8. われ解放さるべし
墓地を出て、俺たち四人は再びセブン号に乗り走ってる。
行き先はノースフォレスト。今度は俺が運転してる。え? 大丈夫なのか?
そんな心配もそのうち忘れて俺はクリシアの話に聴き入っていた。
助手席にライセンス。後部座席にクリシアとオダメイ。
オダメイはクリシアの右手を握って親身にうなずきながら聞いている。
クリシアの語るビジョンが、俺の耳にも目にも映写機が回るように伝わってくる。
ある日の夜から帰ってこなくなったお父さんを捜しに隣り町や見知らぬ街を訪ね歩くジャックとクリシア。
幼い二人が身を寄せ合い、ジャックは職を失ってもクリシアの髪を梳かし、クリシアはジャックの船の清掃を喜んで手伝ってる。
いじめられて泣くクリシアを慰めながら林檎を剥いてあげるジャック。
ルカ叔父さんたちもいた楽しいクリスマス。
フィアット500を運転して俺もいっしょに騒いだスリル満点の夜の冒険。
旅立つジャックを切なく見送るクリシア。
随分距離を感じるようになっていた、冬の夜のレストランでの再会。
生成りのコートにサングラスのジャックがテーブル席でクリシアと向かい合ってる。ジャックはサングラスを外して言う。
「元気そうだなクリシア」
「お兄ちゃんこそ相変わらず……人の心配、気にも留めてないし」
「そーんなことないさ」
「で今どこにいるの? 何してるのよ」
「ノースフォレスト。電気工事」そう答えて今度は鼈甲の伊達眼鏡をかける。クリシアの眉間に皺が寄る。
「嘘。……誰と仕事してるの?」
「一人だよ。独立開業して」
「嘘よ。ねえ、ブリウスを巻き込まないで」
「え?」
「わかってるのよ! 彼時々いなくなるから」
「おまえが怒りすぎるからじゃないのか?」
「怒るわよ!」
「もう怒ってんじゃん」
ふぅ〜うと溜息をついてジャックはミルクティーを啜った。
「ウヘッ、マズ! うっわ〜、やっぱおまえが淹れてくれたのがいいや」
「フン! 機嫌とろうったって」
「いや、本当だ。おまえのがめっちゃ美味い」
ジャックは窓越しに外の動きをちらちら警戒する。
眼鏡越しに鋭い目が光るのを、クリシアは怖れた。そして不安に震えながら彼女は言う。
「わたし、信じてるから……だから、早く帰ってきて」
ジャックは身を乗り出し、クリシアの耳元で囁いた。
「いいかクリシア。運命は変えられるが、宿命は変えられないんだ」
彼女は大粒の涙を零した。
ジャックはクリシアの濡れる頬を指で拭ってあげる。
「クリシア。……お金に困ってないか?」
「……え?」
ジャックは足元に立てかけていたギターのハードケースをテーブルの上に置いた。
「このギターケースにはお金が入ってる。困った時に使うんだ」
クリシアはジャックの手を払い除け、立ち上がった。マフラーを巻き、レジへ向かう。
「クリシア!」
「お兄ちゃんお勘定はわたしが済ますから」
「待てって!」
「またそんなことをして! わたしはただ! お兄ちゃんに帰ってきて欲しいだけよ!」
大声でそう言って、クリシアは店を出て行った。
泣きじゃくりながら夜道を帰った。凍てつく北風に吹かれながら……。
* * *
「運命は変えられる……か」
オダメイが呟いた。クリシアの手を握りしめ、うんうんと慰めてる。
それから流れる景色を見つめてガラッと顔色を変えて、
「ギターケースにきっとその金が隠してあるのね♪」
と笑って鼻歌を唄った後、今度は助手席のライセンスに声をかけた。
「あなたもお金に興味があるのカネ?」
戯けて訊くオダメイにライセンスは黙している。
彼女はその岩のような肩を叩いて詰めた。
「どうなんです? 『ウィリアム・スタンス』さん」
え? ……それが彼の、
「本名でしょう? それがあなたの。ライセンスさん」
肩越しにライセンスは睨んで返した。
「ブラック・オダメイ。あんたはすべてを暴こうとする。そんなことをして何になる」
「あら。もし同じ目的なら、俄然あなたは〝敵〟ですもの。だからあなたのことを知るために、全部調べなきゃ」
「俺は金に興味はない。欲しいのは自由だ」
「ふんふん。自由とぉ……それにウェンディ。欲しいのはウェンディ・ダイスン」
ライセンスは血相を変え、後ろを向いてオダメイに手を伸ばした。
烈しく目を釣り上げたライセンス。怒りが炎の束となり、俺たちを包む。
と次の瞬間場面が切り替わった。
突然セブン号が消え、俺たち四人は広大な玉蜀黍畑に立ち尽くす。
唸る風が穂を揺らす。
俺たちのすぐそばで男が収穫作業をしている。
おそらくその妻と幼い息子、婆さまも一緒に。
息子の足元に一匹の蛇が迫って襲うのを父親が見つけ、鎌で蛇を殺した。息子は言う。
「どうしてそんなかわいそうなことをするの?」
母親が息子を抱きしめ、父親がごめんなと二人を抱きしめ、さぞつらかったろうと婆さまがなだめた。
その息子はライセンスの幼少期の姿のようだ。ウィリアム・スタンスのこと。
そこから語られる彼の過去――。
ウィリアム少年はやがて成長し、戦争に狩り出され、地獄を見た。
地獄で出会ったのは魔物と化した兵士たちと泣き叫ぶ農民や女たち、そして一人の軍曹。
その名をラウル・ダイスンという。
同じ辛酸を味わうも自尊心を失わない、強い信念を持つラウル軍曹にウィリアムは諭され、友となった。
戦争が終わってラウルは妻のウェンディと夢に描いていたレストランを開業した。
ウィリアムにとってそこは癒やしの空間だった。
「ウィル、毎日でも来い。毎日でも飯おごってやるから」
しかしその街を牛耳るブラッドアイズ・ファミリーがラウルの店に目をつけた。
みかじめ料を払えとラウルを脅し、交渉に来たラウルを挙げ句の果てに、殺した。
怒り狂うウィリアム。
彼は兵士として培った戦闘スキルと冷徹さと非情さでブラッドアイズの連中を皆殺しにする。
一方でその壊滅の真相を探る者がいた。それはエルドランド最大のマフィア、サンダース・ファミリー。
サンダースの顧問はウィリアムの暗殺者としての腕を買う。
顧問は彼に、ラウルの妻ウェンディの生活の保証と引き換えに組織への協力を要請する。
ウィリアムは受け入れ、殺し屋『ライセンス・トゥ・キル』として暗黒街で生きてゆく……。
ライセンスは膝をつき、地に拳を叩きつけて叫んだ。
「……晒すな! 人の過去を!」
オダメイはなだめるように言った。
「ごめんなさい。……でもすべては、ウェンディのためでしょう?」
「……た、大切な、ラウルの奥さんだ。彼女が……幸せでいられるなら……俺はそれでいい」
「サンダース・ファミリーは今も約束を守っている。彼女は息子さんと幸せに暮らしてる。水晶を覗けば、それも見えるわ」
またもライセンスのビジョンが俺の脳裏を支配する。
ラウルとウェンディへの想いと、裏社会での暮らし、凄惨な殺し屋稼業。
そして両親への懺悔。贖罪。
金属バットを振りかざし、殴りつけるのはウィリアム自身の頭だ。憤怒に満ちた彼は彼自身を延々と痛めつけ、決して許さない。
俺は胸が苦しくなり、耐えきれずに嘔吐した。
ライセンスは地に埋めた顔を上げ、胸に仕舞っていた詩集を手に、低い嗄れ声を震わせて言った。
「ラウルの爺さまはこの国を希望と夢の国と信じて海を越え移り住んだ。こんな惨めな、死を待つだけの俺でも同じように信じたい。産み落とされたこの国に、逃れることができないこの国に、ほんの僅かでもいい、希望や夢を持てたらと」
* * *




