老いた公爵に嫁ぐ令嬢
「ルドルフィンよ、いい加減結婚しないか? このままでは公爵家の血が途絶えるぞ」
そう私を心配そうに見る国王陛下。
まだ十五歳という若さで国の長となり、若い故の柔軟な発想と思い切りの良い行動力を武器に国を守ってきたレオン国王陛下。
現在は三十歳となり大人の渋さが滲み出てきた。
ただ国を守り栄えさせる手腕は衰えるどころか磨きがかかっている。
そんな国王陛下と私は三十年来の付き合いだ。
国王陛下が産まれた頃から私はずっとお側におり支えてきた。
国王陛下に支えてきて三十年、私はもう四十八と老人と呼ばれてもおかしくない歳になった。
「お父様! 遊ぼうよ!」
国王陛下が抱き抱えているのは第三王子のコルン殿下。
コルン殿下は現在五歳で幼い頃の国王陛下にとてもよく似ている。
「うん、そうだな、今日は何して遊ぼうか?」
「お兄ちゃん達みたいに、剣で遊びたい!」
「うーん、剣か……。よし、なら木剣で遊ぼうな」
「うん! 木剣で遊ぶ!」
「じゃあカロンとゼオンがいる剣術訓練場に先に行ってくれるか?」
「うん! わかった!」
そんな仲睦まじい親子の会話を終えると、コルン殿下は国王陛下から離れ走って執務室から出ていく。
私は小さかった国王陛下が一人の父親として自分の子供と話しているところを見ると感慨深くなる。
「ルドルフィン、お前は結婚適齢期がとうの昔に過ぎている。あと少し歳を取ればもう子は望めないぞ」
「そうですね。公爵家当主として結婚しなければならないとは思っておりますが、どうも気が進まず」
「今までは仕方がないと思ってきたが、そろそろ覚悟を決め見合いをするべきだとオレは思う」
国王陛下は私に厳しい現実を突きつけてくる。
それは国王陛下として正しいことであり、また私のことを心配してのことでもある。
ネオン王国建国されてからずっと王家に支えてきたコルディ公爵家。
その血を絶やすことは決してしたくないのだろう。
血が途切れる、即ち家の取り潰しだ。そうなってしまえば筆頭公爵家が無くなることになる。
すると次に筆頭公爵家になった家が王家に逆らう可能性が出てきてしまう恐れがある。
王家と筆頭公爵家の力で反乱が起きないよう尽力しているが、国王陛下の大きな変革により王家に不満を抱く貴族も少なくない。
だが筆頭公爵家が王家の味方をしている以上、反乱を起こすのは難しい。
そのためコルディ公爵家を取り潰しにしたくないのだ。
この国では養子を当主とすることを禁じているため、私が子供を作らなければ筆頭公爵家が潰れることとなるのだ。
「そこでだ。ルドルフィンに合う令嬢を一人知っているのだが、会ってみる気はないか?」
「私と合うご令嬢? こんな老いた男に嫁ぎたいと思うようなご令嬢はいないと思うのですが」
「それは安心しろ。その令嬢は決して見た目で人を判断することはない」
私は自分で言えるほど老いていると思う。
昔は綺麗な銀髪だったが、今は見る影もなく白髪になっている。幸い禿げていないのが救いだ。
体力も全盛期に比べれば落ちてしまい、物覚えも悪くなっている。
ただ元からの知識量があるお陰で、公爵家当主としても宰相としても仕事はできている。
それにしても国王陛下が断言するくらい、見た目で人を判断しないとは凄い人なのだろう。
少し引っ掛かりを覚える言い方だが、国王陛下の紹介なのだ。無碍にできるはずがない。
「じゃあ一度だけ会ってみます」
「なら隣の客室に居るから、今すぐ話してこい」
「……承知しました」
国王陛下は私が断らないことをわかっているからか、もう既にそのご令嬢を王宮に呼んでいたらしい。
相変わらずこの人の行動力は訳がわからないくらい凄まじい。
ただそういうことに慣れている私は驚くことはなく、むしろ少し呆れつつも国王陛下なりの優しさだと思うことにした。
「それでは、失礼致します」
「見合い、頑張れよ」
私は挨拶をすると執務室を後にし隣の客室へと移動した。
その距離なんと十メートルほど。所要時間は三十秒足らず。
それにしても執務室の隣の客室を選ぶとは、国王陛下の本気度が伺える。
執務室の隣の客室は王宮にある客室の中で一番良い客室なのだ。
客室の中にあるソファーやテーブル、花瓶や絵画など、全てが超一級品代物が揃った部屋。
そこは滅多に入れるところではない。それを国王陛下ではなく私が使うことになるとは夢にも思わなかった。
一度深呼吸をし落ち着く。そしてドアをノックし部屋の中に入った。
私はご令嬢の顔を見ずにすぐに頭を下げて挨拶をした。
「初めまして。私はルドルフィン・コルディと申します。今日はよろしくお願いします」
そう挨拶をして頭を上げた。
相手のご令嬢を見るとゆっくりとソファーから立ち上がっている最中だった。
本当にゆっくり慎重に、杖を使ってまで。
その姿に違和感を持つ。
「こちらこそ、初めまして。わたしはニフィティ・シャルマーと申します」
ご令嬢は杖を持った状態で綺麗なカーテシーを見せてくれた。
あまりに綺麗なため少し見惚れてしまう。杖が自分の一部のように感じさせるご令嬢。
「あの、どうかしましたか? もしかして何か粗相をしてしまいましたか?」
「いえ、とても美しいご令嬢だったので、見惚れてしまいました」
「ご冗談を」
冗談で言ったつもりはないのだが、ニフィティ令嬢は本気で冗談と思っている様子だ。
私は本心から彼女を美しいと思ったのだが、彼女はそれを信じることは難しいだろう。
何故なら彼女は眼が見えないのだから。
「まずは座ってお話ししましょうか」
「そうですね」
眼が見えないとわかった理由は二つある。
一つ目は明らかに眼を隠すように特殊な眼鏡をしている。こちらからはレンズが反射しニフィティ令嬢の眼が見えず、横から覗かれないように眼鏡の縁が肌に触れている。
二つ目はシャルマー伯爵家の話だ。シャルマー伯爵家は今代で取り潰されると噂されている。その理由は一人娘が眼が見えないご令嬢で結婚相手が見つからないことや息子がいず婿入りしてもらう必要があるからだ。
「一つ、ご質問させてもらってもよろしいでしょうか」
「大丈夫ですよ」
「どうしてわたしのような令嬢とお見合いをしようと思ったのでしょう」
国王陛下はニフィティ令嬢にお見合いとして王宮に呼んだのか。
確かに私が出る時、見合いと言っていたな。国王陛下は本当に本気で私を結婚させたいらしい。
筆頭公爵家を潰したくないという理由だけでなく、私を心配してのことだろう。
「国王陛下からこのお見合いを勧められたんです」
「そうなんですね。それでわたしを見てどう思いました? 落胆しましたか?」
「……落胆? 何故ですか?」
「わたしは……見てわかるように眼が見えません。外に出る時は必ず誰か付いてくれないといけないんです。面倒でしょう? こんな令嬢を受け入れる男性なんているわけないじゃないですか」
眼が見えないから外出が大変。眼が見えないことで他人よりもやらなければならないことが多い。面倒に感じる人が多いかもしれない。そんな面倒な令嬢、受け入れてくれる人はいない。
そんなふうに考えてしまっているのだろう。
ニフィティ令嬢は少し声量が大きくなりながら悲しそうな苦しそうな表情をしていた。
私は失礼だとは思いつつも可哀想な令嬢だと同情してしまう。
「では私も一つ質問してもよろしいでしょうか」
「……はい」
ニフィティ令嬢は私のことを拒絶したのに、まだ話しかけようとするのに違和感を覚えてたようだ。
質問に答えるか少し迷ったようだが、自分も質問した手前断れないと判断したのだろう。
それにニフィティ令嬢は自分の立場をある程度は理解している。
私は公爵家当主で、ニフィティ令嬢は伯爵家令嬢。家の格も身分も私の方が高いため、断るのは難しいというのがわかっている。
別に私は断られたら断られたで仕方のないことだと思い引き下がろうと考えていたのだが、まあ断れないからという理由でも返事をしてくれたのだ。ニフィティ令嬢が傷つかないように質問しなければ。
ニフィティ令嬢は眼が見えないというコンプレックスから自己肯定感が極端に低いように思える。
またそのコンプレックスのせいで今まで傷つけられてきたのか、内面がとてもデリケートな状態だ。
「私のことをどのくらい知っていますか?」
「えーっと、コルディ公爵さまは現宰相で公爵家当主であることと、独身主義であること、年齢が四十八ということくらいです」
「独身主義ではないですが、概ね合っています。今回はお見合いです。ニフィティ令嬢は四十八の私と結婚したいですか?」
私は再び質問する。話の流れ的に当たり前の質問だ。
ニフィティ令嬢は私の年齢が四十八ということを知った上でここに来ていることに少し驚いたが、国王陛下からの願いだから断れるはずもない。
そう考え納得した。
それにしても私は周りからは独身主義の人間だと思われていたのか。
この国では独身が悪という考えを持つ貴族が一定数いる。血が途絶えれば家が取り潰されるため、結婚は必須と言えるだろう。
私は幼くして公爵家当主になったため、まだ婚約者もいなかった。また国王陛下の側近として働いてもいたため、結婚をする機会がなかった。
国王陛下からは何度か結婚を勧められたが、一般的な結婚年齢を過ぎていたため乗り気になれなかった部分もある。
「その質問に答える前に、コルディ公爵さまはわたしと結婚したいと思いましたか?」
「わかりません。けれどニフィティ令嬢はとても魅力的な令嬢だと思いますよ」
「わたしも同じです。結婚したいかはわかりません。それにわたしはコルディ公爵さまのお顔もお姿も何も見えません」
国王陛下が言っていた決して見た目で人を判断しないというのは少し語弊があるな。
正しくは決して人を見た目で判断できないということだ。
お互いが結婚したいかわからないと答えるとお互い黙り込んでしまう。
結婚したいかしたくないかで答えてもらえれば楽だったのに、とニフィティ令嬢は感じているのだろう。
かくいう私もそう思っている。
「ルドおじちゃん! 一緒に遊ぼう!」
「コルン殿下、どうしてここに?」
「ルドおじちゃんと遊びたいから!」
この部屋の沈黙を破ったのは私でもニフィティ令嬢でもなく、ドアを開けて私に抱きついているコルン殿下だった。コルン殿下は純粋な瞳を私に向け無邪気に言った。
やってきたのがコルン殿下とわかると、ニフィティ令嬢は少し慌てつつ立ち上がり私と会ったときと同じ美しいカーテシーをコルン殿下に向け行った。
「お姉ちゃん、誰?」
「この女性はニフィティ・シャルマー令嬢ですよ」
「ルドルフィン、すまない、眼を離した隙にコルンがルドルフィンのところに行ってしまっていて」
国王陛下が慌ててここに来て、私に引っ付いていたコルン殿下を抱き上げた。
ニフィティ令嬢は国王陛下の声を覚えていたのか、次は国王陛下に向かってカーテシーをする。
「ニフィティ令嬢、見合い中に割り込んでしまい申し訳ない」
「お父様、見合いって何?」
「見合いとはな。男女が二人で結婚の話をするところだ」
「へぇー、じゃあルドおじちゃんとニフィティお姉ちゃんは結婚するんだ!」
「「「…………」」」
コルン殿下の発言で私もニフィティ令嬢も国王陛下も黙り込んでしまう。
これは見合いなのだから、結婚するのかを決める場ではない。あくまでも相手のことを軽く知るのが目的なのだ。
コルン殿下がまだ幼いことと国王陛下の説明の仕方の悪さが相まって、結婚するという発想に至ったのだろう。
「そうですね。結婚するかはまだわかりませんが、少なくとも私は良いご令嬢と会えてよかったと思っています。この機会を作ってくれたのは、国王陛下なんですよ」
「そうなの! お父様、すごい!」
「まだニフィティ令嬢とお話ししたいので、もう少しお待ちいただけますか?」
「うん! 待ってるね!」
あとで行くという約束をすると喜ぶコルン殿下。満面の笑みを見せながら国王陛下に抱き抱えられこの場から去っていった。
「申し訳ありません、ニフィティ令嬢」
「いえ、大丈夫です。それにしてもコルディ公爵さまはコルン殿下にも国王陛下にも慕われているのですね」
「何故、そのように思われたのでしょう?」
唐突にニフィティ令嬢が私のことを褒める。
今の会話で何かわかったのだろうか。私としては少し気まずくなったのと先ほどまでの空気を壊してくれたコルン殿下に感謝をしている。
「わたしは何度か国王陛下とお話しさせていただく機会がありました。国王陛下はなんというか、気さくだけれど壁がある。そんな印象でした。けれど先ほどの会話を聞いて国王陛下はコルディ公爵さまには心を許しているように感じました」
「そのようなことは……」
「わたしにはわかるんです。眼が見えない分、耳で聞いた情報を細かく分析するようなことができるんです」
聞いたことがある。何かが欠けている人はそれを補うように違う部分が発達すると。
それは自ら発達させるわけではなく、自然と発達するらしい。
ニフィティ令嬢の場合は自分で言ったように、眼が見えないという欠点を耳がいいという利点で補っているのだ。
「それにコルン殿下もコルディ公爵さまと本当に楽しそうに話されておりました」
ニフィティ令嬢が嘘を吐いているようには思えない。
これはニフィティ令嬢だからこそわかることなのだろう。
「そうなんですね。では私はとても恵まれているのでしょう」
「あの、コルディ公爵さま」
「はい、なんでしょう、ニフィティ令嬢」
「わたしと一度でいいので、遊んでいただけないでしょうか?」
ニフィティ令嬢を見ると手が震えており、手をぎゅっと握ることで震えを抑えている。
これは勇気を振り絞って誘ってくれたのだろう。ならばその勇気を無碍にすることはしない。
「いいですよ。いつにしますか?」
「いつでも大丈夫です。コルディ公爵さまはお忙しいでしょうから、わたしが合わせます」
「では一週間……いえ、二日だけ待っていただけますか。国王陛下に頼んで休みをもらおうと思います」
「ありがとうございます」
私は今週の仕事を無理にでも終わらせて、明々後日にニフィティ令嬢と遊ぶ約束をした。
少しばかり無理をしないといけなくなるが、ニフィティ令嬢を待たせるくらいなら無理して終わらせるほうがいい。
「後日手紙で私から迎えに行く日時を送ります」
「はい、よろしくお願いします」
「こちらこそ」
そして私はニフィティ令嬢を馬車のある場所まで送り届ける。
ニフィティ令嬢が馬車に乗ると私は別れの挨拶をした。するとニフィティ令嬢は再び勇気を出してこう言ってくれた。
「楽しみにしております」
そう言われると馬車は出発した。
私は心の中でふと思った。彼女はなんて素晴らしい令嬢なのだろうと。
「ええ、私も」
そうポツリと呟く。
もう行ってしまったニフィティ令嬢には伝わらないが、私は心の底から楽しみだと思った。
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ニフィティ令嬢と別れたあと、コルン殿下とお約束したので訓練場へと向かった。
訓練場ではカロン殿下とゼオン殿下が二人で模擬戦をしていた。
「ルドおじちゃん、やっと来た!」
「お待たせして申し訳ありません」
「ううん、大丈夫だよ」
私が謝るとコルン殿下は無邪気な笑顔で許してくれる。
国王陛下が父親なのか不思議に思うくらい純粋な子だ。
国王陛下は幼い頃から厳しい教育を受けていたため、子供らしいことは滅多にしていない。
その反動だろうか。我が子達には伸び伸びとした幼少期を送ってほしいという。
私自身も国王陛下を厳しくしていた立場として、申し訳ないと思う。
「ルドおじちゃん」
「どうかしましたか?」
「お兄様達ってどっちが強いの?」
コルン殿下が大きめの声で私に質問してきた。
恐らく国王陛下はコルン殿下からこの質問をされないよう上手く躱してきたのだと思う。
コルン殿下の質問がカロン殿下とゼオン殿下の耳にも入ったようで、お二人は模擬戦を中断しこちらに近づいてきた。
何故私にその質問をしてきたか。そして何故お二人がその質問の答えが気になるのか。
それは私がかつて王国一の剣の使い手と呼ばれていたからだ。国王陛下もかなりの剣の使い手だが私に勝てたことは一度もない。
その話をどこからか知ったようで、お二人はよく私に剣術の上達方法を聞いてくるようになった。
「僕も聞きたいと思っておりました。ルドじいや、教えてくれないか」
「ルドじい、俺も知りたいと思ってたんだ。この機会に教えてくれないか」
カロン殿下が教えてと言うと、それに同調するようにゼオン殿下も教えてほしいと言ってくる。
国王陛下に助け舟を求めたが、国王陛下はあからさまに視線を逸らす。
正直に言えばお二人とも実力は変わらない。
剣術を習い始めたのも同時期なため、実力が大きく変わることはあまりない。その予想通りお二人の実力は拮抗している。
私はどう答えるか悩んだ末、逃げ道を一つだけ見つけた。
「私が見た限りお二人の実力はさほど変わらないと思います。ただ一つ言えるのがお二人と同じ歳だった時の国王陛下の方が強かったです」
「父上はそれほど強かったんですか」
「親父はそんなに凄かったんだな」
「私から教わるよりも国王陛下から教わった方が良いと思いますよ。国王陛下はあなた方お二人のことをよく見ています。なのでお二人の癖や改善すべき点なども分かっていますよ、きっと」
私は逃げた国王陛下に全てを押し付けることにした。
するとお二人はどちらが強いかよりも父親である国王陛下に教えてもらうことに考えを変えた。そしてお二人は国王陛下のところへ移動した。
「ルドおじちゃん、一緒に遊ぼうよ」
「いいですよ、ただこのあとやらなければならないことがあるので、少しだけになってしまいますがよろしいでしょうか?」
「うん! 大丈夫だよ!」
そうして私はコルン殿下と少しだけ剣で遊び、その後仕事へと戻った。
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「ルドルフィン、我を売ったな」
「なんのことでしょう。私は国王陛下を売ったことなど、一度もありません」
「まあ、それは一旦置いておくとして、どうだった?」
国王陛下はわざわざ私の執務室にやってきた。
本来ならば私が国王陛下の執務室に行かなければならないのだが、私が少し急いでいることが分かったからか自ら足を運んで来てくれたのだろう。
「素晴らしいご令嬢でした」
「ほう。で、結婚する気になったか?」
「それはわかりませんが、明々後日、ニフィティ令嬢と出掛けることになりました」
「ああ、だから急いで仕事を終わらせようとしているのか」
「ええ、そうです」
国王陛下はどうしても私を結婚させたいらしい。
結婚する気がないわけではないが、良い出会いがないので仕方がないことだと思っている。
「手紙は送ったのか?」
「いえ、まだですが」
「はあ、本当にお前は女心がわかっていないな」
「私がわかっていないかは置いておくとして、国王陛下はとても深く理解していますからね」
国王陛下の弱いところといえば、家族特に王妃殿下には弱い。
王妃殿下を深く愛しており、また幼き頃に王妃殿下に対して様々な問題を起こしてもいる。その影響か女心をよく理解したようだ。
「それは嫌味か?」
「いいえ、事実であり感心しています」
「そういうことにしておいてやろう。で、話を戻すが、ニフィティ令嬢は今もお前からの手紙を待っているはずだ」
「そうでしょうか。でも確かに、女心のよくわかる国王陛下が言うのです。間違いないでしょう」
「やはり嫌味だな」
「いいえ、そんなことありません」
私は仕事を一旦やめ、引き出しから紙と封筒、それに封蝋を取り出す。
そしてニフィティ令嬢に伝えた通り、軽い挨拶と迎えの日時を手紙に書く。
「まだ足りないな。楽しみにしているなどの旨も書いておいた方がいい」
「そうですね、ではそうします」
最後に一言、「出掛けるのを楽しみにしております」と付け加えた。
横から手紙の内容を見て国王陛下は小声で「及第点」と言う。私は聞こえないふりをして紙を封筒に入れ封蝋をした。
「手紙は我が預かろう。今日中に届くよう騎士団長に頼んで渡してもらうことにする」
「それはいくらなんでも……」
「いや、友の恋路だ。最大限の手助けをするのが、友としてやるべきことだろう」
きっと国王陛下は心のどこかで自分のせいで私が結婚できていないと思ってしまっている。
そんなことはないのだが、ここは素直に頼るべきだ。
国王陛下は手紙を持って騎士団長の元まで行った。
私はふうっと息を吐き、再び仕事に取り掛かった。
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そして時は過ぎ、ニフィティ令嬢と出掛ける日がやってきた。
我ながら少し緊張をしている。
個人的な付き合いで異性と出掛ける機会が滅多になかったため、ほぼ初めての経験になる。
ただ緊張と同時に楽しみにしている私もいるのが少しだけ恥ずかしい。
ニフィティ令嬢がいるシャルマー伯爵家の別邸へと馬車で向かった。
この馬車は国王陛下が用意してくれたもので、馬車を運転してくれるのは馬の扱いになれた騎士団長だ。
騎士団長からすればこんなことのために使われるなんて酷いと思ってしまうはず。けれど騎士団長ともそれなりの仲なので快く引き受けてくれた。
自分の屋敷から出て馬車に揺られながら三十分ほどでシャルマー伯爵家別邸に到着。
まだ予定の時間より十分ほど早いため、どのようにして待とうか考えているとすぐにニフィティ令嬢がやってきた。
彼女は杖をつきながらある男性に支えられつつ私の元に来てくれた。
「お久しぶりです、ニフィティ令嬢」
「こちらこそ、コルディ公爵さま。今日の日を楽しみにしておりました」
彼女はこの前と同様に美しいカーテシーを私に見せてくれた。
「私もですよ。では早速ですが行きましょうか。失礼します」
私は彼女が馬車に乗るのに苦労すると思い、失礼ながら抱き抱えて乗ることにした。
彼女は「えっ」言い、驚きを隠せないでいる様子で、少し経つと何をされたか理解し顔を真っ赤にした。
ニフィティ令嬢を馬車に乗せると、私は一旦馬車から降りニフィティ令嬢についてきていた男性に話しかけた。
「娘さんは私がしっかり預からせていただきますので、どうかご安心を」
「よろしくお願いいたします、コルディ公爵様」
男性はニフィティ令嬢の父、シャルマー伯爵だ。
シャルマー伯爵は最初は不安そうにしていたが、ニフィティ令嬢を馬車に乗せた後顔を見たら少し安心してくれたようだった。
そして私も馬車に乗りシャルマー伯爵家別邸から出発して、今回の目的地である場所に向かった。
「ニフィティ令嬢、少し聞いてもよろしいですか?」
「はい、大丈夫です」
「紅茶はお好きですか?」
「ええ、人並みには。」
「ではスイーツは?」
「スイーツも人並みですかね」
「そうなんですね、ありがとうございます」
私は今日の予定で寄る店がニフィティ令嬢の好みに合うかを確認する。
彼女は人並みに好きだと答えたが、スイーツに関しては人並み以上に好きなようだ。
紅茶を聞いた時とスイーツを聞いた時の反応が明らかに違っていたので簡単にわかった。
それから他愛もない話をしているうちに第一の目的地に到着した。
再びニフィティ令嬢を抱き抱えた状態で馬車から降り、騎士団長に感謝を伝えて目的地の建物に入った。
それにしてもあの騎士団長から「頑張れよ」なんて言われるとは思ってもいなかった。
意外と私の恋路?を応援してくれる人がいるのだと知れて嬉しくなった。
「ここはどこですか?」
「始まってからのお楽しみです」
建物の中に入ると早速ニフィティ令嬢は質問してくる。
私はニフィティ令嬢に驚いてほしい、楽しんでほしいという思いを込め、あえて言わないことにした。
舞台の一番前の席に座り始まるのを待つ。
そして幕が上がり演奏が始まった。
私は眼が見えないニフィティ令嬢でも楽しんでもらえるような場所に連れて行きたいと思い、オーケストラを選んだ。
そして一番前の席を選ぶことで、オーケストラのダイナミックさをより近くで体験してもらうことにした。
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オーケストラの幕が降り終了する。
観客はゾロゾロと会場を後にする中で、ニフィティ令嬢は余韻に浸っていた。
私はそれに付き合い五分ほど会場に残った。
「ありがとうございます」
「楽しんもらえたのなら良かったです」
私の今日の出掛ける目的として、眼の見えないことを感じさせない必要としない体験をすることだ。
オーケストラを丸二時間体験したので、もう時間は十二時を過ぎた。
「この近くにおすすめの出店があるので、行ってみませんか?」
「出店、ですか?」
「ええ、あまりそういうところに行く機会もないでしょうから」
私は自然にニフィティ令嬢を支えるため手を握り、ニフィティ令嬢の歩くスピードに合わせて歩いた。
杖をつきながらのため、少々時間がかかるけれど、何故かそれも悪くないなと感じた。
「少々ここで待っていてください」
「はい、待っております」
そう言ってくれたので少し不安もあったけれど私は出店で食べ物を買いに行った。
そして戻るとニフィティ令嬢は輩二人に絡まれていた。
「何をしているんですか?」
「なんだよ、ジジイ」
「俺らはそっちの嬢ちゃんに用があるんだよ。邪魔すんな」
私は少し怒り気味に輩に話しかけ、ニフィティ令嬢を守るため間に入り込んだ。
国王陛下のおかげで治安はだいぶ改善されたが、こういう輩はどうしてもいるものだ。
ニフィティ令嬢に用だと? 嘘をつくな。
そう内心キレながらも表面上はなるべく笑顔で輩二人に対応した。
「私のニフィティ令嬢に近づかないでいただきたい」
「うっせえな、老いぼれジジイが!」
怒鳴りながら輩の片方が私に殴りかかってきた。
私はその拳を避けるとすぐにそいつを投げ飛ばす。それを見たもう片方が慌てて相方を引き摺りながら逃げていった。
「大丈夫ですか? 怖い思いをさせてしまってすみません」
「いえ、大丈夫です。コルディ公爵さまのわたしをコルディ公爵さまが守ってくれたので」
私がつい口走って言った「私のニフィティ令嬢」という発言を聞き逃さなかったニフィティ令嬢に揶揄われた。
そう言っている彼女は安心そうな笑顔で私に微笑む。
「守れて良かったです、私のニフィティ令嬢」
私は揶揄い半分でそう言うとニフィティ令嬢はすぐに照れ、顔を真っ赤にした。
自分がするのは平気なのに、されるのは恥ずかしいんだなと思うと、クスッと笑ってしまった。
「ではもう少し落ち着ける場所で食べましょうか」
「そうですね」
歩くこと五分、少しだけ見晴らしのいい場所に着いた。
景色は特段良いわけではない。けれど周りに遮蔽物が少ないため、風を直に感じることができる。
私が幼き頃、連れてきてもらい、昔は度々訪れていた場所だ。
「ここに座ってください」
私は自分が羽織っていた上着を脱ぎ、地面に敷いてニフィティ令嬢を座らせた。
そして持っていた軽食を渡し、私も隣に座る。
「風が、心地よいですね」
「そうでしょう? ここはお気に入りの場所なんです。とは言っても、ここ最近は来れていないんですけどね」
ここ最近と言ったが、実際にはもう二十年以上来ていない。
色々と忙しかったことで、ここに訪れる暇もなく、訪れる必要もなくなっていった。
「コルディ公爵さまのお気に入りの場所ですか。意外ですね」
「意外でしょう? ここがお気に入りなのを知っているのはニフィティ令嬢を含め、二人しかいません」
私は筆頭公爵家当主。そんな人間がこんな庶民的な場所を好きとは言いづらい。
また当主になってからは自由に外出をすることも難しくなった。それに外出する際は常に護衛がいるため、この場所には来づらい。
けれど今日は国王陛下の取り計らいで護衛はなしになった。
だからこの場所に来ることもできた。
「もう一人は誰なのでしょう」
「祖父です。この場所に連れてきてくれたのが祖父なので」
私が幼くして当主になったのには理由がある。
それは私が十歳にも満たない時に両親が事故でなくなったこと。
この国は貴族の家に対しての法律が厳しいままで、一度退いた者が再び当主になることは禁じられている。なので必然的に一人息子の私が当主となった。
祖父は私の代わりに執務をやってくれたので、当主にしてはある程度自由な生活を送れていたと思う。
私が成人すると同時に将来の宰相になるためという理由で、産まれたばかりの国王陛下に仕えることとなった。
その後二年ほど経ったとき、祖父は息を引き取った。
祖父が父に当主の座を譲ったのは病気に罹ったためで、完治したとはいえ当主の仕事をしていたのだ。身体に負担がかかっていたのだろう。
私が成人になって少し経った頃に、もう仕事をできる身体ではないということで仕事をやめた。
私は当主としての仕事と国王陛下に仕える仕事の両方をこなさなければいけなかったため、祖父に会うことがあまりできずにいた。
ただ前国王陛下の取り計らいで、祖父が息を引き取る一週間ほど前に色々話などをする休暇を与えられた。
会う機会がが少なかったのは残念だが、最後に多くの話をできたのは良かったと思っている。
ちょっとだけ過去に浸っていると、今はニフィティ令嬢と一緒にいることを思い出させるかのように、強い風が吹いた。
「私は暗いところが苦手なんです。真っ暗が、光がない場所が」
「なぜですか?」
「幼い頃、誘拐されたんです。閉じ込められた場所は、何も見えない真っ暗な場所。光がないことがどれほど恐ろしいか、それを知ったんです」
「……」
「こんなおじいさんが暗い場所が怖いだなんて、おかしな話ですよね。恥ずかしいです。忘れてください」
私は何故か話題を変えるために、自分の弱いところを話した。
これはきっと彼女に自分を知ってほしいと思ってしまったから、なのかもしれない。
「……では、少しわたしの話も聞いてくれませんか?」
「ええ、どうぞ」
私が少し過去の話をしたからか、ニフィティ令嬢は自分のことについて話す気になってくれたようだ。
静かに彼女の話を聞くことにした。
「わたしは生まれつき眼が見えないんです。だから光という物を見たことがないんです。ずっと闇の中にいる」
「闇の中、ですか」
「はい、そうです。闇の中に、ずっと」
私は眼が見えないのが可哀想なのは美しい景色や相手の顔、自分の顔すら見れないことだと思っていた。
けれどそれは微々たる問題。本当に怖いのは何も見えない。見えるのがあるとすれば闇、なのだ。
それがどれだけ恐ろしいことなのか、私にはわかる。けれどきっと怖さは私が理解できる範囲の外だろう。
「闇は怖いんです。何をされているかわからないのが怖いわけではないんです。闇しか見えずわたし自身しかいない」
「……」
「……いいえ、わたし自身がいるかもわからない。それがすごく怖い」
私が体験した恐ろしさは、眼が見えていたからこそ感じる怖さ。
けれどニフィティ令嬢にとって、それは当たり前なのだろう。それを当たり前と思ってしまうことが私にとっては恐ろしく感じた。
けれどもっと恐ろしいのは、自分すらもいるかどうかを感じれないこと。
そんなの恐ろしいなんて言葉では片付けられない。私がその立場に置かれたら耐え切れるとは思えない。
ニフィティ令嬢はとても強い子なのだろう。けれどその強さは弱さを隠すため。
それを今知ってしまった。
「誰かに触れても、話しても、闇の中にいることに変わりはない」
「……」
私は言葉が出てこなかった。
私が怖いのは光がないことが、けれどニフィティ令嬢が怖いのは闇の中にいること。
一見似ているようで全くの別物。これを似た者同士では片付けられない。
それをわかるのはきっと私だけ。
「すみません、わたしも変な話をしてしまって」
「いえ、これでお互い様ですから」
私はこの話を聞いてニフィティ令嬢に対して、ある感情が芽生えた。
これは恋心なのか、同情なのか、それは今はまだわからない。
だけどこの感情が恋心ならいいな、と思ってしまった。
「こんなふうに今日を終えるのもなんですから、スイーツでも食べに行きませんか?」
「いいですね、ぜひ行きたいです」
私はこの空気のまま今日を終えたくないのと、まだもう少し一緒にいたいという二つの気持ちを抱いた。
だから予定していた通り、スイーツを食べに行くことにした。
###
そして喫茶店でスイーツを食べた後、時間通りに迎えの馬車に乗り、ニフィティ令嬢をシャルマー伯爵家別邸まで送り届けた。
「ニフィティ令嬢、一つだけわがままを聞いていただけますか」
「なんでしょうか?」
「眼を見せていただけませんか? ニフィティ令嬢を知りたい、そのきっかけの第一歩として」
「……わかりました。ただ失望、しないでください」
私は無理を言い眼鏡を外せないか頼んだ。
彼女は緊張からか、声を少し震わせつつも了承してくれた。そして眼鏡を外してくれる。
「やはり、綺麗ですね」
「……! あ、ありがとうございます」
私はこれで最後にしたくない。
年甲斐もなくそう思ってしまう。結婚をしたいわけではない。だけど少しでもニフィティ令嬢と一緒にいたい。
その気持ちはきっと同情ではない。
「私は貴女から闇を取り除くことも、闇から救い出すこともできません」
「……」
「だけど、少しでも闇を感じさせないようにすることならできます」
「……」
「だから、また一緒にデート、行きませんか?」
少しでも一緒にいたい。その気持ちはこれからずっと強くなり続けるだろう。
だから今はまだデートで納めておく。けれどいつかはずっと一緒にいれるようになりたい。
「ええ、ぜひ」
眼鏡をとったありのままの彼女は今までで一番綺麗な笑顔を見せてくれた。
そして別れを惜しみつつ帰路に就いた。
彼女の笑顔を見て思ったのは、これは絶対に恋心だということだ。
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いつか私はニフィティ令嬢にこう言いたい。
『闇を感じさせない光になれましたか』
そう言える関係に、なりたい。