第11話:ミキオはこんらんしている!
運命の日曜日がやってきた。
相川ミカさんと初のリアルエンカウント。すでにビデオ通話では話してはいるものの、やはりこれは相当に緊張する重要イベントだ。僕は、待ち合わせ場所である駅前のカフェに、約束の1時間前には到着していた。
自分でも流石に早過ぎたかもしれないとは思うが、相川さんが来る前に、僕にはやるべき事があった。 僕は、店の一番奥の席に陣取り、アイスコーヒーを注文する。まずは心を落ち着かせるために、今日のシミュレーションを脳内でやっておこう。
【アイカワさんがあらわれた!】
【さくせん ▶ ガンガンいこうぜ】
【ミキオの あいさつ!】
【どうも!じつぶつもすてきですね!】
【ミキオはかおがまっかになってしまった!】
【アイカワさんはようすをみている】
【にっこりと ほほえんでいる!】
【かいしんの いちげき!】
【ミキオは こんらんしている!】
……違うなあ、こういう事じゃない。無意味なシミュレーションをしてしまった。時間が経つにつれて、僕の心臓はまるでラスボス戦のBGMのように、どんどんテンポを速めていく。
想定通り、めっちゃ緊張してきた……。この服、ダサくないだろうか?そんな服装で大丈夫か?思考が混乱してきた。待ち合わせ時間の20分前。僕は、これ以上ないというほど緊張が高まったのを確認し、静かに席を立った。
トイレの個室に入り、僕はトイレットペーパーをグルグルと巻き出して、静かに目を閉じる。そう、僕にはこの日のために用意した能力がある。
『感情吸引!』
10LEPが消費され、代償として鼻から鼻水がダラダラと流れ出てくる。そして用意しておいたトイレットペーパーでビイイイイッっと鼻をかんでトイレに流した。僕は自分の心に訪れた、驚くほどの静寂を感じていた。あれほど激しく波打っていた僕の心は、完全に凪いでいた。無の心で席に戻り、冷静に相川さんの到着を待った。
そして約束の時間ぴったりに、カフェのドアベルがカラン、と軽やかな音を立てた。息を飲んで入り口に視線を向けると、そこに相川さんが立っていた。
ふんわりとしたアイボリーのニットに、風に揺れるネイビーのロングスカート。ゆるくまとめられた髪に、素顔の良さを活かした薄化粧。彼女の誠実な人柄がにじみ出てくるような出で立ちだった。
「三木さん、お待たせしました!」
「いえ、僕もちょうど今来たところですよ」
感情吸引によって無の心になっている僕は、冷静かつ自然に大嘘をつくことに成功した。
「じゃあ、早速ですけど、行きましょうか!」
僕らは、当たり障りのない会話を少しだけ交わし、目的のレトロゲームカフェへと向かった。ただ、少し気になったのは、彼女が時々、呼びかけてもどこか気もそぞろで、ソワソワした様子を見せることだった。
***
レトロゲームカフェは、僕らにとって天国のような場所だった。薄暗い店内に、ブラウン管モニターのぼんやりとした光が灯り、8bitや16bitの懐かしい電子音が心地よく響いている。壁には、往年の名作ゲームのポスターや、開発者のサイン色紙などが飾られていた。
「うわー、すごい……!」
「ですよね、僕もまだ何回かしか来たことないんですけど、この店すごく気に入ってて」
僕らはまず、腕試しに国民的カートレースゲームで勝負することにした。僕はタイムアタックモードでかなりやり込んだことがあり、各コースの適切なドリフトのタイミングもバッチリ覚えていたので自信満々だったのだが、上には上がいた。それも遥か上に。
「はっ、速いっすね。緑亀のコントロールもメチャクチャ正確だし。あんな風にドリフトしながら当てられるなんて……」
「フフッ、赤が出ない時でも戦えるように、緑の方もかなり練習したんですよ」
ドリフトの練習だけじゃなく、そんな練習まで……僕とはこだわりのレベルが全然違っていたようだ。
「つ、次は格闘ゲームにしましょうか!なつかしのポリゴンのやつ」
こちらも結果は完敗。僕の技はいとも簡単にガードされ、彼女の流れるようなコンボで浮かされ、なすすべなくパーフェクトKOされた。
「ま、まいりました」
「ご、ごめんなさい!でも勝負は真剣にやらないと失礼かと思って……」
「もちろん、手加減なんて全然しなくて大丈夫ですよ!いやー、それにしてもほんとゲームうまいですね!感服しましたよ」
「まあ、暇人なもんで。フフフ。じゃあ、今度はボードゲームとかやりませんか?」
実力差が出にくいボードゲームをさりげなく提案してくれるその気遣い、優しいなあ。その後は、よく知らないドイツ製の謎のボードゲームのルールを二人で読み解いては、その複雑さに笑い合い、ハラハラしながらジェンガのブロックを抜き続けた。どのゲームで遊んでも、相川さんの笑顔がすごく眩しくて、彼女も楽しんでくれているようで、僕はホッと胸をなでおろしていた。
ちょっとした問題が発生したのは、僕らがドリンクのおかわりをオーダーしようとした時だった。
「すみません、オーダーお願いします」
僕が声をかけると、近くにいた若い男性店員が、非常にだるそうな足取りでこちらにやってきた。
「……なんすか」
その態度は、およそ接客業とは思えないほど、不機嫌さに満ちていた。僕らが注文を伝えると、彼は「はあ」と、大きなため息をつき、メニューをひったくるように取って行った。視界の先で腕を組み、貧乏ゆすりをしながらイライラオーラを発散し続けていた。
(なんだ、あいつ……。何か嫌なことでもあったのか?たまにそういう店員に遭遇することはあるけど、今日だけはやめてほしかった。せっかくの雰囲気が悪くなってしまうじゃないか、勘弁してくれ……!)
僕の脳裏で、いくつかの選択肢が高速で明滅した。
・A案:必殺の『S・T』を発動し、あの店員を営業中に処刑する。
・B案:『感情吸引』で店員の感情を無にする。
(A案はスカッとするが店の雰囲気が最悪になる。B案しかないな)
僕は、あの不機嫌な店員に意識を集中した。自分以外にまだ発動させたことはないけど、おそらくできるはず……!
『感情吸引!』
(……おや?何も起こらない。何故だ、この能力は自分専用ってことなのか…?)
その時、脳内にじいさんの例の笑い声が鳴り響いた。
【フォッフォッフォ、自分以外にも使えるぞ。ただ、対象に触れてないと発動せんから注意じゃ】
(なるほど、そうだったのか。……ていうかじいさん、脳内にも直接語りかけられるのかよ)
【そんなことより、さっさと対処した方がいいんじゃないかのう】
そうだった。僕は店員におしぼりを持ってくるように頼み、それを受け取る時に出来るだけさりげなく店員の手に触れた。
今だ!『感情吸引!』
10LEPが消費され、僕の鼻から鼻水がツーっと垂れ出てくる。僕は相川さんに見られないように、すぐさまおそろしく速い手刀でペーパーナプキンを手に取り、光の速さで鼻水を拭い去った。これならどんな能力者でも見逃しちゃうに違いない。
手を触られた店員は一瞬険しい表情になったが、能力発動と共にすぐに無表情になった。あれほど満ちていたイライラや不機嫌さが、まるで仮面を外したかのように、すっと消え失せていた。そして、無表情のまま、しかし極めて正確かつ迅速な動きで、僕らのテーブルにドリンクを運んできた。
「ご注文の品、以上でよろしいでしょうか」
その声には、感情が一切こもっておらず愛想のかけらもなかったが、先ほどのようなイライラオーラは消えており不快感はなかった。その後も、彼は他の客に対しても、無表情ながらもテキパキと、ロボットのように対応をこなし始め、店の雰囲気は無事回復した。
(ふう、ミッションコンプリートだな。他のお客さんにも丁寧な対応をするようになったし、これは善行といっていいだろう)
ただし、彼のイライラの原因を取り除いたわけではないため、しばらく時間が経つとまたイライラ店員に戻ってしまうため、僕はその度に鼻水を光速で拭いつつ彼の感情を無にし続けた。対象に触れている必要があるという発動条件があるため思いのほか大変だったが、相川さんと楽しい時間が過ごせるなら本望だ。
***
楽しい時間は本当にあっという間に過ぎていくものだ。タマキには夕食にも誘えと言われていたが、カフェで結構つまみ食いをしていたため、あまりお腹は空いていない。こういう場合は普通どうするものなんだろう?でも、今日はここで終わりでも十分満足だった。まだ実際に会ってから数時間しか経ってないけど、焦らなくても大丈夫という感覚が何故か僕の中にあった。
「相川さん、お腹は空いてますか?」
「………」
「相川さん?」
「あっ、ハ、ハイ!わたし、わたしですね」
そうだ、こんな感じで何度か、相川さんが時々なにか言いたげに、モジモジしてる感じがずっと気にかかっていた。
レトロゲームカフェを出て、駅まで二人で歩きながら、僕はある可能性について考えていた。
(これはもしかして……?いや、そうなら助けないと……)
僕は、意を決して、あの禁断の瞳を発動させた。
『尿意メーター・アイ!』
まず、誤解しないでほしい。あくまでも緊急事態ではないか確認するための行動であり、1ミリもやましい気持ちなど無いと断言できる。サイレントセクハラ野郎などと罵るのもやめてほしい。
能力が発動すると同時に、彼女の頭上に……
(これは……!)
(モジモジしてたのはトイレを我慢してるわけではなかったのか、ただ……)
僕が一人でぐるぐると考え事をしているうちに、駅の改札が見えてきた。僕らは、また会いましょう、と約束した。
「そういえば、メッセージアプリ、まだ交換してなかったですね」
僕がそう言うと、彼女はスマホを取り出そうとして、しかし、その手を止めた。そして、何かを決意したように、僕をまっすぐに見つめた。
「あの、三木さん……。すみません、私、本当は……」
彼女は、思い詰めた顔で、切り出した。
「本当は、相川ミカじゃなくて……網川安未果っていうんです……」
僕は、尿意メーター・アイで、彼女の本名をすでに見てしまっていた。ただ、それで不信感を覚えるなんてことはもちろんないので、僕は努めて明るく返事をする。
「あ、そうなんですね!じゃあ、これからはアミカさんって呼んでもいいですか?」
彼女は少しの沈黙のあと、意を決したように話し始めた。
「名前に、ちょっとコンプレックスがあって……。アミカワアミカって、なんだか、アミカアミカって続いて、魔法少女みたいだって昔からかわれてて……だから本名出すのに躊躇しちゃって……。すみません、嘘ついちゃって……」
「よくわかりますよ、その気持ち。だって、僕はミキミキオですからね!」
「あっ、そうでしたね!そうだ、三木さんもお仲間だったんですよね。躊躇する必要なんてはじめからなかったのに、私ったら……フフフフ」
「親のネーミングセンスが、お互いちょっとだけユニークだったみたいですね」
僕らは顔を見合わせて笑いあった。
「三木さんは、そういうの気にせず堂々としてて、カッコいいですね。」
「いえ、コンプレックスになる要素が他に多すぎて、変な名前は優先順位が下に回ってるだけなんですけどね、ハハハ」
僕がそう言うと、彼女は何かを吹っ切れたような晴れやかな顔で、僕を見つめた。
「あの……もう、帰らないといけない時間、ですか?ミキオさん」
「えっ?」
「もう少し、お話ししたいです。もっと知りたいです、ミキオさんのこと」
その言葉は、僕の心臓を直接掴んで揺さぶるような、とてつもない破壊力を持っていた。
(……どうする?こんな展開まったくシミュレーションできてないし、タマキにも教わってないぞ)
いまだかつてない緊張の波が押し寄せてくる。ドウスル?ドウスル?ドウスル?
【ミキオは こんらんしている!】
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