8話 帰還
「徹夜はキツイなぁ、なんだって記憶喪失の俺がこんなに頑張らなきゃいけんのだ……」
昨夜は魔獣相手にテンションが上がってしまって、結局は夜通し戦う羽目になった。いや、第三波以降は魔獣が出て来ずに見張るだけだったが、いつ襲ってくるか分からないので気が抜けず、ずっと一人で神経を張り巡らせていたので休憩すらできなかった。
対策を考えるとか言っていた村長も結局最後まで姿を見せなかったし……いや、あれは今日以降のことを言っていたのか? そして、逃げた自警団も姿を見せたのは朝の八時過ぎだ。
どうやらニエモリにおいて魔獣は昼間はほぼ出てこないらしく、安全な時間帯になったから戻って来たようで流石に呆れた。ちなみに昨日のゲキドは本当にイレギュラーだったらしい。
完全にいいように使われて頭にきた俺は、その場にいた自警団員に見張りを押し付け、社に帰って来た。
すきに使われた事については自業自得なところはあるが……この村の連中には、自分の住んでいる場所は自分で守るという、当たり前の意識が欠如しているとしか思えない。若しくは神主殿に頼りすぎている弊害か……あの立派な自警団詰め所は、さしずめ砂の城といったところだろう。
腹は立ったが、それはそれとしてきちんと務めを果たした。今日は夕方まで休んでも文句は言われないだろう。
激しく戦ったことで汗はかいたし、長らく海風に当たっていたせいか髪も肌もべたべたしている。神主殿の様子を見て問題なければ、お風呂を借りて、その後は爆睡させてもらおう。
沿岸部から社に続く道を、そんな愚痴めいた事を考えながら歩き、鳥居をくぐったところで――見覚えのない人物が参道に佇んでいるのを見つけた。
容貌はカエデ殿によく似ており、少し年上でやつれてはいるが、美しい女性だった。そのヒトは俺を見つけるや足早に駆け寄り、俺の左手を掴み取って自分の胸に抱いた。
な、ななな、なんぞいっ、わしゃあ、こんな凄いことをされる覚えはないぞ!? あれか、幻覚か! 徹夜で疲れすぎて立ったまま変な夢を見ているのか!? しかし、目の前の人物はやけにリアルだし、俺の手を包む彼女の手は暖かく、胸の感触は柔らかい。現実……なのか?
狼狽する俺をよそに、女性は俺の手をきつく抱き締めて放そうとはしないし言葉も発しようともしない。一体なんなんだ、この女性は? 妙に艶っぽく俺を見上げる表情は、熱でもあるように上気していて……。
「お姉ちゃん、まだそこで待ってるの? あ、エン! やっと帰って来たんだ。ずっと帰ってこなかったから心配してたんだよ。お姉ちゃんなんて朝ご飯を食べてからずっとそこで待ってたんだからね!」
困っていたら拝殿の方からカエデ殿がやってきて、そう言った。
え、お姉ちゃんて事は……このヒトは神主殿か!? いや、確かに着ている服はカエデ殿と同じだし、容貌もよく似ている。しかし、昨日の般若面と黒タイツ&白作務衣のインパクトが強すぎて連想できずにいた。もっと言えば、あの黒タイツの下はあまりよろしくない事になっているのではと思っていたので……だが、俺を見る瞳も普通だし、どうやら俺の失礼な思い込みだったようだ。
あとは、ちょっとうれしいけど、いい加減に手を放して欲しいんだが…………あ、噛みつかれた、って、なんで!? ちょっと、犬歯が刺さって、いたたた! 吸われてるぅ? なな、なにが起きているんだ!?
「ちょっと、お姉ちゃん!? 何してるの、エンから離れて!」
カエデ殿が神主殿の体を掴んで必死に引き離そうとしてくれているが、まるでスッポンのように吸い付いて離れない。ついでに、噛みついて出来た傷から血を吸う唇と舌の感触が艶めかしくて変な気分になってくる。
だけど、これ以上のお触りは勘弁なッ!
神主殿の空いている手が俺の服をまくり上げて手を這わそうとしたことに悪寒を感じたので、彼女の肩に足を掛けて無理やり手を引っこ抜いた。
犬歯で傷ついた箇所が急速に塞がれていくのも気になったが、それよりは神主殿だ。
なにやら傷ついたような目で俺を見ているが、精神的にも肉体的にも傷ついたのは俺の方だからな!? あれか? 吸血鬼だったとかそんなオチか。くっそ、勘違いしそうになった俺がバカみたいじゃないか! 泣くぞっ、泣くからな!?
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数分後――
俺は宿坊の、神主殿を初めて見た大きな部屋で、美人姉妹二人の土下座を受けていた。一体何を見せられているのだろう。さっきとは別の意味で泣きたくなってくる。
「あの、怒っていないので、頭を上げてください」
「この度は大変申し訳なく」「すみませんでした」
ああ、姉の方も喋ることが出来るんだなと妙なことで感心する。
それで、いつまで土下座の恰好でいるのだろうか。こんなん俺が悪者みたいじゃない? 土下座よりは、何であんなことをしたのか理由を聞きたいんだけど……。
「貴方の血がとても美味しかったから、ついお代わりを」
「ちがうでしょ! エンの血を飲んだおかげで、変わってたところがぜんぶ戻ったんだから御礼を言わないとって話をしてたじゃない!」
「それは二の次、もっともっと味わいたい。なんなら、血じゃなくても貴方の体液だったらなんでもいい。特に●●とか栄養があっておいしそう」
「ぎゃー、何言ってんのよっ、お姉ちゃんの耳年増! 馬鹿ッ、エッチ!!」
……なんだろう、何処かで見たようなやりとりだ。せっかく淫獣二匹の手から逃れたら、逃げた先にも別種が居たような……そんな諦観にも似た悲しみの感情が全身を支配する。
負ぅー…………ヨシ。
それはそれとして聞き捨てならないことを口走ったな、変わっていたところが治ったとか。
やはりあの舌の感触、普通のそれではないと感じたが……今日は気持ちよ、普通な感触になっていたから話を聞かねばと思っていたのだ!
つーか、いい加減、頭を上げてください。話づらいったらありゃしない。貴女達も土下座で言い合いとかキツイでしょうに。
「じゃあ、そうする」
「あ、もぅ……マイペースなんだから」
どうやら不思議系マイペースな姉と、世話焼き&突っ込み係の妹という、役割分担が出来ているらしい。微笑ましいが……一応、伝奇っぽい雰囲気だったのが、一気にぐだぐだな雰囲気に切り替わったような気がする。
これから大事な話がありそうなのだが、起きていられるか心配になってきたな……俺、これでも徹夜明けなんだよなー。




