第0話「後編」
「よい、しょっと」
「ゔっ」
「ぐえ」
「おかえり〜
結構ギリギリだったねぇ」
引き摺ってきた2人を教室に投げ込んで一息つく裡子に、女生徒の1人が声をかけてきた。
「ほんと、やたら逃げ回るから時間食っちゃったよ。
…ちなみにだけど、ゆる?
さっきのお饅頭まだ残ってたり…」
「あはは〜」
「しないよねぇ…はぁ
それもこれも…!」
ゆると呼ばれた女生徒、澄川沙結流の曖昧な笑いを受けて裡子はがっくりと肩を落としながら、じろりと床に転がる2人に視線を向ける。
「うぅ…川の向こうでじいちゃんが髭踊りを…」
「おぁー…カモシカに轢かれる夢を見たぜ…」
「おはよう」
「ーーヒィ!カモシカ!?」
「誰がよ!
今回は大目に見るけど、今度しっかり埋め合わせはしてもらうからね」
「「んな!?」」
裡子の容赦のない言葉に、目覚めた二人はすぐさまブーイングを上げる。
「おい、そりゃないだろ裡子!?
体痛えしもう十分やられたはずだろ!?」
「そーだそーだ!
この脇腹の痛みがその証拠だよ!」
「ん〜〜〜?
なに?もう一回気絶したいのー?」
「「いえ!何でもありやせん!」」
「上納品は満望屋のいちご大福!」
「で、よろしいでしょうか姐御!」
「ん。ちゃんと2つね」
「「合点!!」」
即座にへり下る2人に、裡子は満足げに頷く。
と、そこで予鈴が鳴り響く。
「っといけない。
ほらあんたたちも準備しないと、明石先生来ちゃうよ」
「分かってるって母ちゃん」
「そんな言わなくても大丈夫だよママン」
「だから誰がよ!
全く毎回懲りないんだから」
「あっはは〜、本当見てて飽きないよ〜」
「ゆるも人ごとだからって面白がるんじゃないの」
ここまでのやりとりは彼女達の日常の一部である。
そうこうしているうちにガラリと教室のドアが開き、資料を抱えた明石が入ってきた。
「おーしお前らー、全員席についてるかー」
「「「ついてまーす」」」
「よし…っと」
教壇に荷物を下ろし、明石は真面目な口調で生徒たちに告げる。
「改めてだが、今日からは第二次世界大戦についての授業になる。
いい気分はしないだろうがこんなご時世だ。
今後のためにもお前たちにはしっかりと学んで欲しい」
そう言って明石が教室を見渡すと、そこには神妙な面持ちで耳を傾ける生徒たちの顔が並んでいた。
「…今更言うことでもなかったな。
うし、じゃあ始めるか」
頭を掻きながら呟く明石は、チョークを手に取り黒板に向かった。
「…と、このようにして同盟が組まれ、争いが激化していくことになった。
その後各国の兵器による攻撃が…おっと」
教室に授業の終わりを告げる鐘の音が響く。
張り詰めた空気が弛緩し、何人かは既に体ごと机に突っ伏している生徒もいることから、相当に集中して授業を受けていたことが伺える。
「うし、今日はここまで。
全員集中していて感心したぞ。
午後もあることだし、昼休みはゆっくり休んでくれ」
「「「はーい」」」
教室を出ていく明石を横目に、裡子は大きく伸びをした。
「んんー、流石にちょっと疲れたなぁ」
「んね〜〜〜」
「…すんごいとろけてんね、ゆる。
大丈夫?」
机からこぼれ落ちんばかりにだれている沙結流の姿に、苦笑いと共に声をかける裡子。
普段から緩みがちの友人だが、先ほどまでの授業ではかなり集中していたらしく、
反動が大きいようだ。
「あんまり大丈夫じゃないかな…
早く燃料補給した〜い」
「だね、私もお腹ペコペコ」
「「う“おお…」」
「うん?」
前の方の席から唸り声が聞こえ、振り返ると先ほどまで机に突っ伏していた明宏と陽介がゆっくりと動き出していた。
「うあー…頭パンクするかと思ったよ…」
「気持ちは分かるが言ってる場合じゃないぞ。
早く売店に走らないと昼飯が…」
「そ、そうだった!
この上ご飯まで少なかったら耐えられないよ、早く行こう!」
「おー!」
気合の入った言葉とは裏腹にフラフラと教室を出ていく二人を眺め、呆れたように裡子が呟く。
「…いくらなんでも体力使い果たし過ぎでしょ」
「も〜、男子達はだらしないねぇ」
「うん、ゆるも同じようなもんだからね?」
自分を棚に上げた発言に裡子が軽くツッコミを入れていると。
「おい二人とも、のんびりしてると昼休みなくなるぞ。
ただでさえゆるは動きが遅いんだからな」
「え〜?初依ちゃん酷いな〜
そんなことな〜い〜よ〜」
「その体たらくでよく言えるな!?」
もはや机と一体化せんばかりの沙結流の崩れっぷりに、小柄な女子生徒—柏原初依が勢いよくツッコミを入れる。
「いくらなんでも弛みすぎだぞ。
ちょっとはシャキッとしろ」
「まあまあ初依、その辺で勘弁してやって。
ゆるだっていざって時…ほら、命がかかったりすればちゃんと動くよ」
「そこまで行かないとダメなのか…!?
と言うか、裡子が甘やかしすぎなのも悪いんだからな!」
「いいんだよ〜
私、今は休憩期間中だからね〜」
「それ言い出してからもう2年くらい経つだろ…
いいか?あんまりサボってると動こうとしても動けな、ぅきゃあ!?」
「んお?」
どんどん崩れていく沙結流に呆れながらもお説教を始めた初依が突如奇声を上げて宙に浮く。
見れば長身の女生徒が初依を後ろからぬいぐるみのように抱え上げていた。
「初依、あまり大きな声を出すものではありませんよ。
それにあまり話し込んでいると、昼食を食べる時間がなくなってしまいます。」
「今、大声出したのは美晴のせいだからな!?
いきなり持ち上げるなって言ってるだろ!」
「すみません、つい。ふふふ」
「何がついだ何が…頭撫でんな!」
じたばたと暴れながらの反論をさらりと受け流し、長身の女生徒、月見山美晴は満面の笑みで初依を愛でる。
30センチ以上の差があるとはいえ、人ひとりを抱えつつ頭まで撫でくりまわすその様に苦笑しつつ、裡子がまとめに入る。
「はいはい、美晴もその辺にして、早く屋上行こ。
さっきも言ってたけど本当に時間なくなっちゃうからね?
ほら、ゆるもいい加減起きな」
「は〜い…」
「はい、裡子さん。
また後で愛でるとします。」
「はあ…全く、休み時間なのに疲れる…
罰として私をこのまま屋上にエスコートするように」
「ええ、もちろんですとも」
「それ、エスコートって言うのかなぁ」
「いいんだよなんでも。
ほれ、しゅっぱーつ!」
「はいはい」
そうして賑やかにやりとりを続けながら、4人は各々の昼食を携えて屋上へと向かうのだった。
屋上に続く頑丈な作りの扉を開き、裡子はぐるりと周囲を見渡した。
多少人がいるものの、生徒のために備え付けられたベンチには4人が過ごすには十分な空きがある。
「よっし、ちょっと遅くなっちゃったけど場所は大丈夫そうだね」
「いつもそこまで混んでないけどな。
ほら、もう着いたんだから降ろせ美晴」
「えー……」
「何がえーだ何が。
ちょ、力込めんな!」
「あはは〜、名残惜しいみたいだねぇ」
「だねえじゃない!
昼休みなくなるって言ってるだろ!?」
「初依の言うとおり。
お腹すいたし、早くご飯にしよ。
どうせ教室戻る時も抱っこするんでしょ?」
「むぅ、仕方ありませんね…」
ようやく初依を解放した美晴に苦笑しつつ、裡子は手近なベンチに腰を下ろす。
隣には沙結流、更に隣のベンチに初依と美晴が並んで座る。
いつもの配置に落ち着きようやく各々弁当を広げたところで、再度ドアが開く。
「うぅ…ろくなパンが残ってなかった…」
「カレーパン…焼きそばパン…幻の牛タンサンド…
食べたかったな…」
なにやら萎れたような顔の男子2人に続き、明石もビニール袋片手に姿を現した。
「すげえ高望みすんなお前ら。
いいじゃねえか、一応買えたんだしそれで満足しとけ」
「だからって、なんだよきゅうり一本漬けパンって!
どこに需要があんだよこれぇ!?」
「そう言うなら交換してよ。
先生はちゃんと買えたんだよね?」
「馬鹿言え、そんな意味不明なもんとカツサンドが釣り合うか」
「この薄情教師!」
「なんとでも言え。
ほれ、いつものメンツが先に来てんぞ」
「あ、本当だ。
やーやー待たせたね君たち!」
「「「「いや別に待ってない(わよ・ません・よ〜・っての!)」」」」
「そんな口揃えて言わなくても…」
「あ、明石先生もこっちきて一緒に食べよ」
「はいよ。
教師誘うとか、毎度毎度物好きだねお前らも」
「「扱いの差エグくない!?」」
こうして、穏やかな日常が流れていく。
今後如何にしてこの世界が進んでいくのかはまだ誰にも分からない。
それでもこの日々は、彼らにとってかけがえの無いものであり続けるのだった。