31話 魔神オフェリア(下)
話を止め、戦う気になった魔神オフェリアと向き合うと……精霊の時とは段違いの威圧感だ。単に腰へ手を当てるという挙動にも、なんらかの意味があるんじゃないかと考えてしまう。
魔女であれば魔法を使う時に激痛が走るので、その一瞬の隙を狙って攻撃を仕掛けられただろう。精霊状態であっても、魔法が発動する前に霊体が揺らめくといった前動作があったから凌げた。
しかし、魔神となった彼女にそんな隙は無い。
両手を腰に当てて油断なく俺を見定めている魔神の周囲には、水や炎の塊、つむじ風が現れたり消えたりしており、だがそれを気にしているようなそぶりはない。
無意識に魔法を操っているのだ。それが当たり前だとでも言うように。
俺が隙を見せたら、アレがノーモーションで飛んで来る。それを理解して額に汗が滲むのを感じた。純然たる冷や汗だ。正直、勝てる気がしない。
それを感じたのか、さっきから黒木刀が神魔刀形態を解放しろって波動を送ってきているが……悪いな、俺の我儘を許してくれ。今のままで戦いたいんだ。
俺は魔神オフェリアを殺したいわけじゃないし、魔神を相手に剣士としてどれだけの高みに至れるか確かめたいって想いがある。なにより、あそこで雁首揃えて見ている防衛局のヤツらに、ヒトが何処まで行けるのかってのを見せたいんだよ。
あいつらは、また明日からは魔女がいない絶望の中で戦っていかなければならない。希望とまでは言わないが……圧倒的な力を前にしても、一生懸命戦えば生き延びられるってことを示したい。カズラに邪魔されて最後まで面倒を見切れなかった、せめてもの罪滅ぼしだ。
緊張で乾いた唇を舌で舐めて湿らせる俺を、魔神は面白そうに眺めている。
「……いい顔するじゃない。覚悟を決めた男の子の顔ね、ぞくぞくするわ」
「そいつはどうも……さっきから冷や汗と震えが止まらないぜ。そっちは随分と余裕で羨ましいよ」
「余裕? はっ、謙遜も大概にしなさいよね。さっきから今まで、都合十回は仕掛けようとしたけど、ぜんぶ失敗する未来しか見えなかった。アンタ、本当に人間? 今も……半歩下がらなかったら、アタシを斬ってたでしょ? それ木刀よね、なんで真っ二つにされるビジョンが頭に浮かぶのか理解に苦しむわ」
「精霊の時は何から何まで分からなかったが、ヒトの形をとったなら対人用の技が活かせる。俺であれば木刀で真っ二つも難しくないさ。魔神というヒト型になった事で発現した唯一の弱点だろうよ」
「アンタが何を言っているかサッパリわかんないんだケド……要するに規格外ってことね」
「規格外は魔神サンの方だろ? ……それより、さっきみたいに飛ばなくていいのか? 空から戦術級魔法をぶっ放されたら、俺に手立てはないぞ」
「嘘を吐くなっ、ずっとアタシを狙ってたくせに! ちょっとでも動きを止めたらアタシを殺す何かが飛んで来る。だからアタシはディアナの周りを飛び回るしかなかった。アンタのその殺意? 殺気? ……それが無かったらもっと早く決着がついてたわよ! ……大体、お婿さんを消し飛ばしてどうするっての? アンタは目で見える範囲でボッコボコにしてやるって決めてるんだから!」
バレてたか。しかし、空に浮かべば優位なのは間違いないだろうに――やはり、殺し合いというよりは力比べをお望みなのかな、あの時のような命を懸けたじゃれ合いが。神魔刀を抜かなくて正解のようだ。
そう言えば……たとえ遊びであっても命を懸けるんだから、名乗らなきゃ失礼ってもんだな。このまま睨めっこを続けるのは望む所じゃないし、それを以って本格的な開戦といこうじゃないか。
急に戦意を薄めて防衛局時代の敬礼をした俺を訝しむも、魔神オフェリアは攻撃せずに俺の名乗りと宣言を待ってくれた。
「魔女の従者見習い――いいや、これじゃ恰好がつかないか? まさかコイツを自分から名乗る事になるなんてな……四精霊の魔女を制す器、ルート・トワイス。地のエレメント、ディアナ殿に代わってお相手致す。ここより先は死地に入る、覚悟召されよ」
「へー、なによそれ、カッコいいじゃない。いいわ、アタシも改めて名乗りましょう――風の魔神、オフェリアよ! アンタに勝って、アタシは全てを手に入れるわ! 自由も、アンタの魂さえも!!」
もう予測も何も関係ない、ただただ苛烈な勝負が始まった。
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周囲に攻撃魔法の嵐が吹き荒れる。
西瓜よりもデカい火炎弾は、当たったら火達磨になるだろう。避けてもそこにあるジェット水流に触れたら真っ二つになるだろうから黒木刀で迎撃するしかない。
地面からは俺を串刺しにしようと土の棘が容赦なく生えて来るから下からにも気をつけないといけないし、その杭を縫ってやってくる風に態勢を崩されれば、土杭の、火炎弾やジェット水流の餌食になる。
正直、反撃どころではない。何故、生きているのか不思議なくらいだ。
持ち前の反射神経をフルに使い、精霊状態の時に戦って覚えた攻撃時のクセと、あとは今までの戦で得た経験と磨いてきた勝負勘、その全てを用いて本当にギリギリで魔神の魔法を捌き続けている。
「躱せるの、これもっ!? エレメントが二人掛かりで敵を倒すための必勝の陣なのに! 凄いわ、アンタ――いえ、ルート・トワイス! じゃあ、次は四人がかりでやるコレはどう? 見事生き残ってみせなさい!」
嘘だろう……前方には山津波、上には巨大水塊が、そして側面には炎の壁、後ろには竜巻が出現して俺に迫って来る。この場に留まっていたら確実に死ぬ。
どれか一方に向かって強行突破するしかないが……正解は炎だっ、コンチクショー!
左右に力を割いた所為か、前後の魔法よりも少し密度が薄い炎の壁を黒木刀で切り裂き、必殺の陣から転がり抜けた。
その数瞬後に起きた爆風に吹っ飛ばされたが、前転と側転を駆使して倒れることを免れる。戦場で倒れたら即、死がやってくるのだ。ほら、こんなふうに!
真正面に迫った巨大火炎弾を黒木刀で切り裂くと、その先に在る魔神殿は本気で驚いた表情を作った。
「すごい……本当に凄いわ、アンタって本当に人間?」
「そりゃ、こっちのセリフだ! エレメント全員の必殺級魔法――それを自在に操っておいて何が『風』の魔神だッ、本物の魔神じゃねーか!」
「あら、失礼。じゃあこれからはちゃんと名乗らせてもらうわ、『魔神オフェリア』ってね。いやー、魔法が自由に使えるっていいわね! 一人じゃ使えなかった合体魔法とかも使い放題だし、無限に活力が湧いて来るこの感じ、人間だった頃には到底味わえない快楽よ。魔神になってよかったわー」
「余裕だな、クソったれ! 今度はこっちから行くぜっ!!」
「あら駄目よ、ここまで頑張ったんだから、デザートもちゃんと平らげて貰わないと。はい、風の戦術級魔法『大竜巻』よ。天国へごあんなーい」
やっぱ殺す気だろう、テメェ!
そんな罵声を浴びせかける暇もない。精霊の頃はあった溜めが、魔神になったら一瞬の隙も無く放ってくるとかアンタの体内構造はどうなってるんだ!
迫るエメラルド色の煌めきは、アケノモリを蹂躙した風の結晶だ。矢の速度で迫って来るアレをまともに食らったら、この世から俺と言う存在は消え去るだろう。
だがな、俺は何度もソレを見て学ばない馬鹿じゃないぜ。もうそれの対処方法は編み出している。目を見開いて、発動前の『核』を見極めることができれば…………そこだァ!!
下から上へカチ上げる全力の一撃は0.1mmでもズレていたら、その場で発動して俺を粉々にしていただろう。だが、その真芯をとらえれば――
かっきーん! という小気味良い音を立てて遥か上空へ飛んで行き、空中で巨大な竜巻が出現した。
おお、すっげー、竜巻なんて本当だったら滅多に見れない自然現象だ。たまにやって貰って鑑賞会とかイイかも……なんてな。そこでアホずら晒している魔神サン、綺麗な顔が台無しですぜ?
魔神オフェリアは、よほど俺に戦術級魔法を打ち返されたのがショックだったのか、大口を開けて驚いている。とても年頃の娘さんがする表情ではないが……ハッ、ようやく隙を作ってくれたな!
俺は魔人までの距離を全力疾走して運動エネルギーを蓄積すると、その勢いのまま跳んで……俺の存在に気付いて何かをしようとした魔神の顔面に、ドロップキックを叩き込んだ。
そして、鼻から綺麗な液体を出して吹っ飛ぶ魔神オフェリアに親指を立てる。
「だーはっはっは! どうだ、すごいだろ。男子三日合わざれば刮目して見せよってなぁ! 俺が一週間前の俺のままだと思うなよ、このすっとこどっこいが!」
「……ちょっと、アンタ! 女の子の顔に飛び蹴り喰らわすとか、最低よ! 鼻が折れて元に戻らなかったらどう責任取るつもり!?」
「あーん? アンタ、魔神だろ。すぐ再生して元に戻るってのに……ほら、鼻を押さえている手を退けたら、さっきと変わらない超絶美人だぜ。黒木刀で叩き斬らなかっただけ、有難く思えってんだ!」
「っ、……この女誑しっ、女の敵! あったま来たわ、こうなったら戦略級魔法で……」
「おっとそれは勘弁な。せっかく距離を詰めたんだ、そんな大魔法は使わせないぜ!」
繰り出した黒木刀の一撃は、魔神が作り出した水塊に阻まれた。
その隙に、先ほどまでの余裕をかなぐり捨てて空中に逃れようとした魔神であるが、甘い。一週間前の俺じゃないって言っただろうが!
戦いの中で密かに練り上げた『気』の力、とくと味わえ――『黒流星』!!
俺が全力投擲した黒木刀は、魔神が再び出した水塊を容易く貫通して延長線上にあった魔神の頭、その横をかすめて飛んで行った。と、いってもすぐに戻って来るんだが。
くるくる回転して戻って来た黒木刀を掴むと、地面に落ちて腰を抜かしている魔神オフェリアに黒木刀を突き付けた。
「あ、あああ、アンタ、アタシを殺そうとしたでしょうっ、そうでしょ!? さっきのを喰らったら絶対に頭が砕けていたわ! 未来のお嫁さんを殺そうとか、何考えてんのよっ?」
「それ、まだ言ってるのか……確かにさっきのは当たってたら殺せてたから、わざと外したんだよ。勝負としてはさっきので一本だな。それで、まだ続けるか? 諦めて俺の勝でいいなら、全部諦めて魔女の島に帰ってもらうけど」
俺がそう言うと、目を瞑ってちょっと悩んだ風に表情をゆがめ……再び目を開いたときには闘志が戻っていた。そして、俺が突き付けていた黒木刀を手で横に叩く。
「冗談、たった一回、不意を突いたくらいでアタシに勝ったなんて思わない事ねっ! まだまだ勝負はこれからなんだから!」
「……付き合いますよ、お嬢様。貴女が半世紀?の間に溜めたストレスは、たった一回の勝負じゃ発散しきれないでしょうから。ですが、勝利は俺が頂く」
「いいえ、さっきので確信したわ。アンタは野放しにしたら他の女を不幸にする。アタシがちゃんと躾けてやるから、絶対に勝ってアタシのモノにする!」
「しつこい! 俺はクラウディアが好きなの! それ以外、誰とも付き合うつもりはない!」
「ゑ……ディアナじゃなくて、バーサーカー三人娘の長女、紅の破壊神と付き合うとか本気!? 頭がおかしいんじゃないの?」
「誰が破壊神だ!? 俺が好きになった女を化け物にするんじゃない!」
「いやー、だめでしょあれは。アタシが正しい道に戻してあげる。こりゃ、絶対に負けられないわ」
ちょっと引っかかるが……そこから先は、先ほどの繰り返しのようなものだった。違うのは、お互いに殺す気が無いと改めて確かめ合った事だけ。だが、遊び合うにはそれで十分だ。殺せるのと実際に殺すのとでは、やはり天と地ほどの違いがある。こんないい女、誰が殺せるものかよ。
楽しい、楽しいなぁ……こんな時間がずっと続けばいいのに。
しがらみを全て削ぎ落して白熱した意識を存分に味わえるこの時間が愛おしい……そして、俺に付き合ってくれる魔神オフェリアと出会えたことが涙が出るほど嬉しい。
俺は命の鬩ぎあいを楽しむ異常者だが、この瞬間だけは誰にも否定させない。文句があるなら、こっちの土俵まで上がって来いってんだ。
そして……楽しい時間はあっという間に過ぎ去るのが常だ。
最後の勝負で魔神オフェリアが使ったのは地水火風の全属性を備えた魔戦闘着、それによる接近戦で……対する俺が放ったのは『十二神将・顎』だ。
圧倒的な破壊力で俺を叩き潰そうと迫る八つのそれを、まず一刀目で全ての核を同時に切り裂き霧散させた。慌てて再出現させたヤツも続く二刀目で霧散させ――流石に三つ目を一秒以内に再出現させるのは無理だったようで、最後の三刀目は無抵抗で受け入れた。
頭にコツンと当てたそれに、『ダメだったかー』という、泣き笑いのような表情を浮かべて魔神は気絶した。
崩れ落ちる前にオフェリア殿を抱きかかえ、そのままお姫様抱っこに移行する。
こっちだって鼻や目、耳からも血が出ていて、精も魂も尽き果てているが、最低限の義務は果たさなければ。これで魔獣に襲われて二人ともお陀仏とか笑えない。
防衛局に戻るまで俺は一歩一歩踏み締めるように歩き、砦の外で見守ってくれていたサレナ殿にオフェリア殿を託すと、その場に崩れ落ちて気絶した。
意識を失う前、『大四喜の和了、おめでとうございます』なんて言葉を聞いた気がするが、専門用語は分からいっつーの。




