……8月2日(火) 15:40 車中・迷想:ダイモーンの生命
諸々が千々に降下してくる夏々の日々
第十六章 生きているのか死んでるか。そもそもそういう問題だ。
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「あなた達は生物人間で、わたし達はあなた達をモデルにして発生したダイモーンという種族。ダイモーンを日本語訳すると星霊」
「せいれい? 漢字は?」
「夜空の星に霊魂の霊」
「星、なんか関係あるの?」
「ダイモーンというのは私達が生まれる前からある古い言葉で、そっちの定訳を借りてきた感じ。元はギリシャ語で亜神みたいなものを表す言葉で、星は孤立した多数みたいな意味かな」
「はー、なるほどね。ダイモーン。……なんか急に設定が生えたな」
「私達には私達の背景があるし、ここでは役に立たない知識だから種族名なんて言いもしなかったんだよ。いまだって覚える必要はない。ここに居て私のことを知らない限り、フィクションと変わらない。佐々也ちゃんが言ったように、設定と思ってもらうほうが話が簡単でいいのかも」
「うん、とりあえずそうするけど、後で聞かせてね」
「……気が向いたらね」
気分によっては教えてもらえないのか……。
「……それでダイモーンの命っていうのは、なにか人間と違うの?」
そういえば、最初にハルカちゃんから説明を受けたときも、人類から発生した知性みたいなこととか、心だけでここに来て体は現地で生やしたもので良いようなことを言っていた気がする。
「ダイモーンは、知性が一貫して存続できることを『命がある』と呼んでいるんだよ」
知性、そうか知性か。心と呼ぶのと似たものを指す言葉だ。
私は幹侍郎ちゃんが生きていることを考え始めた時、最初に『喋る』という行動の面に注目してしまっていたけど、こうして明示されてみると知性の話だったということが判る。
なるほど私は幹侍郎ちゃんには知性がある、と言いたかったのか。
知性と身体を切り離して、知性が単独で存在することとはどういうことか? つまり身体のない心が単独で存在すること、日常的な概念で表現するなら『魂』だ。
盛り上がってまいりました!
いや違うか。これは真面目な話だ。
「……だとすると、犬猫や植物は知性がないから命がない?」
「それに対するダイモーンの答えは二種類。適当に答える場合は『炭素系生物とダイモーンの命は違う』、少し丁寧に答える場合は『生物が一貫性を保つために行っている行動の背景にあるものが知性』のどちらか」
「『一貫性を保つために行っている行動』? 昨日と今日で言ってることが違わないように気をつけたりすること?」
「まぁそれも一貫性だけど、ここで言ってるのはそういうのじゃなくて、動物や昆虫が死なないように食事をしたりとか、息を吸うことができる場所に居続けるとか、体液を循環させる障害があったら排除するとかそういうこと。なんというのか、『生き延びることをしている』ぐらいのことが『一貫性を保つ』の意味だよ。さっきのとはまた別の生命の定義では『自己保存』と呼ばれたりするものだね」
「……つまり、生き延びていることが知性の証で、知性の証を持っているのが命があるということ? 言い換えてるだけで循環定義になっちゃってるんじゃない?」
「まさしくその通りだよ。定義なんだから」
定義ってそういうもんだっけ?
「じゃあ、ダイモーン的にあるものに知性があるかどうか、生きてるかどうかを決めるためにはどういうことをするの?」
「それは別にあなた達と同じ。『これは知性がある』と思うかどうか、または他に知性があるものと充分に似ているかどうかで決めてるよ」
「……どういうこと?」
「つまり見たらわかるって感じ」
なんとなく身に覚えのある判定方法だよな……。
「えーっ、やっぱりそうなるのかぁ。ダイモーンの命の定義も、意外といい加減だなぁ」
私のこれまでの考えでも『見たら分かる』は大切だけど、それだけじゃ心もとないからっていうので延々と考えていたのに、勿体つけられて出てきた答えが似たようなものだと思うと、そりゃ不満の声だって出ちゃうよ。




