5. NEVER LASTING KISS 〜明日なき暴走
国道を北へ、ノースフォレストを目指す。
助手席のシートの底に小さく畳んで仕舞っておいたメモを、いよいよ手にした。
「クリシア、次に見つけた店で停めてくれ。食料を買うのと電話もしたいからな」
午前六時。二十四時間営業の食料品店。ガソリンスタンドもあって助かる。
ライセンスはデカくて目立つから車の中で待機してもらう。というか何より、追手が気になる。
カーラジオのニュースでもまだ俺らの報道はない。店のテレビも騒いでないが、明日の朝刊には出るのだろう。
安物のキャップと伊達眼鏡を買って着けてから、そそくさとパンや飲み物、缶詰などを買う。クリシアもニット帽を被り、手際良く買い物を済ませてくれた。
店横の公衆電話の前に立ち、メモにある〝ダグラスさんの番号〟をダイヤルした。
焦るな。間違えないようにダイヤルを回すんだ。
「……うん……出ないな」
「もう十回ぐらいかけてるわ」
「ほんとに合ってんのかなこの番号」
「まずお兄ちゃん字が汚ないからこれ、6なのか0なのか」
「たしかに。鉛筆だから薄くなってるし」
「走り書きなのよいつだって。性格からしていつだって先走ってるのよ」
「もー。肝心なとこなのになー」
「……ダグラスさんて、どんな人かも知らないの?」
「うん。……ある地下組織のリーダーで、ジャックは兄貴分だと言ってた。合言葉に『微笑む髑髏の指輪』って言えばわかってくれると。……ただ忙しくて出られないだけかも」
「そうね。普通じゃないだろうし」
「普通って?」
「いかにも怪しいじゃない。実際どんな人かもわかんないわけだし正直怖いわ。いくらお兄ちゃんが『頼れ』って言ったとしても、あのお兄ちゃんよ」
「おいおいそんな言うなよ。お兄ちゃんコのくせに」
「だって。悪党じゃん」
「違う違うただの悪党じゃない。真の悪党を叩く正義の悪党だ、ジャックは」
「正義の悪党だなんておっかしい」
「おかしくない。毒を以て毒を制するとか言ってた。ジャックは自ら毒になって、卑劣な毒蛇どもに制裁を下したんだ」
「……たしかに。真面目だったあなたも毒された」
「もーう」
気が遠くなるほどダグラスさんを呼んだけど結局出なかった。
彼の住所はノースフォレストの『ルドルフ通り1125』とある。最悪直接訪ねるか……。
俺たちはいったんあきらめ、ガソリンを満タンにしてまた車道へ乗り出し北を目指した。
* * *
* * *
ヘヴンズフィールド(ポニーボーイズ前)を出てから二十時間は経つだろか、運転するクリシアの疲れが限界にきていた。
休憩は何度かしたが、二度もガードレールぎりぎりに寄りすぎて危ないからもう代わろうと何度も言ったが免許証不携帯じゃダメと聞いてくれない。
じゃあとりあえず休もうと、次に目に入ったモーテルで、俺たちはひと眠りすることにした。
捕まりたくはないが、事故死も嫌だ。正直俺も意識が朦朧としてるし、しっかり逃げるためにここは短時間集中でしっかり寝よう。
ダッシュボードに残しておいた俺の更新前の免許証をなんとか偽造できないかと思案する。
ペンで有効期限を書き足すか。しかし俺も字が汚い。
悪あがきはやめなさいと彼女にたしなめられるが(ここまで来て言うことではないだろ)。
ハイウェイを抜け、山間にある張りぼてのお城みたいな古いモーテルに車を停めた。
受付の老婆にジロジロ見られながら、
「僕ら二人です」と言って偽名でサインをし、チェックインする。
ライセンスは車内に隠れて寝るそうだ。
申し訳なかったが、狭いところは慣れてると言ってくれた。
部屋は板張りの、床がかなり軋むが壁もベッドも意外と綺麗で掃除が行き届いていて俺たちは安心した。
熱いシャワーを浴び、俺はクリシアを抱きしめた。
ずっとこの時を夢見ていた。
彼女も同じだと思う。
離れて過ごす寂しさを痛いほど味わった。
俺が捕まってからの彼女の不安や孤独を思うと胸が締めつけられた。
全部、俺が悪かった。
きみが痛くないように、自分を抑えながら愛撫する。
想いが強すぎて、きみを怖がらせてしまうから。
でも、きみも俺を激しく求めている。
わかるよ。俺たちは強く通じているから。
きみを抱きながらここまでたどり着くまでの自分が頭をよぎる。
大切な人を失って、自分ひとり残されて、塞いで暴れて……。
でも自暴自棄になっても、何もいいことはなかった。
明日なんてないと思って自殺マシーンに乗り裏通りを暴走しても、最後には悔いるだけだ。
手錠をかけられ檻の中へ押し込まれ、クリシアと引き離されてようやくわかった気がする。
そこまでされないと思い知らされなかった俺は本当にバカだ。
彼女の乳房と唇にくちづける。けっして終わらないキスを……。
その度に「もうこれですべて終わってもいい」と感じるほどすべてを捧げてる。
打ち震えるきみの髪を愛おしく撫で、俺はきみを包み込む……。
そして俺とクリシアは時が止まったかのように眠った。
温もりの中で何もかも忘れるぐらいに。
もうどれだけ経ったのか。
やがて目覚めた俺はクリシアを起こさないようにそっと立ち上がった。
冷蔵庫のミネラルウォーターのボトルを開け、飲む。
ん? かすかに甘くて……美味しい。
朝四時か。五時間はぐっすり寝たかな。
テレビをつけニュースを見る……が、どのチャンネルにも俺たちのことはやっぱり出ていない。
落雷と洪水の被害状況は言うがデスプリンス刑務所での脱獄事件には触れていない。
おかしくないか? 気づかれないはずがない。……もしや秘密裏に捜索している?
公開せず、俺たちを確実に捕まえるために……。
むくりと、クリシアが目を覚ました。
「……ブリウス……おはよ」
「おはようクリシア。まだ寝てろよ」
「何時?」「四時」
俺は下着姿の彼女をシーツで包む。
寝ぼけ眼のクリシアもゆるくてかわいい。
頬にキスをしていっしょにゆっくり横たわる。
「ねえクリシア」
「……なに?」
「俺、真面目に働くよ。トレーラーの運転手にでもなって」
「……ふふ。それあなたの夢だものね」
「ああそうさ。かっこいいだろ?」
「うんうん。動いて汗かいて働いてるあなたは光ってるわ」
「へへ。そしてきみはお家でアップルパイを作って待ってる。それが俺の理想」
「……そのためには、あなたは毎日帰ってこないとダメ。作ってやんない」
「えー。長距離乗ったら帰れない日もあるかも」
「ん……じゃあ、わたしも連れて行くことね。隣りで焼いてあげるから」
「ハハッ。それじゃあもうトレーラーで暮らそうか」
「あ、いいわねそれ! それなら、いつも一緒にいられるわね」
五時だ。ちょっとふらふらするが、そろそろ行こう。
俺はクリシアが持ってきてくれた服に着替え、彼女も水で喉を潤し、手早く身支度をしてドアの前に立つと、向こう側から誰かがノックした。
ん、ライセンスか?
「ルームサービスです」
と、言うその声は彼、ライセンスだ。
え? それって……何かの冗談?
冗談なんか言う……彼なのか?
「ちょっと待ってくれライセンス。俺は何も……俺もクリシアも何も頼んでないし、それに」
すると彼は低く唸るヤマネコのような声で、
「人生はジョークだ。ペテンだイカサマだ」
と答えた。
……え、ちょっ、待てよライセンス。なんか、頭おかしくなってないか?
俺の背でクリシアも首を傾げてる。
「わかったよライセンス。とりあえず、おはよう。ドアを開ける。話をしよう」
俺は今となっては彼を信頼している。
俺を茶化す意味がわからない。とにかく挨拶しようとドアを開けた。
俺とクリシアは一歩下がった。そこに立つライセンスは青ざめた顔に精気のない目で俺を見下ろしてる。
「うげっ、どうしたんだよライセンス。気分悪いのか?」
身を乗り出すと俺は彼の後ろに立つ人影に気づいた。二人いる。
一人は受付の老婆で、もう一人は体格のいい奇抜な格好の女性。
彼女はサイケデリックなバンダナに小麦色の肌。左の頬を黒いレザーで隠し、目尻に細かい皺を寄せ、猫のような妖しい目で俺たちの方をじっと見ていた……。