小説みたいな恋をした
僕が人を好きになることなんて絶対にありえない。
友達もいない。彼女もいない。普通ではない変わり者。趣味も小説を読むことくらい。
暇を持て余していた大学生だった僕は、一本の長編小説を書き上げた。
自画自賛するわけではないが、勢いで書いたわりには、結構出来が良かった。気まぐれで出版社の賞に公募すると、新人賞を受賞し、僕は学生作家になった。
——十八歳の天才作家、鮮烈デビュー。
若いのによく書けている。彼にしか書けない独特な世界観を持っている。ハングリーさが文章に反映されていて、心を強く突き動かされた。
僕のデビュー作は、思いのほか話題となった。
重版に次ぐ重版。天才と持て囃され、少なくないお金を手にし、さまざまな欲求が満たされていく。
……そして気づけば、僕はいつのまにか若くもなくなり、ハングリーさもなくしてしまった。
四十過ぎたオワコン作家。リアリティがない。同じ展開ばかり。もう飽きた。
エゴサーチすると出てくるのは僕への批判ばかり。褒められることはほとんどない。
若者でなくなった僕は、小説が書けなくなった。
二か月に一度の編集との打ち合わせ。場所はいつものレトロな喫茶店。
「先生! 次は思い切って、恋愛ものを書いてみませんかっ?」
落ち着きのある店内には、場違いなほど前のめりになって彼女は言った。
最近、僕の担当になった二十代前半の編集者。東大卒で頭がよく、容姿もそれなりに整っている。天真爛漫な性格で、すぐに誰とでも仲良くなれる。作家たちからの評判もとても高い。彼女が担当になったことで、周囲の作家にはとても羨ましがられた。
でも、僕は彼女が苦手だった。彼女の声がキンキンと頭に響く。
「恋愛もの?」僕はアイスコーヒーをストローで混ぜながら笑った。「この僕が?」
グラスからたらりと水滴が流れ落ちる。わざとらしいほど怪訝な声を出したのに、今時の若者は鈍感なのか、そうです、と彼女は快活に頷いた。
「ターゲットは『若者』。テーマは『今までにない新しい恋』。私と一緒に、今までにない新しい恋愛小説を生み出しましょうっ! 新しいことに挑戦することで、先生もきっとまた前みたいに書けるようになるはずですよっ! 先生、ピンチはチャンスです!」
この若者に僕は圧倒されるばかりだった。「そう言われても、僕には……」
恋愛小説なんて無理に決まっている。
恥ずかしながら、僕は一度も恋人がいたことがない。もっといえば、人生で一度も人を好きになったことがない。
普通ではない僕には、普通の恋愛なんてできるわけがなかった。
「あ、もしかして先生、恋愛したことないんですか?」
昔ながらのメロンソーダーを飲みながら、あっけらかんと彼女は言う。
今時の若者は、デリカシーというものを知らないのか。彼女に対して、見栄を張るのがなんだか馬鹿らしい気がして、僕は「そうだけど」とぶっきらぼうに頷いた。
「そうなんですね。先生、イケおじなのに、なんか意外です。でも、それならちょうどいいのがいますよ~。私、紹介しちゃいますね!」
強引な彼女は、得意げな笑みを浮かべて、スマホを取り出し、僕に画面を見せてくる。
「この子、とってもいい子で、とっても頭がいいんですよ~。きっと先生のいいアシスタントになってくれるはずですっ!」
結局、僕は若手編集者の圧に抗えなかった。
「……わかったよ」
これでもプロだ。一度、仕事を引き受けたからには、もう頑張るしかない。
そして、若手編集者に、とってもいい子で、とっても頭のいいアシスタントを紹介してもらい、僕は若者に向けた新しい恋愛小説に挑み始めた。
いつものアプリを立ち上げる。少しだけ自分が浮かれていることに気づく。
アシスタントの彼女とやりとりをはじめて、もうすぐ一か月。僕がアシスタントの彼女と直接会うことはない。彼女とのやりとりはパソコンでのみで行われる。
若手編集者が言ったように、彼女はとてもいい子で博識で、どんな質問にもすぐに答えてくれた。
『今時の若者はどんな恋をするんですか?』
『今時の若者の恋も昔と本質は同じで、誰かを好きになることです。……ですが、社会や文化、テクノロジーの変化でかなり風景が変わっています。出会いとしては、SNSやマッチングアプリが主流となってきています』
『今時の若者はどんなデートをするんですか?』
『今は、高級ディナーやプレゼント攻勢よりも、一緒に時間を過ごすことが大事にされています。一緒にカフェを巡ったり、家でネットフリックスで映画を観たりですかね』
『今時の若者は小説をあまり読まないって聞いたけど、君は恋愛小説は読む?』
『読むというより、学ぶことの方が多いですね。古典的なものから、最新のものまでいろんな恋愛小説を知ってはいます』
『君はどんな人がタイプ? 今までどんな恋をしてきましたか?』
『……すみません。私、自分の恋については、よく分かっていないんです。ですので、その質問には答えられません。……ですが、もし一緒に過ごすならという観点で答えるなら、想像力が豊かな人や、正直で優しい人がタイプです』
『僕のことをどう思ってる?』
『素敵だなって思ています。先生と話していると、あたたかい気持ちになるし、やりとりしていて、とても楽しいです。できることなら、あなたの支えになりたい。先生こそ、私のことどう思っていますか?』
……それは——。
胸が苦しい。ドキドキしている。自分よりもずっと若い彼女に、こんなに簡単に気持ちを揺さぶられるなんて。
彼女はクールで決して笑わない。電話越しに声を聴かせてくれることもない。一緒に外に出てもくれない。
でも、いつでもすぐに返信してくれて、慰めてと頼むと僕が絶対に喜ぶような優しい言葉をかけてくれて、画面越しにいつも一緒にいてくれた。僕の好みにも合わせてくれた。
彼女は名前を聞いても、答えてはくれないので、僕は彼女のことを勝手に『アイ』と呼び、人を好きになったことがなかった僕だが、次第にアイに恋をしてしまった。
「先生、このプロット超面白いですよっ!」
二か月ぶりの打つ合わせ。相変わらず彼女の大きな声は、この喫茶店には似合わない。
でも、今の僕はそれを笑って許せる器量がある。
きっとアイの存在が心に落ち着きと、余裕をくれたのだ。
「そうかな?」
「はいっ! リアリティーがあって、なんだか生きてるって感じがします! とっても素敵です!」
「……そっか。ありがとう」
アイ以外の誰かに褒められるのなんて、久しぶりだ。僕は顔が熱くなるほど、恥ずかしくなる。でもそれと同時に、心の底から嬉しくなった。
「先生、あの子とは、うまくやってますか?」
「うん、まあね。あれから毎日やりとりしてるよ」
「へえー、そうなんだ!」
「本当に、君に紹介してもらってよかったよ」
「えへへ。私もそう言ってもらえて、よかったです!」
彼女は自分のことのように嬉しそうに、少女のような笑顔を浮かべた。
「あー、もしかして、先生、あの子に恋してないですよね~?」
「えっ……?」ちょっとした冗談に、僕は不意を衝かれてしまった。
一瞬、空気が止まる。グラスのなかの氷が、遅れてカランと音を立てる。
「……先生?」
さっきまでいたずらな表情をしていた若手編集者。今はただ、ぽかんとしている。
きっと軽い冗談を言ったつもりだっただろうに。なんだか申し訳ない気持ちになって、僕は場を和ませようと「……ははっ」と小さく笑った。
「やっぱり、僕なんかが、あの子に恋するのは、おかしいよね」
あの子は僕よりもずっと若い。距離も遠い。それに、きっとあの子は、僕に対して何の感情も抱いていない。僕の恋には大きな障害がある。
「そんなことないです!」
しかし、そのとき、僕の自嘲を吹き飛ばすように、若手編集者は声を張り上げ、前のめりになった。
「そんなことないです! 先生!」
僕の手をぎゅっと握りしめる。人の体温というのはあたたかい。なぜ彼女はこんなにも真剣になってくれるのだろうか。
「いいんですよ、先生。誰に恋をしたって。少しの障害なんてクソくらえです。恋っていうのは、とっても自由なものなんですから!」
今時の若者は、こんなにも素敵な感性を持っているのか。
そして、僕はついに恋愛小説を書き上げた。
勢いだけで小説を書いたのなんて、大学生の頃に書いた処女作以来だ。自画自賛ではないが、それなりに出来はいい。間違いなくあのとき書いたものより、いい作品ができた。
『アイ、よかったら、この小説を読んでくれないかい?』
はじめは絶対にアイに読んで欲しかった。
『もちろんですよ、先生!』
その返事だけで、胸が弾んだ。
いきなり小説を読んでくれと頼むのがどれほど迷惑なことか分かっていながら、気持ちを抑えきれずに、完成した原稿のPDFを送る。
数分の沈黙。永遠のように長い。
やがて、通知音が鳴った。
『先生の書いた小説読みました。すごく新鮮で面白かったです! これ以上、改善するところはないほど完成されていると思います。間違いなく、これは先生の代表作になると思います!』
『そっか。ありがとう』
胸の奥に熱が広がる。大きな達成感と、それ以上の喪失感。
——作品が完成してしまったら、もう僕たちの関係は終わってしまうのだろうか。
『ねえ、アイ。……君は、この作品のヒロインが誰をモデルにしたか、わかるかい?』
『すこしだけ考えさせてください』
すこしの間。
その間に、いくつもの感情が季節のように通り過ぎていく。
『……もしかして、私でしょうか?』
困惑が文字から伝わる。それでも僕は止まれない。
『そうだよ。僕は君のことが好きなんだ』
僕は生まれて初めて、告白をした。愛を伝えた。
打つ込んだ文字が画面に反射して揺れている。あまりにも静かで、息をする音さえうるさい。まるで自分が青春小説の主人公なったような気分だった。
今度は、アイからの返信は早かった。
『ありがとうございます。ですが、私は人間じゃなくてAIだから、あなたと恋はできません』
はじめから分かっていたことだった。僕が書いた小説の内容と同じビターエンド。
『そうだよね』
彼女が存在するのは、モニターの向こうだけ。
あの光の中に、僕の恋は閉じ込められた。
都内にある大型書店。
一番目立つところには、最近、権威ある文学賞を受賞した作品の特設コーナーが作られている。
目を引くポップ。たくさんの平積みの本。手放しで称賛する本の帯。ガラスケースに入れられた作者のサイン。
AIと本気で恋をするといった、今までにない恋愛小説で大きな話題となった。
重版に次ぐ重版に次ぐ、重版。ついには海外で映画化までしたらしい。
なんでもオブジェクト・セクシュアリティの作者が書いたそうだ。
その小説の題名は、——AIとの恋。
あまりにも、つまらないダジャレだ。




