……8月2日(火) 10:30 八日目:池袋宿所
諸々が千々に降下してくる夏々の日々
第十五章 旅は終わり、終われば家に帰る。辞書にもそう書いてあったし。
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「……あ、そういえば! 配給所の人が佐々也ちゃんさんがお煎餅を食べたらなにかやってくれると言っていたんですが、わかりますか?」
清水さんの問に応えて、私は親指を差し出してサムズアップ。
そうしたら清水さんがなるほどという顔をしてスルー。
でも、よれひーさんが激しく反応してきた。
「あ、そうだった! それがあった! それ良いですね。お煎餅まだ残ってますか? じゃあ、おせんべいを食べてからサムズアップする一連のシーンを録りましょう。せっかくなので、いい音でお願いします。どうせ編集なのでキューはしませんから、良いところで食べてください」
「え? カメラの方を向いてやればいいですか?」
「それはお任せします」
「はい」
私は食べかけで歯型の付いたせんべいをカメラに向けて、それを口元に持っていってゴリッと勢い良く食べて、もぐもぐと何度か咀嚼しながらカメラに向けてサムズアップする。いい音は出なかったけど、そもそも音が出るようなおせんべいじゃないんだからどうにもならない。
いいのかこれで? 間が持たないんだけど……。
まぁ、いいかどうかはよれひーさんが判断するか。
「さーちゃん、美味しい?」
私のいたたまれなさを察したのか、ぞっちゃんが声をかけてくれる。
ただ咀嚼中なので、上手く喋れない。うん、と頷くけど、なんか物足りない感じがする。
食べながら口の中をなんとか調整して、くぐもった声を発するのがやっとだ。
「……おせんべい、」
とまで口に出したところで、口の中の咀嚼物が零れそうな予感があったので慌てて手で塞いで口をつぐむ。
それが面白かったのか、スタッフの方たちから笑いが起きた。
もぐもぐとそのまま一通り食べ終えてから、「美味しかった!」と念のため言っておき、言いながらもう一度サムズアップ。
「はい、ありがとうございます! でも、今のこぼしそうなところ、使っちゃって嫌じゃないですか?」
「私は大丈夫です」
特に、そういうところについてこだわりはない。
口からこぼしそうになったのは事実だし。
その後、いよいよ本当に清水さんとお別れをして車に乗って出発。
帰りの車中では東京の感想を言い合ったりする撮影もしたけど、やちよちゃんがいるので遠慮が出るし、その場を去って行くのだという寂寥感がどうしてもあるので、あまり盛り上がらなかった。
一方でやちよちゃんは地上を走る車に乗るのが珍しいらしくて、テンションが上っていた。ただ、やちよちゃんはハルカちゃんの隣だとどうしても落ち着かないらしい。
とはいえ窓側の席から動きたくはないらしく、途中で私とハルカちゃんで席を入れ替わったりもした。
「やちよちゃんは佐々也ちゃんのことかなり好きだよね」
これはよれひーさん。
車内の様子はなんとなく撮影している、その一幕。
「え? うん。話しやすいし、面白い」
「わかるわかる。さーちゃんってなんか独特なのに、話しかけたらちゃんと話してくれるから、なんか癖になるよね〜」
これはぞっちゃん。あんたそんなこと思ってたのか。
「そうそう。佐々也ちゃんってなんか独特!」
「それは褒めてないよね!?」
「褒めてる!」
「褒めてるよ〜」
もっと独特というか特別な地位に居るやちよちゃんから独特って言われる筋合いなんてどこにも無いと思っても、こういう場面で「独特じゃねーわ! めっちゃ普通だわ!」と言って反論すると胡散臭いものを見るような目で見られてしまうのを私は経験上知ってる。
それに貶すつもりで言っていないという意図も表明されたし、ここは満足しておこう。
……不服があるとしてもこれ以上言わずにやり過ごすしかない。
ただ、カメラが私の反応を伺うためなのかこっちを向いた。それで、ここは私が何かをしなくちゃいけない雰囲気になってしまっている。
……。
ここはアレだ、私の持ちギャグだというサムズアップ。
「これは佐々也ちゃんさん、嬉しいようですね」
と、天の声。
え? 違うんだが? 人々がこれを私の持ちギャグだと言うから埋め草にやってみただけで、そういう意思表示ではないんだが?
「ほらやちよちゃん、佐々也ちゃんも嬉しいってさ」
「え? ほんと? えへへ」
否定しづらくなってしまった。
私はどうすることもできず、微妙な笑顔を維持し続けて、サムズアップのまましばらく撮られていた。
かくして世の中には誤解はなくならず、波風の立たぬまぁまぁぐらいのところでそこそこの理解と平穏が維持されているのだと言えるんだろう。
この世は難しい。




