……7月29日(木) 14:00 四日目 :抗生教池袋宿所・番組撮影
諸々が千々に降下してくる夏々の日々
第十三章 薄暮の赤雲、独り屋上。呼ばれてなくても現れる。
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「そうですね……。あえて言うなら日本の神道と同じです。特に、抗生教では開祖の八千代様を神格として祀っています」
本当にこだわりが無いので説明したほうが無難、という結論になったんだろうと思う。
「さ……さーちゃん……」
ひそひそ声を装ってはいるものの、別に小さくはない声でぞっちゃんが私に話しかけてくる。私はそういう器用なことができないので、普通に答える。
「どうしたのぞっちゃん?」
「ぞ……、ノーノーわたしみーちゃん。みーちゃんね、先生が言ってる言葉があんまり分からない。カイソとかシンカクってなに?」
「開祖は宗教をはじめた人のことで、神格は神様扱いってことだと思うよ」
「つまり、抗生教をはじめた八千代さんって人を神様だと思ってお祈りしてるってこと? 人間なのに?」
「……仏教のお釈迦様とかキリスト教のイエス様とかもそんな感じのところあるから」
「あ、そういえばそうか。あと……シントウってなに?」
「要するに神社の神様のことだよ」
「つまり、カイソの八千代さんって人……、あ、神様か。じゃあその八千代様の神社があるってこと?」
「それは私は知らないよ。清水さんに質問してみれば?」
「先生! 八千代様の神社があるんですか?」
ぞっちゃんは声をひそめるのを止めて、ハイと手を上げて質問している。
授業を無視していきなり質問をした感じだけど、実際には私とぞっちゃんが喋っている間の進行は止まっているので、どちらかといえばひそひそ話を体裁を捨てた感じだ。
「有りますが、小さなものです。神社というより祠というぐらいの規模ですね」
さっき見たのは確かに大きなお宮ではなかったけど、祠と言うほど小さくもなかったはず。
「さーちゃんさーちゃん。ホコラって?」
「道端にあるような、人が中に入れないぐらい小さい神社のこと。川辺通りの床屋の横にあるお稲荷さんとかみたいな」
私の言葉に、よれひーさんが「ちょきちょき」をやっている。ああそうか、具体的な地名を出しちゃったか……。
「あれか! つまり、お地蔵さんみたいな感じ?」
「村の川辺りのはお稲荷さんだから正確には神社。お地蔵さんはお堂が無いけど大回りの交差点の辺りにある赤いエプロンしてるやつ。で、お地蔵さんは仏教だから、お稲荷さんとは形が似てても別もの。でもサイズ感的にはお地蔵さんぐらいだよ」
「神社って仏教じゃないの?」
「違う、けどいろいろと複雑なんだ。神様を頼りにする心っていうのはそういう細かい区別にこだわらない人達にもあるから、区別がつきにくいものも出てきちゃう」
「もしかして難しい話しをしてる?」
「む……難しいかな? でも、複雑な話だとは私も思う」
「神社の神様とお寺の仏様って違うものなの? なにが違うの?」
相手の理解を得ないで話すのは独り言と同じだ。
反省しなくては。
「私もものすごく詳しいってわけじゃないから間違ってるかもしれないけど、大まかな話、神社の神様っていうのは日本にもともといた神様で、お寺の仏様っていうのはインドの偉いお坊さんの教えで伝えられてる神様……ではないらしいんだけど、似た感じのもの。ひとまず日本かインドかって違いだと思えばいいと思う」
「仏教がインドっていうのは学校で習ったことある気がする……。そうか、身近なお寺とか神社とかに関係ある話だったのか……。すらすら言えるなんて、さーちゃん物知りだねぇ」
「私もよくわからなくて調べたことがあるんだ」
中学生の時だった気がする。
「えっ? じゃあ、お地蔵さんってインド出身なの?」
「たぶん……。あ、地蔵は菩薩か。菩薩はね、修行して今後偉くなる人だから現地採用もあるん枠なんだよ」
「???」
ぞっちゃんが小首をかしげて可愛い顔をしている。
「ええと、お地蔵さんがインド人かどうかは複雑な部分の話だから私も細かくは知らない。調べてみるといいと思うよ」
「うんわかった。難しいんだね」
まぁ、調べる気はないってことだろうな、これは。
私達のやりとりをよそに、ハルカちゃんが次の質問。
「先生! 私達のガイドさんもやちよちゃんっていう名前だったんですけど、東京ではよくある名前なんですか?」
「はい。八千代様にあやかって名前を付ける人は少なくはないですね」
清水さんが答える。
なるほど。
やちよちゃんは明らかに重要人物っぽかったけど、名前が一緒なのは偶然なのかな?
「佐々也ちゃんさんはなにか質問はありませんか?」




