第2話:逆襲のション
あの衝撃の夜から数日。
僕、三木樹生は、自分の人生という名のゲームに突如として実装された新能力「ションベン・トランスファー」の使い道について真剣に考察していた。
コンビニで迷惑行為男から女性を救った一件は、確かに僕に能力への確信と、ほんのかすかな万能感を与えてくれた。だが、それと同時に「で、これを日常でどう使うんだ?」という、より根源的な虚無感も運んできた。
まさか、夜な夜な街を徘徊して風紀の乱れた若者を見つけては、片っ端からションベン・テロを仕掛けるダークヒーローになるわけにもいかない。それはそれで、別の意味で僕の人生がハードモードに突入しかねない。
手元のD・C・Tは、時々勝手に起動しては【今日のラッキーアイテムは『利尿作用のあるお茶』じゃ!】などと、どうでもいいお告げをしてくる。あの魔法使いのじいさん、僕のことを完全にションベン専門家だと思っているフシがあった。
「ああ、しょうもなき我が人生……」
けど、このままではいけない。僕はこの能力をもっと世のために、そして僕自身の精神的平穏のために使うべきではないだろうか?そう、例えば会社をブラック企業へと染めていく迷惑男……「ピポピポソフト」営業部マネージャー出栖進への制裁とか。
ピコピコソフトはオリジナルの自社ゲーム開発も行っているが、いわゆる受託開発も請け負っている。出栖はその受託案件を、自分の営業成績優先で無茶なスケジュールで請け負ってくる事が多々ある。当然、そのしわ寄せは開発側に回って来て、絶望のデスマーチがはじまる。そのせいで体調を崩して退職していった開発メンバーも少なくない。
ついでに出栖は、人が食事でしてる傍で平気で大きな音を立てて鼻をかむような無神経野郎だ。自分の都合しか考えない愚者にこそ、正義の鉄槌と、そして大量の水分を叩きつけてやるべきだろう。
僕は、2週間後に控える出栖が役員の前で行う重要なプレゼンの日を「Xデー」――いや、もはや「小便記念日」と名付けることにした。そしてその日に向け、僕は周到な準備を始めた。それは、己の膀胱をとことん苛め抜く、過酷なレベリングの日々だった。
毎朝、起き抜けに水を1リットル飲む。日中は、利尿作用の高いコーヒーと緑茶を交互にがぶ飲みする。退勤後は、スポーツジムではなく、自宅のトイレの前で仁王立ちし、ひたすら我慢する訓練を繰り返した。そして下腹部周りの筋トレで膀胱の筋肉、いわゆる膀胱括約筋を極限まで鍛え上げた。
※後でわかった事だけど、我慢するだけの訓練は膀胱炎になる恐れがあるため、絶対ダメとAIが教えてくれた。良い子はマネしないでほしい。
そしてついに、小便記念日はやってきた。
会議室の末席に座る僕は、水筒に満たした緑茶を飲み、最終調整を行っていた。僕の膀胱はもはや膀胱ではなかった。それは、出栖への憎悪と大量の水分で満たされた液状の復讐心そのものだった。
プロジェクターの光を浴び、出栖が自信満々にプレゼンを始める。僕は自分の席で限界まで膨れ上がった尿意と戦いながら、その時を待った。足が小刻みに震え、冷や汗が背中を伝う。
そして、プレゼンがクライマックスに差し掛かり、出栖が「このプロジェクトの成功こそが、我が社の未来を切り拓くのです!」と高らかに宣言したその瞬間。僕はありったけの憎悪と尿意を彼に向かって念じた。
『ションベン・トランスファー!』
この前の時と同じく、後頭部がピリッとして髪の毛が数本ハラハラと舞い落ちる。
「……のです、が……」
突然、出栖の言葉が詰まった。血の気が失せ、額には脂汗が浮かぶ。生まれて初めて経験する唐突で理不尽で暴力的な尿意の津波に襲われたのだ。
「あ、あの、えー、つまりぃその、わっ、我がしゅわっ社の……」
プレゼンは支離滅裂になり、腰は意味不明な角度に折れ曲がり始めた。役員達が訝しげな顔で見つめる中、出栖は「し、失礼しまうう……」という悲鳴のような声を残し、内股カニ歩きで会議室から逃げ出して行った。
大惨事は避けられたようだが、奴の威厳はトイレの流水音と共に跡形もなく流れ去ったことだろう。僕は自分の席で、膀胱の解放感と静かな勝利の喜びに打ち震えていた。僕は、人知れず社会の理不尽にションベンをひっかける反逆の「ションベン・テロリスト」として覚醒したのである。
……勝利に酔いしれて、ついついバカなことを口走ってしまったかな、フッ。
お読みいただきありがとうございます!
もし少しでも楽しんでいただけましたら、ブックマークや↓の★★★★★での評価をいただけますと、大変励みになります。何卒よろしくお願い致します。○┓