第4話:ちちんぷいぷい
安アパートの一室で、僕はゲーム画面に映るドット絵のじいさんと真剣な表情で向き合っていた。
「科学的にあり得ない能力が生成できたり、代償を払ったり、これって悪魔の果実とか死神のノートとか、そういった類のやつなのか?」
「フォッフォッフォ、何があり得る事で何があり得ぬ事なんじゃろうな?その境界線はたかだか5000年程度でこの世界の人間が引いた線に過ぎん。実際のところ、あり得ない事など本当にあるのかのう?」
画面の中のじいさんは、すっとぼけた顔でパイプの煙をポカァ~と吐き出している。
「なんか急に壮大っぽいこと言い出したな。その言い草、じいさんは神か何かなのか?」
「神?その言葉もまた……まずキミの言う神の定義を話してくれんかのう」
「……アァ、なんかめんどくさい話になってきた。そういうのめんどくさい!僕はそういう難しい事を考えるのはもうやめたんだ!あんた一体何者なんだ!?このドリーム・カム・トールってゲームは、誰が、何のために作ったんだ!?」
「ワシは見ての通り、単なるゲームのガイドキャラじゃよ。プレイヤーのモチベーションを管理するのも大事な仕事での。だが、ガイドといってもすべては説明せんよ。それをプレイヤー自身が解き明かしていくのもゲームの一環なのじゃ」
じいさんはパイプをコンコンと叩き、灰を落としながら長い息を吐いた。もう話す事はこれ以上無いとでも言いたげだ。
「頼むよ、じいさん。流石に訳がわからな過ぎる。どんな難解なゲームだって、ゲーム目的くらいはわかった上でプレイするもんだろ?ヒントだけでも教えてくれ!」
僕がそう懇願すると、じいさんはフムフムと頷きながら腕を組む。
「ヒントか。まあ、よかろう。1つだけ教えてやる。このゲームの攻略法はな……『楽しむこと』じゃよ。フォッフォッフォ!」
「……何のヒントにもならないな」
「そしてもう1つ重要な事を教えてやろう。このゲームはな、MMOじゃからな」
「MMO(多人数同時参加型)ね、他にも能力者がたくさんいるってことか……」
「どうじゃ、ワクワクしてきたじゃろ?フォッフォッフォ」
「あっ!まだ気になる事が残ってた。尿意メーター・アイを生成する時に20LEPを消費したはずなんだけど、それが何だったかわからないんだけど。寿命を半分取ったとかいうのはやめてくれよ?」
「オオ、それはな……フムフム、20LEP消費の代償で尿酸値が1mg/dL上がっとるな。発動毎にも0.1mg/dLずつ上がるぞ」
「わかりにくいわ!なんだよ尿酸値って、健康診断の時にしかわからないじゃないか」
「尿酸値を決して軽視してはならんぞ。成人男性の場合7.0 mg/dLを超えてくると高尿酸血症と診断され痛風や生活習慣病のリスクが高まるんじゃ」
反論するのもばかばかしくなって黙っていると、じいさんは急に腕時計を見るような仕草で言った。
「おっと、すまんすまん、もうこんな時間か。今日の営業時間はここまでじゃ。また、何か面白いことをやってくれたら顔を出すとしよう。ではな、ミキミキオくん。良きゲームライフを!」
「オイ、待て!まだ話は終わってなっ――」
僕の言葉を遮るように画面はプツンと暗転し、完全に沈黙した。その後、何度ボタンを押しても、電池を入れ替えても、その日はもうDCTが起動することはなかった。
***
翌日、僕はこの奇妙で誰にも理解されない体験を、どうしても誰かに話したくてたまらなくなっていた。
「で、すごい話ってなに?聞いてもいいけど、つまんなかったらデコピン100発だからな?」
この、いい年してデコピン100発とか言ってる大人げない人物は、僕の幼馴染の牧田環。いつもの安居酒屋で、焼き鳥の盛り合わせを前にけだるそうに頬杖をついている。今日はお気に入りのデスメタルバンドのTシャツに、だぼっとしたミリタリージャケットを羽織っている。短く切った髪は無造作で、耳にはゴツいシルバーピアスが光っていた。
タマキとの腐れ縁は0歳の頃からはじまっている。というのも、母親同士が小学校からの親友で、家も近所だったのでしょっちゅう互いの家を行き来していた。また、タマキは性別は女性だが、そこらの男よりもよほど男らしい。子供の頃などは、タマキのことをタマキンなどと言ってからかう男子がいた。そういう輩に対して、剣道の有段者である彼女は容赦なく竹刀で突き倒し、いつしか誰も逆らわなくなった。
名前にコンプレックスがあるというのが数少ない僕との共通点ではあったのだが、彼女は自力で強引に解決してしまい、僕は若干の寂しさを感じたこともあった。ちなみに彼女の恋愛対象は昔から女性で、高2の時に同じ子を好きになってケンカに発展し、一時期絶縁したこともある。ただ、二人ともあっさり振られて、すぐに元の腐れ縁に戻った事は、今では笑い話になっている。
ついでに言うと、不可解な自作ラップを聞かせたがるという悪癖もある。タマキはとにかく語呂がいいワードでひたすらに韻を踏むことが気持ちいいらしいのだが、僕はラップに詳しくないから他所でやってくれと言っても全然聞いてくれない。
「聞いてくれよタマキ、実はな、とんでもないものを手に入れてしまったんだ」
僕は、いつものハイボールを注文するのももどかしく、これまでの経緯を興奮気味に、しかし真剣に語り始めた。ネットオークションで買った怪しいゲーム機のこと。ションベン・トランスファーというしょうもないが本物の能力。コンビニでのささやかな勝利。出栖進への制裁。そして、人の尿意を可視化する呪われし瞳のこと。
僕の話が進むにつれて、タマキの顔から表情が消え、話が終わる頃には能面のような顔になっていた。僕はそれに気づいてはいたものの、勢いに任せてとりあえず最後までしゃべりきった。
【ビシッ!!】
「痛つ!」
「これはダブルデコピンの刑だな、ミキオ」
「何でだよ、信ぴょう性はともかく、つまらない話ではなかっただろ?」
タマキは長い沈黙の後、ゆっくりと口を開いた。
「……ミキオ。最近ちゃんと寝れてる?」
「ん?」
「ゲーム業界ってブラックな会社が結構あるって噂は聞いてるけど、まさかここまでとはな。ミキオ、疲れてるんだよ相当さ」
「いや、本当に能力が生成できたんだよ!能力自体はしょうもない能力だけどさ」
「ハイハイ、わかったわかった。ションベンをね、トランスファーできたんだよな?」
(……むう、無理もないがこれは相当な温度差だぞ。まったく信じてもらえてない)
「よし、じゃあ、証拠を見せてやる!」
僕は、テーブルの上にDCTを叩きつけるように置いた。
「見ろ、こいつを見れば信じるはずだ!」
僕は自信満々に電源ボタンを押した。
……。
…………。
シーン。
うんともすんとも言わない。ただの古びたプラスチックの塊がそこにあるだけだった。
「あれ?おかしいな……。いつもなら魔法使いのじいさんみたいなキャラが出てきて喋り出すんだよ」
僕は何度もボタンを連打し、電池を入れ替え、しまいには振ったり叩いたりした。しかし、ゲーム機は沈黙を守り続けた。タマキは、しばらくは眉間にしわを寄せながら考え事をしてる様子だったが、テーブルに置かれたビールをグイッと一気に飲み干すと、深く息を吸い込み……ラップをはじめた。
【ちちんぷいぷい 大丈夫かい】
【以心伝心 電波来ない】
【弱いWi-Fi だから嫌い】
【古今東西 自由自在!】
「……いや意味がわからんし、まだこっちの話が終わってないんだけど」
と、隙をついて悪癖を出してきたタマキに抗議する。
「いや、もうたまんなくなってさ。マイソウルの咆哮が出てしまったわ。そんくらいミキオが心配になったってことだよ。ミキオ、これは説教しないとだな」
「えっ」
「いい?よく聞いて?ミキオは昔からそう、現実で何か嫌なことがあるとすぐにゲームの世界に逃げ込む。まあ気持ちはわかるけどさ。ミキオは度が過ぎるんだよ。ゲームと現実の区別がつかなくなって、あげくにこんなガラクタを『能力生成マシン』だなんて言い出す始末。ションベン・トランスファー?大体なんだよ尿意を人に移すって、なんか熱く語ってたけど、めちゃくちゃキモイこと言ってるぞ?」
(ウッ、たしかに、今まであまり客観視していなかったが、よくよく考えると猛烈に恥ずかしくなってきた。『くらえ!ゴッド・ションベン・トランスファー!』とかノリノリでやってたのは黒歴史になりそうだ。人生ずっと黒歴史みたいなもんだけど、これは漆黒)
「で、でも、とにかく実際にあった事なんだって!」
「まあ、落ち着きなさいよ。まず初心に帰ろう。ミキオがゲーム業界に入って最初に作ったゲームあったよな、あれ、リビングなんとかってやつ、お前の童貞作の」
「処女作な。男が作ってもそこはひっくり返らないから。リビング・ライフね」
そう、僕はいろいろあって現在はプログラマー専任だが、業界に入って数年はゲームデザインやシナリオを担当していた。
「あれは良かったよ、なんて言うか、魂がこもってた。私としてもさ、親友がそんなゲームを作ったなんて誇らしかったもんさ。だけどここ数年のミキオはなんだ、もともと腑抜けた性格ではあったけど、今はもぬけのからって感じじゃん。何があったか知らないけどさ」
(ムムムッ、思ってたよりだいぶ厳しめの説教……?)
「あげくに今度は現実逃避?しょうもない人生だろうがさ、現実を受け入れて、どう戦うかを考えるべきなんじゃないの?そんな妄想のゲームにうつつを抜かして、鼻毛が抜けたとか、尿酸値が上がったとか、そんなくだらない妄想で自分をごまかすのはもう終わりにしないと!目を覚ますんだミキオ!」
そこまで言われて、僕は少し怖くなってきた。たしかにタマキの言う通り、すべて僕の妄想で勝手に現実だと思い込んでるだけだとしたら?だとしたら、僕は完全なる病気だ。相当にやばい。不安が僕の心を貫き、何も言い返せなかった。
タマキは僕のスマホをひったくると、慣れた手つきで何かをインストールし始めた。
「ミキオ、必要なのはくだらない妄想やションベン能力じゃない。リアルな出会いと、地に足のついた生活だよ。こうなったら婚活するしかない!マッチングアプリ、入れといたからな」
「……ハイ?」
「プロフィールも、自己紹介も、全部私が監修してあげるから。写真は一番マシなやつを登録するんだぞ。私がミキオの人生を軌道修正してやる。ほんと相変わらず、私がいないと全然ダメだなミキオは!まったくもう」
説教されたら婚活することになった件。
昔からあるタマキの悪癖がもうひとつあった。恋のキューピッドをやりたがる。背中を押してくれるどころか蹴り飛ばしてくるスタイルで、たいていの場合ろくな結果にならない。でも仕方ない、世話焼きモードに入ったタマキはもうどうにも止められない。マッチングアプリくらいなら、さすがにそこまで酷い目には合わないだろう。ん?今、フラグ立ってないよな?
***
居酒屋から帰宅した後、僕は散らかり放題の床にドスンと腰をおろし、しばらく呆けていた。
「地に足をつけて……現実を見ろ、か……。部屋の片づけとか、そういう所からはじめてみるのもいいのかな……」
僕にしては珍しく、普段の生活などについて省みていた。ふと視線を横に移すと、タマキに「ただのガラクタ」と断じられたDCTが寂しげに転がっている。
ジジ……。
不意に起動音を発せられる。画面には魔法使いのじいさんが、いつものようにパイプをふかしてこちらを見ていた。
「友人の言うことも、一理あるじゃろう?リアルなクエストも、たまには良いスパイスになるもんじゃ」
「……起動してなくても、こっちの状況は全部把握してるんだな。どこから見てたんだ?」
「フォッフォッフォ、どこからでも。まあともかく、わしはキミの味方じゃよ。どんなクエストに挑むにせよ、能力がなければ始まらんからのう。今回もオススメの能力があるぞ、これじゃ」
【能力名『ミラクル・セルフィ―』:確実に奇跡の一枚の自撮り写真を撮れる能力……必要HLV: 0.2、獲得条件:30LEP消費、1回発動毎に5LEP消費。生成しますか?】
僕はじいさんにまだいろいろと問いただしたい事があったのだが、確かにマッチングアプリをやるには良さげな能力だったので、そこは素直にYESボタンを押した。
すると、急激におしりの辺りに痒みを感じ出した。
「フォッフォッフォ、今回の30LEP消費の代償は、臀部の痒み30分間じゃな」
クッ、相変わらずくだらねえ……何も言う気がしなくなった。僕は仕方なく、「男は黙って、耐えろ」と心の中で呪文のように繰り返しながら、30分間の痒みになんとか耐えた。
「よくぞ試練を乗り越えたのう!あとな、こっちのオプション能力もおすすめじゃぞ」
と、じいさんがニヤつきながら指をさすと、オプション能力が画面に表示される。
【能力名『盛りメーター・アイ』:他人の盛り度合いをリアルタイムで視認できる能力……必要HLV: 0.25、獲得条件:25LEP消費、1回発動毎に3LEP消費。生成しますか?】
「じいさん、それの25LEP消費の代償は何?先に知っておきたいんだけど」
「フォッフォッフォ、それはヒミツじゃ。知らん方が盛り上がるじゃろ?」
誰が盛り上がるっていうんだ、腹立つなもう。でもこの能力も欲しいところだ。最近のエフェクト効果は相当すごいと聞くからな。軽い代償であることを祈りながら、僕はYESボタンをできるだけゆっくり押した。
すると、急激に股間周辺に痒みを感じ出した。
また痒み!クソしょうもない!
25分後……僕は試練に耐えて新たな能力を獲得した。でも冷静に考えてみると、マッチングアプリで自分だけ能力を使うなんて反則だろうか?いや、こんなのに反則も何もないか。まあ恋愛なんて?所詮ゲームみたいなもんだろ?フッ…。
ん?どこかから「キモッ」って聞こえてきた気がするけど、きっと気のせいだな。
お読みいただきありがとうございます!
もし少しでも楽しんでいただけましたら、ブックマークや↓の★★★★★での評価をいただけますと、大変励みになります。何卒よろしくお願い致します。○┓