22話 水と炎の回想
あれは、そう――
虹色の枝を巡る探索を終えて防衛局で報告書を作成、退職届を部隊長に提出し、ワルプルギス機関から来たもう一人の四精霊の魔女に枝の回収をしてもらって、防衛局おける全てに一区切りがついた後だった。
枝の回収から約一週間が経過して満月となり、もうこれより時間が経つと魔女の力が低下する時期に入るってことで、オクタヴィアと約束していた舞踏――試合をすることになったのだ。(なお、彼女のコンディション周期はクラウディアと全く同じだった)
試合と言っても、俺達の一撃はその全てが相手を死に至らしめるモノであるから、ほぼ殺し合いと言っていい。ただ、俺はともかく、オクタヴィアはワルプルギス機関の重鎮らしいから私闘で命を落とす訳にはいかない。
クロモリで手に入れて隠し持っていた虹色の欠片を両者が持ち、また、審判役のクラウディアとエミリア殿が、これまた内緒で手に入れていた黄金の果実をいざという時は使うという条件の下、戦うことになった。
場所は防衛局から5kmほど離れた野原で、誰の邪魔も入らず存分に力を使えるという状況。
俺もオクタヴィアも、己を殺し得る存在を求めていたから滾らないワケがなかった。
「ああ、この時をどれほど待ちわびたことか! 私、昨日は体が火照って眠れませんでしたの。いっそ夜這いを掛けようかと……ですが、ああ、貴方様の私を殺そうという熱い眼差し! 浸かった水風呂をお湯にしてでも待った甲斐がありましたわ!!」
「俺だってこんなにヒトを想うのは初めてだったよ。やっぱり愛と殺意は矛盾しないな……こんなに戦いに心躍るのは、これまでの生涯でなかった。神魔獣ドラゴンを前にした時よりオクタヴィアが怖い、そして愛しく想うぞ!」
血の滾りをぶつけ合う俺達の前に、必死に何かを抑えたような表情でクラウディアが立つ。
「……我慢だ。我慢せよクラウディア、己が見出したルートを信じるのだ………………さて、万が一を考えてルートは神魔刀を、バカ女は戦術級魔法を封じて戦う。それ以外は自由であるが、勝負がついたと私が判断した時点で試合を止めさせてもらう。後悔がないよう、存分に戦うがいい。それでは……始めよ!」
手加減なんて出来る筈もない。
初手から全力で打ち込んだ黒木刀の一撃は、躱せるタイミングを殺したモノだった。ゲキド程度の魔獣であれば両断していた攻撃を、しかし、オクタヴィアは高密度に圧縮した水塊で受け止めた。
それどころか次々と水塊を生み出し、己を中心として旋回させて俺を轢殺そうと迫る。オクタヴィア得意の水のドレスだ。その攻防一体の魔法は、触れただけで大魔獣キョジンの肉体すら容易に抉り取るだろう。
オクタヴィアを叩き斬れる範囲に陣取って黒木刀で次々に水塊を切り払うも、水塊はオクタヴィアを水源として次々と生み出され、その旋回速度は加速度的に上がっていく。
遂には十二神将でも水塊を潰しきれなくなり、一歩引いて真一文字を叩き込もうとしたその隙に、オクタヴィアは水塊の旋回速度を急に上げて宙に浮いた。
水塊の回転トルクによる空中浮揚――水のドレスの本来の姿だ。
だが、まだ手の届く場所にいる。ならば上空に逃れる一瞬の溜めを狙って、水のドレスごと真一文字で切り裂いてやる。
そう思って放った左下からの逆袈裟斬りは、しかし、四つの水塊を垂直に並べることで勢いを殺された。しかも、余った四つの水塊から放たれたジェット水流は、咄嗟に黒木刀から手を放して伏せなければ、体を輪切りにされていただろう。
続く八つの水塊から発射されるジェット水流を後転することで避けるも、距離を稼がれた。さらには地面から生えた土の牙で身動きを封じられる。
小癪な、この程度の魔法……時間稼ぎをするつもりか?
手に戻って来た黒木刀でそれらを薙ぎ払うも、その僅かな時間でオクタヴィアは八つの水塊を大きく成長させていた。直径四メートルは確実に超えるそれは八岐大蛇――あの時の再現か。
いや、状況はなお悪い。宙に浮いて八つの巨大水塊を従える様はまさしく水妖花。黒木刀の届かないそこから巨大水塊を放ち続けて俺を圧殺するつもりだな?
しかし、遠距離攻撃が魔法使いの専売特許と思うなよ。
八つの巨大水塊が迫り来るその一筋ほどしかない隙を狙い、裂帛の気合を込めて黒木刀を投擲する。『気』を乗せた黒流星ほどの威力はないが、人体を破壊するには十分な威力があるのだ。
死ぬ気で八つの巨大水塊を避け続け、潜り抜けたその先には……地上に降り立ち、肩から千切れかけた腕を別の腕で押さえる血塗れのオクタヴィアの姿があった。
剣士は剣を手放したら最後だ。ただし、俺の場合はいつでも手に戻って来る黒木刀があるから出来る、この意表を突いた隠し技を使って致命傷を避けられるとは……。
しかも、オクタヴィアは左腕を肩から失っても闘志は衰えずに、まるで最愛の恋人を見つけたかのように瞳を輝かせている。連続の魔法行使で地獄の痛みも抱えているというのに……なんて佳い女だ。
俺だってもう余裕はない。
とっておきだったさっきの投擲技は見られてしまったから、二度は通じない。空中に逃げられて高速移動による爆撃をされたら詰みだ。好きに蹂躙されるしかないだろう。
その前に俺の最高の技である『一刀十文字』で仕留める。真一文字は通じなかったから、それを重ねる一刀十文字で勝負だ。
対するオクタヴィアは八つの水塊を再び出して……何だ纏わりついているあれは、紫電か? 凄く嫌な予感が――ヤバイ!?
そこから放たれた不可視の波動。
咄嗟に放った真一文字は、確かにそれを切り裂いた。しかし、その余波を受けて左腕の一部が沸騰して弾けた。
全く理解不能で初めての攻撃を受け、破裂した左腕からだくだくと血が流れ落ちる。殆ど力が入らないが、かろうじて真一文字は出せるか? あれは一体……。
「驚きましたわ。クラウディアさんにも隠していた、私の奥の手だったのですが」
「俺もさ。アレを躱されるとは思わなかった」
「ですが」
「ああ」
「「次が最後の一撃だ(ですわ)」」
開始からたった一分程度しか経過していないが、お互いに死ねる瞬間は毎秒あった。その極度の集中が俺達から根こそぎ気力を奪っていた。
小競り合いで気力を消耗するよりは、気力が残っているうちに己が最高の技でもって相手を屠る。
そんな気持ちは俺達の中で語らずとも共有できた。
本当にありがたい。空中に逃げず、俺の全てを受け止めてくれるのだ。その右手に輝く白銀の煌めきに愛すら感じる。お前の全力には俺の剣士たる魂で応えよう。確実にヒトを殺す技――『死突』をもって。
オクタヴィアの魔法によって俺の全てが消し飛ぶか、俺の黒木刀の切っ先がオクタヴィアの心臓を貫くか……数秒後にはどちらかの命が地上から消えていただろう。
しかし、その命を賭けた勝負へ水を差す者がいた。それは既に炎のドレスを纏い、空中に浮いているクラウディアだった。
「それまでだ。これより先はどちらかが確実に命を失う。此度の勝負はこの私、クラウディアが預かる」
彼女の言葉には今までに聞いたことのない威厳があり、命を賭けてもこの勝負を止めるという気迫が感じられた。
しかし――
「引っ込んでいなさい。これは私とあの御方の矜持と命を賭けた勝負、魂の語らいなのです。立ち入ることはエレメント筆頭である貴女であっても許しませんわ」
「……ああ、悪いが同じ気持ちだ。俺は今、生まれてこの方、最高の気分を味わっている。邪魔をするな、クラウディア」
「熱くなりよってバカ者どもめ……私の手で、貴様らを消し去ってやってもよいのだぞ!?」
そう言って俺とオクタヴィアに向けるクラウディアの手には黄金に輝く火種があって……恐らくはお馴染みの超絶爆裂魔法だろう。それを二つ同時とは……どうやら彼女も本気らしい。だが……。
「お退きなさい、クラウディアさん。私はずっとずっと……この時を待っていたのです。そう、愛するヒトに全力をぶつけてもなお討たれる、そんな馬鹿馬鹿しい願いだけを胸に生きて来たのです! 貴女だって分かるでしょう!? こんな醜い世界でッ、塵芥のような茶番劇を見せられ続けっ、その後始末を押し付けられる! そんな人生なんてもう我慢できないのです!! 私はあの御方の永遠になって、あの御方は私の永遠になるッ、それを邪魔するというのですか!?」
「だまれ、くそ女。この男は貴様にやらん! 私だってずっとずーっと探していたのだ。愛したいと思う雄を、共に歩んでくれる男を! それをお前ときたら、さっきからイチャイチャと……凄く羨ましかったんだぞ!? お前じゃない、私が最初に見つけたんだっ、私好みの気性、肉体、強さ、ようやく私を満たしてくれる器と心中するというのなら、私が先に貴様を殺す!」
衝撃的なオクタヴィアの告白に、これまた衝撃的な告白を返すクラウディア。戸惑う暇もなく、完全に頭に血が上った二人は、その手に極大の魔力を込めて放つ。
「地獄で私とあの御方との仲を歯ぎしりして眺めておりなさい、水のオクタヴィアが最終奥義――絶対零度!」
「地獄には貴様一人で堕ちるがよいわっ、炎のクラウディアが決戦魔法――無限炎獄!」
アレは、神魔獣ドラゴンを消滅させかけた戦術級魔法の合一、全てを巻き込んで自らも消えるつもりか……!?
俺はそれを知覚した瞬間、虹色の欠片を口に含み、二つの力がぶつかる空間に向けて下から上の真一文字を繰り出していた。
間・に・合・え!!
黒木刀を握る両手、それどころか両足も、全身の皮膚や脂肪層が蒸発していく感覚を味わいながら、俺は意識を手放した。
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これが、あの日の顛末だ。
口に含んだ虹の欠片で完全蒸発は免れたものの、衝撃で飲み込んだんだろうな。俺の血が特別性なのはその所為だろう。
そして、あの日に見たでっかい入道雲はクラウディアとオクタヴィアの戦術級魔法がぶつかって出来たものだったのだ。
俺はあの余波でこの村まで飛んできたってワケで、全身が痛かったのも納得だな。よく、地面に落ちた衝撃で死ななかったものだが……直接じゃなく、木にでもぶつかって落ちたのだろう。記憶喪失で済んだだけで幸運というべきか……いや、それよりもだ。
「あの場所に居たエミリア殿がこの通り無事だったって事は、魔女二人も無事ってことでいいんでしょうか?」
「ええまあ。あの時、貴方が力の全てを上に逃してくれたおかげで、衝撃波による骨折だけで済みました。オクタヴィア様は左腕が取れかけていましたので、勿体ないですが黄金の果実を使い、あの場に残った三人は回復しました」
それはよかった。記憶が蘇って最初に気になったのがそれだったが、なにせあれから半月近くが経過している。焦っても無駄だから、エミリア殿に回想を付き合ってもらったが、無事のようで安堵した。
「そんな生易しいものではありませんでしたよ。魔法の衝突で貴方を失ったと思ったエレメントの御二人は半狂乱となって、毎日、骨折が当たり前の殴り合いです。魔女同士の魔法の行使は固く禁じられていて、少しは理性が残っていて助かりましたが……今は、いざという時に持たされている強力な鎮痛剤を注入して御二人とも無理やり眠ってもらっています。薬から醒める明後日にもあれが続くようでしたら、理性を大きく欠くとして本部へ連絡せざるを得ません。そうなったら『処分』の決定が下されるでしょう。ここで貴方を見つけられて本当によかったです」
そっか……俺が消滅したって考えるのが当たり前か。あとやっぱり付き人には魔女を抑制する何かが持たされていると思っていたが、やっぱりそうだったか。
「二人が眠っているっていう施設は、この村からどれくらいの位置にあるんでしょう? 貴女が離れているってことは、二人の安全は確保されているんでしょうが……」
「徒歩で一日ですね、馬を使えばもっと早いでしょう。近くの村の病院に居ますよ。身の安全はマリーが付いているから問題はありません。マリーは文句をぶちぶち言っていましたが、仕方ありませんね」
「うぇ、新婚さんの邪魔をしちゃったのか……ヤッばいな」
「彼女はまだ退職手続きをしていませんでしたから……近くに居た騎士はマリーだけでしたから、有給取り消しはこの際、仕方ありません」
彼女の菩薩顔が般若面に変っていく様が目に浮かぶ。怒られるときは一緒だぞ、魔女殿!
「しかし、よく俺を見つけられましたね」
「それは後でお教えします……それよりもよく、生きていましたね。あのカルテを見てまさかとは思いましたが、此処で貴方を見つけた時さえ信じられず、自分の目を疑いましたよ」
「実際、蒸発しかけましたが、無事なのは飲み込んだ虹色の欠片のおかげだと思います。心臓か脳が無事なら全部再生させるんじゃないですかね? いや、とても試す気にはなりませんが……気づいたときには五体が揃っていましたよ。しかし、カルテですか? 医者に診てもらった覚えは……あぁ、血を抜いて検査したアレか!」
「危なかったですね。偶然二人を運んだ病院にあのカルテが持ち込まれて、お医者様が騒がなければ、私は此処に居なかったかもしれません」
つーか、あの時は健康診断の勢いで採血を許可してしまったが、その結果がばら撒かれる可能性を失念していた。
今更ながらに血が凍る思いをしたが、それが結果としてエミリア殿をこの場に来させるなんて、何が幸いするか分からないな。すごい偶然があったものだ。
「それで、最初の質問に戻るのですが、貴方は此処でなにをしているのです? 今からでも一緒に来て欲しいんですが、もし、この地に留まるつもりでもエレメントの御二方に顔を見せてやってください。もう、殴り合いを止めるのには疲れました……」
「それはまあ勿論、俺から直接生きていたことを伝えたくあるんですが……しかし、申し訳ない。今はこの村から離れられない事情がありまして……あの二人には、起きたらこの村へ来て欲しいと伝えて頂けませんか。とても大事な用事があるんですよ」
そう、記憶が全て蘇った今でも俺のやるべき事は変わらない。この村を解放するためにアレをやり遂げなければならないのだ。
「その大事な用事とはなんですか? 帰ったらあの御二方に伝える必要がありますのでお教えください。なんで迎えに来ないんだって絶対に怒りますよ?」
「すみません……この村にクロモリとは異なる魔獣の森があります。ニエモリとこの地では呼ばれていますが……その頭脳体である神魔獣ドラゴンを殺す。これが防衛局を退職し、魔女の従者となった俺の初仕事です」
そんな回答に絶句するエミリア殿に対して、俺は自信をもって微笑んだ。欠けていたピースが揃ったのだ。出来ないことなんて何もないよ?
あと、キキョウ。
このお姉さんが帰った後でちゃんと話をするから、縦に割れた瞳孔で睨まないでくれ。地面を叩きまくっている尻尾も仕舞ってくれたらくれたら助かる。
そう……君とカエデの将来に関わる、とてもとても大事な話なんだ。
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「ところでエミリア殿、その恰好は一体? もう肌寒い季節になってきている中、ワンピースは厳しいのでは?」
「マリーに言われたのです。海に行くならこの恰好の方がナンパされる確率が上がると。ですが、ここに来る前に砂浜を歩きましたが、全く声を掛けられませんでした。残念です」
「…………婚活でしたら、その……この村の自警団で嫁を探している壮年の男がいるのですが……」
「却下です、私は年下がいいので。ああ、貴方も私の守備範囲から離れているので安心してください。この村に10歳以下で半ズボンが似合う可愛い男の子はいませんか?」
「不ゥー………………俺は見ませんでしたねぇ!」
「そうですか、世知辛い世の中ですね……」
「まぁ、色々と悲しくなりますね…………それにしても、俺達にあの幻想を刷り込んだ犯人は誰なんだろうな……」




