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諸々が千々に降下してくる夏々の日々  作者: triskaidecagon
第十六章 生きているのか死んでるか。そもそもそういう問題だ。
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8月2日(火) 15:00 車中・迷想:「生死」とは?

諸々が千々に降下してくる夏々の日々

 第十六章 生きているのか死んでるか。そもそもそういう問題だ。


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8月2日(火)

     15:00

     車中・迷想

   「生死」とは?

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 しかし、幹侍郎ちゃんが目覚めないというのはどういう状態なのだろうか。

 病気なのか故障なのか。

 もし幹侍郎ちゃんがこのまま目覚めないとして、それは死とは違うのか、死とはなにか、生きているとはなにか、そんな事を考え始めてしまった。


   *   *   *


 いま、幹侍郎ちゃんは眠ったまま起きてこず――つまりは動かない――らしい。

 実際にその場に行ったら、私は動かない幹侍郎ちゃんを見ることになるのだろう。

 その動かない幹侍郎ちゃんを見て、私はどう思うのだろうか?

 死んでいると思うのか、意識不明だと思うのか。

 そもそも私はなにを見たら死と思うのか?

 『死』とはなにか?

 死でない状態――つまり『生命』――とはなにか?


 順番に考えていくか。

 まず私は、『私の死』や『私の生命』がどんなものかは(わか)る。

 ……判ってると思う。.

 判るとは言っても「死とはなにか、生命とはなにか」という根源的な事について充分な理解をしているのかどうかは疑問、というかたぶんあんまり分かっていない。

 ……あ、いや。

 ついこの間、生物の授業で習ったな?

 えーとなんだっけ? 体の境界があって、エネルギーがえーと、代謝! ……代謝ってなんだったっけ? 細胞の生まれ代わりだっけ? いやちがうな健康用語ならこれで良いはずだけど、授業ではそんな話じゃなかったはず。……これは駄目だ、うろ覚えだ。後にしよう。

 つまり私は「生命とはなにか」について、生物の授業で習ってもうろ覚えで(ほとん)ど知らない。

 翻って逆に身近なものの生死、道端のカブトムシの生命や、魚屋で買ってきたまるごとの魚の死は解る。他にも例えばもうちょっと深刻な意味の有りそうなところだと、『私の生命』や『私の死』も判る。というか、私自身の生死について『判らない』と言ったらそれは明らかな嘘だ。

 つまり、理解はしていないかもしれないけど、判る事はできるらしい。

 こんなの単なる言葉の問題だけど、私にとって『判る』と『理解』には差があって、それぞれ別々に行って別々の結果を出せるということだ。『判る』と『理解』の違いは、ここでは『判る=見て判別できること』と『理解=仕組みを説明できること』の違いとしよう。

 こう決めてしまうと、厳密には『私自身の死』を私が『見て判る』機会は無いように思える。でも例えば、身体が上下に分かれて下半分が死んだ事を上半分が見るとか、私の霊魂が私の身体が死んだのを見たりすれば、やっぱり判るだろうと思う。これらは現実には存在しない想定だけど、『判る』というのはこういう使い方の概念だということだろう。

 ……いやこんな事を考え続けても意味はない。『判る』と『理解』の意味的な追求はここで止めておこう。

 いま考えたいのは、幹侍郎ちゃんの生死を判ること。生きているかどうか見分ける、ということ。いま考えてるのは、実際に幹侍郎ちゃんを見た時のための準備だ。


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