……8月2日(火) 17:45 幹侍郎の部屋
諸々が千々に降下してくる夏々の日々
第十七章 無能者にも役割はある。
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「まだ他の方法もあるよ。いまのは単純置き換えをベースにした話で、他の方法っていうのはシナプスの構造を銀沙で置き換えやすいエミュレーションに作り変えてしまう方法。これなら、十分の一どころかもっと小さくできるし、エミュレーションのパラメータ調整で情報伝達速度も元と同じにできる」
エミュレーションっていうのは古いゲームを遊びたい時によく聞く言葉だ。
なんでも古いゲームを動かす時に、ゲームのソフトを新しいゲーム機向けに作り直すんじゃなくて、過去のゲーム機の動きを他のコンピュータの中に再現して、その『再現したゲーム機の中で』古いゲームソフトを仮想のメディアから読み込んで動かすんだそうだ。
入れ子構造になっているので速度が遅くなる気がするんだけど、古いゲーム機というのが今と比べて遅い場合にはそれでも成立するらしい。どこかで聞いた話だと、ゲームというのは遅くなると楽しく遊べなくなるみたいに速度の要求が厳しいけどゲームじゃないタイプのソフトウェアなんかでは、しれっとこういうエミュレーションが使われていたりするらしい。
これを今の状況に当てはめるとつまり、そのままだと動かない幹侍郎ちゃんの頭脳の働きを……仮想の……ソフトウェアに……。えっ?
「……さっきの佐々也の質問じゃないけど、エミュレーションっていうのにしたら元の幹侍郎とは変わっちゃうんじゃないの?」
動きが変わる変わらないの手前に、もっと大きな問題があるかもしれないんじゃないか? と、私はそんな気がしているぞ。
「もちろんそれはそう。でも、速度の話も同じなんだけど、重大に考えすぎる問題でもないとも思ってる。人間の脳内活動なんて薬ひとつで変化したりするものであって、大きなきっかけがあるなら変化して当然という言い方もできてしまうぐらいのことだから」
「薬で脳内活動が変わる? ハルカちゃんの居たところにはそんな悪魔的な薬が……」
マンガとかで見かける、飲んだだけで洗脳されてしまうような薬を思い浮かべた。ハルカちゃんの元いた世界は生存の厳しい世界だと言ってはいたけど、そんな子供番組の悪役みたいな話が許されたりするもんなんだろうか。
「え? 脳の働きが変わる薬って、この世界にもあるはずだよ? 抗鬱剤とかそういうの」
「あ……、ああ、そういうやつか。言われてみればそういう薬でも脳の働きが変わるのか……」
「薬の場合はシナプス発火そのものじゃなくて、シナプス発火を条件付ける脳内環境が変わる感じなんだけど、変化といえば変化だから。それに脳内の活動って、人間なら成長なりその日の状態なりに基づいて必ず変化しているものでもあるし、そのへんの仕組が概ね同じなら連続性のある同じ知性になるよ」
幹侍郎ちゃんの再生に際して、変化は必ず起きる。
再生しなくても、持続的に活動し続けているだけで、変化はし続けている。
その変化をどのようなものと捉えるか?
原理原則と実際に生起する現象の、それぞれの捉え方。
エミュレーションで生み出したものは同じものと考えられるのか。
エミュレーションするのがゲームソフトの場合には実機もエミュレーションも同じゲームだと言えるとして、人間の心や魂はエミュレーションでも同じ心や魂になるのか?
そもそも、エミュレーションでなく完全な単純置き換えで幹侍郎ちゃんとそっくり同じものを生み出すことができたとして、それはいまここで横たわったままでいる幹侍郎ちゃんと同じ人なのか?
難しい問題だ。
差異ならば探し続ければ無限に探し出せるだろう。
ただし稼働し続ける脳は、常に変化しているのだ。一瞬前とも必ず差異がある。例えば事故や病気で脳血栓ができてしまい、そのために性格や行動が変わってしまい、周囲の人が異常に勘付くというのはよくあることらしい。だからと言って連続性が切断されているということにはならない。
いや? なるのか?
だって、別の人みたいになっちゃうから気が付くんだもんな……。
とはいえ、変わることが即別の存在になるということではない。あえて言うならば、見る側が決めているのかもしれない。その基準を、見ている側が好き勝手に決めることはできないのだとしても、見ている側はその基準を持っているということになる。
これはつまり、生命の時と同じ「見れば分かる」なんだろうか……。




