悪役令嬢である私と攻略対象である彼の『元サヤ』に至るまでの経緯
私には婚約者がいる。
優しくて誠実な、自慢の婚約者だった。
けれど彼は、貴族の子女の通う学園で聖女様である男爵家の末娘に心底惚れ込んでしまった。
そして今、私は別れ話をされている。
…前世の記憶の通りなら、私はここで癇癪を起こして聖女様を虐める悪役令嬢になるはずだった。
だが、私には前世…この乙女ゲームの世界に生まれる前の記憶がある。
日本という島国で育った、乙女ゲーム好きの女子高生の記憶。
だから、悪役令嬢になるルートは全力で回避する。
「やめておいた方がいいですよ、ゼロ様。聖女様は王太子殿下とお近づきになっていると噂ですし、他の貴公子との噂もありますし…」
「それでも惚れ込んでしまったんだ…他の女性と結婚などできない」
「家同士の利益のための結婚でも?」
「君の家が我が家の結納金に頼り、我が家は君の家の歴史と権威に縋っていた…この状況で婚約破棄など馬鹿げているのはわかっている。でも…どうしても彼女じゃないとダメなんだ。もちろん聖女である彼女とどうこうなろうとは思っていない。だが、恋してしまった以上他の女性を選ぶことはできない……君を弄ぶ真似をしたくないんだ」
「そうですか…」
どうやら彼は本気らしい。
仕方がないから悪役令嬢ルート回避のため、少し切ないけれど身を引くしかないか。
「わかりました。婚約の解消には応じます。貴方の有責で、貴方の個人資産から慰謝料をいただきます。それでよろしいですね?」
「ああ。慰謝料は本来結納金として払うはずだった額をそのまま払おう」
「え、そんなに?」
「私の有責なのだから当たり前だ」
「でも貴方…私と婚約を勝手に解消したら普通に親から勘当されますよね?」
私の言葉に彼は頷く。
「ああ、そうだろうな。家は弟が継ぐだろう。あいつの方が優秀だから、むしろ俺が継ぐより家は安泰だな。弟は婚約者がいないから、良いところのお嬢さんと婚約して家の利益になる結婚をするのだろうな」
「いえ、貴方様も十分すぎるくらい優秀な方だと思いますけど…その頑固なところと融通が利かないところ以外は」
「………本当にすまなかった」
「いえ、元々家同士の利益のための結婚ですから。もらえるはずだった結納金と同額の慰謝料をいただけるのであればこちらの利益にしかなりませんし。醜聞はまあ、我が家の権威の前に私の悪口を平然と言える人は少ないですから…そのうちなんとかなるでしょう。それより貴方です。生活はどうするのですか」
彼は何故か私に微笑む。
「君は本当に変わらないな」
「え?」
「私の勝手に振り回されているのに、私の心配ばかりして。そんな優しい君を好ましく思っていたはずなのに…どうして、こうなったんだろうな」
それでも聖女様のことが頭を離れないのだと彼は言う。
「…本当に、すまなかった。私のことは心配ない。個人資産は幼い頃からの投資でむしろ実家の資産より多いくらいなんだ。君に慰謝料を払って、家を買い生活用品を揃え新しい生活を始めてもまだ手元には残る。今後も投資で失敗しなければむしろ楽に生きていけるだろう」
「それなら良かった」
婚約の解消の書類を受け取る。
「お父様には私が伝えます。ゼロ様、お元気で」
「イチカ。本当にすまなかった。君は私の…初恋だったのに」
彼の言葉に目を丸くしてしまったが、取り繕ってとびきりの表情で微笑む。
「私の初恋も貴方です。どうか、お幸せに」
お父様に婚約の解消を伝えた。
相手有責、結納金としてもらうはずだった額と同額のお金をもらえると知って父は微笑んだ。
「よくやった、イチカ」
「はい、お父様」
これで溜まりに溜まった、先代の作り上げた借金は返せる。
お祖父様は贅沢な生活をし過ぎたのだ、そしてその皺寄せを領民たちに押し付けることなど出来ず領民たちの生活を守ることを優先した結果我が家はジリ貧だった。
だがこれで借金から解放される。
そして、我が領の税収を考えるとこれからは黒字続きになるだろう。
良かった、家の…みんなの役に立てて。
「だが…辛かったろう。今日はゆっくり休みなさい。学校もしばらく休んで良い。聖女とは顔を合わせたくもないだろう」
「ありがとう、お父様…私、お役に立てましたよね?」
「もちろんだ、本当によくやった。彼が婚約の破棄に際してこれだけの誠意を見せたのは、イチカが彼を今まで献身的に支えてきた証拠だ。だからこそ、この結果は…正直本来なら受け入れ難いが………あの聖女、どうにも…いや、これ以上の言及はよしておこう。とにかく今は休みなさい」
「はい」
貴族の子女の通う学園、カバラ学園。
そこで私は成績一位を常にキープしていたから、卒業に必要な単位と出席日数はすでに確保していた。
だから、卒業式まで引きこもっていられる。
ゆっくり、心を癒していこう。
あれから半年が経つ。
私はカバラ学園の卒業式を迎えていた。
あれから、本当に色々あったのだ。
『学園一の才女 イチカの婚約解消による引きこもり騒動』
『王太子殿下とその婚約者の婚約破棄騒動』
『他の令息方の婚約破棄騒動、その婚約者たちによる報復』
『王太子殿下の元婚約者の新たな婚約 他国の王族に見初められたと大々的に発表』
『聖女が魅了の術を使っていたことが発覚』
『聖女は罰せられ、魅了の術によって愛する婚約者を失った貴公子たちの阿鼻叫喚』
『聖女の実家も罰金や賠償金で火の車となる』
私は引きこもりを謳歌していたので伝聞でしか知らないが、本当に大変だったらしい。
完全な推測だが、全てはこの乙女ゲームの世界のヒロインである聖女様の中身がビッチ…おっと失礼、阿婆擦れ…げふんげふん、性悪転生者だったことに起因するのだろう。
転生者である証拠はないが、乙女ゲームの世界の主人公は本来優しくて愛らしい女の子なので中身がおかしなことになっているとしか説明がつかない。
そんな聖女様は、今は教会の奥に閉じ込められて自由のない生活を強いられているらしい。
そして聖女様は、その過酷な生活の中で聖魔力を無理矢理絞り上げられているそうだ。
聖魔力を強制徴収されるのは心身ともにダメージを負うと聞いた、きっと今は辛い時期を過ごしているだろう。
あと、こんな騒動も続いた。
『貴公子たちの復縁要請、元婚約者たちの罵詈雑言』
『仕方なしの再婚約、婚約者に頭が上がらなくなる貴公子たち』
『元婚約者を他国の王族に掻っ攫われて復縁も叶わない王太子殿下』
『その新たな婚約者に選ばれた私の従妹』
『可愛い従妹は王太子妃教育も健気にこなし、王太子殿下にはアプローチし過ぎずそっと寄り添って、今ではお互い信頼し合う関係に』
『家を勘当されたゼロ様が事業に投資して成功して、聖女の実家の爵位と領地を買い取って彼らに莫大な税を課せられそうになっていた領地領民を救う』
『それでもなお返しきれない借金に聖女の実家は離散』
というわけで、聖女様関連のお話はこの半年でなんとか収まった。
再婚約していない、聖女様の魅了の術の被害者はこれで私とゼロ様くらいのものになった。
だが、私はカバラ学園の卒業式を迎えた今日になっても他の誰かと再婚約する気にはなれない。
お父様もお母様もお兄様もお義姉様も、私に無理に誰かとの再婚約を勧めない。
一方でゼロ様は勘当された身でありながら、自力で貴族に返り咲いた。
そしてゼロ様は私との件で停学処分を受けていたカバラ学園からも今日、卒業を認められた。
聖女様関連のお話は、聖女様が全部悪いということで決着したから。
だから今、卒業式の後。
私とゼロ様は久しぶりに顔を合わせたわけで。
「…久しぶり、だな」
「お久しぶりです、ゼロ様」
「元気か?」
「元気です!領地にしばらく引きこもって、読書や刺繍や詩に没頭していたら楽しくて楽しくて!」
「それは良かった」
ゼロ様の久しぶりの笑顔に、思わずどきりとする。
「ゼロ様もすごい返り咲きをしましたね」
「ただの平民になった私が、男爵になるというのは…なかなかな出世だな」
「そこまでお金持ちになられるなんてすごいです」
「投資した事業が上手くいっただけだ。私はお金を出しただけだし、実際に事業を行った彼らの頑張りに救われた形だな」
「ふふ、そうですか。幸せそうでよかった」
風が吹く。
私の髪を揺らした。
遅咲きの桜が舞って、私の髪に花びらがついた。
「…花びらが」
「ええ」
「取ってもいいか?」
「はい」
ゼロ様が私の髪についた花びらをとってくれる。
「ついててもそれはそれで可愛いんだけどな」
「あら、お上手」
「お世辞じゃない。可愛いよ、イチカ。こんなこと言う資格、もう私にはないかもしれないが…」
「いいえ、貴方にだけそれを言う資格があります」
私の言葉に、ゼロ様は目を見開く。
「え…」
「私、健気にずっと貴方を待っていたんですよ。聖女様が卑劣な手を使っていたと知った日から、ずっと」
「…っ!」
ゼロ様は私に跪く。
「本当にすまなかった!」
「謝罪は求めていません」
「…イチカ、その。魅了の術が解けてから、そして男爵の地位を手に入れてから…ずっと、ずっと、君と再婚約したいと身勝手な願いを抱いていたんだ」
「はい」
「結局、こんなものまで用意してしまった…」
ゼロ様はポケットから指輪の入った箱を取り出した。
「婚約指輪…受け取って、もらえないだろうか…」
「ええ、もちろん受け取ります」
微笑む私に、彼はポカンとした。
が、次の瞬間には恭しく私の左手をとって薬指に指輪をはめた。
「ありがとう…本当に、ありがとう」
涙を堪えて私の左手の甲にキスをするゼロ様に、なんだかこっちが泣けてきてしまう。
「ありがとうございます、ゼロ様」
「感謝するのはこちらの方だ」
「いえ、私…聖女様の卑劣な手段を知ってから、貴方をずっと求めていました。手の届くところに帰ってきてくださって、よかった」
「イチカ…!」
ぎゅっと抱きしめられる。
幸せで心が満ちていく。
「イチカ…今度こそ大切にする。私と結婚してください」
「もちろん、喜んで!」
「ああ…幸せだ…!」
こうして私は、ついに再婚約を果たした。
その後両親と兄と義姉に再婚約の件を伝えると一緒に喜んでくれたのだが、ゼロ様にはしっかりと釘を刺していた。
「もう二度とうちのイチカを泣かせてくれるな」
その言葉を聞いて力強く頷いたゼロ様に、家族は今度こそ心から祝福してくれた。
元サヤですが、元々想い合っていた二人だからこその結末でした。
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