1話 防衛局
「お前も、メシを食ってるときだけは普通なンだがな……」
そんな言葉に一瞬手を止めたが、あまり意味のあるモノではなさそうだ。手に持ったパンを口に運び咀嚼する。
目の前にはスプーンを口に咥えて上下させている上司が座っており、自分の言葉を無視されたせいか不機嫌そうな表情を更に険しくさせている。
時間は夕食時で、場所はクロモリ防衛局の食堂の隅っこにある二人掛けのテーブル席だ。毎回、俺が座るので、いつの間にか指定席のようになっており、対面に上司が座るのもいつの間にか決まり事のようになっていた。
夕食時だけあって食堂には多くの人が出入りしているが、俺達が座るテーブルの周りは台風の目の如く静かな状態になってる。
間違いなく腫物扱いである俺のせいなんだろうが、食事は静かに摂る派だから正直この状況はありがたい。
それにスプーンを咥えて上下させるなんて無作法を咎められることもないし……いや、本当だったら注意しないといけないんだろうが、お互いに出身が孤児院のためか今更行儀の悪さを咎めることはしない。
それよりもメシだ。
成長期の体はいくら食べても腹の虫を鳴かせる。それに食事は護衛隊が過ごす時間の中で唯一と言っていい娯楽を兼ねているのだ。変な言いがかりで手を止めるのは勿体ない。
だが、上司はそうじゃないようだ。
「なンか言えよ。テメェのせいでこちとら水かスープしか受け付けねェってのに」
「……そんだけじゃ、明日まで保ちませんよ。貰っといてなんですが、このパン返しましょうか? 食べかけですが」
「皮肉か!? 胃が重くて食うのもツレェ俺にひでぇこと言いやがる。やっぱテメェは鬼だ、悪魔だ、貧乏神だ、コンチクショウ…………はァ」
溜息を吐きたいのはこちらの方なんだけどな、と喉まで出かかった文句を口に含んだスープと共に飲み込む。
何かとウザがらみしてくる目の前の男は直属の上司なので面と向かって文句を言う訳にはいかず、態度に出す訳にもいかない。ついでに言えば、彼の胃痛や常在化した目の下のクマは、自分が原因だという自覚がある。
面倒臭いが色々と頭が上がらない存在で……初日は俺を恐れて口も利かなかったクセに、命令に従順なのをいいことに、どんどん扱いが雑になっている気がする。
お互いに多少遠慮しながらも任務をこなすために必要な会話だけはするという、よくある仕事上の関係……と俺は思っている。だから返す言葉も適当なモノになってしまう。
「明日は地面の上で冷たくなっているかもしれないのに、自分にちょっかいをかけるよりは他の有意義な時間を過ごした方がよいと思いますが?」
「だーッ! その原因がのうのうと喋ってンじゃねェよ。お前がもうちっと暴走を抑えてくれたらオレの胃は死なねェンだ! 頼むよなぁ、オメェだってオレをストレスで殺したかァねェだろう? ほんのちょっと、魔獣に突っ込ンでくのを我慢すりゃあいいンだ」
「それは承知しかねますよ、仲間の命に関わってきますので。自分は全力で任務を遂行するだけです」
「だ・か・ら、それをッ……くそっ、もういい! それを食ったらさっさとオレの前から消えてくれ、お前の顔を見てるだけで、胸やけがひでぇンだ」
だったら対面に座らなきゃいいのに。
このやり取りもこれまでに何回か重ねていて、俺の答えは変わらないってことを承知の上での問答だ。しかし、わかっていても繰り返すのは自らの命が掛かっているからか。
ただ、もうそろそろ上司交代の時期だ。
無事に勤め上げれば昇進して別の隊に異動するハズだから我慢してほしい。もっともさっき言った通り、場合によっては明日にでも骸を晒すことになるが、それは運が悪かったと諦めてもらう他ない。
頭を抱えて唸りだした上司を尻目に食事を全て平らげると、食器を乗せたトレイを持って立ち上がる。
俺にも上司の胃を労わりたいという思いはあるが、上司の胃と仲間の命を天秤にかけた場合、仲間の命の方に傾てしまうのは当然だろう。ついでに日々のストレス解消を兼ねた試し切り……え~と、俺が頑張れば防衛局員の命が助かるわけで、文句を言われる筋合いはないのだ!
自己弁護を頭の中で終えながら、返却棚にトレイを返す。その際に御馳走様と言葉を添えるのを忘れてはいけない。防衛局の中で俺のイメージはすこぶる悪いので、礼儀はちゃんとしないと評判が落ちるところまで落ちてしまう。それは回りまわって自分にいらぬ面倒が降りかかることを経験上知っていた。
トレイを返し終えて戻ると、まだ上司は右手で頭を抱えて唸っており、さらに左手は胃を抑えている。そんなにストレスを抱えている姿を見ると流石に罪悪感が半端ないのだが……それよりも、見知らぬ連中が置いていった俺の武器を振り回している方が気になった。
「おい、それは俺のだ。返してくれないか?」
俺の武器――黒い木刀をブンブンと振り回している連中に声を掛ける。防衛局は基本的に他人の武器を手にするのは禁じられているんだけど……何なんだろうか、この連中は。
「はっ、アンタが有名な死神サンかい、自分の武器を置いてくなんてずいぶんと余裕じゃねーか! って、マジで木刀なのか? やたら重くて黒いが……これが本当に死神サンのメインウェポンなのか?」
「魔獣相手に木刀で殴りかかるなんざ、死にたがりでもなきゃありえねェよ、素振り用だろ」
「あーでも噂じゃ、死神は黒いなんかで魔獣を撲殺しまくるって聞いたからなァ、もしかすると、ホントにこれで戦ってるかもよ。すげーわ、クロモリ防衛局、馬鹿じゃねーの! 来たのは間違いだったかもな」
俺を前に好き勝手喋っている連中は、1、2……6人の分隊規模。着てる服が支給品じゃないし、肩や腰に掛けた武器もそうだ。孤児院出身の生抜きとは明らかに違う。それに生え抜きの連中がちょっかいを掛けてくることは絶えて久しいし……おそらくは外部から補充された奴らだろう。俺の噂を聞きつけた新入りが探りに来たってところだろうか?
ちなみに上司に目を向けると関心を無さそうに俯いているだけだ。俺たちの問答は聞こえているハズだけど、これ以上の厄介事は勘弁てことなんだろう。まぁ、俺も面倒事に進んで関わる趣味はない。
「早く返してくれ。明日も早いから帰って寝たいんだ」
「ハハハ、オレらもこんなモンに用はねぇ。返すぜ、センパイッ!!」
ニヤニヤと、俺を馬鹿にしたような表情で黒木刀をもてあそんでいた男が、そんな声と共に手にした木刀を投げてきた。
喧嘩は憲兵隊にきつくお仕置きされるんだけど、研修を聞き流してたクチか?
そんなことを思い浮かべながら、至近距離で十分に勢いが乗ったソレを二本の指で受け、回転力を加えてベクトルを分散し、回ってきた柄にあたる部分を掌で掴む。
バチンッ、という音と共に掌に収まった黒木刀を腰ベルトに差し、衝撃に軽く痺れた掌にふーふーと息を吹きかける。
「もっと優しく返してくれよ。じゃあな後輩」
まさか投げた木刀を難なく受け取られるとは思っていなかったのだろう。あっけにとられた表情で固まる6人を尻目に踵を返して足早に宿舎に向かう。
後ろから待つように声を掛けられたが知ったこっちゃない。明日も魔獣との死闘が待っているのだから早く休めないと。それに普段から騒ぎを起こすなと上司から厳命されているのだ。面子だの、格付だのに付き合ってはいられない。
無駄な諍いを起こさず体力を消耗させない。それは護衛隊で命を永らえる鉄則の一つだ。しかし――命を永らえたところで待っているのは変わらぬ地獄の日々だ……こんな俺の生に意味はあるのだろうか?
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鬱蒼とした森の中、唯一の武器である木刀をだらりと持ちながら周囲に気を配る。
10mほど後方には伐採隊の隊員が悲壮な表情で草刈りと木々の伐採・回収を行っている。俺が殺した魔獣を回収している者の中には嘔吐しているヤツもいるが、アレは新人だろうか? 泣いているヤツは――殉死した隊員と仲良くやっていたのかもしれない。
後ろで油断なく弓を構えている上司に気づかれないよう、溜息を吐く。
俺たち護衛隊がへまをしたら即、死に繋がるので気持ちはわからんでもないが、もう少し信用してほしいものだ。繁忙期ならともかく、今夜は新月で最も魔獣がおとなしいとされている日であるから、実際に出てきた魔獣も一時間に一回程度で、通常の半分以下。
まぁ余裕があるから吐いたり泣いたりできているのかもしれないが、しかし、文字通り命を張って仲間を護衛しているのだから集中して伐採して欲しい。その方が早くノルマをこなせて砦の中に引っ込められるので、俺たち護衛隊の消耗も少なくて済む。
すぐ隣に配属された分隊連中なんて、次はもつか怪しいところだ。
昨日、俺に絡んできた勢いなんて見る影もなく、全員ガタガタ震えて恨み言を言い合っており、肉壁役はできても魔獣を殺すことはできないかもしれない。次にアイツらの方へ行ったらフォローに入るしかないだろう。
そんなことを頭の隅で考えながらも索敵は怠らない。かすかではあるが正面からの音を耳が拾った。
数は一つ、二つ……左手を上げて上司に分かるよう二本の指を立てる。後ろから弓を引き絞る音を聞きながら、魔獣の襲撃に備えられるよう己の重心を意識しながら脱力する。
ここから先は反射神経勝負だ。
例えば魔獣アギトは狡猾で獲物を襲うときにギリギリまで身を隠す。そして攻撃時は最大戦速でもって仕掛けてくるから瞬きするだけで命取り。先に動けないと致命傷を負う羽目になる。
口の中に広がる苦みを噛みしめ、遅れを取らないよう目を皿のように見開く。
……そこかッ!
今にも飛び出そうと身を屈める動作が魔獣の位置を教えてくれた。数は二つ、両方ともアギト種、相対距離は二歩で届く。
脱力していた筋肉を引き絞り、手にした黒木刀を最大効率で振れる軌道に乗せる。そうやって与えた横からの一撃は確実に魔獣の頭蓋骨を粉砕した。
遅れて二匹目の魔獣の腹に上司の放った矢が突き立つ。急所ではないが動きを止めるには十分で、次の一撃を放つ時間を稼いでくれた。
矢が突き立ったまま飛び掛かって来た魔獣の顎から身を躱し、全身のバネを総動員して放った突きは、アギトの肋骨を粉砕して内臓に多大な打撃を与えた。
その魔獣の身体がすっ飛んでいった先、悲鳴を上げた護衛隊の後輩連中に「止めを刺せ」と短く伝え、自らも大上段からの一撃で足元に倒れた魔獣に更なる致命打を食らわせる。
コイツらは生命力も並じゃないので頭と心臓、二つの急所を潰さなければ安心できない。だから余裕のある時はこうやって確実に止めを刺すことにしている。
足元に横たわる食欲に特化した醜い魔獣――アギトの痙攣が段々と小さくなっていって完全に止まるのを確認すると、その短い足を引っ掴んで伐採隊のいる方へ投げ飛ばす。
抗議の声が飛んでくるが気にしてはいられない。今にも別の魔獣の奇襲を受けるかもしれないのだ。
上司に目を向けると首を小さく横に振っているので追加はなさそうだが、油断は禁物。自身の五感をフルに使って索敵し、本当にいないことを十分に吟味した上で一息吐く。
そういえば、もう一匹はどうなったんだ?
昨日絡んできた後輩連中の方を見ると、分隊全員が魔獣を取り囲み、手に持った武器でぐちゃぐちゃに潰していた。その醜い姿に恐怖を覚えたのか半狂乱だ。
しかし、それは不味い。
全員が同じ方向を見ていては警戒できず、奇襲に対応できない。現にどこからともなく現れた同種のアギトが一匹、今にも飛びかかろうとしていた。
俺は軽く舌打ちすると、全力で跳んだ。
間に合うか、間に合わないか……死んだら俺じゃなくて、自分たちの間抜けさを呪ってくれ。