……7月30日(土) 20:00 五日目:抗生教池袋宿所・通話
諸々が千々に降下してくる夏々の日々
第十四章 街道を行く。新宿〜池袋。
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「これね、覚えとく!」
しかしこうなんというかこの親指を持ち上げるやつ、なにひとつ難しい所作でもないし、私も親指運動の権威というわけでもないんだけど、なぜかこういう遣り取りをするのが当たり前のように思われている気がする。東京でも、折瀬でも、申し合わせたわけでもないのにそこは変わらない。
それから幹侍郎ちゃんとちょっと話をした。
カメラの関係で幹侍郎ちゃんの背中と後頭部を相手に喋る感じになっちゃったけど、まぁ仕方ない。幹侍郎ちゃんが喋りやすいほうがマシだと私も思うし、それに私は顔を見なくても幹侍郎ちゃんの感情が理解できる。
こうしてみると、私は幹侍郎ちゃんの表情を見てはいないのかな? いや、仮に顔を見ていたとしても幹侍郎ちゃんの顔は変化しないし、表情を映し出さないのだけど、なんとなくいままでは幹侍郎ちゃんの表情を理解できるようになった気がしていた。私は、何を見て何を理解したつもりで居るんだろうか?
いやこれは幹侍郎ちゃんに限らない話か。人間同士の対話の全てに当てはまる、とても奥の深い問題になる気がする。いまは感情を理解できることだけを頼りに、楽しくお喋りをできたらいい。
幹侍郎ちゃんの話は他愛ない。
東京は楽しいかとか、東京に行ってみたいとか、ぞみーちゃん嫌いとか。
東京は楽しいけど意外と地下ばっかりだとか、みーちゃんは私の友達だし良い奴だから嫌うのは止めてくれとか、私はそういう感じで答えた。
あと、電車の話。
案の定、幹侍郎ちゃんは電車のことを知っていて、聞いたら電車のことを教えてくれようとしてくれた。とはいえ要領を得ず、例え話も上手くないので何を言っているのかよくわからないみたいなことにはなるんだけど、一生懸命に教えてくれようとするのが可愛かったからそのまま聞いていた。「佐々也ちゃんは辞書調べたの? わからないときは辞書を調べようって佐々也ちゃんいつも言ってるんじゃん」と、意趣返しもされてしまった。
やはり顔は見えないけど、幹侍郎ちゃんの感情がわかるし表情も思い浮かぶ。得意になっている。ドヤ顔をしてる。まぁ、それはいいか。
それはそれとして、幹侍郎ちゃんの言う通り、なにかを調べればわかるかもしれんというのはまあそのとおりなんだけど、今はもう滅びた古代の風習なのであって、おそらくいつも私と幹侍郎ちゃんが一緒に調べているような国語辞典には載っていないはずだ。
けどまぁそこを言い返すのも無益な話なので、出先だから辞書がなくて……、と言っておく。本当のところ、グローバル検索は使えるから調べられないなんて嘘だけど。
そんな感じで他愛のない話を三十分ぐらいしていたら、幹侍郎ちゃんは眠くなってしまったらしく、もう寝るということになってバイバイした。
話してる途中で眠くなっちゃうなんて、いかにも子供らしくて可愛い。
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「地下に電波入るようになったんだね」
幹侍郎ちゃんは行ってしまったので、あとはゴジと窓ちゃんと通話。
ここからは相手の顔を見て話せるから、なんとなく気分的に落ち着く。
今日の通話の主な目的は幹侍郎ちゃんとの話だったんだけど、ふたりとの会話が楽しくないわけじゃない。ここ一週間ぐらいいろいろなことがあったから、話そうと思えばいくらでも話題はある。
「いや、電波は入らないよ。長いケーブル引いてきただけ」
「うわっ、そりゃ大変だ」
「ドラムリールのケーブルを二つ買って、中継機みたいなので繋いだりアンテナ立てたり、けっこう大変だったよ。難しくはなかったけど」
「ほへー、そしたら入り口閉じれないね」
物理ケーブルを引き回している姿を想像して、地下空間の入り口の隠し扉が閉まらなくなってしまっている絵面が思い浮かんだ。
「いまは隠れてなくても大丈夫だから。……TOXの日が来たらまた隠すよ」
「そうだ、佐々也ちゃんの撮影はTOXの予定日にはどうするの? みぞれちゃんは大宮で番組があるらしいって噂に聞いたけど、佐々也ちゃんも同じ?」
ぞっちゃんの噂ってどういう情報経路なんだ? 集合意識の進化か? とかまた疑ってしまいそうになったけど、ぞっちゃん自身は学校の友達と連絡は取ってるからそっち経由とか、ぞっちゃんのお母さんお父さんから伝え聞こえてきたりすることは有りえるのか。
私がどうするかといえば東京に残るんだけど、言っても平気なやつだっけ?
うーん、なんと言えばいいか……。




