……7月2日(土) 15:30
諸々が千々に降下してくる夏々の日々
第五章 秘密とは隠して知らせる情報
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「なるほど。で、そのコンプレキシティっていうのはなんなの? 深山さんの話だと、TOXの到来しやすさみたいな話だったけど、なんでそれをイルカは知っているの?」
ハルカちゃんが重ねて聞く。もっともな疑問だ。
「コンプレキシティは僕たちイルカが知覚しているものの名前だよ。それを平面の地上図に載せたものを有志のイルカが地球人に公開しているから、地球人はその地図の名前をコンプレキシティと勘違いしている節があるというだけだ。そのコンプレキシティとTOXの関係は、僕たちイルカから見ても不明だね。僕たちからするとコンプレキシティは明らかにTOX到来と関わりがありそうに思えるというだけで、なぜそうなっているかは僕たちにも分からない。わからないから公開して人間にも心当たりを当たって欲しいと、地図を公開しているイルカたちは考えているみたいだね」
つまり要約すると、イルカにも思惑があるというのとコンプレキシティがなんなのかはイルカにも分からない、ということか。
……えっ? わからないの?
「意味がわからないのに『コンプレキシティ』、英語で『複雑さ』なんていう名前がついているの? だいぶ有意味な言葉のように思えるけど」
ハルカちゃんが私が驚いたのと同じところをつっつく。
「名前は名前で、僕がつけたものでもないからね。そう翻訳することに、誰かが決めたんだ。なんでそういう訳語にしたのか僕は知らない。あと、イルカの言葉だと、もちろん別の言葉だよ。いまここでは発音できないけど。あえて言うなら、その言葉は、方向感覚とか空腹感みたいな言葉に似ているな」
方向感覚と空腹感、両方ともなんとなく『わかる』やつだし、五感のどれかということでもないやつだ。
つまり、叡一くんは人間にはない『感覚』の話をしていることだけがわかる。
「見えるけど、視覚じゃない……。つまり、光のような電磁波の放射や反射を感知してるわけじゃないってこと?」
「天宮さんは難しい質問が多いな。電磁波かどうか、僕は知らない。感覚だから、仕組みなんて知らなくても知覚するんだよ。イルカにも学者は居るから、そのイルカに聞けばわかるのかもしれないけど」
「何を『見て』いるかわからないのに、『見えているもの』がなにかは解るってこと?」
「知覚ってそういうものじゃないかな? 初めて聞いた音、初めて嗅ぐ匂い。これはきっと目の前の食物の匂いだとか、あそこから聞こえたとか解るだろ?」
そうだろうか? そうかも知れない。
見たことのない楽器の音。それがなにかは分からなくても、音が聞こえないということはあんまりない。犬笛みたいに鳴らしても音が出ないとか、出たとしても特定の相手にしか聞こえない楽器というのもあることはあるけど、ここでは例外でいいと思う。逆に、知らないと聞こえない音というのはあるか? 例えば外国語。英語字幕の映画なんかで、なにを言っているかわからないことがほとんどだけど、字幕から逆算して人名だけ聞き取れるようになったり、サムの発音が分かったりする。つまり、知らない音も聞こえてはいる。
「そう言われたら、それはそうかも。……じゃあそのコンプレキシティだけど、濃い薄いがある。TOXとの関係を考えると、人が多いところは濃い、と、そういうこと? 言ってみればイルカにはその濃度で人口が解るってこと?」
「人口? ああ、まぁ、概ねは。実際には僕たちが見ているのはコンプレキシティの濃度であって、コンプレキシティと人口にはお互いに関係がある様子があるってだけだ。だから地球外から地球を見たときには、コンプレキシティの濃度で人口をお思い浮かべることはあるよ、たしかに。でも人口に近似しているとは言っても例外がいくつもあって、濃度の要因は人口そのものではないのもすでに分かっている。例えば、著名な研究機関があるところとか、巨大な企業があるところなんかの濃度が例外的に高い場合もあるし、安積さんは人口でいえば一人だけど抜群に濃度が高い。人口とコンプレキシティは極めて強い関係があるけど、コンプレキシティの要因は人口だけではないんだよ。人が居れば少しはあって、研究機関や巨大企業にはたくさんあるもの、安積さんに特に豊富なものがコンプレキシティの核心なんだろうね」
わたし!?
「……不確かな話ばっかりで、聞いてて歯がゆいわね」
ハルカちゃんがそう言って自分の爪をいじる。
爪あるんだな。まぁ、ハルカちゃんの場合は作ればあるか。
造形が細かい、とか言う場面かもしれない。




