5 モブ元令嬢の夫のワガママ
戦争である。
きっかけはずっと遠い小国の内紛で、あらまあ大変ねえなんて言ってる間にあれよあれよと近隣諸国を巻き込み戦火を広げていった。
理由としては人口の増加に伴う資源の不足やらかつての紛争の名残やら思想の違いやら人種差別やらいっちょかみで儲けを企むものやらなんやかんやキリがないが、とどのつまりは大陸を巻き込んだ大戦と成り果てたのだった。ぐっちゃぐっちゃである。
それでもこの国ではまだ、同盟国に物資を供給したり、あくまで後方支援としての兵団を派遣したりに留まっていた。
しかしそこでクーデターが起きたのだ。
隣国の支援を受けて、王弟——かつての第二王子が蜂起したのである。こっちの王子もあかんやつだった。
国王夫妻は惨殺された。逃げ出した侍女によれば王は最後まで王妃を庇っていたと言うが本当か嘘かはわからない。
玉座を手に入れたかと思われた新王だったが、それを宣言する間も無く、自ら引き込んだ隣国の兵に殺された。
もはや暗殺などと形を整える必要もない。大義名分は隣国にあった。隣国にとっては。
実際のとこ、隣国にない資源が、こちらにはあるということではあった。
「こうなってみると、みんなてんでばらばらでよかったわよねえ。誰かしら生き残るでしょ」
ルシンダは言った。子供達はそれぞれに国内国外に散っていたのだ。占領された王都にはいない。ラッキー。
「それにしたって困ったもんだね」
そう、困ったもんなのだった。
王城は落ち、二人の住む城下町は既に占領下にある。
攻め込まれた時点で街を逃げ出せたものは幸いだ。既に街を出ることは禁じられ、隣国の兵士が街中を哨戒という名の難癖をつけてまわっていた。大貴族や金持ちの大きな屋敷は徴発を受け住人はどこへへか繋がれて行った。
「あーあーこんなことになる前ににぽっくりいきたかったわねえ」
「やれやれ。奥さんのワガママは困ったもんだ。死んだら神に抗議しとくよ」
「そん時は自分で言うわよ!」
二人の住む中流家庭の並ぶ住宅群では、みな息を潜めて嵐に耐えていた。たまにどこかから悲鳴と銃声が聞こえる。区画毎に居住者リストは提出させられている。それに基づいてか、順番に訪問を受けているようだ。ご苦労な事である。
これからどうなるのか、先は見えなかった。ルシンダは、このままならいずれ殺されるだろうと考えている。
そんな時だ。
隣国からの補給だけで兵士の口は賄えない。
すでに落ちた近隣の村から供出を受けている。
食糧をのせやってくる馬車はその帰り、空になった荷台に、死体を乗せて捨てに行く。
その荷台に、死体にまぎれて脱出させてくれるという。
行き先は隣領である。未だ占領下にはなく、逃げたものが隠れ集まっているそうな。
ルシンダにその話をした男は、他にも何人か声をかけているという。
うさんくさい、罠か何かでないかと思ったが、占領者がそんな手間をかける意味はない。
また、誘われた者が恭順を示そうと密告するのではとも考えたが、誘われたものたちの名前を聞いて、畳んだ事業の関係者と知り、それはないとも思った。
それにダメだったところでもともとなのだ。ルシンダは脱出を頼むことにした———が。
「いいじゃないのよ!年寄り二人よ!カラカラに干からびて萎んでるのよ、乗せてないのと同じようなもんじゃあないの!」
「だめだだめだ。図々しい婆さんだな。金がねえなら諦めな」
要求された金額は、高額だった。二人に資産が無かった訳ではない。富裕とは言い難かったが。
ただ、銀行が機能停止し証券に保証が無くなった。貴金属は閉じ込められるうち生活費に変わり、手持ちの現金は一人分にも足りなかった。
「なんだってのよあの業突く張り!」
「まああっちも命懸けだからねえ」
「のんびり言ってんじゃないわよ!」
「やれやれ。奥様のワガママにも困ったもんだな。
まあ!あっちも!命懸け!だからね!!!!」
「激しく言えってんじゃないのよ!」
まあダメでもともとがもともとダメになっただけだ。
ルシンダは一人調理場に篭り、プンスコしながら残りわずかな酒を煽……らずにちびちび舐めた。
知らずウトウトしていたのか、気づくと陽が落ちていた。
ガタン、と音がしたので、すわ敵襲かと身構えたが、外出していたダニエルが帰宅しただけだった。
血まみれで。
「うっわどうしたのよそれ!」
ワタワタかけよるが、ダニエルに怪我をした様子はない。
「返り血?」
「うん、お金が足りなかっただろ。なんとか借りられないかと知人を訪ねようとしたんだけど、運悪く警備兵に見つかってね、難癖つけられて小突かれたんだ」
「あらまあ」
「三人いてね、意地の悪いのとニヤニヤ見てるのと若いので。病気の妻の薬を貰いに行くところなのですどうぞお見逃しをって土下座して謝ってたら、若いのがもういいでしょう、お爺さん送っていきますよってかばってくれてね、二人を置いて着いてきてくれたんだ。
いい子だね。路地へ誘導して、つまづいた振りをしたら支えてくれようとしてくれたんで、万が一のため持ってたナイフで空いた喉を刺したんだ。やればできるもんだねえ。それで、これはその子が持ってた財布だよ。あんまり入ってなかったね」
「あんた何やってんの?」
ルシンダは愕然として見慣れぬ財布を受け取った。
「少な!」
中を見てまた愕然とした。
「借金したところで生存的な意味で返せるかわからなかったし、結果としては一番いい解決になったと思う」
「ええ〜〜」
ルシンダは戸惑った。なんだこいつ。しかし切り替えた。
「それでどうするの?確かに合わせれば一人分の代金にはなるわ。どっちが行く?コイントスで決めるのは?」
まさか私一人置いて行く気じゃないわよねとは言わない。危険を犯して金を作ったのはダニエルだ。権利は彼にある。
しかしルシンダはこすっからく権利は平等にあり公平に決めるべきだと誘導した。ちなみにコイントスのイカサマは大得意だ。
「いや、君が行きなさい」
「え?」
「二人で行けるなら二人で行くが、一人しか行けないなら君が行けばいい。それが一番いい解決だ」
「なんでよ!」
いやいいのだが。なんだと言うのだ。
「あんた私が一人で逃げて平気だと思ってんの?」
「うん」
間違いではないのだが。うーん。
普通にオッケーサンキュー!と言えばいいのだが、ルシンダは面倒な人間だった。
「だってそこまでして……なんでよ」
ここに残ればダニエルは確実に死ぬ。顔を見られている。
大事にされてきたとは思う。ルシンダもダニエルを大事に思う。
けれど、自分以上にではなかった。
家の事情での結婚だ。愛しているとも言われていない。言っていない。多分思ってもいないだろう。そんな熱情はない。
自分の命よりも大切にされる理由が、ルシンダにはない。わからない。だから、どうして?
「君だからだ」
ダニエルは言った。
「君が、僕と結婚したから。
君が、僕の妻だからだ。
僕は結婚するなら妻を大事にしよう、できる限りのことをしようと決めていた。
そして君と結婚すると決まって、君を大事にしようと決めた。
僕は君にできる限りのことをしようと決めて、そうしてきたし、これからもそうする。
僕がそうしたいからだ。君を、大事にしたいからだ。
だから君には、生きてほしい。まあできれば、なるべく幸せに——……」
そこでダニエルは、ふ、と息をついた。
「これまで君のワガママを叶え続けたんだ。一回くらい、僕のワガママを聞いてくれてもいいだろう?」
「私はワガママ言ってないわよ!!!」
ルシンダはプンスコした。