第7話:しょうもなきデュエル
電車のドアが開くと同時に、僕は人波をかき分けるようにホームに降り立った。僕を追って武藤武人もホームに降りてくる。
僕たちの間には、ピリピリとした緊張感が漂っていた。いや、漂っていると僕が勝手に思っていただけで、よく見ると彼は微かに笑みを浮かべていた。
(余裕かましやがって。しかもモテそうな顔しやがって、腹立つなこのハンサム野郎め)
対する僕の方は、心臓のバクンバクンという音が周りに聞こえるんじゃないかと思えるくらいドキドキしていた。
プレイヤー同士のバトルってどんな事をするんだろう?もし普通に殴り合いとかだったらどうしよう。僕は子供の頃以外で殴り合いのケンカなど一度もしたことがない。剣道の真似事ならタマキに無理やりしごかれて少しだけ覚えがあるが、今は竹刀などないし、たとえあったとしても暴力沙汰なんて社会人としてはとんでもない。下手したら人生ゲームオーバーになる。
「DCTのプレイヤーでしょ?デュエルしようよ!」
(あ、デュエルっていうの?もしかしてカードバトルで戦うのかな?カード持ってないけど)
軽いノリで話しかけてくるタケトに、僕はできるだけクールに低音ボイスを意識して返す。
「で、どうやって戦うんだい? タケトウタケトくん」
まずは、名前を知っていることでマウントを取る作戦だ。
「エッ!? なんで俺の名前を……!」
タケトは目に見えて動揺している様子。よし、効果は抜群だ。どうやら彼は、「尿意メーター・アイ」のような、相手の個人情報を表示する索敵系の能力は持っていないらしい。
(フッ、まだまだ青いな、若者よ。僕もめっちゃ初心者だけど)
「アー、でもとりあえずここは人目につくんで、場所かえようか。南口の近くに空き地があるから、ついて来てよ」
人目に付きたくないのは僕も同じなので場所を変えるのは賛成だが、どうやらタケトはこの辺の地理に詳しいらしいな。
(そうだった、元々降りようとしていた駅だったな。まさか罠では?大勢に待ち伏せされてたらどうしよう?どんどん不安になってくる……)
***
雑草の生い茂る空き地で、僕たちは対峙している。不良漫画なら、タイマンが始まりそうなシチュエーションだ。
(本当にどうなるんだろう……緊張で尿意が増して来たな。そういえばさっき、ションベン・トランスファーをくらったままだったか。鋼鉄の膀胱でほんと助かった……)
「じゃあそろそろ、やりますか」
「あ、ちょっと待った! その前にそこの公衆トイレで用を足してきていいか?」
「ヘッ?……ハハ、ああ、どうぞ」
(すんなり行かせてくれた。なかなかの紳士じゃないか。見た感じ、育ちは良さそうだもんな)
尿意メーターを0%にしてスッキリして戻ってくると、タケトが僕に言う。
「ちゃんと手、洗ったよね?」
(失敬な!)
と、言葉を発しようとした瞬間、タケトは殴りかかってくるかのような鋭い踏み込みで、一瞬にして僕との距離を詰めた。
「うおっ!」
僕は思わず身構える。しかし、彼が繰り出してきたのは拳ではなく、僕の右腕を軽く掴むだけの、あまりにも優しいタッチだった。
「まずは小手調べっと」
タケトがニヤリと笑ったその瞬間。僕の右腕に、まるで鉛でも詰め込まれたかのような、強烈なだるさが広がった。
「なんだ、これ……! 腕が……重い……!」
「俺の能力『コンディション・ハック』は、触れた部位のパフォーマンスを50%強制的にダウンさせる。その腕、しばらくはまともに上がらないよ?」
タケトは追撃の手を緩めない。僕の懐に潜り込むと、今度は僕の腹に軽くタッチした。途端に、腹の底から冷たいものがせり上がってくるような、不快な痛みが走る。
「ぐっ……!」
うずくまる僕を見下ろし、タケトは楽しそうに手を伸ばしてきた。
「次は、ここかな。頭に触れたら、どうなるんだろう? ただの頭痛? それとも……頭が悪くなるか……禿げちゃったりして」
(禿げるのはいやあああああああっ!!)
僕は、頭に触れられることへの恐怖から、咄嗟に、ほぼ無意識に得意技を繰り出していた。
『ションベン・トランスファー!』
シーン……。
何の反応もない。そうだった、今さっきトイレに行ってきたばかりだった。
「これってつまり……ずっと俺のターンってことね!お次はこれだ、『スーサイド・トラップ』!!」
タケトのその言葉と共に、僕の膀胱に強力な圧力がかかってくる。
「ウウッ! ど、どういうことだ? 『ションベン・トランスファー』じゃないのかこれは……?」
僕の尿意メーターが一気に100%を超える。だるい腕、痛む腹、そして決壊寸前の膀胱。最悪のトリプルコンボだ。絶体絶命のピンチ。タケトは苦しむ僕を見て言う。
「スーサイド・トラップはね、相手の能力を暴走させて自爆させる能力なんだ。勝負あったかな」
そう言いながら、再度『コンディション・ハック』でとどめを刺そうとゆっくりと近づいてくる。そして、僕の頭を掴もうと再び手を伸ばした。だが、僕はまだ終わっていなかった。僕にはまだ他にも能力がある。タケトの手が僕の髪に触れるその寸前に、まず自分自身に狙いを定めて念じた。
『絶対領域!』
「おわっ!?」
タケトの手は、僕の頭に触れる寸前で見えない壁に阻まれ、弾かれた。タケトは驚いて一歩後ろに下がる。
「な、なんだ今の……! バリア!?」
(防御は成功した。これで『コンディション・ハック』は防げる。ていうか最初からこうすればよかった)
僕はさらに大胆な仮説を立て、賭けに出ることにした。
(もし、タケトにも同じバリアを張ったら? バリアとバリアは、お互いに干渉しないんじゃないか……?)
試したことはなかったので一か八かではあったが、自分とタケトの両方に、同時に『絶対領域』を発動させることを強く念じた。その瞬間、通常の倍のLEPがごっそりと消費され、脳がショートしそうな激しい頭痛と、肩こりが悪化するような強烈な倦怠感に襲われた。代償は予想以上にきつかった。
だが、発動には成功した。タケトもまた、見えないバリアに全身を包まれ、何が起きたか分からず動揺している。僕はその一瞬の隙を突き、よろめきながらも背後に回り込むと、両腕でがっちりと羽交い絞めにした。
空き地の中心で、おっさんが若い男にバックハグをするという、あまりにもシュールな光景が完成した。
「ちょっ、キモッ、離せ!」
タケトは身をよじって抵抗しようとするが、無駄だった。
「ふふふ……この『絶対領域』同士では物理的な反発力が発生しないんだ。つまり、君は僕のこの拘束から絶対に逃れられない」
僕は勝利を確信し、囁くように言った。
「……どうする?このまま一生、おっさんにバックハグされ続ける人生で君は満足かい?しかもね、僕の膀胱はもう決壊寸前なんだ。この体勢だと君にもついちゃうかもねえ?」
「いやあんただって嫌だろそんなの!!」
そして、数秒間の沈黙の後、タケトは観念したように深くため息をついた。
「……チェッ、まいりましたよ」
***
その瞬間、僕のポケットの中でDCTが、パンパパーンパーンパーンパッパパーン♪と、高らかな勝利のファンファーレを鳴らした。
【CONGRATULATIONS! BATTLE WIN!】
【ドリームメダルを1枚獲得しました!現在所持数:3枚】
「ドリームメダル……? なんだ?」
と、首をかしげている僕の横で、タケトは「おっさんずバックハグ」による精神ダメージで、地面に両手両膝をついたまま動けずにいる。その時間を利用して、僕はまず会社に電話をかけて午前半休を取る連絡をし、それからもう一度公衆トイレへ行ってスッキリしてきた。
……そういえば、能力の暴走で僕の膀胱にトランスファーしてきた尿意は一体誰のものだったのだろう? タケトはパーセンテージ低かったし、もしかして元気玉みたいに世界中から?いうなれば尿意玉か……なんか、すごく気色悪い想像をしてしまった……。
そんなこんなで、ようやく動けるようになったタケトが立ち上がってきた。
「いやー、すんませんっした。初めて他のプレイヤーと遭遇したんで、ワクワクしてついデュエルしかけちゃいました。軽い気持ちで挑んだら、とんだトラウマ植え付けられましたわ、アハハハハハ」
(ちゃんとごめんなさいできる清々しい若者だな、気に入ったぞ)
「まあ、立ち話もなんだから、その辺のファミレスでちょっと話さないか? 僕も他のプレイヤーと初めて遭遇したから、質問したいことが山ほどあるんだ」
僕がそう提案すると、タケトは少し考えてから言う。
「ファミレスっすか……。いや、いいんすけど、もうちょい静かなところの方が込み入った話もしやすいかなって。誰かに話し聞かれるとまずいっすよね?あそこのホテルのラウンジとか、どうすか?」
タケトが指さしたのは、僕が一生縁のないような高級ホテルだった。
(こいつ、さては金持ちだな?)
結局、タケトの提案通り、ホテルのラウンジでお茶をすることになった。一杯2500円もするコーヒーを前に、僕の手は少しだけ震えていた。
「驚いたよ、君の能力。かなり厄介だったな。特にあの、僕のションベン・トランスファーを暴走させたやつ」
「え? ショッ……ぶふぉっ……ショッ…ションベン……トランスファーっていうんすかミキオさんの能力。ていうか何でそんな能力にしたんすか……ぶふぅ」
体をプルプルと振るわせて笑いをこらえてはいるが、駄々もれしてるじゃないか。まったく何がおかしいんだ?と問い詰めたくなったが、冷静に考えて、そりゃ笑うに決まってるか。
「ところでさ、何で僕がプレイヤーだってわかったんだ? 僕は他の能力でたまたま見つけられたけど、タケトくんも何か他の能力を使ったのか?」
「くん付けなんてしないでタケトでいいっすよ。他プレイヤーと接近した時のアラート通知、届かなかったんすか?」
「……アラート? なにそれ?」
「え、マジすか?プレイヤー同士が半径10メートル以内に近づくと、DCTが起動してればアラートが出るはずなんすけど。ほら、これ」
タケトが見せてきたのは、最新型のスマートフォンだった。その画面には、僕の『ドリーム・カム・トール』とは似ても似つかぬ、スタイリッシュなアプリが表示されている。
「え?ちょっと待った。僕のはこれなんだけど……」
僕が懐からゲームウォッチ型の筐体を取り出すと、タケトは信じられないものを見るような目で言った。
「エッ、なんすかそれ。すんません俺ゲームあんま詳しくないんで、なんか……昭和な感じっすね」
「僕は平成生まれだぞ。Jリーグが開幕した年に生まれてるから。それにしても、プレイヤーによってハードのデザインが違うのか……何でだろう?」
(僕はレトロゲームマニアとは言っても、さすがにゲームウォッチ世代ではないのに。今からでも、僕も最新のスマホに機種変できないかな……)
「あ、そういえば、なんで俺の名前知ってたんすか?名前はDCTにも表示されてなかったすよね?」
「ああ、それは尿意メーター・アイって能力を使うと本名が見えて……」
「にょっ…尿意…メ…メーター……プスプス」
(またタケトが小刻みに震えている。そうだった、なぜ学習しないんだ僕は。恥ずかしい)
「えっ、ていうかちょっと待ってください。ミキオさん、能力いくつもってるんですか?」
「能力の数? えーと……6つかな」
「6!!そんなにあるんすか!?スゴッ、俺はさっきの2つだけっすよ。じゃああれか、HLVが相当高いんすね?」
(ギクッ、僕のHLVは初期状態から微増してはいるものの、まだ1にも満たない0.35だ。正直言うのは恥ずかしいんだけど、聞かれてるのに隠すのもな……)
「0.35だよ」(小声)
「エッ?すんません、なんて?」
「……0.35ッス」(超小声)
「おお、0.35!マジすか!さすがっすね!俺なんてまだ0.15っすもん」
「え、そうなの!?てっきり1より下だから、めちゃくちゃ低いのかと……」
「あら?ガイドキャラのバニーちゃんが、そういうのちゃんと説明してくれませんでした?HLVが1いったら超人クラスらしいっすよ」
「バ、バニーちゃん……?なにそれ?」
「ほら、これっすよ」
タケトのスマホ画面に映し出されたのは、ウインクしながらこちらにピースサインを送ってくる、やけに露出度の高い可愛らしいバニーガールのキャラクターだった。沸々とよくわからない怒りの感情が込み上げてくる。
「なんで僕のはすっとぼけたジジイなんだ……!」
僕の魂の叫びが、高級ホテルのラウンジに虚しく響き渡った。
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