……7月29日(金) 10:30 四日目:池袋抗生教宿所
諸々が千々に降下してくる夏々の日々
第十二章 塚。それは土を盛って築いた山。
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「ああー、本当に軽いニュアンスの言葉なんですね。なるほど。お金を使わないって聞いてちょっとどういう感じかわからなかったんですけど、なんとなく手がかりが掴めた気がします」
「参考になったようでしたら、良かった」
「そういえば、ここまで人が住んでる場所がなかったですけど、地上部分には住むところはないんですか?」
「そうですね。居住区画は地下です」
「なにか理由があるんですか?」
「これは簡単な話で、TOXが上から落ちてくるからです」
さも当たり前のことのように清水さんが答えてくれる。
実際のところ、かなり当たり前のことだ。
塚が土に覆われているのだって落下してくるTOXへの防御だというし、TOXは上から落ちて来る。つまり上の方は落ちてきたTOXにぶつかるかもしれないから危険という……。
「え? 私達が最上階なのって……」
「いえいえいえ! そうではないんです!」
私がなにを言おうとしたのかを察して、清水さんが食い気味に否定してくる。
こっちが悪い印象を持ったかもしれないということだから、分からなくはないけど。
「TOXは突然来るものじゃないですから、TOXが来る時には基本的の客様が居なくて宿所は使われていないんです。長逗留で宿所にお客様が居る場合もないではないですが、その場合には基本的にシェルターに避難してもらいます。それに長逗留の場合も、予報が出てから当日までの間にみなさんに退去してしまうのが普通になっていたりします」
「なるほど、そういえばそうかも」
言われてみればTOXは予報無しには来ないんだから、逃げられる人は逃げてしまえばいいわけだ。
「住人たちにとっては、配給品とはいえ家財がありますからね。場所を動けないなら、地下のほうが住居への被害は受けにくいんです」
東京では地上に住むのが難しいというのは、すでにどこかで聞いたことがある。へー、と思ったものだけど、こうして身に迫る話として聞いてみると納得もあるしそれなりに思うところは出てくる。
『可哀想』というと言葉が軽いだろうか?
『悲惨』まで行くとこの場の雰囲気と比べると強すぎるようにも思う。
身に迫る話というのは実感として押し寄せてくる力が強い。
話を聞く今、塚の中にいる。
朝、好天で気分が良かった青空を思い出す。あの時には感じていなかったはずの、塚の重みで上から押し潰されるような圧力を感じてしまう。同時に、ちょっと幻想的な淡色で思い浮かぶ朝の周囲の光景も、色味が増したような気もする。
「大変……なんですね、やっぱり」
「まぁそういう土地ですから……。あまり気を使わなくていいですよ。それが分かっていてもここに住まわざるを得ないので馴れています。具体的に気を使われる方が、惨めだと感じたりもしますから」
「あ……ごめんなさい。それは……」
本当に私は思いやりが足りない。
気がついているのでもう少しマシな振る舞いをしようとしているんだけど、なにかに夢中になるとすぐに忘れてしまう。私の至らないところだ。
「あの……」
「失礼。言い過ぎました。本当に、あまり気にしないでください。なにか心がけるとしたら、可哀想とは言わないようにしてください。そう見えてしまうかもしれない状態が、ここの生活の普通なんです。あなた達は違う、ここに住む皆がその違いを感じることこそが不幸の始まりになりますから」
「……わかりました」
「しめっぽい話になっちゃいましたね。お詫びとして、最後に、外の人はあまり入れないところにお連れします」
「え? 私の心得が良くなかっただけなのに、お詫びなんて……。それに、私なんて別になにをするでもないのに、特別にどこかに入れてもらうなんて悪くないんですか?」
「大丈夫ですよ。逆に、カメラが居たらお連れできない場所ですけど、見応えがあるところなので本当は自慢したいんです」
「そうですか……。ではありがたく」
抗生教なんていう宗教団体だし、他人が見れないところと言うと宗教施設かな。
見応えがある、といわれても、そりゃ教団の人はそうなのかもしれないけど、自分は同じ様には感動できないんじゃないかという予感がする。
気まずいことにならなきゃいいんだけど。
私は空気が読めないから無理だろうなぁ……。




