第6話:おっさんはおっさんでおっさんは嫌
「じゃあ、一時的に反射神経を高速化できる能力とかは?」
「キミのHLVの0.3では無理じゃなあ。まだまだほど遠いのう」
僕は今、次に生成する新能力について構想を練り、DCTのじいさんと相談している。
「クッ、じゃあモテオーラを発せられる能力とかは?」
「キミからモテオーラが出てても意味あるんかのう……。人間なんて見た目と性格と財力でほぼ完結じゃろ」
(まーた人間なんてとか言ってる。本当に何者なんだろうか?ただのプログラム?それとも人類を超越した何か?はたまた、ただ口が悪いだけの偏屈じいさん?)
HLV0.3にアップしたものの、どうやら相変わらずしょうもない能力しか生成できないらしい。無念だ。相川さんとの約束の日、一緒にレトロゲームカフェに行くXデーは、2週間後に控えている。
できれば何か、その時に役立ちそうな能力が欲しかったんだけど……なかなか思いつかないので、とりあえず日常でそこそこ使えそうな能力を2つ生成することにした。
【能力名『絶対領域』:全身の周囲3cmをバリアで囲い、人を近づけさせない能力……必要HLV: 0.3、獲得条件:45LEP消費、1回発動毎に4LEP消費】
【能力名『NEXT空席・アイ』:次に空く席が光って見える能力……必要HLV: 0.3、獲得条件:60LEP消費、1回発動毎に8LEP消費】
どちらも毎日の出勤時間を快適にしてくれる、混雑する通勤電車対策で生成した能力だ。これで朝も心穏やかに過ごせるようになるはず。
***
月曜日の朝。今日は朝会議があるため出勤時間が早めで、その時間帯は通勤ラッシュで満員電車に当たってしまう。ゲーム業界は出勤時間が遅い会社が多く、僕の所属するピコピコソフトも基本はそうなのだが、月曜日だけは例外だった。
(グッ、グルジイ、クッ、クサイ……。)
鼻先が、隣のおっさんの加齢臭漂うスーツに触れている。まさに地獄だ。
お前もおっさんだろ、などという指摘はやめてほしい。たしかに僕もおっさんだけど、おっさん同士だから平気とかそういう事はまったくない。加齢臭はそれぞれ固有のもので決して打ち消しあうことなどないんだ。その辺のところをみんな誤解している気がする。おっさんはおっさんでおっさんは嫌なのだ。
「満員電車でもおっさんは平気なんでしょ?周りはおっさんだらけなんだから。いいよねおっさんは」みたいなのはひどい誤解なんだ。
(だがしかし、今日の僕は一味違うぜ?……フッ)
僕は心の中でほくそ笑んだ。昨夜、新たに生成した能力を試す時が来たのだ。
『絶対領域!』
能力を発動させると4LEPが消費され、首のコリの発生と共に、僕の全身の周囲3センチメートルに見えないバリアが展開される。ギュウギュウ詰めの電車内で、僕の周りだけがほんのわずかに、しかし確実に空間を確保している。隣のおっさんのスーツが、見えない壁に阻まれて、僕の鼻先に触れることはない。
「オオッ!これはいいじゃない……か?」
僕は心の中で一瞬ガッツポーズをしかけたが、所詮たったの3センチ。ギュウギュウ詰めの感覚は変わらず、匂いはバリアを貫通してくるので臭さも変わらず、たいして快適な環境にはならなかった。直接接触しなくなったという点に関してはたしかに良い結果ではあるんだけど。
(3センチじゃなくて、もっと幅を取れてたらなあ……。しかし僕のHLVでは「つーか これが限界」らしい)
己の未熟さにため息をついていると、視線の少し先で若い女性が必死に耐えているのが目に入って来る。
(これはもしや……?)
と思い『尿意メーター・アイ』で調べてみたところ、【真田佐奈 尿意:20% 余裕】と表示される。どうやら僕の早とちりで、トイレを我慢しているわけではなかったらしい。もしそうなら『ションベン・トランスファー』で助けてあげるつもりだったのだが。
……ちょっと待ってほしい。誤解しないでほしい。僕は純粋に人助けのつもりで尿意を確認しただけであって、変な趣味などない。「相手に無許可で尿意を覗き見るなどプライバシーの侵害だろ」などという至極真っ当な指摘はやめてほしい。だってよく考えてくれ、「僕は今からあなたの尿意を確認しますが、いいですか?人助けのためですので」なんていきなり言われたらどうだ?とんでもない恐怖を相手に与えてしまうじゃないか。許可なんて取りようがない。「人助けだろうと何だろうと、セクハラはセクハラだ」などという正論もやめてほしい。急にすごい勢いで喋りだしたなとかいじってくるのもやめてほしい。繰り返すが僕は純粋に人助けのためにやっているんだ。
じゃあ、彼女のつらそうな表情は何が原因なのだろうかと観察していると、原因はその背後にいる中年男だった。その男はスマホをいじるふりをしながら、電車の揺れに合わせて意図的に体を押し付けていた。
無意識?いやこれはわざとやってるだろ。ただ、偶然を装っているので女性の方も指摘しづらい面もあるのかもしれない。女性は、声を出せずに、ただただ固く目をつむり、唇を噛み締めている。
僕は必殺のS・Tを発動して、その場で痴漢男を処刑することも考えたが、満員電車で失禁させたら周りの人に大変迷惑なのそれはまずい。
(そうだ!絶対領域も自分以外に使えるんじゃないか?)
僕は、その女性に意識を集中し、強く念じた。
『絶対領域!』
やはりできたか。女性の体の周りに3センチの空間が生まれ、体を押し付けていた中年男は、「お、おぅ?」と、突然現れた反発力にバランスを崩し、数センチ後ろに押しやられる。中年男は何が起きているのかわからないという顔でキョロキョロしている。
そうこうしているうちに中年男が電車を降りたので、尿意高めの乗客2人分の尿意を送りつけてやり、中年男は駅のホームを内股ダッシュで走り去って行った。
女性の方は、何が起きたかわからないままだったが、危険が去ったことに安堵の表情を浮かべ、スマホの画面に視線を落としていた。
僕はこの能力の意外な使い道に静かな満足感を覚えた。そしてその夜にDCTを起動すると……
「フォッフォッフォ、今日はレディを助けて徳を積んだのう。いきなりの尿意メーター・アイはまごうことなきセクハラじゃが、経験値はたまったのでレベルアップじゃ!」
とのことで、僕のHLVはめでたく0.35にアップした。
***
翌日の火曜日。この日は通勤ラッシュの時間帯ではないので、電車はそこそこの混み具合だ。電車内で移動は可能だけど、座れはしない程度。こういう時こそ、この新能力の出番だ。
『NEXT空席・アイ!』
一瞬だけ視界がホワイトアウトするが、徐々に一部を残して視界が戻る。灯っている淡い光は、2つ先のドアの近くに座るおばさんの席を指し示している。
(どうやら、あの人は次の駅で降りるらしい)
僕は人波をかき分け、その席の前に何食わぬ顔で陣取った。能力が示した通り、次の駅でおばさんは立ち上がり、僕は見事に席に座ることができた。
(この能力は意外といいぞ。これなら能力獲得のために消費した60LEP(24時間の痔)も決して高い代償とは言えないかもしれない。能力発動毎の8LEP消費で尻毛が30本ほど抜け落ちるが、尻毛など抜ければ抜けるほどいいから大丈夫だ。むしろ脱毛サロンの料金分だけ得してると言えよう)
***
そして、水曜日の朝に事件は起きた。その日も僕は『NEXT空席・アイ』を使って、次に空く席を予見し、何食わぬ顔で移動して席が空くのを待っていた。
しかし、僕の膀胱に突如として、しかしあまりにも馴染み深い、あの不自然な圧力がかかったのだ。それは、じわじわと溜まっていく自然な尿意とは明らかに違う。外部から強制的にデータを書き込まれるような、理不尽な感覚。
「こ、この感覚は……間違いない、ションベン・トランスファーだ!」
僕は驚愕に目を見開いた。
(なぜだ?僕は能力を発動していない。それなのに、なぜ僕の膀胱が危険水域へと向かっていく?)
魔法使いのじいさんの言葉が脳裏をよぎる。『このゲームはな、MMOじゃからな。』
(まさか。まさか、この電車内に僕以外のプレイヤーがいるということか?そして、そのプレイヤーが無差別に、あるいは僕を狙ってションベン・トランスファーを仕掛けてきてる?これは、もしかしてPvPが始まってるのか…?それにしても、他プレイヤーは別の能力を使ってるものだとばかり思っていたが、僕と同じションベン・トランスファーの使い手とは……僕と同じくらいしょうもない奴に違いない)
などと考えてる間にも僕の尿意は30%…40%…50%…とグングン上昇していく。しかし、僕は冷静だった。
(フッ、僕の膀胱を舐めるなよ。鍛え抜かれた鋼鉄の膀胱を、この程度の貧弱な尿意ごときでどうこうできると思うな!フハハハハッ!)
若干変なテンションにはなっているが、僕は至って冷静だ。静かに反撃の糸口を探る。
(どうやって、この見えない攻撃者を見つけ出す?)
その時、僕はある可能性に思い至った。
(待てよ、僕に尿意を移しているということは、犯人は『ターゲット』としてこちらを認識しているはずだ。つまり、僕の方に視線を向けているはず!)
そう考えて周囲を見回してみたものの、誰も僕を見ていなかった。さすがに短絡的過ぎたか。
(ならば!犯人も能力を発動しているのだから、何らかの代償を支払っているはずだ。鼻毛か?いや、この満員電車で乗客全員の鼻の穴をチェックするなど不可能だ。それに、別の代償かもしれない。クッ、ここまでか……)
(いや、諦めるのはまだ早い。僕には『尿意メーター・アイ』もある。こいつを使えないか?犯人は、自分の尿意を僕に移しているはずだ。ということは、尿意メーターが下がっていってる人物を見つければいい、それが犯人だ!)
僕は急いで『尿意メーター・アイ』を発動し、片っ端から周囲の乗客の尿意をチェックした。この能力は1回発動毎に2LEP消費し、代償として尿酸値が0.1mg/dL上昇するという、しょうもないけど結構イヤな代償を伴う。だが今は緊急事態だ。今後しばらくは食生活に気を付けるようにしないとな……。
そしてついに発見した犯人は……灯台下暗し、目の前の、次に席を空ける予定の男だった。二十歳前後?大学生くらいかな?
スマホをいじるふりをしながら、その画面の反射越しにチラチラと僕の顔を観察していた。
その若い男――武藤武人(名前は尿意メーター・アイで確認済み)は、僕の視線を感じたのか顔を上げ、そこで目が合った。
男は僕が気づいたことを悟っても悪びれる様子もなく、むしろ挑発するようにニヤリと口の端を吊り上げた。僕の尿意はすでに80%に達していたが、不思議と焦りはなかった。
(実に面白い。おっさんを舐めるなよ、メルエム…!!いやタケトウタケト!)
(この謎だらけのゲームで、初めての対戦相手か……質問したいことが山ほどあるんだが、それは勝ってからにするとしよう。フッ)
電車が次の駅へと滑り込み、ドアが開く。最初の戦いのゴングが今、鳴らされようとしていた。
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