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4. クリシア

 『ポニーボーイズ』という楽器店がある。

 昔はフォーク喫茶で、ミュージシャンの友だちがいたしその度にクリシアとライブを観に行った。

 午前三時の街頭にぽつりぽつりと車が照らされている。

 物陰に隠れながら石畳を歩いていくと、白いボディに黒いルーフのオースチンセブンが確認できた。

 ジャックの、いやクリシアの乗る車だ。

 いいコだ。ちゃんと待っていてくれたんだな。


 俺は後ろのライセンスへ顎をしゃくり、目的の車の場所へ促した。

 近づくと、くしゃくしゃな黒髪と赤く腫らした目のクリシアが俺の悲愴な様子を見てすぐに声を荒らげた。


「ブリウス、あなた……まさか!」


 窓越しに、俺は運転席側に屈んで精いっぱいの笑顔を作った。


「や、やあ、クリシア。元気そうでなにより……」


「これは……事件よねブリウス。こそこそと、あなたやっぱり……脱獄を」


 わなわなとクリシアの目が怒ってる。

 俺は彼女の肩にようやく手を伸ばして懇願した。


「身の危険を感じたんだ。経緯は話す。だから俺と……彼を乗せて早く出よう。ノースフォレストへ」


 ぺこりと頭を下げるライセンスを、クリシアはしばらく見つめた。

 じっと頭を下げて「すみません」と言うライセンスに、クリシアはやがて目を逸らした。

 そしてまた俺を睨んで、「早く乗って」と震えて言った。

 俺は助手席のドアを開けシートを上げ、ライセンスを後部座席に乗せる。

 ギシリと軋む車体。だいぶ重みを感じるが、タイヤと燃料を確かめ、とりあえず車を出してもらった。

 免許証を持ってない俺をクリシアは気遣った。



「……久しぶり会えたねクリシア。二か月だ。俺はこの時をどんなに」

「バカよ! あなたは! どうして待てなかったの? ええ? この、後ろの方はお友だち? 何考えてるのよ本当に……バカよ!」

「待てよ待てよ、俺が殺されてもよかったのかよ!」

「……え? どういうことよそれ」

「二か月前言っただろ。今度来たウォルチタウアー刑務所長は俺を狙ってやって来た。それがついに動き出したんだ。やつは昔からジャックを追っていて、次に俺をターゲットにした。ジャックの持ち逃げした金のことを訊いてきた。俺は何も知らない。でもいつか、やつは腹いせに俺を殺すだろう」

「そ、そんな」

「前にも言ったがきみに面会に来るなと伝えたのはウォルチタウアーを警戒してのことだ。今まできみのことが心配だった」


 クリシアは眉をひそめ、唇を噛みしめる。

 彼女の動揺を考えながらも俺は言った。


「それに……ジャックを殺したのも……おそらく、そのウォルチタウアーだ」

「え?!」

「あいつの臭いだ。あの時漂っていた香水の異臭を刑務所でも感じた。限りなく、俺の勘だが」


 クリシアは絶句する。前方の、赤に変わった信号に慌ててブレーキを踏んだ。

 俺はウォルチタウアーに詰め寄られた内容を手短に話した。


「ジャックはウォルチタウアーから金を奪った。奴は六年もジャックを追っていた。警官に扮装してまでつけ狙った。しかし殺してしまい……奴はシラを切るだろうが……、次に俺に訊いてきた。『二億ニーゼの金の入ったトランクケースの在り処を教えろ』と」


 そこで後ろのライセンスが声を発した。


「ひとつ……。言ってもいいかブリウス。ウォルチタウアーは六年も前に奪われた金を追うが、金など、とうに使われていると考えるのが普通では?」

「それは俺も思ったよ。これは奴の執念なのだろう」

「うむ。もしやトランクケースごと残っているという確証があるのかもしれんぞ」

「ケースごと……か」


 今度はハンドルを握るクリシアが咳払いをして訊いてきた。


「……ねえブリウス。身の危険を感じてのことって、いちおうわかった。でもどうやってこんなにうまく」


 ライセンスが身を乗り出して言った。

「彼女さん……クリシアさん。脱獄はそもそも俺が計画してたんです。彼を誘う形になって……なんというか、すみません」

 俺は彼の肩に手をあて、言う。

「いや、ライセンス。決断したのは俺だ。そう自分を責めないでくれ」

「……すまん」


 そんなやりとりにクリシアがまた溜め息をつく。

 不思議と彼女もライセンスを責めるようなことは言わなかった。

 穏やかな口調と紳士的な彼の態度に、クリシアは口を噤んだ。

 走り出してから二十分ほど経っただろうか、しばらくの沈黙のあと俺は言った。


「クリシア。その道を右へ。丘を上って行こう……ジャックのところへ」

 それは墓地のことだ。ジャックが眠る、静かな墓地。


「わかったわ」

 クリシアはハンドルを切り、鬱蒼と草木が茂る坂道に向かってアクセルを踏んだ。



 * * *



 車一台がようやく通れる真っ暗な坂道を抜けると、月明かりが差し込む丘の上の墓地にたどり着いた。

 海が見える小さな墓地。悠然とそびえる大樹と中央の墓石が月の光にやわらかく照らされる。

 俺はダッシュボードから置きっぱなしにしていた煙草とマッチをとり、車を降りて墓石の前に立った。


 【ジャック・パインドここに眠る。 1943-1966】


 そうだジャック。俺だブリウスだ。

 まずは煙草を一服……吸うだろう?

 おまえの愛車セブン号に置いたままのショートホープ。だいぶ湿けててごめんな。


 ところで本題だ。やつが、ウォルチタウアーが現れた。

 ぶっちゃけどうしたらいい? ここまで逃げてきたが……俺はやつに一矢報いるべきなのか。おまえの敵討ちをするべきなのか。逃げながら悩むさ。こうして逃げるしかない情けなさも。

 でもクリシアのことを思うと、もし復讐でやつを殺めたとしても、彼女は喜ぶのか? おまえだって、それを望むか?

 俺にはそうは思えない。

 そこで俺はついにノースフォレストのダグラスさんを頼るつもりだ。身を隠す。

 もうここらで、これまでの過去を消してリセットして違う人生を生きる。クリシアを連れてね。

 仕事を見つけるさ。『希望と勇気と少しばかり金があれば生きていける』と、おまえは教えてくれたな。

 そして『俺がいつもそばにいる、そばにいるから、俺がそばにいるんだから、さあ立ち上がれ』と、よく言ってくれてたね。

 今でもそれは感じているよ。ジャックおまえは俺のそばにいる。あれが別れじゃない。別れな気がしないんだ。


 友よ。もっとここにいたいし、ここで話したいけど……早く行かなきゃならない。


 北は……寒いよな。クリシアには重ね着するように言ったよ。風邪など引かせないよ。

 おまえは……ずっと見てくれてるよな。

 今頃、あの世でもかっこよく走り回ってんのかな……。


 忘れないよジャック。俺と、クリシアの大切なジャック。ずっといっしょだ……。



 煙が目に沁みる。

 燻された大気とさざ波がはやる心を宥めてくれる。

 ジャックの分の煙草が墓石の上で燃え尽き、円筒形の灰になった。

 俺のと合わせて吸い殻をすくいとる。



 ジャック、おまえとの青春。

 それがこれからの、俺の生きる糧だ。



 * * *



挿絵(By みてみん)


◾️クリシア(左)とセブン号に乗るブリウス

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