまう。 

 自分が引いたお御籤に目を落とす。

 そこには、『願い事 時間がかかるが次第に叶う。待ち人来たらず。近くに縁あり。焦っては損をする。頑張れば吉あり。勝つ、人に頼むが吉』と書かれていた。

 今年は良い一年になる。根拠のない直感が、そう告げていた。

「榊さんは何吉ですか?」

「僕は吉だったよ」

「榊さんらしい」

「それどういう意味?千華ちゃんは何吉だったの?」

「中吉です。和樹君は、大吉」

「おーすごい。流石だね、和樹君」

 千華さんと榊さんに祝福され、気分がいい。

「榊さん、このお御籤結びに行きましょう」

 二人が、笑い合いながら枝に自分たちのお御籤を結び付けていた。

 初詣の帰り、太陽は高い位置に来ていた。

 僕たちは、どのように見えるだろうか、一人の父親と少し年の離れた二人の姉弟に見えるだろうか。そうであって欲しいと願いながら、千華さんと榊さんの後を追う。


 こたつに入り、アイスを享受する。

 眠たいから眠る。それが、自然の摂理である。

 煙たい部屋に、夕日が差し込む。紅に金を混ぜた強烈な色が視界を支配した。

 千華さんの声で、微睡みの世界から戻ってきた。

「和樹君は単位大丈夫なの?」

「単位って単語知っているんですか?」

「一応、美大でてるからね」

「え?見えない」

 人を殺る眼だ。躊躇がない。

「冗談ですよ。冗談」

 千華さんは、振り上げていた拳を降ろした。

「その冗談次は無いかもよ」

 ニコリと笑う彼女に、少し背筋が凍りそうだった。

「冗談きついですよ」

 妙に喉が渇いた僕は、千華さんが入れてくれたお茶を流し込む。

「榊さんの誕生日プレゼントどうする?」

 その難問に千華さんと挑んだが、二人とも答えには辿りつけなかった。

「私たち、榊さんの事何も知らないかもね。誕生日プレゼントすら何あげていいか分からない」

 寂しすぎる彼女の言葉が、真実だった。


 小綺麗なマンションの榊さんの家に入る。

「この家に来客が来るなんて久しぶりだよ」

 榊さんは、嬉しそうだった。

 窓の外は、見渡す限りの海が広がっていた。

「綺麗な景色ですね」

「この景色を毎朝見ながら朝食とか憧れる」

 彼方に国生みの島が見える。その先には、阿波の国の影があった。この海の先には、どんな場所があるのだろうか。穏やかな海に、少しばかり想いを馳せる。

 少し歳が異なる三人の友人による楽しい時間が、淀みなく流れていった。三人でゲームをして、食べて飲んで語り明かした。

 いつの間にか、空高く輝いていた太陽は落ち、真夜中の主役である月と星々がこの世界を照らしていた。


 食卓の上に、空き缶が数本転がっていた。

「おはよー」

 一足遅くお姉さんが起きてきた。乱れた前髪を掻き揚げながら、キッチンへと向かう。

 慣れた手つきで、冷蔵庫を開け、我が家のように麦茶が入った容器を取り出していた。

「榊さん、お茶貰いますね」

「うん。いいよ」

 何年も友人をやっているかのような二人の会話は、不思議と違和感を感じなかった。

 窓の外に目を向ける。朝日を鏡のように反射する海面の美しさに目を奪われる。

 優雅な朝の一時が流れていた。


 二日酔いの僕たちの朝食を買いに行ってくれた榊さんの帰りを待っていると、インターホンが鳴った。

 千華さんが玄関まで行って、扉を開く。

「あんた誰?」

「あなたこそ誰ですか?」

 千華さんともう一人聞いたことのない女性の声が、僕の下まで聞こえてきた。ただならぬ雰囲気に、首だけを玄関の方に向ける。

 女性と千華さんの間には、緊迫した空気が流れていた。

 次に口を開いたのは、千華さんの方だった。

「もしかして、榊さんの前の奥さんですか?」

 女性の顔が、ますます引きつっていく。

「それならあなたは、利伸さんの新しい女?」

「違います」

 千華さんはきっぱり言い切ったが、どうやら相手には聞こえていなかったらしい。

「他人になった利伸さんのことについてどうこう言うつもりなかったけど、あの人最低ね」

 冷え切った発言に、その場が凍った。

「そんな言い方ないですよ」

 更に場が凍った。

「私とあの人の間のことです。あんたには関係のないこと」

「離婚したあなたこそ榊さんとは赤の他人ですよね。私の大切な友人を悪く言うのはやめてください」

 涼しげな両者の表情とは異なり、その口調はあまりに好戦的だった。

 再び玄関のドアが開く音がした。

「正美...」

 買い物袋を持って帰ってきた張本人に、その場にいた全員の視線が向く。

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