30話 魔神オフェリア(中)
端から見れば、ただボケっと座っている男と土下座している女で、すごく外聞が悪い。
サレナ殿には早く顔を上げて貰いたいところなのだが、ガタガタ震えてごめんなさいを繰り返しているヒトを、無理やり起こす訳にもいかない。
はて困ったなと空を見上げていたら、ひと際激しい衝撃音が響いた。どうやら魔女と魔神の戦いに決着がついたようだ。一方の人影が力を失って急落下してくる。
あれは……くそっ、ディアナ殿だな!? やはりオフェリア殿が有利とする空中戦では敵わなかったのだ。
「サレナ殿、ディアナ殿が落ちて来るぞっ、俺は救出に向かうから貴女も早く来てくれ!」
「はっ!? りょ、了解です!」
ディアナ殿は完全に意識を失っているのか、自然落下の速度で落ちている。このままだったら地面に叩きつけられて死ぬだろう。それは絶対に避けねば!
走る、とにかく走る。こんな全力疾走はいつ以来だろうか?
単独探索でトンビに潰されようになった時か、更にもっと昔の伐採隊時代にゲキドから必死に逃げた時か。あの時は失敗しても自分だけの命で済んだが、ディアナ殿はワルプルギス機関の重鎮だし、個人的にも凄く恩義があって絶対に死なせるわけにはいかない!
背中を下に落ちて来るディアナ殿まで約100m、それを全速力で駆け抜けて跳び、空中でディアナ殿を抱きかかえ、真正面に迫った木の側面を足で蹴り、半回転して着地する。
あ、危なかったーッ!
そのまま地上でディアナ殿を受け止めていたら、腕も足も骨折していただろう。犠牲になってくれた森の木には感謝しかない。結構な太さであったが、俺達の運動エネルギーを全て受け止めてミキミキと音を立てて倒れる木に片手で敬礼する。
さて、もう片方の手で支えているディアナ殿は……酷い状態だ。
ローブの多くの箇所が切り裂かれて肌が覗いており、そこには例外なく血が流れている。四肢やその末端に欠損は無いが、この出血量は命に関わるな。意識も無くて……早急な処置が必要だ。
俺はディアナ殿が身につけていたポーチを探り、そこから最後の一つであろう銀色の草花を煎じた薬――カプセルを取り出した。そいつを自分の口に入れて噛み砕くと、腰に下げた水筒の水を少しだけ口に含み、ディアナ殿へマウストゥマウスで注ぎ込んだ。そして、喉がこくりと動くのを待つ。反射的に吐き出すこともあるから、それを確認するまで口を離せない。
驚くことなかれ。この程度の医療行為は防衛局員時代に飽きるほどやっている。男女問わずに二か月に一回くらいはやる機会があって、それで助かったヤツもいれば、死んだやつもいる。好き嫌いで言ったら嫌いな行為であるが、それで命が助かると言うのならやらない選択肢はない。
果たして薬を飲み込むより先にディアナ殿の意識が戻ったようだ。目を見開いて俺を押し退けようとするが、一緒に含ませた薬を吐き出されたら堪らない。
片手で体を抱きすくめ、もう片方の手で彼女の頭が逃げないように抱える。
暫く抵抗していたディアナ殿だったが、徐々に力を失っていって……やがて俺を受け入れ、こくりと薬を飲み下した。
よし、もういいだろう。
ディアナ殿から身を離して傷口を確認すると徐々に塞がっていっているのが分かり、ほっとした。かなり強引な止血方法であったが仕方がない。防衛局の医療室まで彼女がもつか、それを魔神オフェリアが許すかも分からなかったのだ。
「ディアナ殿、体に痛い箇所はありますか? 痺れるとか、不自由な箇所は? 貴女のポーチからあの薬を取り出して飲ませましたが、回復していないようならすぐに病室へいかないと。自分の足で立てますか?」
「……病室、ベッド……き、君は気が早いね。いや、全然かまわないし……その、吾輩もすごくしたいけれど……1ダースは欲しいなぁ……ああ、先に老害二人を片付けるのが先か……愛を得た吾輩は無敵だから安心して……ここに虹色の欠片はあるし……準備はできているから」
意識が混濁しているのか? 普段とは全然違って何やらぼーっとしており、夢遊病者のようだ。おそらく血を失い過ぎたんだろう。安静にしていないと、組織の重鎮である彼女に何かあったら大変だ。
ようやく到着して、何やら変なポーズを取って白くなっているサレナ殿に、おかしくなったディアナ殿を見せる。やたらしがみついてきて身動きが取り難いが、失血の影響で幼児退行しているのか?
「サレナ殿! ディアナ殿を防衛局の病室へ運んでください。意識が混濁していて、ちょっとまずいかもしれません。魔神の相手は俺がしますので」
「…………明らかにアナタの所為ですが、まあいいです。なにせ命の恩人ですから。そうですね、あと一人落とせば和了ですので、頑張ってください」
「? ……いや、専門用語は止めて頂きたいのですが。何を言っているのか分からないですよ」
サレナ殿は、困惑する俺と腕の中で子犬のように丸くなったディアナ殿に近づくと、ぐずる彼女を強引に抱きかかえて防衛局の方へ走って行った。
なにやら不満顔と言うよりは呆れ顔といった感じであったが、まさかさっきの医療行為に文句があるのでは無かろうな。一刻を争う事態で躊躇う暇もなかったし、マウストゥマウスを行う羞恥心何てとっくに無くしている。もしあれが初めてだったら、犬に嚙まれたと思って諦めて貰うしかないが……。
「大丈夫、アレは接吻とは全く異なる行為なのだ……!」
「へぇー、なにそれ。女の子の唇を強引に奪っておいてそれは無いんじゃない? 困ったなー、こんな女誑しとは思わなかったわー、これは躾が大変ねー」
いつの間に、というか、さっきからずっとそこに居た魔神オフェリアが、凄く平坦な声で話しかけて来た。その目は標的を狙う殺し屋のように鋭くて、えらく怖い。しかし……。
「ディアナ殿の意識が戻るまで幾らでも攻撃する隙はあった筈なのに、こっちの態勢が整うまで待ってくれるとは律儀な事で」
「あら、アタシだって女の子だもん。一生に一度の大事なファーストキッスを邪魔するほど野暮じゃないわ。それを認めないとか、アンタを殺したくなってくるんだけど」
「アレは医療行為だ! 無効だッ! ファーストキスは俺だってまだなんだ!! じゃないと……俺の最初の相手は、相手は……ひげ面の、五十路を超えた、ぐぉああああ!!!」
消えろっ、俺の脳から消えてくれ! なんで事あるごとに思い出すんだ、コンチクショウ!! 蕁麻疹が、吐き気が止まらないっ、違うんだ、あれは医療行為! ファーストキスじゃない!!!
……ふーっ、ふー…………はぁ、なんて恐ろしい精神攻撃なんだ、憤死しそうになったぜ。流石は魔神と名乗るだけはある。
「あの、大丈夫? ゴメンね、ファーストキッスにそんなトラウマがあるなんて知らなかったから」
「だから、違うっつってんだろーが! アレは医療行為で、断じて接吻じゃないぞ! 接吻とは愛し合う二人が同意の下に、桜の木の下か月下で行う儚くも美しい愛を確かめる行為だ! そこを間違えたら神魔刀でぶった斬るからな!?」
「ひぃっ……わ、分かったわ! けど、ディアナにとっては間違いなくファーストキッスだから、認知してあげた方がいいと思うわよ?」
「……努力はする。彼女がそう思うのは勝手だ」
ようやく動悸が収まり、滲んでいた涙を拭って、改めて魔神オフェリアを見やる。
ディアナ殿と同じく、着ているローブのあちらこちらが破けているが、その下から見える肌には傷一つない。考えられるのは取り込んだ虹色の枝の効力か、自前で再生能力を持っているのかは不明だ。
『なによー』って感じで俺の様子を伺う姿は大股開きで、清楚と言うよりは大らかさを感じる。
銀髪褐色でディアナ殿とは別方向のエキゾチック美人であるが、なにより特徴なのはちょっと尖った耳だろうか? ヒトの耳とは明らかに異なった造形で、それが魔神の証なのかもしれなかった。
逆に言えばそれくらいしかヒトと異なる外見はなく、こうして話していると精神に異常は感じられない。魔神とはいったい何なのか……。
「それで……ディアナ殿を倒して、魔神は次に何をするつもりなんだ?」
「うん? そりゃあ、さっき言った通り、アンタをぎったんぎったんのぼっこぼこにして、リベンジを果たすのよ! そしてお婿さんになってもらうの」
「……なぁ、そのお婿さんて何かの隠語だったりする? もし、言葉の通りだったら全く理解できないんだが。何で俺なんだ?」
「だから、アンタがアタシを魔神にしたんだから、責任を取るのは当然でしょ? ディアナには悪いけど、アタシだってこんな運命的な出会いをふいにしたくないし? アタシが全力を出しても殺せないヤツなんて初めてで、また探すのは面倒だし、居ないかもしれない。寝ぼけて放った魔法で死なないって貴重よねー。それに、魔神になったアタシに寿命があるか分からないケド、独りで生きるには人生長すぎるのよ、やっぱり相棒がいないと。またアレを取って来て手元に置いとけばアンタも老ける事はないだろうし……諦めてアタシのお婿さんになりなさい!」
……前半の理屈は全く分からないが、後半はサレナ殿が語った魔女の恋愛観に近いな。ふとした拍子に愛した相手を殺す、それは確かに悪夢だろうさ。
もし俺になんのしがらみも無かったら、魔神について行ったかもしれない。彼女と歩む道は、それはそれで面白そうだから。
けれど俺には既に好きなヒトがいて、彼女を取り巻くすべてに魅せられている。それにクラウディアには改めて好きだって伝えたいし、父親って存在にも会わなければいけないし……やりたい事は山積みなんだ。
「悪いが断るよ。叩きのめされるのは魔神オフェリア、アンタの方だ。そして取り敢えずは魔女の島へ連れて帰る。そこで退職届を出すんなら出せ。魔神か何か知らないが、ちゃんと筋を通せよ。そこから先はアンタの自由だ」
「はんっ、少年がいっぱしの事を言うじゃない。いいわ、力尽くで屈服させてあげる。そんで、アタシの半世紀ストレス解消ツアーに付き合ってもらうんだから、覚悟しなさいよね!」
なんちゅーか、やっぱり魔神というかヒトじゃないか? 欲求が余りにも人間的――年頃の娘さんか、仕事に疲れた妙齢の女性だ。まあいいか、こっちの方が分かりやすいし、暴力で解決ってのは実に俺好みだ。
さて、これがアケノモリにおける最後の戦いだろう。派手にいこうじゃないか。