6 モブ元令嬢のワガママ
くだんの男に渡りをつけ、翌朝早朝、ルシンダは家を出た。ダニエルは寝ていて、起こそうか迷ったが、そのまま出た。
男の元にむかい、仲間たちとともに馬車につまれた死体の下に潜り込み、走り出すのを待つ。
心臓は早鐘をうち、どうかバレませんようにと祈った。
城門を出る時、妙に時間がかかった気がしたが、やがて馬車が走り出し、ルシンダは神かなんかに感謝した。
「クソがよ!!」
しばらく街道を進んだところで 男がルシンダ達を荷台から引きずりおろした。
「てめえらのお仲間の金なしがちくりやがった!折角の金がパァだ!!」
ルシンダと同じく、金の工面のできなかった者が密告をしたらしい。
結果、情報を得た門番——彼が密告を受けたもの自身か、受けたもののお仲間なのかはわからないが——に、ルシンダ達から巻き上げた金を奪われたそうな。
その場で殺されなかったのは、職務に忠実であるよりも金をとったのだろう。
上へ話せば金はそっちへ渡るので。
だめ兵である。ありがとう。
「お貴族様も金持ちもまったくクソだ」
男は死体とルシンダたちをひきずりおろして放置し、ひとり馬車で去った。
お貴族様も金持ちもと言われてもルシンダは結婚して家を出て以来、一門として名はあるはずだが平民のようなもんである。金持ちでもない。
なんじゃいと思ったが、なんとかかんとか皆で支え合い、えっちらおっちら歩いて隣領にたどりついた。
身を守るものも糧食もないので死ぬかと思ったが、馬車の男が追手を恐れてかなりの距離を大急ぎで走っていたため、降ろされた場所から隣領までそこまでの距離もなく、三日三晩ほどかかって、どうにか辿り着くことができた。各々の長年の経験も役に立った。年の功である。体力はないが。
ルシンダ達がよたよた近づくと速攻銃を向けられた。当たり前だが、以前来た時よりも警備がすごい。
物々しい中、ルシンダ達がハンズアップしてこれこれこうと説明していると……
「ルシンダおばさん!!」
「あなたは……メイジーの!?」
武装したメイジーの息子の一人が駆け寄ってきた。
「ああご無事で……。ダニエルおじさんは?」
「それが……料金を一人分しかつくれずに」
「え?」
話を聞いて驚いた。
この脱出作戦は、山向こうの国に住むキャサリンによるものだった。
キャサリンは年寄りの夫と死に別れ、莫大な財産を手に入れ大陸中を旅して回った。
そのうちに、自然に出来た各国の知り合いから「あの国行くならこれを買ってきて欲しい」「この国行くならあれを買ってきて欲しい」
そんな頼みを聞くうちに、山向こうの国に拠点を構えて商会を立ち上げ、これが順風満帆、更なる左うちわだった。
「キャシー(キャサリン)おばさんから資金援助を受けて、反攻の準備をしています。代わりにルシンダおばさんたちを助けて欲しいと……。
信頼できるものに頼んだつもりでしたが、こんなことになるとは……申し訳ありません。
現在、王都に隠れている仲間とも密かにやりとりし、王都奪還を考えています」
「そう……」
勿論その資金や兵力はキャサリンの援助だけで賄えるものではない。未だ占領されていない他領、そして山向こうの国……。
王都は更なる戦禍に見舞われるだろう。わやくちゃだ。
「……街は、焼けるかしら」
「被害は、あるでしょう」
「そう……」
戦うのは、あの街を守ってきたものたちではない。被害を減らそうという意識もないかもしれない。利益がないなら。
別に、ただ住んでいただけの街だ。愛着はそれなりにあるが、それだけ。
愛しているわけではない街に、愛しているわけではない、夫。そして自分。自分?
ふいになにか、つながるような思いがした。
一晩休み、身支度をしたルシンダは、再びメイジーの息子に会いに行った。
「あのねこれ、キャサリンに渡してくれる?」
懐から古びた人形を取り出す。
メイジーが作ったものだ。
メイジーとキャサリンと、最後に三人で会ったのはメイジーの夫の葬式になる。
葬儀ではメイジーはバカが一人減ってよかったわ、と笑っていたが、その後三人で酒を飲むと、あのバカ年下のくせして先にと泣き喚いた。
ルシンダはかつてメイジーを思って、それらしいカツラをのせた枕をぶん殴りまくったことを思い出し、それは隠して、夫の人形を作って思いの丈を伝えてみたらどう?と言った。
そんなメイジーも昨年亡くなった。病床のメイジーを尋ねた時、あんたにやるわとこれを渡されたのだ。
思えば長い付き合いだ。
二人で会えばあとの一人の悪口を言い、三人で会えば他の誰かの悪口を言った。
ルシンダがメイジーくそが〜!!となっていたのもメイジーはわかっていただろうし、ルシンダもメイジーがルシンダクソが〜!!と思っているだろうなーと思うことはあった。
「ええ、渡すのは構いませんが……」
「馬を借り……貰うわね」
その辺にいたよさそうな馬に、馬具もないままヨイショと跨り駆け出した。
「ルシンダおばさん!?」
乗馬は得意だ。畳んだ事業は馬具の製作である。
機械の車に押され、衰退した。勿論市井ではまだまだ必要とされている。
しかしルシンダ達が扱っていたのは軍用品だった。
一番に大型自動車に取って代わられ、需要が減った。
事業者仲間とは、そうした国軍相手に商売をしてきて、しかし廃れたものたちだった。
ルシンダは馬を走らせた。老齢の体にはきつい。ただでさえ疲れている。
川を超えた。隣領が遠くなる。
風を切る。かつてはこれだけが喜びだった。
メイジーは十人の子供がいるが、その内五人は腹がちがう。夫がよそで作った子供を引き取った。メイジーの葬式では十人全員棺に取りすがりわんわん泣いていた。
キャサリンは老齢の夫に溺愛され、子供のできない体になっていた。
ダニエルは、その「両親」の実子ではない。正確には、「母親」の子ではない。
婚前に父親が別の女に蒔いた種から生まれた。実の母の素性も現在もわからない。生まれてすぐ実母から取り上げられ「両親」の子として育った。
そして弟も、「両親」の子ではない。
「母親」が他の男と作った子だ。
——大きくなったらお嫁さんには優しくしてあげるのよ。どんなワガママだって叶えてあげる、それが男の甲斐性というものよ——
だって、婿養子のワガママを、既に叶えてあげたのだから。
そしてルシンダは、姉が「転生者」だった。
よくわからない。ただ、姉には生まれる前の記憶があるのだと言っていた。
姉は、特別だった。
それこそ物語の、あの頃、学生の頃楽しんだ物語の主人公のように。
ルシンダは姉が好きだった。姉は優しく、「はくじんろりかわいーー!」とルシンダを可愛がった。言葉の意味はわからなかったが。
姉は、あくやくれいじょーかいひする!と言い、引きこもった。会いたくない人たちがいるのだと言っていた。
そうしながらも、父にさまざまな改革案や商品のアイディアを出した。
そして全て失敗した。
後から鑑みて思ったが、そりゃそうだった。
発想はいいが、成果物が、実務がついていかない。砂金を破けたザルですくっているようなものだった。
姉は失敗に焦った。父や、家人達は、それでも姉はすごい、間違いないとチヤホヤした。
何かがおかしいと思っていた。
立ち上げた事業を失敗し続ける姉を皆が褒め称え、しかし資産は減り、薄いスープが殆どお湯になったころ、ルシンダは限界を感じた。
血走った目で新事業のアイデアを話し続ける姉と、褒め称える家族に近寄り、
———暖炉の火かき棒で、姉の頭を殴りつけた。
子供の力だったが、幸い——幸い、姉はこときれた。
しばらく騒然としたが、ふっと皆から何か抜けていくような瞬間があり、今までいったい何をしていたのかと皆の様子がかわった。
聞けば、これまでどこかふわふわしたような心地でいたらしい。
姉は、病弱だからとの偽りで引きこもっていた事が幸いし、そのまま病死となった。
伝説にある魅了の力ではとも言われたが、ルシンダは知らない。
どうにもならなかったとはいえ、愛された姉を殺したルシンダの対応に、両親は苦慮した。どこか他人行儀になった。
今更である。この数年、ルシンダはいないも同然だった。
しかしルシンダは姉が好きだった。魅了によるものではないと胸を張って言える。
好きな以上に憎んでいたからだ。
そんな潰れかかったルシンダの家と、ダニエル。
ルシンダ家はもうどうにもならないところに来ており、共同事業ゆえ手付かずだった唯一の馬具部門をどうにかしたかった。支えてくれた者たちもなんとかしたかった。
戸籍上は長男のダニエルだが、彼の家は、彼に家督を譲りたくはなかった。
そこで双方利害が一致し、先がないのでソフトランディングで消滅させたい、面倒の割に利幅の少ない事業をルシンダとダニエルに押し付けた。
それらが二人の婚約の事情というものだ。
ルシンダの結婚後、両親は爵位を返上し領を出て行った。今では生きているのかもわからない。
口調や考え方など、姉の影響を多大に受けた自覚はある。
それを歯痒く思う事もあった。
誰にでも愛された姉。愛しかった姉。憎らしかった姉。
実家にいた頃は、空っぽだった。
ルシンダを見るものなど誰もいない。
ルシンダを思うものなど誰もいない。
それが辛いかといえば、それもよくわからなかった。
わかったのは学園に入ってからだ。
学園でもルシンダは人目を引くような存在ではなかったので、ルシンダを見るものも想うものもいないのは変わらない。
ただ、なぜ、ということがない。
それはルシンダが他の大勢にまぎれて、突出したものがないからで、いわば当たり前だった。
だから、ああ、嫌だったんだな、と思った。
両親に愛されなかったことが辛かったと認めると、まああのわけのわかんない姉がいちゃあなと諦める気持ちになったし、王子や公爵令嬢の、例のすったもんだも、うわー姉の言ってた悪役令嬢がどーのってやつじゃんと、姉の言説を苦しまずに思い出せるようにもなった。
そして一連のなんやかんやで、いやほんと、「モブ」でいいんで……と思ったりしたのだった。
姉にも家族にも思うことは山ほどあるが、物語の主人公のように、強い思いを維持できる性質ではなかった。
幸い生活はできるようになったし、大勢の中の一人だとしても、ルシンダにはキャサリンもメイジーも、ダニエルもいた。
ずっと聞こえていた声がある。
誰も私を愛さない、誰も私を許さない。
火かき棒の感触を忘れたことはない。
姉の影響は多大に受けている。
だからどうした?とルシンダは思う。
生きてきたのは私だ。生きているのは私だ。
この足で歩いてきて、歩いている。
しったことかよ、てなもんだった。
あの街が燃えるのも、夫が一人で燃えるのも、嫌だった。
ルシンダはどうも、いつも気がつくのが遅い。
王都が遠目に見えてくる。細く煙があがっている。言っていた反攻の一端か。
よっしゃと思い、ルシンダは小川の側で馬を降りた。
この川は、王都の旧水道に繋がっている。随分前に使われなくなったもので、都市管理者でもなければ知らないだろう。
ルシンダは知っている。姉が「いべんとで使うのよ」と言っていた。
何のことかはわからない。
茂みに隠れた排水口、暗いトンネルに入っていく。暗い汚い寒い。
わずかな灯りだけを頼りに上っていくと、王都内の用水路に繋がった。
辺りを伺いつつ外に出て、家へと向かう。
街は騒がしい。そこかしこで破裂音がし硝煙の匂いする。兵士が駆け回っている。
長年暮らした街だ。人目につかない道は知っている。この喧騒の中ならば。
「たーだいま」
ルシンダのご帰宅であった。疲れた。
慣れた家で、出て行ってからそうたってもいない。何も変わっていないのに、なぜかガランとして見えた。
「ダニエルー?いないの?」
まさかすでに死んだかな?と思いつつ夫を探す——探すというほどの広さでもないのだが。
ダニエルは寝室のベットにいた。寝ている。
ルシンダはなぜか、ふーやれやれといった気持ちになり、着替えもせずに夫の横にもぐりこんだ。
しばらくダニエルにひっついていると、彼が目を覚ました。
「ん……ん!?あれ、ルシンダ……?なんで……」
「いやまあ色々あったのよ」
「ええ〜……」
寝起きのダニエルはむにゃむにゃしている。
ルシンダには、聞きたいことがあった。
「ねえダニエル。
あなた結婚するなら妻を大事にするって決めてたって言ったけど、それって私じゃなくてもおんなじだった?」
ダニエルは何を言われたのかよくわからないと言う顔をして、
「僕の奥さんは君だけじゃないか。どういうこと?」
と言った。
ルシンダは笑った。
「ねえ、僕も聞きたいことがある。
どうして帰ってきたんだ?危険じゃないか」
ダニエルは目が覚めてきたらしい。
ルシンダはくすくす笑う。
「そんなの、だって一人でいるより、あんたといるほうがちょっとはマシに決まってるもの」
「でも——」
ルシンダは、ダニエルに額を合わせ
「私のワガママよ。叶えるんでしょ?」
と言った。
ダニエルはぽかんとして、やがて笑った。
「やれやれ、奥さんのワガママには困ったもんだ」
ルシンダも笑った。
「ねえ、話はあとだわ。大忙しだったのよ。疲れちゃった、眠らせて」
「ああ、うん。僕もまだ眠い」
ダニエルが腕を回し、ルシンダは抱き込まれて目を瞑った。
慣れた体温に、慣れた鼓動。
——ああ、私にしたら、ほんとに当たりを引いたわね——
昔キャサリンとメイジーに言われた事を思い出し、小さく笑った。
銃声。破裂音。喧騒。どこからか焦げる匂い。
あたたかな布団の中、ふたりはすやすやと幸せな眠りについた。
お読みいただきありがとうございました〜!!!m(_ _)m
感謝です!(´∀`*)