……7月30日(土) 13:00 五日目:撮影・池袋塚地下居住地区
諸々が千々に降下してくる夏々の日々
第十四章 街道を行く。新宿〜池袋。
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「そこが実際の『街道』です」
「街道……というのは?」
「東京の多くの部分を繋いでいる、地下通路網です」
「はい。抗生教ではこの地下通路網を『街道』と呼んで、継続的に整備しています」
「ああ、昨日言ってた交通環境の整備って、地下のものも含まれてる感じなんですね」
「はい含まれてます。というより交通環境という言い方だったのも、地下の街道や宿場がかなりの部分含まれているからです。道ではあるんですけど、それだけじゃない部分もあるので」
「それだけじゃない部分というのは?」
「ここで言うと、電灯とか駐車場の充電器とかです」
「あー、なるほど」
たしかに道ではないけど付属品みたいなもんだと思うけどな。
がっかりした感じが声に出てしまっていたのかもしれず、清水さんが慌てて付け足してきた。
「他には、配給品の貨物の集配の組織化とかもあるんですよ。形があるものでもないので、ここでは見せられませんが」
「たしかに、そりゃそうですね」
ここの段差を降りたところが実際の『街道』なのだという。
段差の上はある程度行くと行き止まりになっていて、段差の下側だけが道として続いている。宿場にほほぼ必ずこういう段差があって、基本的には段差の上側の広がりが宿場の範囲とみなされているそうだ。
「なんかちょっと混乱してきたな……」
「さーちゃんも? さーちゃんにわかりにくいなら、私が分からなくても仕方ないかな〜」
ぞっちゃんは頭が悪いふりをするのをやめてほしい。
というか、ぞっちゃんにしてみればふりでもわざとでもなくて単純に気にならないというのを私も知っているので、これは言っても仕方がない。
私から見ると、私は不明点の一時保留がものすごく下手で、気になるけどわからないことがあると全体の把握が圧倒的にぼやけてしまい、似た感じのちょっと違うものに反応できなくなってしまう場合がある。ぞっちゃんは並列に提示されたことをそれぞれ個別にひとつづつの適切性に従って処理できるタイプだから、情報が不完全な時に似たものに対応するのが得意だ。物事同士の類似とはまた違う、関連付けのような処理にぞっちゃんが強くないのも本当ではあるけど、その分、当意即妙で現場に強いタイプだ。
「宿場の端っこを見てみたい……。いいですか?」
いいですか、というのはよれひーさんに対する質問。別に後回しでもいい。
「あ、これから向かうところです。この丸ノ内線の池袋の宿場には珍しいものがあるそうなんですよ」
「へ? 珍しいもの?」
「はい。街道の終点です。ですよね、清水さん?」
「そうですね。リクエストがあったのでそちらへ行きましょう」
そう言って、みんなで広場の上を移動していく。
実際に歩いてゆくと、街道の溝が終わっていて、その溝の幅だけ段差の上側が広がり、その広がった幅で先にまで続いている。街道があって良い場所に宿場を作ったのではなくて、先に広場の方があって後から溝として街道を掘り込んだような終わり方だ。
なんか漠然と思っていたのと違う。
「ほんとだ〜。街道が終わってる〜。でもこの先にも宿場が続いてるんだ〜?」
「はい、実はこの先に別の街道へ降りる道があるんです」
「こういう場所はよくあるんですか?」
「宿場で、深さの違う別の街道と接続している事はよくあります。でも、池袋のここみたいに、終点の先に道が繋がっているのは珍しいですね。宿場の端は単に広場が途切れていて、接続は宿場の内側から繋がっている場合がほとんどです」
「へー、珍しいんですか。せっかくだからよく見ておこう。でも、……普通の方も見たいです」
「普通の方はまた別の機会がありますので」
街道の端っこを良く見ても、要するに広めの地下道というかトンネルというか、そんな感じではある。段差が終わっているところも単に段差が終わっているというだけだ。まぁでも、段差の終わりはいつでも単に段差が終わっているだけだろうという気はする。(どのような端っこでも単に終わっているだけの場合が多いんだけど、稀に特徴のある末端処理がされている場合があって、そういうのが見たいのだ。例えば畳の縁。畳の縁には布を貼っている方と貼っていない方の、二種類の末端処理がある)
この『宿場』はけっこう広いというか長いとも説明された。
この場所に降りてきた時の印象、広場というよりも通路かもしれないという見立ては、どうも正しかったようだ。




