第9話:緊張と尿意の蜜月
その日の夜、会社からまっすぐ帰宅した僕は、新能力の生成に着手しようとしていた。HLVが0.5に上がったし、しょうもない能力からは卒業できるかもしれないと思うとワクワクしてきた。
やっぱり、3日後に迫った相川さんとの初エンカウント時に役立つ能力がほしいよな。例えば、『好感度メーター・アイ』!これがあれば、相手の気持ちが手に取るようにわかるはず。僕は早速DCTを起動し、魔法使い風のじいさんにリクエストしてみた。
「じいさん、相手の好感度が見える能力を生成しようと思うんだ!」
「フォッフォッフォ、まだ無理じゃな。キミのHLVでは、人の内面を見透かすような能力は生成できん」
「クッ、尿意とか盛り度なら見透かせるのに、内面はもっとレベルが必要なのか……じゃあ、会話が絶対に盛り上がる『トークマスター』とかは!?」
「それも無理じゃ。会話は、お互いの知識と経験、そして思いやりから生まれるもの。能力でどうこうするなど邪道じゃろ。一時的に能力で会話が盛り上がったとて、その後はどうする?それで本当に相手と分かり合えるとでも思っておるのか?」
(こいつっ!たまに正論言うから余計に腹立つな……)
どうやら、HLV0.5では、相変わらずしょうもない能力しか生成できないらしい。無念。だが、諦めるわけにはいかない。僕は思考を切り替えた。
(そうだ、相手をどうこうするんじゃなくて、まずは自分だ。僕自身の問題を解決する能力ならどうだ?)
僕の重大な弱点。それは、極度の緊張しいであること。特に、相川さんのような素敵な女性を前にしたら、まともに話せる自信はまったくない。緊張するとトイレも近くなるし不安だ。そう考えると、緊張と尿意は蜜月関係にあるといっていい。そういう僕のパーソナルな部分も反映して、僕の手持ち能力にはションベン関係の能力が多いのかもしれない。それにしてもなんだションベン関係の能力って、自分で言ってて空しくなってきたわ。
気を取り直して、僕は1つの結論に達した。
「よし、次の能力は、僕自身の『緊張』をどうにかする能力だ!」
【能力名『感情吸引』:感情を吸引し、強制的に冷静な状態を作り出す能力……必要HLV: 0.5、獲得条件:50LEP消費、1回発動毎に10LEP消費】
「これだ!」
僕は迷わずYESボタンを押した。その瞬間に50LEPが消費され、代償として脇汗が滝のように流れ出て10分間止まらなくなった。
……けったくそわるい!Tシャツはびしょ濡れだ。自宅だったのせめてもの救いだ。すぐにシャワーを浴びないと。
しかし、僕はついに手に入れたのだ。今回のはションベンシリーズとかとは違って、真正面から役に立つ能力なのでは?特に、緊張が極度に高まる大舞台であるほど活躍する能力に違いない!
僕は、この素晴らしい能力を手に入れたことを、誰かに自慢したくてたまらなくなった。今のところ、能力の話をできるのはただひとり、僕はタケトにメッセージを送った。
「驚くなかれ、すごい能力を生成したんだ。『緊張を吸い取る能力』! これで、どんな大舞台でも最高のパフォーマンスが約束される!」
数分後、タケトから返信が返って来た。
「それって、ただのメンタルコントロールっすよね?何も別に能力にしなくても、普通にメントレとかして克服すればいいような……」
「…………」
これだから勝ち組のぼっちゃんはよおおおおっ!
緊張で大失敗したことなんて一度もないんだろうな。大抵のことがうまくできちゃうから、何でも克服できるとか思っちゃうんだな、そんで大抵は実際できちゃうんだろ?ふんっ。
僕は、ぐうの音も出なかったがなんか悔しいので、手持ちの中で最も奇妙なスタンプ――「虚空を見つめるオカマのケンタウロス」――をタケトに送り付けてやった。
すると、意味不明な行動を取るおっさんに恐怖を覚えたのか、すぐに気を使ってる感じのメッセージが送られてきた。
「いや、でも、さらに能力追加できるって、それ自体がとんでもなく特別な特性みたいっすよ!バニーちゃんに確認しましたけど、普通はそんなにたくさん能力を同時に持てないらしいっす!さすがっすね、ミキオさん!」
(…………え~?そうなのお? エへへへへへ)
タケトからの意外な情報に、僕のご機嫌メーターは一瞬でV字回復した。Living Noobな僕の人生において、特別な人間のように扱われることなんてほとんどなかったからな。これは素直に嬉しい。
つまり僕は、一つ一つの能力はしょうもないけど、同時にたくさんの能力を保持できる特性があるということか。いわゆる「器用貧乏」タイプのプレイヤーなのか、そうやって考えるとちょっと嫌な感じがしてきたな。
ゲームの世界では、バランス型よりも特化型の方が活躍できるケースが多いのが一般的だしな。それに全部しょうもない能力だからバランス型でもなく、なんなら器用でもなくただの貧乏なのでは……?
まあいい。とにかく、新しい能力を早速テストしてみたい。そのためには、まず緊張する状況を意図的に作らないとな。さて、どうやってテスト環境(緊張するシチュエーション)を用意しようか……?僕は、部屋の中を見渡しながら、いくつか方法を考えた。
・プランA:やったこともないのに、いきなりYouTubeの生配信でゲーム実況をしてみる。タイトルは「【初見歓迎】おっさん、人生初のゲーム実況に挑戦【神プレイ見せます】」。誰も来ない可能性が高いが、もし誰か一人でも来たら、緊張で即座に凍りついてしまいそうだ。
・プランB:空き缶を、天井に届くほどの高さまで縦に積んでいく。そしてその頂上に、僕のフィギュアのコレクションの中で最も高価な、限定生産のゲームキャラクターフィギュアを、そっと置こうと試みる。フィギュアが落ちれば、その繊細な造形は床に叩きつけられ、木っ端微塵になるだろう。
……プランBだな。プランAは、機材の準備もすぐにはできなそうだし、黒歴史になって後を引く可能性がある。対してプランBなら今すぐできるし、純粋な手の震え、つまり物理的な緊張をテストするには最適だ。
早速、なかなかゴミに出せずに溜まってるハイボールの空き缶を大量に取り出してくる。 そして、部屋の中央で、一本ずつ、慎重に、息を殺しながら積み上げていく。空き缶タワーは僕の身長を超え、グラグラと、まるでこの世界の理不尽さを体現するかのように、不安定に揺れていた。
そして、僕はガラスケースに飾ってある宝物を取り出した。限定物のゲームキャラのフィギュアで、オークションに出せばかなりの値が付くものだが、どれだけお金に困ってもこれだけは絶対に手放さなかった虎の子中の虎の子だ。
僕は、そのフィギュアを手に、空き缶タワーの前に立った。コントローラーを握るのとは訳が違う。手が緊張で小刻みに震えている。心臓がまるで戦いを告げるドラムのように、ドクドクと激しく高鳴り始めた。 よし、これはバッチリのテスト環境だぞ。
フィギュアをタワーの頂上に掲げ、そっと置こうとする、その瞬間。
『感情吸引!』
10LEPが消費され、代償として鼻から鼻水がダラダラと流れ出て来た。だが、効果は絶大だった。あれほど激しく波打っていた僕の心は、まるで風のない湖面のように、すっと静まり返った。フィギュアを持つ手の震えは完全に止まり、心臓の音も、まるで遠くの出来事のように他人事に感じられた。
僕は極めて冷静に、まるで精密機器工場のロボットアームのような無感情な動きで、フィギュアを缶のタワーの頂上に置いた。グラリと一度だけタワーがわずかに揺れた。しかし、僕の手は微動だにしない。そしてフィギュアを完璧なバランスで立たせることに成功した。
ミッションコンプリート!
僕は、それをただ無表情で見つめていた。成功したことへの安堵も、フィギュアを壊さずに済んだ喜びも、スリルを乗り越えた達成感も、何も感じなかった。僕は、そっとタワーに手を伸ばすと、先ほどとは比べ物にならないほどの速さで、しかし同じように無感情な手つきでフィギュアを回収し、缶を一本ずつ解体し始めた。
ひとつわかったことがある。感情吸引は緊張どころか感情を根こそぎ吸引し、一時的に心が無になるという副作用がある。
ひとりの時なら問題ないけど、他の人といる時は注意が必要かもな。一緒にいる人間がいきなり無の状態になったら怖がられるもんな。
相川さんとの約束の日まで、あと3日……。
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