第四廻:脱皮ですわ!
「ガウゥッ!!」
「ガウッ!!」
「ガウァッ!!」
三つ首のケルベロスが、身の毛もよだつ唸り声を上げながら、わたくしに跳び掛かってきました。
「セレナ!」
「問題ございませんわギルさん。【女神の聖衣】」
ケルベロスは三つの頭で、それぞれわたくしの頭と右腕と左腕に嚙みついてきました。
「ガウゥッ!?」
「ガウッ!?」
「ガウァッ!?」
が、もちろんわたくしには毛ほどのダメージもございません。
「今です、ギルさん!」
「了解!」
ギルさんは慣れた手付きで杖を構え、魔力を込めます。
「冥府に響く亡者の讃歌
七つの月が影を消す
無音の闇夜に涙の雫
紅い徒花 蒼い寂静
八つの咎に身を焼かれ
それでも亡者は天を仰ぐ
――獄炎魔法【獄炎の豪雨】」
ギルさんの上空に星の数ほどの槍の形をした炎が出現し、それが豪雨の如くわたくしとケルベロスに降り注ぎます。
「ガウゥッ!!!!」
「ガウッ!!!!」
「ガウァッ!!!!」
獄炎の豪雨が収まると、ケルベロスは跡形もなくなっており、そこには紅く輝く魔石だけが残されていたのでした。
「お疲れ様です、ギルさん! 今日もギルさんの魔法は天下一品ですわね」
わたくしはいつも通り、ギルさんとハイタッチを交わします。
「いや、セレナが僕を守ってくれているから、魔法に集中できるんだよ。いつもありがとう、セレナ」
「ギ、ギルさん……」
ギルさんの天使のような笑みを見ていると、胸がキュッと締めつけられ、苦しい……。
「ん? どうかした、セレナ?」
「い、いえいえいえ、何でもございませんわ!」
「? そう?」
ああ、最近のわたくしはいったいどうしてしまったのでしょうか……。
ギルさんの笑顔を見ているだけで、こんなに胸が苦しくなるなんて……。
【女神の聖衣】は発動しているはずなのに――。
わたくしとギルさんがパーティーを組んで、早や一ヶ月。
今やわたくしとギルさんは、まるで熟年パーティーの如く阿吽の呼吸で連携が取れており、どんな魔獣が相手だろうと連戦連勝。
むしろレックス殿下とパーティーを組んでいる時よりも、成果は上なくらいです。
それもこれも、わたくしとギルさんの相性がピッタリだからに他なりませんわ!
「フフ、そんなにニコニコして、何かいいことでもあったのかい、セレナ?」
「い、いえいえいえ、どうかお気になさらず!」
わたくしそんな顔に出てましたか!?
は、恥ずかしいですわ……!
「フフ、君は本当に可愛いね」
「か、かわ……!?」
ギルさんが慈愛に満ちた顔で、サラッとそう言います!
ギルさん!
「もう、またあなた様はそうやってわたくしをからかって! 冗談はほどほどにしてくださいまし!」
「……冗談じゃないのになぁ」
「え? 今何か仰いましたか?」
「……いや、何も」
「?」
ふうむ、どうもギルさんが何を考えてらっしゃるのか、わからない時がありますわね。
男心は難しいですわ。
「それにしても、まさかケルベロスと出くわすとは思いませんでしたわ」
わたくしはケルベロスの魔石を回収しながら、そう呟きます。
「え? それって珍しいことなのかい?」
ああ、ギルさんはまだダンジョンに潜り始めてから日も浅いですから、その辺の知識には疎いのですわね。
「ええ、ケルベロスは大変珍しい魔獣で、わたくしも過去に一度しか遭遇したことはございません」
「そ、そうなの!?」
そう、あれは確か二年ほど前――。
あの時は――。
「「――!!!」」
その時でした。
立っているのもやっとなほどの地響きが、わたくしたちを襲いました。
これは――!!
「セ、セレナ、これはいったい!?」
「……『脱皮』ですわ」
「脱皮!?」
「ええ、これはあくまで仮説なのですが、どうやらこのダンジョンは、これ自体が一つの巨大な魔獣らしいのです。魔獣や宝箱は、全てダンジョンが生み出しているものだとか」
「そ、そんな……!」
ギルさんのお美しいエメラルドの瞳が、大きく見開かれます。
まあ、無理もないですわね。
「そしてダンジョンは、ある一定の周期ごとに脱皮をし、その形を変えるのです。――こんな風に」
「――!」
わたくしたちの立っていた一本道の通路がぐにゃりとねじれ、二股道になりました。
やはり……。
「じゃ、じゃあ、今まで苦労してマッピングしたのも、全部無駄になっちゃったってことかい?」
「ええ、残念ながら」
「……そっか」
露骨にしょぼんとしてしまったギルさん。
ああ、しょんぼりギルさんも可愛いですわ……!
おっと、今はそれどころではありません。
「そして脱皮時期のダンジョンには、もう一つの特徴がございます。それは、いつもより強大な魔獣が生まれやすいということです」
「……! だからさっきのケルベロスみたいな、珍しい魔獣がいたんだね」
「ええ、場合によっては、伝説級の魔獣も生まれているかもしれません。ここからは、いつも以上に慎重に――」
「ゴガアアアアアアアアアアアアアアア」
「「――!!?」」
その時でした。
通路の奥のほうから、全身が粟立つほどの、根源的な恐怖を抱かせる咆哮が聞こえてきました。
「……セレナ、もしかして今のが」
「……ええ、どうやら生まれてしまったようですわ、伝説級の魔獣が」
「……どうする?」
「そうですわね」
わたくしは顎に手を当て、しばし熟考します。
「伝説級の魔獣は、たった一匹で環境を変えかねないほど危険な存在です。冒険者の端くれとして、放置しておくことはできません。とはいえ、わたくしたちで勝てるかは、ハッキリ申し上げて自信はございませんが」
「……セレナがそう言うってことは、余程なんだね」
「冒険者に何より必要なのは、客観的な視点ですからね」
「なるほど、いつもながら勉強になるよ、先輩」
ふふ、ギルさんから先輩と呼ばれるのは、悪い気はしませんわね。
「ですから、ここは一旦わたくしだけで、様子を窺ってまいりますわ。わたくしだけなら、危険はございませんし」
「いや、僕も一緒に行くよ」
「え?」
ギルさん?
「君だって無敵じゃない。もしも君を一人で行かせて万が一のことがあったら、僕は一生悔やんでも悔みきれないからね。今や君は、僕にとって掛け替えのない存在なんだ。どうかそのことを自覚してほしい」
「……ギルさん」
ああ、どうしましょう……!!
胸のトキメキが止まりませんわ……!!
も、もしかして、わたくしは……。
「ふふ、承知いたしました。ではいつものように、ご一緒に参りましょう」
「ああ、僕たちはいつだって一緒だ」
わたくしたちは寄り添うように、咆哮のしたほうへ一歩を踏み出したのでした。