14話 魔獣カズラ(下)
さて、見栄を切ってしまったが俺の記憶にあるベストコンディションとはほど遠い。
昨日と今日、魔獣と戦うことで多くの記憶は戻ってきたが、まだ、意識と躰にズレがある。例えば反応速度はコンマ2秒ほども遅いのだ。正直なところ、カズラを相手にぎりぎり勝てるかどうかといったところだろう。
しかし、どれだけ勝算が低くても戦う。結果として無残な屍を晒そうとも、それが戦う事を生業と決めたヒトの矜持、責任だ。
そして、戦った果てに綺麗に死ぬなんて事はないと、場合によっては凌辱の果てに惨たらしく死ぬこともあると、葛城姉妹に知って貰わねばならない。
カズラと戦う場所はニエモリをすぐ出た島の沿岸部と決めた。
流石にニエモリとヨグの村をつなぐ道は足場が狭すぎて触手を避けることが難しい。カズラが完全に森から出るまでに全力で走り……間近でその威容を確認する。
まず感じるのは匂い。
甘さと刺激臭が混じった独特の腐臭が本体袋の開口部あたりから漂ってきている。あの匂いを発する体液で虜囚とした獲物を前後不覚のまま取り殺すのだ。
すでにその袋は不自然に膨れあがっており、恐らく中にはアギトやゲキドがいるのだろう。共闘したり、共食いをしたりと本当に魔獣というヤツはワケがわからない。
そして、本体の下部から数えるのも嫌になるくらい生えている触手。特に先端に開いた極小の口がくぱくぱ開閉しているとか、狙っているとしか思えないぞ?
どういう意図であんな意匠となったのか……ニエモリの頭脳体と意思疎通が出来たなら、是非とも問い詰めたいものだ。
それにしてもデカい。全長が6mを超える……ヒトの三倍以上あるヤツはもう全部を怪獣と類していいじゃなかろうか? かつての俺は、襲ってくる触手を利用してあの本体を支える頭頂部まで駆けあがったらしいが、正気の沙汰ではない。馬鹿じゃないかな? でも、今回もやらないといけないんだよな……。
海からの潮騒に合わせるかのように、ぐにゃぐにゃと蠢いていた触手が一斉に動きを止めた。
来るか……そう思った瞬間、数本の触手が凄まじい速度で迫り来る。
まともに受けたら躰に風孔を開けられるそれを、身一つ分だけ横にステップすることで避け、その避ける動作を利用して触手を斬り飛ばす。
斬り飛ばした触手はびたんびたんと丘に上がった魚のように跳ね、斬った元からはだくだくとパステルカラーの体液を垂れ流す。やはり甘く刺激臭があって本体と同じ成分っぽいのだが、何でこんな色が付いているかは全く不明だ。
それにしても、毎回毎回、木刀でどうやって斬っているんだと思うだろうか?
いくら野生生物より凶悪な魔獣とはいえ、動物に変わりないのだから動くためには関節がある。触手の中には骨がないが、ずっと一本の筋組織が続いているワケがなく、繋目があるのだ。そこを正確に狙って一定以上の力と速さで木刀を的確に振るえば……斬る事に造作もない。
異論ありきの持論ではあるが、素人と達人の違いは『精密さ』だ。
一瞬の内に見切り、正確に急所へ打ち込む。それがある水準を超えた者が、剣士なり剣豪と呼ばれるとのだと思っている。
なにせヒトという名の骨格に搭載できる筋肉には限界がある。力と速さを目標に肉体を鍛え上げた先、更に鍛えるべき箇所を突き詰めれば、そこになるだろう。少なくとも俺はそこに別世界を見た。
あとは筋肉の緩急……いわゆる『気』というヤツもあるが、それは此処で語るべきではないだろう。
ともあれ、カズラにとっての俺は触手数本では仕留めきれぬ獲物と思ったのか、矢継に触手を送って来る。まるで、矢の一斉射撃だ。
横にステップして、上に跳んで、後転してかろうじて避け、屈んでやり過ごし、少しでも攻撃が止まったら触手を斬り飛ばす。
当然、突いてくるだけじゃなくて、薙ぎ払うような動きもあるし、その組み合わせで襲ってくることもあるから、避け方も、次にどんな攻撃がくるかも予想しなければすぐに詰んでしまう。
一瞬でも気を抜いたらヤられて地獄が待っているというのに……まるで、故郷に帰って来たかのような安心感がある。やはり俺は、戦場でしか生きられないのだと思う。
そして、命を賭けて凌ぎ合う事でしか生を実感できないことを自覚して、やっと、体に意識が追いついた。口の中に広がる苦み。五感全てが研ぎ澄まされるようなこの感覚……ゾーンとやらに入ったな。
これでもう……いや、なんだあの動きは。今までに見たことがないぞ? 一斉に触手が並んで、これは――!?
カズラに残った全ての触手が束ねられ、先端の小さな口が同時に開く。そこから放たれた毒液は広範囲過ぎて避ける隙間がない。
心構えが出来ていない状態では十二神将・帳を出す暇もなく、浴びてしまった。
……これは、麻痺毒を吐き出したのか。まさかこんな攻撃手段があるとは、な。
体が痺れて動かない。いや、何故かゆっくりと動くようになっては来ているが……今にも、複数の触手が俺に襲い掛かろうと蠢いていて、体がまともに動くようになるまでには間に合わないだろう。
こんな簡単に……ああ、コレが俺の終わりか。
せめてもの救いは、虜囚とするよりは叩き潰して純然たる餌とすることを選んでくれたことか。よほど俺に触手を斬られたことが頭に来たらしい。手っ取り早く復讐したいようだ。
幼い頃に見て、俺に恐怖を植え付けた始まりの魔獣。
しかし、いつしか戦う事に慣れて、進歩もなく、いつでも倒せるなんて思い上がっていた。それを完全に予想の上をいかれるなんて……コイツに殺されるのならば仕方がないと思う。
どれだけ力を振り絞っても、ゆっくりとしか腕も足も動かないこの状態では、ああ、この触手の一撃を受け入れるしかない。全身の骨と内臓を砕かれて死ぬか、痛みでショック死するか……せめて最期は目を開けて結末を受け入れよう。
そして、叶う事なら俺の醜く潰れた死体を葛城姉妹には見て欲しい。死ぬことは美しくないんだと、生きる事に足掻くことこそが……
「あらあら、啖呵を切ったわりには、情けないじゃない」
「かっこわるい。けど、さっきまではちょっとだけかっこよかった」
今にも俺を殺そうとしていた触手が爆発して千切れ跳んだ。続く火炎弾群にカズラの本体がよろめき、砕け、傷ついた箇所からはだくだくと体液が流れ落ちる。
一瞬で満身創痍となったカズラではあるが、しかし攻撃の手は止まらない。
まるで、空に連続で打ち上げる花火の如く、途切れない火箭はカズラの躰を確実に削り、焼き、殺していく。
遂には立っていることも敵わず、轟音を立てて横たわり、断末魔をあげるかのかの如く残った全ての触手を奮い立たせた。しかし、天から落ちた極太の雷は容赦なくカズラを貫き、更に降り注ぐ火炎弾は全てを蹂躙し、灰に変えていく。
そして、全てが終わった時にはニエモリの裾をも焦がす小規模のクレーターが出来ていて……その底には元はカズラであった消炭と、そこから立ち昇る煙しか残っていなかった。
あまりに容赦がない蹂躙劇に呆けている俺の前に、それを成した姉妹が並び立つ。
「いっしょに戦えば、もっと楽に勝てた。次はアナタがうしろからついてきて」
「あんまり見縊らないでもらえる? アンタ、思い込みが激しすぎるのよ。足掻けって言った割にすぐに諦めるとか笑っちゃうわ。なに、英雄願望とか痛すぎるんですけど?」
そう言って縦に割れた瞳孔で睨む竜の姉妹に、俺は麻痺から回復した両手を挙げて、そのまま土下座した。
死を覚悟した瞬間から、今までに経過したのは30秒ほどであるが、世界が反転した気分だ。
やはり俺は戦闘バカでしかなく、護衛隊の頃からヒトを見る目なんて無いのだ。それにしても……怒った女ってやっぱり怖いなぁ……。




