7. 墓石ブルース
ジャックのことをもっと語ろう。
彼は、一日も早く〝大人〟になりたかったのだと思う。
はっきり聞かされることはなかったが、彼は殺された義父の復讐を胸に秘めていた。表には出さず、絶対忘れず。
一日も早く大人の世界に飛び込んで、真実を暴こうとしていた。
義父を殺した犯人をその手で捕まえようとしていた。
時には頭を掻きむしる最悪な気分もあったろうに、ジャックはクリシアにも俺にも、いつだって優しかった(車の運転に関しては半分脅してきて無理矢理やらされたが)。
ルカ叔父さんは闇組織ナピスとの抗争に巻き込まれ、死んだ。
大切な人をまた失って俺の気分は最低最悪自暴自棄になる。
俺は結局いつもひとり残されると塞ぎ、当時は世を恨んだものだ。
十八歳の頃、職探しも全然うまくいかなくて、ある夜俺は煙草を吸いながら海に、沖の方に歩いていった。もうこのまま、終わっちまえと。
でも、できなかった。
やっぱり怖かったんだよ、死ぬことが。
潮水を口に含んで目を腫らして、俺はまた浜辺に戻った。
するとそこにジャックがいた。
周りが騒がしくなって随分疎遠だった彼が、俺を待ってた。
消波ブロックに腰を下ろし、煙草を吹かして。
「何やってんの。ブリウス」
「……どうしてそこにいんの?」
「おい俺から訊いてるだろ。おまえ、泳いでたのか?」
「……ん、うん。そうだよ」
「ウソつけボケ。まったく泳げないおまえが」
「練習だよ練習」
「クリシアから聞いたぞ。また仕事クビになったんだって?」
「……ん。ああ。清掃会社ね。『今どき高校ぐらい卒業しろ』とか同じ年頃のやつらにバカにされて……喧嘩してやめた」
「もう何社目だ?」
「十……くらい。アルバイトも続けられない見つからない」
「……で。泳ぎの練習して競泳選手にでもなるのか? めっちゃウソばればれじゃんよ」
「……なんかもう、全部どうでもよくなった」
「はあ? よくねえよ。ブリウス、はっきり言うぞ。仕事見つかんないぐらいでメソメソすんな! 働く意志はあるんだろう? 何か月も今は不遇かもしれないが、いい時も必ずやってくる! 朝日は必ず昇る! だから、死ぬとか、考えんな!」
「……ジャック」
ジャックは煙草を砂に叩きつけて立ち上がった。
バサリとコートをなびかせガシガシと歩み寄り、ずぶ濡れの俺のシャツを鷲掴んで蹴たぐり、浅瀬に俺をぶん投げた。
「バカヤロウ!」
「う、うぅっ、ジャック……ごめんなさい」
「このっ! お、おまえがいなきゃ、クリシアはどうなるんだ? え? あいつを一人にすんのか?! ええ? 答えろ!」
「ご、ごめん……許して、ジャック」
「答えろ!」
「考えてなかったっ! 自分のことばっかりで、クリシアのこと、ほったらかしだった! 俺が悪かった!」
「この大バカヤロウッ! おまえだから、俺の大事な弟分のおまえだから、真面目なおまえだからクリシアをまかせてるんだ! それを、わかれっ!」
「う、うん! わかったよジャック!」
「俺がいつもそばにいるって言ったろう? 確かにあれから俺は一人ソウルズとして飛び回ってるが、おまえとクリシアには俺がついてんだ。離れていても気持ちはいつでもおまえたちのそばにいる。俺を頼ってくれ。おまえたちには俺がいるんだ!」
……そんな一場面もあった。熱い思い出だ。
しかし、『頼ってくれ』が転じて俺が頼られ、彼の世直しを手伝うことに。
どうなるかなんてわからないものさ。
でも、歪んだ正義だったとしても、俺は強く彼を信じて動いたんだ。
* * *
目の前のオダメイが泣いている。
俺は無意識にジャックのことを彼女に聞かせてあげてたのか。
ジャックのことを知りたがってる彼女。……そう、彼はストレートに熱いやつだったんだよ。
オダメイは語った。
「本気でぶつかるとねえ。一気に距離が縮まるもんさ。いや、あたしもね。子どもの頃JUDO習ってたんだが、仲間に陰口ばっかり言ういけ好かないコがいてね。お互い絶対嫌ってた。あたしのこと焦げパンだとか化け猫だとかいちいちちょっかい出してくるんで逃げ回ってたんだけど試合の時、やっぱり腹が立ってその子を思いっきり背負い投げたんだよ。もう史上最高に本気でぶん投げた。そうしたら不思議とね。試合の後めちゃめちゃ仲良くなったんだよ。そのコが妙に慕ってくるようになってね。あれは不思議だったなあ」
目を閉じ腕組みしてその頃を懐かしむオダメイ。
へぇ。やっぱ力も強そうだなこの人。
「そうなんです。ジャックはいつでも本気。本気で叱られて、実は嬉しかった。やっぱり〝この人〟だと思った」
「ありがたい存在よ。あなたとジャックは本当の友だち」
また背景が動き出す。気づくとクリシアもライセンスも俺の両側にいて、なんか身構えてる。
オダメイは指輪と革手袋で固めた両掌を眼前で構え、また調子づいて言った。
「ブリウスあなたはどこまで喋ったか覚えてないでしょうけど〝墓地〟の場所はわかったわ」
「え、ええ?」
「昨日訪れたばかりだったのね。記憶に新しくてすぐに判明したわ。ヘヴンズフィールドの秘密の丘の上。正式な公の墓地ではない」
「……ジャックが好きな場所だったんだ」
と、俺の口から出てしまう。
オダメイは俺の記憶を探っていたのか? 俺の脳裏に直接。
そうか! あの水だ。あの変に甘い水飲んでからやられたんだ。
隣りのクリシアもモゴモゴと抵抗を示すが動けない。
ライセンスもまたさっきみたいに木人と化してる。
「行くよ」
と、オダメイが立ち上がり、次の瞬間俺たちは四人とも愛車セブン号に乗っていた。エンジン全開、エキゾースト最高潮。
ハンドルを握るのはオダメイ。俺は助手席、クリシアとライセンスは後ろで目をパチクリしてる。
オダメイが前屈みにギアを入れアクセルを踏んだ。
「トリップするよ。トゥームストーン・ブルースでも流すかい? ワッハッハ」
ぶっ飛び過ぎてて景色なんか見えない。幾何学模様で色とりどりな風景が飛ぶように流れてゆく。
一途なオダメイは運転がかなり危なっかしい。てか真っ直ぐ走れないのかよ!
彼女はノリノリで歌うように言う。
「ジャックの愛車セブン号に一度乗ってみたかったんだよ。あ〜あ、彼の勇姿が目に浮かぶわぁー、地上げ屋を引きずり回したあの凄み。悪徳警官をぶん殴ったあの腕力。路上の物乞いに差し伸べた眼差し。スラムの子どもたちにパンとお金を配ってた真心」
そのうち生い茂る坂道の土手に突っ込みそうになるのを俺が手を貸して丘の上までうまく導いた。
晴れ渡る景色は時間の感覚を麻痺させた。いや、すでに麻痺してる。
「まー! 海が綺麗! キラキラ絶景ね!」
はしゃぐオダメイを尻目に俺たちは肩をすくめた。
オダメイはジャックの墓石の前に膝をつき、両掌を合わせしばらく祈った後、ビタッと石に貼りついた。
クリシアが手を伸ばした。
「ちょっ、ちょっとオダメイさん!」
「シッ!」とオダメイは指を口に当て黙ってと言う。
「兄はもう、この通り」
「クリシアちゃん黙って。彼の呼吸が聴こえないか……試してるの」
「……もう! まったく、ふざけてるわ!」
「そんな、クリシア」と俺が手をとる。
「だってこの人! ……ほんっとに何者なの?」
「え? あたし? あたしは暗黒街一の霊媒師にして大怪盗、冒険家、ちょい魔法使いのブラック・オダメイ。自己紹介しなかったっけ? ごめん」
墓石に耳をつけたままペロリと舌を出してクリシアに謝るオダメイの画は滑稽だった。
「ごめんねあんたたち。あたしのへんてこ魔法にかかって不安よね。でもどうしても、あたしはここが知りたかったのさ。最初の墓地は大地震で崩壊したろう。その後どこに行ったのか全然わかんなくてね。いつかこうしてジャック・パインドのお墓参りをしたかったんだ」
いったん体を起こし、あらためて彼女はクリシアに謝った。
クリシアも膝をつき、しゅんとなった。
「……オダメイさん」
「聞いてクリシアちゃん。みんなも。あたしの不思議な能力。あたしは普通じゃない。その自覚があっても、出生が謎だった。ずっとふらふら暮らしてて、ある時、ウォルチタウアーが訪ねてきたの。『オダメイ。あんたの力を信じて頼みがある。〝ジャック・パインドが盗んだ金〟の行方を調べてほしい』と。調べるうちにあたしはジャックに興味を持った。あれだけ名が知れても逃げ延びてる胆力、能力、生命力。尋常じゃない。あれはもしや魔法使い? って、ビビっときたんだ。彼なら、もしかしたらもしかしたら同族で、あたしのことをわかってくれるかもしれないって」
クリシアは哀しい目を向けてる。
「あなたのことを……」
墓石に頬をくっつけるオダメイは言う。
「もしわかってもらえたら、彼だけでもあたしの血筋を理解してくれたなら、あたしもこの見えない血の呪縛から解放されるかもってね」