9話 解放
そんなわけで、準備を整えた俺達は防衛隊の担当者に許可を得た後、砦を出てクロモリの近くにまで移動した。
満月の夜から半日しか経っていない今、通常であれば魔獣が散発的に出てくる時期のはずだが、昨日の爆裂魔法の所為か静かなものだ。
食欲に特化したような形態をしているために忘れがちではあるが、奴らも野生動物に変わりなく、確実に負けると分かっている状況では手を出してこない。しかし、連中のテリトリーであるクロモリの中に入れば、砂糖にたかる蟻の如く集まってくるだろう。
魔獣の活動期にクロモリの中での戦闘訓練なんて前代未聞であるが、我らのボスは出来るだけ過酷な状況で実力を確かめたいと仰せだ。しかも、徹夜明けという俺達の状態を理解した上でということは……クロモリの深部に入った時のことを想定しての訓練だろう。
外縁部から深部までどれ位の距離があるか分からないが、一日で届く距離では無い事は間違いない。そしてクロモリの中ではずっと襲われる事を警戒しての緊張状態が続く。交代で休みを取るにしても踏破には数日が必要なハズで、徹夜が必要になる事は確実だ。
危険になったら増援ありで砦の中に引っ込められる今までこなしてきた任務状況とは天と地とほど差があり、深部を想定して俺たちの能力を見たいと言いう彼女の考えは理にかなっているが、初日なのに実に厳しい。
まぁ、いざとなれば昨日のような爆裂魔法があるだろうから全滅ということにはならないと思うが……魔女殿にはこれまでの探索隊の記録を十分に吟味して頂き、入念な探索計画を立ててもらいたいものだ。
それはさておき、今からどのような前提で訓練を行うことになるのか。
クロモリの特異に成長をした植物を興味深く観察していた魔女殿が振り返り、整列した俺達に告げる。
「さて、お主らの実力からすると不十分ではあろうが、初日のオリエンテーションとしては問題なかろう。課題は単純だ。これから森に入り、二時間の間、三人で私を守ってもらう。ギリギリまで私は手を出さないようにするからな、思う存分、実力を発揮して私を守ってくれたまえ」
そんなことを一方的に告げると、此方が返事をする前にスタスタと恐れなく森の中に入っていこうとする。俺たちは慌てて魔女殿を追うと同時に、取り囲んで魔獣の襲撃に備えた。
一人一人の対魔獣戦闘力を見るのではと思っていたが、いきなりの実戦を想定した訓練とは……流石は魔女殿だ、意表を突いてくる。マルローネ殿を見やると憮然とした表情をしており、恐らくはこれが魔女殿の通常運転なのだろう。
そこらかしこから魔獣の気配を感じつつ、森の裾から百mほど歩いたところで漸く魔女殿の歩みが止まる。
あーうん、これは完全に取り囲まれていますね、絶体絶命ですわ。
前後左右、上からもガサガサと草や木々を揺らす音が聞こえてくる。愚かにもテリトリーに入り込んだヒトを食い殺そうと、魔獣の殺意が物理的な圧を持って迫ってくるような気さえする。こんな酷い状況、現実では陥ったことはない……偶に見る悪夢で慣れていなければ失禁してたかもな。
しかし、徹夜明けだと言うのに今日はなんだか体が軽い。絶体絶命のプレッシャーさえ心地よく感じるのは何故だろう? もしかして番号じゃなく、初めて名前を付けて貰って呼ばれたからか……だとするなら何て我ながら単純なのか。
まぁいい。今はこの窮地から脱することに集中しよう。
「上官殿、いつも通り自分の背後からフォロー願います。マルローネ殿は俺が討ち漏らした魔獣の相手をお願いします」
だらりと下げた右腕には、いつもの黒木刀がある。これが折れない限り――殺し放題だ。
暗い喜びを感じると共に口の中に苦みが広がり、飛びかかってきた魔獣をとても遅く感じながら、下から叩き飛ばす。
さぁ、宴の始まりだ。
窮地に陥った時、俺達を鍛えたあるヒトの言葉を思い出す。
人は道具を持って完成する生き物である、と。道具には役割があって、それを理解し、十全に使えるようになれと。
俺が今手にしているのは木刀で敵を叩き殺す武器だ。
扱いは難しい。いつも全力で振るわなければ強靭な魔獣を殺せなくて、でも、それじゃあすぐに息が切れる。じゃあ、最適な振りは何だ? 態勢は? 力の込め方は? それに相手は止まっている的じゃなくて俊敏な魔獣だ。先を読めなきゃ、当てることさえできない。
アギトは、ゲキドは、トンビにカズラ、ダミンはどんな魔獣なのか? 急所はどこにある? 特性は? 行動原理は?
彼を知り己を知れば百戦危うからず――とは誰の言葉だったのか知らないが、まさしくそれだ。
己の身体を、木刀の使い方を、敵である魔獣についてを学べば学ぶほど俺は最適化していった。
何せ試す機会は幾らでもある。護衛隊は防衛局の中でも唯一森の中に入って魔獣と殺し合う部隊だし、いつの頃からか見ている悪夢は、覚めるまで魔獣との戦いが続く。最初は怖くて嫌で堪らなかったモノでも、蹂躙できると分かれば余裕が出来て……余裕は遊びに変わっていく。
そして俺は今、この木刀で魔獣を『斬る』遊びを試している。ここ最近の課題であり、もう少しで出来そうだったので、この機会は渡りに船だった。もっと速く、鋭く、正確に、筋肉の使い方はもっと激しく滑らかに。足運びは慎重に魔獣との距離を意識して、己が重心がずれないように移動しなきゃ。更に五感を駆使して――そう、センチより先、ミリを超えてその先へ。
そんなバラバラな思考が一つに纏まったとき、俺の木刀は魔獣を真っ二つに切り裂いていた。
「はいぃっ!?」
そんな素っ頓狂な声を上げたのは誰だったのか、魔獣の群れに集中している俺には分からない。
魔女殿と上官殿、マルローネ殿の外、360度すべてが敵で、視認した魔獣を片っ端から切り捨てる。しかしこれは簡単に止めは刺せるけど、血だらけになるし、匂いが酷い。
力の込め方を緩めれば……よし、もっと楽に魔獣を撲殺できるようになったし、その分の余裕を移動に使える。これで上官殿やマルローネ殿に掛けていた負担を減らせるだろう。いやさ、こんな楽しい遊びを譲る理由はない。
そんな感じで魔女殿が決めた二時間を、俺は遊び尽くした。